宮島富籤
 厳島社の門前町と内海交通の港町として栄えていた宮島では広島藩も重要視し、遠近からの人寄せの為に浄瑠璃、歌舞伎、芝居等の興行を許し、春、夏、秋、の市立てを中心に富籤興行も許可されていた。富座で求めた諸口の合鑑(相鑑)紙と木駒に同一の番号、口名や思い思いの文句を書いて、合鑑紙は加入者が保管しており、木駒は桶に入れて指定期日に桶の小穴より木駒を突いて当り籤を決定していた。宮島では焚き木の大束が特産品であり、これを入札するという形で富籤が行われていたようである。
みやじま地区点描  厳島絵図  厳島絵葉書