リレー小説外伝2
妖精(前編)

1992,8,19発行 『棲想圏 第九号』掲載

原作 小白滝/冴速 玲/上杉 明

作 上杉 明

 

 ドリアーネヒルの村。この、三方を山に囲まれた小さな村は、ナダール帝国の嵐に巻き込まれていない数少ない村の一つだった。

 その朝、村でも評判の悪童。サミュ少年の機嫌は極端に悪かった。
 朝食を食べると姉の声を背にプイッと家を飛び出したのだ。いや、それだけならばいつもの事だ。
 この村のガキ大将である彼としては村の家々の軒下で、そろそろ甘くなった干し果実をくすねて配下の子供達に分配しなければならない。
 この村の子供達の領土である西の山。今年は茸が豊作のその山に、ちょっかいを出してくる隣村の連中に、軽く彼らの間違いを思い知らせてやることも必要だ。
 そろそろ後継者の事も考えなければならない。
 そういえば風邪で寝込んでいるジェーンの家に蜜の詰まった蜂の巣の欠片を持って行ってやろう。いやそれは彼女に好意を持っている粉屋の一人息子。ジェンセンから渡させた方がいい。
 子供は子供なりに多忙なのだが……。今日の彼はどうかしていた。
 「大将……どうしたかな」
 すっかり刈り取られた畑の畦道を何をするでもなしとぼとぼと歩いていたサミュに一人の男が声をかけた。
 「なんだ……坊さんか」
 顔を上げると一人の男がそこにいる。数年前からこの村の荒れ寺に居を構えている飲んだくれの破戒坊主だった。普通、僧侶は頭頂だけ剃るのだが、この男は頭すべてを剃っている。その為、ある時は途轍もなく老人に、またある時は壮年のように見え、歳がわからない。
 自称、遠い東の国から流れてきた坊主。
 タッカン。その奇妙きてれつな名はその地の言葉で人生を高い所から眺めるという意味だそうだ。
 酒は飲む。僧侶に取っては重要な週に一度の精進日も守らない。娘の尻は触る。どうしようも無い破戒坊主だが、その人徳故か村人に好かれていた。本来ならば排斥の筆頭に立つべき村の教会の若い僧侶が心酔してしまったのだからしかたがない。
 また、彼が来てから村人の病死が激減しているという事実もあった。
 確かに少年自身、数分話をするだけで心が軽くなるような気がした事が何度もある。
 しかし、そのむさい顔は今日の彼には逆効果だった。
 「大将。今日は浮かぬ顔だな」
 朝から酒臭い息を吐いている。
 「酒臭え。朝から飲んでるのか糞坊主」
 「いや、これは昨日から樵のトム爺さんと飲んでおったのじゃ。だから決して朝酒ではないぞ。しかし、糞坊主とはあまり良い言葉ではないな」
 あめ色の瓢箪から強い酒を喉に流し込むと小さくしゃっくりをした。
 「いくら破戒坊主でも糞は酷い。せめて、排泄物坊主……同じ事か……。
 しかし、心に何かひっかりがあるな。その目にしっかりと出ておるわ」
 じっと顔を見つめられる。
 今朝。目覚めてからの苛立ち。
 「ふむ、拙僧、これから少し東の丘で昼寝でもするか」
 愁い事を見透かされたサミュは目をそらし、走り出す。
 「ふん! 勝手にしやがれ」
 「ふむふむ。善哉。善哉」
 坊主は二つ三つ頷くとゆっくりと丘へ歩きだした。

