リレー小説外伝2
妖精(後編)

1992,8,19発行 『棲想圏 第九号』掲載

原作 小白滝/冴速 玲/上杉 明

作 上杉 明

 「サミュ!」
 飛翔機を遠巻きにしていた子供達から悲鳴に近い声があがった。裏山から姿を現した彼らの大将の姿はどうしても強大なナダールに対して友好的とは思えなかった。
 見たこともない鎧の一部らしきものを着込み、華奢な剣を握った姿はどう見ても笑いを誘わずにはいられない。しかし、その発する『気』が笑いを吹き消してしまう。
 「馬鹿な……紫糸縅の大袖だと……あの、馬鹿が。お伽話と現実を履き違えおって……あんななものが残っておったとは」
 タッカンが呻く。
 「たぶん、代々の心の拠り所だったのでしょうね。見ましたよ。タッカンどのが天井裏に六尺棒を隠されているの」
 「見たな……。
 しかし、笑い話で済めばよいのだが……」
 「済むと思いますが……」
 サミュの右手に握られた華奢な一振りの剣、いや刀から目を放さずにリョシーマが自信なげに答えた。

 確かに事象はリョシーマ達が期待する方向に向かうかに見える。
 「ほう、抵抗は死と言ったはずだがな」
 サミュの姿を見つけた指揮官は嘲りの笑みを浮かべた。
 「殺しますか?」
 側に立っていた副官が尋ねる。
 「まさか……」
 ナダールの下級指揮官の辞書には騎士道精神などという文字は存在しない。指揮官がその単純な解決法を否定したのは別の理由があった。
 「子供一人で済めばいいが、万一村の連中が暴れてみろ、この清浄な地が下賎な血で汚される。そんな事になってみろ。おぬしも、俺も降格だけでは済まされんぞ。
 まあ、死なない程度にお相手しろ」
 三体ある銀甲胄の一体にあごをしゃくってみせる。
 低い機械音とともに銀甲胄が動きだした。
 そんな会話が交わされているとは知らずにサミュは心地好い精神の高揚感に酔っていた。右手のおかしな形の剣から何か巨大な力が体に注ぎこまれるようだ。
 彼の頭には義兄を救うことと、『地脈』の回復しかない。伝説通りならば、彼にこの剣は無敵の力を与えてくれるはずだ。
 「ナダール覚悟」
 そう言って右手の剣を左手で引き抜く。
 「あれま」
 左手の剣を見て、はじめて間違いに気付いた。利き腕で持ってきた剣は今、左手にある。
 「わわ」
 あわてて持ち変えようとした。が、
 『鞘を棄てるは負けて刀を戻すことが出来ない事を自ら証明するに等しい』
 幼い時に聞かされたその言葉が彼に鞘を棄てて持ち変える方法を取らせない。
 そして銀甲胄にとってそれだけの時間があれば十分だった。たちまちサミュの体につけられた大袖の紐をつかみ、体を持ち上げる。
 「この野郎! 放せ、放せってんだよ。馬鹿野郎!」
 じたばたと暴れるがもう、後の祭りである。
 ナダールの陣営からは嘲笑が、そして、村人からは安堵のため息がもれる。
 「これで、笑い話になってくれれば……」
 タッカンとリョシーマも肩から力を抜いたときだった。
 「離せよ! 馬鹿野郎。畜生!」
 サミュの視界が涙でにじんだ。『地脈』を回復させなければ『少女』に明日はない。その事が、何故かサミュにはわかっていた。今まで焼夷弾からも、ガキ大将候補からも守ってきたのに。
 『今度は相手が悪いって言うのかよ、畜生。俺がやらなきゃ駄目なんだよ、畜生』
 姉の気持ちがわかるような気がする。そして、ここ数ヶ月の自分の行状が悔やまれてならなかった。
 『おれしかいないんだよ』
 心の中が空っぽになる。ただ一つの事に意識が集中した。
 「まずい……」
 リョシーマの拳がにぎられる。
 「よせ、サミュ」
 今まで無茶苦茶に振られていた右手の刀がぴたりと止まった。
 辺りの『気』が凍り付く。
 「はあああああ」
 サミュの口から意識しない声が漏れた。
 全身の血が覚えている。過去の技。
 「ここまで血が濃かったのか?」
 リョシーマの拳から血の気が消える。
 英雄王が編み出した『空精』の基となった流派の技だった。
 が、その技を発する肉体はあまりにも脆弱。
 「使えるか……。使えてしまうな。あの業物ならば……」
 リョシーマは大きく息を吸い込む。誰にも、横にいるタッカンにも見えていないだろう。リョシーマとサミュにだけ刀がまぶしいほどに輝いているのが見えた。
 『天柱斬』
 静かなサミュの声だった。
 ことり。
 銀甲胄の動きが止まった。左肩の上にあったサミュの刀が右脇腹に移っている。
 そのまま上半身が斜めにずれていくと地上に落ちた。全身の気力を総て使い果たしたサミュは銀甲胄の戒めから逃れたにもかかわらずその場から動かず、全身を銀甲胄から吹き出す液体に濡らしていた。
 「馬鹿な……」
 指揮官が大きくあえぐようにして声を絞り出す。
 しばしの間、誰も動かなかった。ただリョシーマを除いて。
 「殺せ!」
 その静寂を指揮官の声が切り裂いた。
 「そのガキを殺せ!」
 飛翔機の銃口らしき物が、歩兵達の銃が、大きく肩を動かしているサミュに向けられる。
 「撃て!」
 「陰の刃 白虎陣!」
 指揮官が叫ぶのと、人ごみを駆け抜けたリョシーマがサミュの廻りに『風』の結界を張ろうとするのは同時。
 「なに!」
 が、リョシーマの後頭部がちりちりと逆立った。結界が何者かの干渉を受けて打ち消されたのだ。
 「馬鹿! 何で俺が無理したんだよぉ!」
 気配を感じて顔をあげたサミュが泣き叫ぶ。人々はそこに碧い肌の少女を確かに見た。

