呉軍港築造物制限区域標石 | ||
呉軍港築造物制限区域標石は呉市の東部に連なる休山々系の尾根筋で19基と入船山記念館園内で1基確認することができた。
この標石は荒仕上げの花崗岩製で15㎝角、60~80㎝の高さであるが転倒しているものをみると埋込み部分を含めた全長は106㎝であった。 標石の間隔は狭い所で約50m位の見通しが出来そうな位置に建立されているが、現在は樹木の繁茂で見通しはほとんど出来ない。頂部の中心には丸い凹部が刻ってあり両隣の標石に向かっての線が刻されている。これらから制限区域は正確な測量が行なわれこれに基づいてこの標石が建立されたものと思われるのである。 標石の銘文は1面に「呉軍港築造物制限区域標」とあり、3面に「第○〇号」と通し番号が刻されているが、荒仕上げのうえ刻字が浅く読みづらいものもある。通し番号の面はいずれも呉港側に向かっている。 この標石には建立年が刻されてなくいつの時代に設置されたものかと思われた。そこでこの標石に刻されている呉軍港築造物制限区域とよく似た呉港家屋建築制限法の付図(呉市市街割之図)を見てみると標石の位置が符合することがわかった。 明治19年(1886)5月4日勅令によって呉浦に第2海軍区鎮守府と呉軍港の位置が決定し、呉鎮守府の工事とともに秩序ある整然とした市街地の形成をめざして呉港家屋建築制限法が明治20年(1887)5月7日県令として公布された。 呉港築造物制限区域は3区に区分されており1区、2区は市街地部分で、呉港や市街地の周辺を取囲む山々の尾根筋までが3区とされたが、明治21年(1888)3月29日の県令で2区と3区の区界が廃止され、2区部分が拡大して3区部分はなくなった。 休山々系の尾根筋の標石は呉港家屋建築制限法による区域の境標石で、当初は3区の外周境標石であったが後に2区の境標石として存続したものとみられる。この標石は小間隔で建立されており呉港や市街地周辺の尾根筋にはこのほかに数多く残存しているものと思われる。 この呉港家屋建築制限法は村落から市街地形成の推進をするための家屋建築の規準とされたもので、現在の都市計画法や建築基準法などに相当するものであり、これらに基づいて順次市街地の建設が進んで呉浦は農漁村から軍港都市への変遷を辿っていったのである。 呉市の街造り草創期の標石について・PDF |
||
呉軍港築造物制限区域標石 | ||
標石番号 | 所 在 地 | 備 考 |
第45号 | 呉市 鉢巻山系 | |
第48号 | 呉市 鉢巻山系 | |
第49号 | 呉市 鉢巻山系 | |
第52号 | 呉市 笠松山 | |
第131号 | 呉市 大仁王山~西鹿田間尾根筋 | |
第132号 | 呉市 大仁王山~西鹿田間尾根筋 | |
第134号 | 呉市 大仁王山~西鹿田間尾根筋 | |
第135号 | 呉市 大仁王山~西鹿田間尾根筋 | |
第136号 | 呉市 大仁王山~西鹿田間尾根筋 | |
第138号 | 呉市 大仁王山~西鹿田間尾根筋 | |
第139号 | 呉市 大仁王山~西鹿田間尾根筋 | |
第140号 | 呉市 大仁王山~西鹿田間尾根筋 | |
第152号 | 呉市 休山尾根筋 登山道休山南駐車場脇 | |
第154号 | (現在呉市幸町 入船山記念館内) | |
第155号 | 呉市 休山尾根筋 休山南駐車場~梅の木峠間 | |
第156号 | 呉市 休山尾根筋 休山南駐車場~梅の木峠間 | |
第158号 | 呉市 休山尾根筋 休山南駐車場~梅の木峠間 | |
第15?号 | 呉市 休山尾根筋 梅の木峠高天原神社脇 | |
第163号 | 呉市 休山尾根筋 日佐護山南駐車場~大入分れ道間 | |
第164号 | 呉市 休山尾根筋 日佐護山南駐車場~大入分れ道間 | |
第165号 | 呉市 休山尾根筋 日佐護山南駐車場~大入分れ道間 | |
第166号 | 呉市 休山尾根筋 日佐護山南駐車場~大入分れ道間 | |
第167号 | 呉市 休山尾根筋 日佐護山南駐車場~大入分れ道間 | |
第169号 | 呉市 三津峰山系 | |
第179号 | 呉市 三津峰山系 | |
第181号 | 呉市 三津峰山系 |
近代戦争制限区域標石 |