プロローグ
『人間には羽は生えていないのは、神様が人間に飛ぶことをお許しにならなかったから』
そう、私が言った時、酋長(おにいちゃん)は笑ってこう答えてくれた。
『そうじゃない。人間に飛行機という何よりも素晴らしいものを与えて下さるためにわざと羽をおつけにならなかったのさ』と。
『飛行機の発明は、人類が猿から進化した唯一の証なんだ』
『後輩に戦闘機パイロットやってる奴がいるけどな、そいつもこいつにはまだ乗っていないんだぞ』
そう言っていた酋長はしかし、あんなにも愛していた空からの帰り道。私の命と引き替えに、帰らぬ人となった。
新鋭機と呼ばれていた酋長自慢のソード・フィッシュ制空戦闘機。このブラックボックス異常。一連の事故によって本星防空軍を震撼させた事件の始まりの一ページに彼は名を連ねてしまった。
解析や分解が飯よりも好きな酋長の同僚たちによって、その機体はフレームの隅々まで解析され、アイソトープによる材質検査が行われていたのに。
私も、訳も分からず仲間たちや妹たちと転げ回りながらその場に居合わせていたから、そのことは良く知っている。しかし、そんな彼らでも根本的な点でのミスが存在するなど考えもしなかった。
そして、事故は起きた。しかも、着陸時。最も危険な五分間に・・・。
そして、すべてのマニュアル入力を拒否し、狂ったセンサーからのデータで己の行動を正当化しようとした機体から、酋長は脱出しようとはしなかった。訓練のため後席に座っていた私のために。
大人が高度ゼロ、速度ゼロでも安全に脱出できるシートはしかし、幼稚園児の肉体を守るようには出来ていない。
その躊躇が、彼の命を奪った。狂ったコンピュータからの呪縛から機体を取り返した時には、パイロット用のコックビットが全壊する着陸以外の選択技は残されていなかった。
そして、彼は最後の着陸に成功した。それは死によって贖われたものであったが。
私はこういつた時のための訓練通りハーネスを外し、キャノピーを爆散させた。
爆発するかもしれない。
不思議なことにその恐怖はなかった。ただ、一人、取り残される事が怖かった。
機体の凸凹を利用して滑走路に降り立つ。
私は見た。ぐしゃぐしやになったコックビット。
そして、そのそば。滑走路に無造作に転がっているヘルメット。
血溜まりの中に鮮やかな肉の色をこちらに向けて転がっている。
私は無意識のうちに、そのヘルメットに小さな、何の役にも立たなかった手を伸ばした。
血潮に服が汚れるのにもかまわず抱き上げる。
いつも抱き上げてくれた、不器用に抱きしめてくれた、酋長が私の手の中に抱きしめられている。
私の視界が彼の血の色に染まっていく。
真紅に。
「うわあああああああああ」
私は叫び続けた。
CLASH 1
「ふむ、たいした経歴だな、中尉」
新土浦閑発センターの司令官室で野中悟大佐は目の前の青年に声をかけた。
「ありがとうございます。そう答えればよろしいのですか? その経歴のおかげで、サンドスターに送られる人形遊び用どんがらの、テストパイロットになれたとでも?」
「ふむ・・・」
もう一度書類に目を通す。その記録の前半部は栄光に満ちている。航空学生として防衛軍に入隊。以後、脱落することなく、輸送隊や偵察隊に転出することもなく、戦闘機パイロットとして配属されて二年。BIG GREEN(基地における最も優秀な新人)との評価を得ていた。
にもかからわず、彼をこの大空の世界に誘った先輩。彼ほど幸運ではなく、途中で進路を変えねばならなかった男の死が彼を変えた。
そう、彼を好意的に見ている前上官は所見欄に記載していた。
先輩の事故は防衛軍を震撼させた新型制空戦闘機のブラックボックスのプログラミングミス。
以後、青年は機体の整備に極度の完全主義を求めるようになる。
『単惑星時代の帝国海軍航空隊飛行兵並だな・・・』
野中はそう心の中で呟いた。
愛機の僅かな作動不良を原因に整備兵を詰問し、ついにはその全てを自分が見ていなければ納得しなくなる。
典型的な戦場神経症だ。
『自分がとうに飛び越したモノを至高のモノと勘違いしている。が、そのことが本人には理解できていない』
よくある話だ。
自分より優れた人間が死んだ。よってそれ以下の自分は彼以上の努力をしなければ命が危ない。
そう、彼は考えているわけだ。
『しかしよぉ……』
野中は同期だった彼の前上官に愚痴をこぽす。
戦闘神経症になった青年の破局はすぐに訪れた。機体整備を検閲する彼を基地の先輩が椰捻する。
『臆病者』と。
それは図星でしかなかった。
『真実だけが人を傷つける』とはある賢者の言葉。
青年の拳が被害者の顎を砕いたのは当然の帰結かもしれない。
降格か。懲罰人事か。
そして、青年はここ、新土浦閑発センターへ送られることを選ぶ。
時期主力機動銃士の開発。そして、ここでの仕事が終われば彼は再び中尉として基地に戻る。
その後がどうなるかは別として。
青年の前上官は彼がまともな士官として基地に戻ることを期待している。それは間違いない。