 それは一瞬の出来事だった。
 飛翔機から、歩兵達の銃口から伸びた火線がサミュのまわりであらぬ方にねじ曲げられていく。
 そして、誰の目にもはっきりと見えた少女の姿が霧のようにかすみ、消えていった。満足げな微笑み浮かべながら。
 「馬鹿野郎!」
 全身の力をかき集めるとサミュは立ち上がる。
 「何のために……俺が今まで頑張ってきたんだよぉ」
 「サミュ! よせ!」
 リョシーマが叫ぶがその声は耳に届かない。杖代わりにしていた刀をゆっくりと上げると中段に構えた。
 「悪かったな、お前の事を細い剣だなんて思って。もう一回力を貸してくれよな。『吹雪丸』……」
 幼い頃に聞いたこの刀の名を呼ぶと、そこで大きく息を吸い込む。
 「天河斬」
 泉の側の古木が、ナダールの設置したテントとともに撫で切りにされた。
 崩れ落ちるテントの中に置かれていた巨大な脈動する醜悪な肉塊のようなもの。それがしばし、何事もなかったように動いていたがやがて破裂すると常人には見えない光を吹き出し崩れていく。
 「へ、ざまあ見やがれ……」
 それがサミュのこの世で見る最後の光景になるはずだった。
 すべての力を使い果たした少年は復讐心に燃えるナダールの前にゆっくりと崩れおちる。
 「馬鹿な、皇帝陛下からお預りしたマシンが……」
 指揮官は目を閉じうめき声をあげた。
 もはや、彼らの運命は決した。
 「が、ガキ。貴様も地獄に送ってやる……。飛翔機隊。ヤツのかけら一つ残すな」
 そう言うと自ら腰の銃を抜くとサミュに照準を合わせる。
 が、一陣の突風がその場に吹き込んだ。風は彼や歩兵、そして飛翔機のパイロットの心を直接叩き、一瞬の隙を作り出す。
 「それはこまるなあ」
 風がやんだ後には一人のとっぽい男が立っている。
 「何者だ……」
 「真打登場さ」
 ゆっくりとサミュの手から『吹雪丸』を取り上げる。白銀の刀身が異議を唱えるかのように震えた。
 「勘弁しろ。遠い親戚に力を貸してくれよ」
 リョシーマはそうなだめるとゆっくりと構えた。
 「馬鹿が、そんなもので飛翔機にかなうと思うか……やれ、やってしまえ」
 その言葉が彼の臨終の言葉になる。
 リョシーマの剣が一振りされた瞬間、彼の目は自分の頭があった場所から吹き出す血潮を見た。
 それが合図だったかのように飛翔機がリョシーマめがけてその火砲を浴びせかける。村人達が逃げ惑う姿をちらと見るとリョシーマは軽く宙を舞うと、降り立った場所に刀を突き刺した。
 「『陰の刃 白虎陣』」
 『吹雪丸』の刀身が蒼く輝く。\今度は間違いなく結界が張られた。リョシーマがさっきまでいた場所に着弾した砲弾はその結界の中で荒れ狂い。そして消滅する。
 「おーおー。刀があると技の切れが違うねえ」
 その言葉に『吹雪丸』が震えた。
 「わかってるって。
 さて、そろそろいいかな……」
 村人が逃げ散り、だれ一人いなくなった丘でリョシーマはゆっくりと刀を青眼に構えた。
 「おい、歩兵さん、恨みはないんだが、逃げる気はないかい?」
 が、歩兵達の目。そこにあるものは狂気だけだった。その声に銃声が答える
 「惨い事するなあ。精神改造か」
 舞い上がった空中で小さくため息をつくと剣をゆっくりと振り降ろす。
 刀心に一瞬、電光がからみついたかと思うと白昼の光の中にもはっきりと解る紫色の電光が剣と歩兵達の心の臓をつないだ。
 歩兵達の最後の鼓動が全身をびくんと動かすとそのまま大地へと崩れ落ちる。
 「陰の刃 白虎鞭。決まったかな」
 大地に降り立つとその目の前に銀甲胄がいた。
 「油断大敵!」
 瞬時に刀がその胴を薙ぐ。
 「陽の刃 翔鳳。
 そして、舞凰」
 『吹雪丸』がその背後から襲いかかってきたもう一体の銀甲胄の剣を弾き落とすと、文字どおり舞うように脇腹から上へ駆け上がった。
 「人を斬るならこれで十分なんだよな……サミュの技よりも効率良く人を殺せる技か……」
 そんなリョシーマの感傷を打ち消すように上空の飛翔機の火器が集中する。
 「哀しいな……」
 『少女』の消え去った空に舞い上がる
 「陰の刃 白虎翔」
 爆風さえ閉じこめる風の結界を身に纏ったリョシーマが飛翔機の前に立ちはだかる。
 砲弾は空しく結界に弾かれていった。
 そして、リョシーマと飛翔機が交差する。
 「陽の刃 鬼鳳」
 厚い装甲に囲まれているはずの機体を、まるで砂の塊でも切るかのように『吹雪丸』が二つに割る。
 「化け物かもしれんな……」
 自ら封印を解いた瞬間から思いつづけている想いが苦く浮かび上がった。
 「この技を受け継いだ俺の存在の意味はどこにあるんだ……」
 『意味を持たせてあげなさい……』
 白い面影が脳裏に浮かぶ。
 技を封印した自分を助けた妹のエミアの生を、死のうとした自分を助けてくれたアヤの生を、二人が生きて成すはずだった分まで自分は生きていかねばならない。
 「でも、重いよ。アヤさん……」
 死すら恐れぬ二機の飛翔機に向かってリョシーマは向かっていく。
 一陣の孤独な風が、清浄な地であった草原を血に染めていった。

