幻の泉水峠トンネル
玖島の豪農八田家は廿日市の住吉新開など旧廿日市市域にも多くの土地を有し、また、後背地の山間部に広大な山林を所有していた。本拠地の玖島と廿日市を結んでいる1等里道の泉水峠は険しく、経済活動を高めるにはトンネルが有利となるとのことで工事を始めていたものと思われる。
ところが大正3年(1914)廿日市町に本店を置いていた八田貯蓄銀行の取付け騒ぎで、八田家所有の山林1378町歩と田畑6町歩を抵当にするなどし、大正7年(1918)には八頭銀行に統廃合されたために、トンネルを造る必要性も薄れて中止となったものとみられる。
大正3年2月に平良・玖島村間の里道改修の議案が上程されているが、このトンネルとの関係は定かではない、おそらく八田家の意向を踏まえた里道改修議案であったものと思われるのである。
トンネルがどの程度掘られていたのかは不明である。現状では幅4.2mで長さ12mの予定路面とみられる部分での掘割り両側に石積みが残されており、続けて路面に相当する部分が埋め戻されたものか急斜面になってその部分も石積みが続いている。|交通の要地廿日市|廿日市の近代化遺産|