 村の東に小さな丘があった。その先には険しい山が連なり、西のなだらかな山とは趣を異にしている。西の山の道は隣村につながるがこの丘の道は何処にも行かない。道は丘の頂上の一本の古木をぐるりと取り巻いて再び村に戻る。古木の下には本当に小さな泉。
 村の名となった古木の妖精は既に去り。泉は妖精を養うには小さすぎる。
 そんな何の戦略価値もないこの丘にナダール帝国の飛翔機が落とし損なった焼夷弾を捨てて行ったのは三年前。
 しかし、その傷は一人の少年の小さな手と地脈によって癒された。今その惨劇の跡は古木の表皮に残るのみだ。
 そして、有力なガキ大将候補がサミュに破れ去ったのはこの丘を踏みにじったのが敗因だった。
 数々の事件を黙って見てきた丘には今日も清涼な風が吹いている。今はもう数少ない妖精を育む場所だ。
 「ほう、シルフの嬢やが、何を慌てているやら」
 途中。数度、瓢箪の酒と腰の皮袋のチーズを口に運びながら坊主が丘の麓で小さく息をついた。
 冬も近いと言うのに、この辺りはぽかぽかと暖かい。ただ風が枯れた草をガサガサと鳴らしていく。
 「まあ、待て。拙僧で勘弁しろ。お主の想い人は忙しい」
 丘をゆっくりと登り始める。
 「ふむ。たいした気じゃのう」
 泉の側に人影があった。
 瓢箪をちらと見ると栓を閉める。
 「それ程危険な気とは思えんが。下手をすれば、嬢やが吹き飛ばされる恐れもあるか」
 その場に座り込むと結跏趺坐の姿勢をとった。
 「やれ、もったいない」
 そう言って印を結ぶ。
 全身から酒の匂いが立ち昇った。『癒し』の応用だ。用心するに越した事はない。酒で反応が遅れる事などまずないが、万一という事もある。
 彼にそんな用心をさせるほどにその『気』は尋常なものではなかった。
 「さて」
 数分後、彼は立ち上がると丘の頂きへと歩き始める。風が全身から立ち昇る酒の香を消し去ってくれた。

 「これは……」
 人影に近づき、タッカンは、絶句した。
 一人の男。いや、まだ青年と言ったほうがいい男が古木にもたれかけて眠っている。子供のようにあどけない童顔だった。
 しかし、尋常ではない証拠にタッカンはその、顔を見た瞬間から、それ以上近づくことができない。『気』が満ちているのだ。その『気』が飴のようにタッカンの動きを封じていた。
 「ふむ……」
 タッカンは一歩下がると息をついた。どうやら、この『気』はタッカンに向けられたものではないらしい。結界のように青年を包んでいる。
 「しかし、これは……」
 タッカンは首をひねった。今は生臭坊主を生業としているが、これでも国にいたころは僧兵として鳴らした男である。今でも生半可な騎士に遅れをとるものではない。
 が、不可解なのだ。
 この種の結界は、武芸の達人や、ハイクラスの魔術師ならばだれでも身にまとうことができるようになる。が、それはあくまでも本人への警報システムとしてか、物理的、魔法的な攻撃から身をまもるためとしてのものだ。むろん、前者が武芸者、後者が魔術師の結界であることは言うまでもない。
 それを知るが故に、タッカンは首をかしげるしかない。
 そこにあるのは純粋な『気』であった。
 しかも、無色透明な。
 武芸者の『気』であればおのずと『殺気』というものに変化し、その技を極めれば極めるほど、剃刀のようにその『気』は怜悧なものに変化する。
 それを感じることができるとタッカンは自負していた。
 しかし、この『気』はまったく異なっている。普通の武芸者がこれだけの『気』を放つとするならばその『殺気』たるや、辺りの清浄な空気すらもどす黒く染め上げかねない。
 「こやつ、剣聖という人種か?」
 そう、自分で呟いて、思わず吹き出す。この丸い童顔の持ち主がそんな類の人間だとは思うだけでおかしい。それに、いかに剣聖という人種にせよ、『気』を消して、普通人のように見せかけるにすぎない。こんなに無色透明な『気』を野放図に吹き出すことなどできはしないのだ。
 それに、『気』の結界内に異物が飛び込みながら、目を覚ましもしないなぞ、決して武芸者ではない。
 「しかし、こやつ、どこから来た?」
 タッカンは禿あがった頭をつるりとなでるとそう呟いた。
 こんな男がこの村を、西の山からの道を歩いてきたならば、いくら泥酔していたタッカンでも気付いたはずだ。
 「そうではないとすると……」
 目を細めながら道無き東の山々の裾野を見上げる。
 「なんにせよ、ただ者ではないな」
 そう言うと、気配を消して再び一歩踏み出した。今度は何の抵抗もなく進むことができる。
 「なんじゃい。これは」
 これでは何の結界にもなりはしない。そう呆れながらすたすたと歩くと男の前に立つ。
 「喝!」
 この生臭坊主のどこにこんな力があったのか? そう思わせるほどの声である。
 「わあ」
 男が飛び上がった。
 目を開けると辺りをきょろきょろと見回す。
 「あ……」
 タッカンと男の目があった。
 「ワシはこの村のタッカンと言うものじゃが……おぬし、ここで何をしておる?」
 「はあ。寝てましたが……」
 そう、男は言ってから自分が間抜けなことを言ったことに気付いたらしい。
 「いや、そういう言葉を期待されてはいないようですね。僕、リョシーマといいます」
 と、そこまで言うリョシーマの腹が派手な音をたてる。
 「すみません。詳しくはおいおい話すとして……何か食物お持ちじゃありませんか」
 タッカンはふうとため息をついた。