 どくん。どくん。どくん。遠くで何かの脈動を感じた。
 どくん。どくん。閉じられた瞳にはその姿がはっきりと写っている。
 『『地脈』がその傷を癒すために脈打っているんだ……』
 サミュは何故かそう思った。
 『なんで僕はそんな事がわかるんだろう』
 その疑問はしかし、それ以上の驚きによって打ち消される。
 傷を癒そうと吹き出される『地脈』のエネルギーの渦の中に『少女』の姿が今にも消え入りそうに漂っている。
 『……』
 「おう、気付いたか……」
 目を開けたサミュの視線の先にタッカンの顔があった。
 「ここは? ナダールは?」
 「ここはおぬしが無茶をした東の丘じゃ。ナダールはともかく全滅した。
 無茶をしおって……もう少しでおぬし、『気』を使い果たして死ぬ所だったのじゃぞ。治癒の術のかかりが異様に良くなければ今頃おぬしは墓の下じゃ」
 「そうか……生きてたんだ……。
 生きてるんだ」
 突然大きな声を出す。
 「何じゃ突然、そうじゃ、おぬしは生きておる」
 「違うよ坊さん! あいつが生きてるんだ。あいつが!」
 タッカンの襟元を両手でつかんで起き上がる。
 「『嬢や』が? まさか」
 「まさかじゃない。今、『地脈』が傷を塞ごうとして噴き出てるんだ。その中で殻を失ったあいつが漂ってる! 間違いないよ」
 「考えられない事じゃないな……」
 二人の様子を黙ってみていたリョシーマがサミュに同意する。
 「これだけ濃密な『地脈』が吹き出しているんだ。殻を破裂させた『妖精』が四散しないでそのままの形で漂っていても不思議はないよ。
 が、この『地脈』の流出もじきに終わる……」
 「そんな……。坊さん。何とかならないのかよ」
 すがるようなサミュの目だった。
 「そうか、治癒術が異様に効いたのは地脈が吹き出していたからか……。
 ならば、確かにシルフの『嬢や』ならば術はあるが……」
 「本当!」
 サミュの顔が輝いた。
 「昔、共に旅をした西方の僧と編み出した、肉体を完全に失った霊魂を復活させる術じゃよ」
 柄にもなくタッカンは遠い目をした。が、すぐに続ける。
 「失った殻の変わりに肉体を与えれば復活は出来る。
 じゃが……」
 「じゃが……?」
 二つの瞳がじっとタッカンを射た。
 「おそらく、復活したとしてもその寿命は極端に短くなる。それでも良いか」
 こくんと。まだ幼さを残すサミュののどが動いた。がすぐに一つ大きく肯く。
 「かまわないよ、謝りたいんだ、あいつに」
 「おぬしの一方的な言い草じゃの」
 その言葉にサミュは言葉を失った。
 「まあ、良いか。おそらくおぬしにも呪いが降り懸かる。それで勘弁してもらおう」
 「呪い……」
 予想だにしなかった言葉にサミュの顔から血の気が引いた。
 「どうじゃ、止めるか?」
 「やるよ!」
 恐怖を振り払うように大きく首を振るという。
 「僕の勝手な理屈で生き返らせるんだ、その呪いくらいなんだってんだ!」
 ニッと笑みを浮かべ、肯きながらタッカンが立ち上がった。
 「よおし、わかった。サミュ、おぬしは家に帰っておれ。このタッカン引き受けた以上、必ず約束は守る」
 「でも……」
 なかなか立とうとしない。
 「馬鹿者! この術、衣服までは再生せん。少女の裸を見るなぞ十年早い。さっさと去ねい!」
 その身に雷が落ちたかのようにサミュが駆出す。今まで死にかけていたとは思えないスピードだった。
 『馬鹿が、内臓から再生する術なぞ見せたら百年の恋も覚めるわい』
 タッカンはそう呟いてから振り向く。
 「こりゃ、リョシーマ殿、手伝え」
 殿はついたが、それだけの口調だ。
 「ひどいなあ。俺には了承取らないんですか」
 その言葉にタッカンは小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
 「断れるのか。無駄なことを言っている場合ではないぞ。ほれ、風の結界を張らんかい。おぬしのような馬鹿力の『風』使いがいるから、シルフの『嬢や』を助けられると踏んだんじゃからな」
 「やれやれ……」
 殻を失った『妖精』の再生。この前代未聞の難事業をしかし、タッカンはたぶん、『少女』の存在を知ったなら、一人でもやっただろう。リョシーマはそう思う。
 「そういう人だ……」
 「なんか言ったか?」
 「いいえ」
 「ならばさっさとやれい!」
 が、もしも自分の力が何等かの助けになるのなら、助力を惜しむことなどできはしない。
 リョシーマはゆっくりと『吹雪丸』の柄を握り直す。とゆっくりと結界を張り、『地脈』のエネルギーだけを外に逃していく。こうして残ったものに、『少女』の見えないタッカンが再生の術を施すのだ。
 タッカンの呪文の詠唱が丘に低く響きだした。

