廃妙音寺
 妙音寺は中国自動車道吉和インター料金所付近にあったが明治頃に廃寺となった。妙音寺の創建は定かでないが、天正13年(1585)の文書に妙音寺の名がみられることから中世より存続していたのは間違いない。
 古くは臨済宗であったが江戸期に洞雲寺の末寺になっている。曹洞宗になった妙音寺の始めは平僧寺院で、寛文頃平僧である安山寿養首座が住持となり、次いで覚泉承円沙弥が住して堂宇を再建している。
 当寺を実際に開山したのは仙谿桃牛首座禅師とみられ、位牌に当寺中興とあり堂宇の再建、什器の整備などをしている。位牌によると
仙谿禅師は師である洞雲寺19世の晦巌忍随を当寺の開山としている。
 以降歴代の住持など不明であり、廃寺となって同寺の仏像、喚鐘、位牌などは汐原観音堂に移された。また、墓碑は教龍寺の墓地に移されている。写真の位牌など3基は高橋家で保管されており、汐原観音堂に移された位牌の中には広島藩の家老上田家歴代のものもみられる。
 
 
| よしわ地区点描 | 洞雲寺 |