 「で?」
 タッカンは目の前の男、リョシーマにそう聞いた。
 「あ、そうですね」
 リョシーマの前には空っぽのボロ鍋が転がっている。タッカンが常に持ち歩いている皮袋の乾し肉でともかく保たせ、ボロ寺まで連れてきた。そして、馬にでもやるような量の雑炊を食わせたのである。
 汚れの目立つ白木の椀から水を飲むと姿勢を正す。
 「僕、リョシーマといいます」
 「それは聞いた」
 そっけない言い方に「ものには順番が……」などとぶつぶつ言う。
 「どこから何しに来た、どこへ行く。何者だ」
 が、タッカンとしてはこの質問はおかしい。自分がこの質問をされたら困るのは間違いないのだ。しかし、それ以上にこの男が気になった。
 「風に誘われるまま東から来ました。別に何しに来たというわけではありません。腹がへったんで寝てただけです。西の方へ行ってみたいと思ってたんですが……。
 住所不定、無職のただの若造ですよ、ぼくは」
 その答えに目をむく。
 「西じゃと? 西はもうナダールの連中がうじゃうじゃおるのだぞ」
 「でしょうね」
 静かなそれでいて力のある声だった。
 「で、行き倒れるのか」
 「そ、それは……」
 リョシーマは口篭った。先程と同一人とは思えない。
 「行くにしろ、止めるにしろ、金を稼がねばなるまい。ほかの村と同じくこの村も若い者が戦乱でいなくなってしもうた、仕事は山ほどある。労働力は貴重じゃからな」
 なぜそんな事を言ったのかタッカンにもわからない。ただ、このなぜか懐かしい気のする男をしばらく目の届くところに置かねばならない。それはタッカンをここまで生き残らせてくれたカンである。
 「はあ……」
 リョシーマは肩をすくめてため息をついた。