 「じゃあ……失礼します」
 数日後、大きなリュックに旅の荷物を詰め込んだリョシーマはそう、西の村はずれに見送りに来た人々に挨拶した。
 なだらかな西の山に大きな夕日が沈みつつあった。
 タッカンとサミュ、そして、サミュの背中から顔を出す色の白い少女だけが見送り人だ。
 「うむ、まあ、それだけ荷があれば当分、行き倒れることはあるまい。こんど倒れたときにワシのようなこころの広い人間が助けるとは限らんからな」
 「はいはい」
 リョシーマは笑うしかない。
 「リョシーマの兄ちゃん。本当に行っちゃうの」
 少女を引きはがそうと背中を動かしながらサミュが言う。
 「ああ、兄ちゃんは生まれつきの風来坊なんだ。『風』は一つ所にはいられないんだよ」
 「何、かっこつけてんだよ」
 リョシーマが一晩考えた台詞は簡単に否定された。
 「こら、ウインディ。いいかげん離れろ!」
 ようやく背中から少女を引き離す。
 髪の長い、抜けるように肌の白い少女こそ、タッカンとリョシーマの努力の結晶だった。
 「おまえは、いっつも俺の背中ばっかりくっついて……その」
 そこで声が小さくなる。蒼い大きな少女の目に大粒の涙がたまっていく。
 「あたし、嫌い?」
 「や、そうじゃなくて……」
 「じゃあな、大将」
 リョシーマは笑いながら歩きだした。
 「わしも久しぶりに、トムじいさんと飲むかな」
 タッカンもそれに続く。
 背後でしどろもどろになりながらのサミュの声が聞こえてきた。

