瀬戸谷の木地屋足跡
 瀬戸谷は十方山の南面に扇状に広がった谷でその関門には瀬戸滝があり、現在では容易に滝上に至ることが出来ない。滝上から三ツ岩付近までは比較的なだらかな谷で、かつては木馬道があったが崩壊は激しく、現在ところどころに当時の木馬道の石積みが残っているのみである。
 瀬戸谷での木地屋足跡については中流域の右谷にキジヤ原という地名が残されているので、木地屋の足跡を求めて探訪してみた。 タガタノ谷付近から右谷の三ツ岩手前までの両岸には8〜9ヶ所の大小平坦地があり、5ケ所で木地屋が稼業していたものとみられる遺構を確認することが出来た。しかし、行く手を阻む雑木と倒木、厚い腐植土に覆われているため遺構の全貌は不明であるが、判明したものを上流に向かって順次みていくことにする。
 瀬戸谷での木地屋足跡については氏子駈帳では寛政12年(1800)に本瀬戸山木地屋として金左衛門、幸左衛門など10名前後で稼業していたことのみが記されているが、数ヶ所の木地屋足跡が確認され遺構の残存状態からみると数多くの木地屋がこの地で長年稼業していたものと思われるのである。
 タガタノ谷手前右岸には小さな谷を挟んで平坦地があり、手前には新しい時代の炭窯の跡がみられるが、その他については雑木と倒木で不明である。 
 左岸には比較的新しい門型の石積みがみられそのすぐ上手に自然石の石積みがある。その一角には一段と高い墓所域の石積みがあり、墓所には方形であったと思われる一基の積石墓がある。ここから上流に向かって狭い平坦地がある。
 右谷と左谷の合流部手前の右岸には石積みを設けた数段の平坦地があり、ここは瀬戸谷で最大の平坦地でありこの地で耕作しながら稼業していたものとみられる。左谷の川沿いに石段を設けた墓所域があり、墓所には方形であったものと思われる一基の積石墓がある。ここで稼業していた木地屋の墓だったものとみられる。
 右谷とカワジ谷の合流部分の右岸に石積みのある平坦地が数段みられるが、雑木が繁茂しているので詳細は不明である。
 右谷の通称キジヤ原と呼ばれる左岸平坦地には一基の積石墓がみられる。
 木地屋原の少し上流の右岸平坦地には新しい時代の炭窯跡と一基の積石墓がみられる。
よしわ地区点描         中国新聞 緑地帯掲載 木地屋の足跡を追って