 「どうじゃ、屋根の様子は」
 「こりゃあ、全部葺き直さんとだめです」
 ぐずぐずに腐ったボロ寺の屋根の上からリョシーマが怒鳴る。あれから数週間が過ぎ、リョシーマは村の便利屋になっていた。
 「そうじゃろう。今日から屋根の葺き直しじゃ。エリスンと二人でさっさと直してくれ」
 「え、エリスンもですか」
 エリスンはリョシーマよりも前にこの村に行き倒れていた若者だ。年はリョシーマよりも二、三才上か。今では、リョシーマと同じ村の便利屋である。
 モヤークで騎士見習をしていたらしいが、敗残の身をサミュ少年に助けられたのだという。タッカンですら運を天にまかせた程の重傷を何とか持ち直し、サミュと姉のアンヌの家に厄介になっている。
 「少なくとも、その点は恵まれてるよなあ」
 タッカンの家、このボロ寺に厄介になっているリョシーマとしては愚痴の一つもでようと言うものだ。
 「確かに、線の細い美男子ではあるな」
 屋根に横になると空を見上げる。さぞかし宮廷内では女達の話題にのぼったであろうことは容易に想像できる顔立ちだ。やはり、線の細い美少女のアンヌとはまるで一組の人形のように見える。
 その点、リョシーマでは線が太すぎて釣り合いが取れない。決して不細工ではないつもりだが、その差は歴然としている。精巧な人形の横に一刀彫の人形は似合わない。
 「しかし、あの姉弟」
 リョシーマは何度か会った姉弟、特に姉の方を思い浮かべて呟いた。
 はかなげに見えながらどんな逆境にもまけない強い意志の光をその美しい目に持った少女である。早くに両親をなくし、姉弟だけで生きてきた。
 「そういうのには俺、弱いからなあ。ま、生涯の伴侶を見つけたようだし、問題はサミュだよな」
 近ごろ、サミュ少年の機嫌が特に悪い理由は大抵の村人はわかっているのだ。が、リョシーマにはもう一つの事もわかっていた。
 ふう、と息を吐く。空を雲が流れていく。
 「サミュがシスコンなのも無理ないか……。ま、そんな風に普通に生きていければいいんだ、あいつも。いつしか幻など忘れて……」
 と。
 「リョシーマ殿!」
 下からエリスンの声がした。山出しのリョシーマが礼儀作法なんぞ皆無なのに比べ、エリスンの態度は常に礼儀正しい。もしかしたら、慇懃無礼というやつなのかもしれないが、そんなことまで考える頭はリョシーマにない。
 「やあ、エリスンさん。難儀ですねえ」
 むっくりと起き上がるとそう下へ向かって言う。右足が鈍い音をたてて屋根を踏み抜く。
 「馬鹿者!」
 タッカンの罵声が下からあがってきた。

 「まさか騎士見習の身で屋根の葺き直しをさせられるとは思いもしなかったでしょう」
 下から運び上げた薄板を梁に打ちつけながらリョシーマはのんびりと言った。
 「いえ、騎士は忠誠と博愛に生きるもの。助力を乞う声があればなんでもするんです」
 と、隣で打ち直した板の上に粘土と樹脂を練ったものを、慣れた手つきで薄く伸ばしながらエリスンが模範的解答をいってのける。
 「それに、結構騎士どのにはこき使われているんですよ。薪割りから水汲み。名前は騎士見習などと言いますが実際は従卒ですよ。それも家の名誉やなんやらにがんじがらめに縛られ、絶対逃げ出さないね」
 その後が本音だ。
 たしかに平民の従卒ならばいくらでも辞めてほかの職に就くことができる。しかし、騎士の家に生まれたものは、この世界では騎士にならねばならないという不文律がある。
 そして、その様な人間に寛大になるほど人間はまだ精神的に成長していない。総てがそうとは言わないが、結構イジメもあるという。特に、高級貴族の子息が叩き上げの騎士の元に見習いに出された場合、コンプレックスもあいまってすさまじいものがあるらしい、というのが平民におけるゴシップである。
 「私は百人隊長の老騎士の元へ出されましてね、料理洗濯薪割りに屋根の修理、花嫁修行に庭師修行は一通りこなしましたけれどね」
 そこまで言って遠い目をする。
 当然の事ながらその老騎士もまた、この世の人ではないのだろう。
 「しかし、リョシーマ殿。西へ行ってどうするんですか」
 突然、話を振ってくる。
 「え、まあナダールという連中、どんな奴等かなと思って、物見遊山ですよ、でも、計画性がないもんで行き倒れです」
 「本当ですか」
 じっと二つの澄んだ瞳がリョシーマを見つめる。見習いではあるが、この青年の天与の才をリョシーマは知った。もしもモヤークにあと数年の命数があればこの青年は、宮廷騎士の一人に名を連ねていたにちがいない。
 「本当ですよ」
 リョシーマではなく、リョシーマの記憶が彼の精神にベールをかけることに成功した。
 「そうですか……」
 エリスンは無言で土をこね始める。
 リョシーマは心の中で一つため息をついた。これからリョシーマがやろうとしている事にこの青年を巻き込むことはできない。いくら宮廷騎士になれる器であっても未来形だ。
 それに、モヤークならば精霊騎士クラスでも連れてこなければ今のリョシーマのケツを守ることなどできはしない。もう、二度と知り合った人間の墓を作ったりはしない。そうあの女(ひと)に誓ったのだから。
 その白い横顔を思い浮かべたリョシーマの金槌に力が入りすぎた。バランスを崩した体を支えようと力を入れた右足が腐った床板を踏み抜く。それを支えようとした左足も同じ運命をたどった。
 『陰の刃 白虎……翔』
 下へ落ちる。その瞬間に風を操ってショックを弱めようとしたリョシーマの視界に驚きに目を見開いた碧い肌の少女が写った。
 「なんで、こんなとこに! 知るか」
 そのまま腰から落ちる。
 「大丈夫ですか」
 屋根の上でエリスンが自分の幻想を打ち払うように2、3回頭を振ってから穴に顔を覗かせる。
「愚か者」
 すぐ横に落ちてきたリョシーマにタッカンが呆れたように言った。