 「一つ、言っておきたいことがあってな」
 一緒に歩きながらタッカンがリョシーマに語りかけた。
 「奇遇ですね。僕も聞きたいことがあるんです。二つ」
 リョシーマも言う。
 「ほう、先に聞こうか」
 「あの子、どのくらい、保つんです?」
 その顔から笑みが消えていた。
 「うむ、肉体の限界が来るまでじゃ」
 そこでタッカンは言葉を切る。
 「魔法などで延命措置を行わねば、七〜八十年と言うところかな」
 リョシーマは立ち止まる。
 「それって人間の寿命って言いませんか」
 「哀れよな。妖精ならば千年はおろか万年は生きられたものを」
 けろっとした表情で言うタッカンだった。
 「まったく……」
 再び歩き出しながらリョシーマが続ける。
 「じゃあ、サミュへの呪いってのも、あの歳で、もう墓場に埋まったとか言うような代物ですか」
 「良くわかったな」
 リョシーマの膝の力がかくんと抜けた。
 しばし、二人は無言で歩く。
 「おぬし、忌んでおろう」
 しばらくして、二人の別れるY路に来たとき、さっきとはまったく違う口調でタッカンが言った。
 「おぬしの血、おぬしの技、なあ、考え方を変えてみんか」
 「変える……ですか」
 「サミュは、おぬしがあの村にいたから助かった。ウインディもマリアもエリスンもだ。
 確かに、『風』がたどり着いたのは人殺しの技かもしれん。しかし、毒も薬になる。
 今の世、そんな薬がいると思わんか」
 「毒が薬……」
 言葉を噛みしめるように呟く。
 「『風』を人を活かす技に変えてみろ。おぬしなら出来る」
 そこでにっこりといつもの表情に戻る。
 「まあ生臭坊主の戯言、あまり気にするな。
 元気でな」
 そう言って手を上げる。
 「ええ。ありがとうございました」
 リョシーマも笑って手をあげると歩きだす。
 その遠ざかっていく背を見つめながら、リョシーマに感じた懐かしい気の持ち主、数日前にはっきりと思い出した、若き日の旅の仲間にタッカンは呼びかける。
 「トプロス、おぬし、何故にあの男を巻き込んだ?」
 彼自身、この乱世に巻き込まれつつあることを感じながら呟く。
 「なぜだトプロス」