 そんなこんなでその日は、屋根の修理に暮れた。
 リョシーマの腰は、たいした傷ではなかった。タッカンがぶつぶつ言いながら治癒の呪法で治すと屋根の上に再び追いやる。
 後は何もなく、タッカンとリョシーマは春先の寒い夜、屋根に穴を開けたまま眠らなくてすんだのだった。
 その夜は屋根の修理を祝ってのささやかな宴が張られたのだが、エリスンはスマートに帰っていった。
 もちろん、リョシーマ、タッカンともにそれを無理矢理止めるほど野暮ではない。
 そして、夜半。
 強い蒸留酒の壷がいくつも転がった後で、タッカンが椀を床に置いた。
 リョシーマの顔をまじまじと見つめる。
 「信じられんな……」
 「え」
 リョシーマも盃を床に置く。が、その目から笑みが消えた。
 「なぜ、もろに屋根から落ちた」
 「せっかく生まれた妖精を消してしまうこともないでしょう」
 「確かにな」
 清浄な地に幾つかの偶然が作用し、意志を持った『気』だけの存在、『精』が誕生する。人はその『精』を妖しみ、ある時は恐れ、ある時は崇めた。
 が、肉体という強靭な容器を持たぬその『妖精』が確固たる存在になるためには永い時間を必要とし、そうなるまでの『妖精』は、まるで熟れすぎた果実のように、些細なことで崩れ、永遠に失われてしまう。
 あの時、リョシーマが風を操れば彼女の『精』としての力をも巻き込んでしまった事は間違いない。そしてそれは彼女にとって致命的な痛手を意味する。
 そして、その少女が見えたという事は。
 「『風』か……」
 「ええ」
 室内に一陣の、目には見えぬ颶風が吹きすさぶ。
 「わかりましたか」
 「わからいでか。 この村でサミュにしか、見えぬ物を見た以上、それしか考えられぬ。
 が、これで得心がいったよ。何が住所不定、無職の若者だ。ワシをたばかりおって」
 「ほう、タッカンさんは知っていたんですか? サミュの事」
 椀をタッカンの方に差し出しながら聞く。
 「自分が『風』だからと言って馬鹿にするなよ。小国とはいえカマクで僧兵長を勤めたタッカンじゃ。あの姉妹はナマの末裔と見ておる。サミュはその血を濃く継いでおるな」
 タッカンは椀に酒をついだ。
 「ナマの……」
 リョシーマは静かに酒をすすった。
 ナマ。『風』の始祖、その東方の国が大陸に築いた国。そして、西の大国によって滅んだ国。
 「しかし、役者がそろいすぎておる」
 ふとタッカンがあらぬ方へ視線をやった。
 「何も起こらねばよいが」
 その言葉がリョシーマに不吉な思いをいだかせる。
 そして、その言葉の通り、ナダールの魔手はこのまったく戦略価値のないと思われていた村に近づきつつあった。