 道はやがてうっそうと繁る森の中に入っていった。
 「そろそろどうだい。エリスン」
 リョシーマは先程から感じていた気配に向かって言った。
 「わかっていたんですか」
 茂みの中から甲胄に身をつつんだエリスンが立ち上がる。
 「ああ、村から出るときからね」
 「そんな時から?」
 驚きの色がその顔に走る。
 「ああ、おまえさんはともかく、マリアさんが見送りにこなかったからな」
 どうやらタッカンの性格がうつったらしい。
 「たぶん、騎士の名誉とか言うものを守るために待ち伏せてるだろうと思ってたよ。
 やるのかい」
 「ええ、あなたにとっては「とやら」でも私にとっては命よりも大事なもの、あなたに手もなくひねられ、おめおめと生き残ったとあっては、天界で同輩に笑われます。どうか今度は真剣にておねがいしたい」
 その目には一点の妥協もない。
 「そうか……じゃあ、相手をしてやるよ」
 リョシーマは背中の荷物をおろすと両手をだらりとたらす。
 「さあ、来い」
 「馬鹿にしているんですか……」
 絞り出すような声だった。
 「いいや、剣がないんだ。来いよ、見習い」
 「なめるなあ!」
 エリスンの剣が殺気とともに降り降ろされる。三度に一度は騎士隊長さえかわせなかった必殺の剣。そして、今回のそれは会心の出来である。今度こそあのA奇術Bを行う前に一太刀でも浴びせられるはずだ。たとえ、相手が飛翔機をも屠る魔術師であったとしても。
 が、澄んだ金属音とともに、彼の希望的観測は打ち砕かれた。彼は結果しか知らなかったのだ。飛翔機を落としたのは魔法ではない。
 次の瞬間、剣は彼の手を離れ、リョシーマの手に収まっていた。
 「馬鹿な……。無の太刀だと……」
 そのままリョシーマはエリスンの胸に剣を振り降ろした。
 『マリア!』
 自分を愛してくれた乙女の面影が最後の瞬間、脳裏に浮かぶ。
 しかし、最後の瞬間はいつまでも終わらなかった。
 ゆっくりと目を開ける。
 「これでもう、やめろよ」
 リョシーマがそう言って、片方の刃が溶け崩れた剣を差し出す。
 切られたはずの胸をそっと触ると、そこにはめられていた黄金のメダルがきれいに削り取られていた。
 「もう、お前さんは王族でもなんでもない、そして、騎士の刃、忠誠と愛。その忠誠の刃も、もはやない。自由に生きなよ」
 しかし、エリスンにとってその二つこそが世界の総てであった。その二つを失った彼に出来ることは一つしかない。
 うつろな目のまま差し出された剣を受け取る。
 「そうだ、エリスン」
 エリスンに背を向けリュックを肩にかつぎあげたリョシーマはふと思い出したように呼びかけた。
 残された刃を首に当てたエリスンの動きが止まる。
 「マリアさんの『気』の中になあ、新しい『気』が出来つつあるぜ。
 がんばれよ、パパ」
 剣が大地に落ちる音を背に、リョシーマは道を東へと進んだ。

 ナダール帝国の侵攻を記す『外夷記』には以後、異形の剣をふるい、風の魔道をよくする妻をしたがえた英雄の生地として、今日に伝わるドリアーネ・ヒルの名は現われない。
 が、その名を史書に求めるならば、約百年後、『後モヤーク記』に、再興なったモヤーク国に正嫡が絶えた後、招かれたエリスン一世の生地として記されている。
 が、それは遠い後の世の話。
 この時、ナダールという暗雲は大地を覆い、『風』は未だ友を得てはいない。


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