 同じ頃、サミュは窓を鳴らす風に目を覚ました。
 が、その音を無視するように寝返りをうつ。
 「知るもんか」
 もう一度自分に言い聞かせるように呟く。
 「絶対知るもんか」
 サミュが、人にみえない『少女』を自分が見ることができることに気付いたのは随分と昔のことだ。
 物心がついたときには、他の仲間とは違う宙を舞う『少女』がいた。
 何とか姉や仲間たちにその存在を知らせようとしたのだが、その努力は常に徒労に終わる。
 「どうやら、自分にしか見えないらしい」
 その思いは彼の心を大いに刺激した。
 そして、いつしか今にも消え入りそうな『少女』はサミュにとって絶対に守ってやらねばならない存在として大きな場所を占めるようになっていたのだった。
 だからこそ、『少女』が育つのに不可欠な丘が焼き払われたときにたった一人で庭師の真似事をし、悪戯半分に丘を踏みにじろうとした餓鬼大将候補に無謀としか言い様の無い喧嘩を売ったのだ。
 しかし……。
 半年ほど前の話だった。
 その夜、いつもと様子の違う『少女』に促されるまま、姉に怒られることを覚悟で西の山に踏み入ったサミュは一人の落ち武者を見つけてしまった。
 モヤークからの落ち武者は生きているのが奇跡といえる重傷だったが、タッカンの治癒呪文と姉の献身的な看病によって九死に一生を得た。
 それがエリスンだった。
 亡国の見習いといえども、騎士である。その青年を救ったことが最初はサミュにとって自慢の種だった。が、時間が経つにつれてその感情は微妙に変化する。
 自分だけのものであった姉が自分だけのものでなくなりつつある。
 この事実が彼を苛立たせる。
 確かに理解はできる。早くに両親を無くし頼るものもなく生きてきた姉が、エリスンという止まり木を見つけたとしても文句を言う筋はない。
 しかし、納得できない。
 やがて、その苛立ちはエリスンを自分に見つけさせた『少女』に向けられるようになった。
 かくて、二人の間に微妙な溝ができている。それが今だ。
 気にはなるが、自分から姉を奪う原因を作ったのも『少女』 だ。サミュはそこを整合できずにいる。だから、リョシーマの出現を知らせる『少女』 を心ならずも無視することでどうしようもない苛立ちを感じたのだ。
 「関係無い!」
 サミュは大きく息を吸い込むと布団をかぶって目を閉じた。
 風はその夜、遅くまで窓をならしつづけていた。

 翌朝、サミュは窓の外からの黄色い声に浅い眠りを覚まされた。
 「サミュ! サミュってば」
 「なんだあ」
 目を擦りながら窓を開けるとあわてた顔のジェンセンが顔中を口にして立っていた。
 「ナダールが来た! 泉の方」
 あえぐようにそれだけ言う。
 全身の血が眠気とともにどこかへ消えていってしまったようだった。
 「何だって!」
 思わず口から言葉が漏れる。ベットの上に寝間着を叩きつけるように脱ぎ捨て着替えた。
 「ジェンセン! 先に行ってろ!」
 居間へのドアを蹴飛ばすように開けた。
 「姉さん?」
 真っ白な衣服をつけた姉の姿は、居間の隅、祖霊をまつる祭壇の前にあった。低くその口から漏れるのは、武運を祈る呪歌。
 「姉さん……」
 居間のテーブルの上にはたまごとにしか使われない銀盃と、半分ほど中身が残ったボトルが置かれている。
 「まさか……」
 騎士は飲み残した酒の量だけ血を流す。故に最後の戦いまで決して栓を切ったその酒を残すことはない。ボトルの中に残された血の色をした液体が自分が眠りこけていた時間ここで何が行われていたか、これから何が行われるかを明確に物語っていた。
 「兄ちゃん……死ぬ気なんだ」
 全身に震えがはしり、後ろも見ずに駆出す。
 サミュの心から嫉妬の気持ちもなにも消えていた。遠いお伽話だったサーガの世界が現実のものになりつつあった。そのことが先程のジェンンセンの言葉を思い出させる。
 「泉の方だって……まさか……」
 辺りを見回す。もう一つ行動の理由ができた。風が消えている。
 サーガの世界が現実になるならば、過去の物語も現実になるかもしれない。いや、現実にしなければならない。
 「ナダールめ……」
 ごくりと唾を飲み込み、納屋へと向かった

 その頃、昼なお暗い東の裏山。鬱蒼と茂る深い茂みの影に銀色の光が潜んでいた。
 「飛翔機が三機……。こんな小さな村になんでこんなに戦力を投入してきたんだ? ナダールの奴は」
 モヤークの騎士見習エリスンはそう呟いた。
 が、これは同胞の敵を取るには幸いなのかもしれない。この世に未練がないと言えば嘘になる。が、彼女もわかってくれた。飛翔機の一つでも道連れにして天界の同胞の元へ行くとしよう。そう、腰の剣を握り締めた。
 「やあ」
 と、そこへ、背後から低い声が降ってくる。
 エリスンの背中に冷たいものが流れた。
 振り向くと間の抜けた童顔がエリスンを見下ろしていた。
 「リョシーマさん」
 半ばほっと。半ばいぶかしげにその顔を見上げる。
 「ただ者ではないと思ってたが。王族か?」
 見上げた顔の目がじっとエリスンの右肩に向けられている。そこには黄金で作られた火竜のメダルがはめ込まれていた。
 「ええ、王位継承権を放棄した前王の長男の息子。モヤーク最後の王の甥にあたります」
 王位よりも最下層市民の娘を選び、若くして妻と共に病死した王子の話はゴシップとして今に伝わっている。
 「ほう……。だからコンプレックスか? 気に食わないなあ。なあ、そんなに騎士って大事か? 惚れて抱いた娘よりも」
 そう言ってリョシーマは寂しげに笑った。
 「騎士たる者、王への忠誠と民衆への博愛に生きねばなりません」
 「そうか……。平行線だなあ。俺、もう墓を作るのはうんざりなんだよ」
 目にみえない『風』がリョシーマを包んだように見えたのはエリスンの錯覚だったのだろうか。エリスンは手の中の剣を抜き放った。しかし、その刃はリョシーマに触れることすら叶わなかった。
 全身の『気』が虚空に消えていく。それが彼にとっての現実だった。

 「一体何をかんがえておるのだ」
 巨大な空を飛ぶ機械に銀色の甲胄。ナダールの誇る機械を遠巻きにする村人達の中でタッカンは一人呟いていた。彼としてはそんな武器よりも泉のそばに建てられたテントこそ気になる。
 早朝、村を急襲したナダールは何もしなかった。ただ、慌てて駆けつけてきた村長に事実を告げただけである。
 「今日より、この村はナダールが支配する。抵抗は死あるのみ」と。
 が、あの戦上手のナダール帝国が無意味にこれだけの戦力を投入するとは考えられない。
 「理由があるはずだが……」
 「『風』が吹いていないよ、タッカンさん」
 背後で声がした。
 振り返るとそこにリョシーマが立っている。
 「なんじゃ、脅かすものではない。しかし、『風』じゃと?」
 「ああ、感じないですか? 地脈がねじ曲げられている」
 まるでサーガの主役のようにリョシーマは器用に肩をすくめてみせた。
 「地脈が?」
 「ええ、妖精をも育む清浄な地。それを支える地脈。その『気』が、まったく感じられない。こりゃ、大事ですよ」
 「地脈がのお……」
 タッカンは肯くしかない。いくら人の『気』や、働きかけてくれる妖精の『気』を感じることができても、地脈の『気』。こればかりは特殊な才能を必要とする。『風』の者か、モヤークの精霊騎士、アルシマーの魔法戦士クラスでなければ地脈を感じることなどできはしないのだから。
 「しかし、ナダールめ、何を考えているんだ。モヤーク、アルシマーとも王都は巨大な地脈の上に在ったが……」
 これはリョシーマの独り言である。
 「だが……。不味い。『あの子』、地脈をねじ曲げられてはかなり不味いんじゃないか。タッカンさ……ん」
 その言葉が途切れる。
 「どうした……」
 タッカンもリョシーマの視線の先、裏山の方を見て言葉を失った。
 「サミュ……」


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