『元同期としてよろしく頼む』
その言葉は彼ら同期を裏切った野中の心の傷を刺激する。
『女は乗せない航空隊』
その大原則を破り、適正があるが故にSSSへ転属した。(拒否できたと外部には思われている)野中を他の同期とは異なり、今も友人として扱ってくれるその男の好意には応えねばならない。
しかし・・・。青年の敬愛する先輩を殺した事件の結果彼に生じた憎しみの感情は野中の求める人物の対極にあった。
先輩の行っていた仕事の結果に対する嫌悪。
やはり、ある事実を当座、隠すことは必要だろう。
あとは、どうなるのか。
その時、野中とともに地獄をはいずった女の声が、野中の心の中に響いた。
『やって見なきゃ分からないわ。倍親分』
今は零下四〇度の極寒の中で眠る女の声に野中は心の中で肩をすくめるとインターホンのスイッチを入れる。
「野中だ。野路君を呼んでくれないか」
そう、人生はやってみなければわからないものだった。
それは彼らがもっとも理解している事だったのだから。
CLASH 2
「ようこそ。ネオ・ツチウラヘ」
基地指令官室に呼ばれた男はそうゲルマン託りで言うと握手を求めてきた。
「私がこのXT計画の技術主任、野路です。
では、司令官、中尉を格納庫へご案内しますね」
野路は青年を格納庫に案内するのが楽しくてたまらないように言った。
「]T計画はまったく新しい対【彼ら】計画として立案されました」
野路はそう言ってにっこりと笑った。
詑りが意味するようにどうやら完全な技術至上主義らしい。
「現在、SSS(サンド・スター・ソルジャーズ)が使用している九八式は、実はX]と呼ばれる機体。我々が言うところのDフレームから進化していません。
動力炉やエンジンは大きくなっても全く変化していない。いえ、センサー類の進化によってハードポイントを失う体たらくです。
ま、これはX]時代にはオプションでしたから実質的な変化はないといっても良いですけれどもね」
野路はまるで油を差された自動人形のようにしゃへり続ける。
「現在まで使用されているDフレームのハードポイント(武器使用可能接点)は非常に限定されたモノでした。
だからこそ、我々は限定されたハードポイントを拡大するためにこの機体を設計したのです。中尉」
ペらペらと良く動く舌の攻撃に耐えながら、大きなドアをくぐり抜けるとその前には一枚の巨大な人型兵器が置かれていた。
「これは・・・」
どんがらはどんがらだが、その威圧感に青年が感嘆の声をあげる。
「史上最高の人型攻撃兵器。PC九八二一XTです。
Dフレームを越えるMフレームを採用。ハードポイントは単純計算で四つは増えています。
いかがです?」
野路はそう言って鼻をうごめかす。
「おや、そちらがこの機体のパイロットですかな」
そう、]Tの下から声がかかった。
「古村さん!」
野路がそう言って飛びあがる。が、
「あいつがこの計画のガン。整備部の最低野郎です。中尉は決してあいつの言うことを信じてはいけませんよ。
ま、中尉は整備の人間を信じていないという話ですし、その点では私と話が合いますよね」
そう囁くことは忘れなかった。
「あいつがいなければこの計画はとうに終了していたのですよ」
「ふ−ん。ま、一応パイロットのようですな。中尉殿」
古村と呼ばれた男はそう、青年の姿を見ながら言った。
薄くなった白い髪がグリスで汚れ、頭皮にへばりついている。眼鎮の下の目は草食動物のようにやさしげに見えた。
「しかし、使えるかどうかはまた別の話でですな。野路技術主任」
『前言撤回』
青年は心の中だけで肩をすくめた。
この草食動物は人を喰うらしい。
「ふん……」
野路はそう言ってそっぽを向く。
「ちゃんと、飛ぶんでしょうね。この機体は」
「ああ、機載のコンピュータとBB(ブラック・ボックス、生体脳コンピュータ)だけで十分と技術長は言われるのですがね、各種のデーター取りには優秀なパイロットが必要と現場と司令官は思ったわけです」
BBを装備した新型機。RAがその能力を全く生かすことなくSSの大地に残骸を晒す羽目になることをまだ、彼らは知らない。
「そう」
そこで古村は言葉をきる。
「我々は優秀なパイロットを要求したのですが、中尉殿は優秀なおつもりですか」
にやにやと笑いかけてきた。
「そのつもりだが・・・。どうやって証明すればいい?」
その物言いにカチンときながら応じる。
「飛んでいただけますか。あれで」
このために用意してあったのだろう。格納庫の隅、一機の旧式戦闘機の方へ顎をしゃくる。
「あれで飛んでみて下さい。
スターフィッシュ。お嫌いな電子装備はありませんよ」
CLASH 3
高圧空気によって生命を吹き込まれた旧式制空戦闘機、スターフィッシュの甲高いエンジン音があたりに響く。
青年がはじめて乗った戦闘機もこれだった。
練習機から機種転換したばかりの頃はこのエンジン音に痺れたモノだが、現在は赤ん叛の泣き声のように頼りない。
ここでも雑用に使われているのだろうう。複座型の後席は機材で埋められているという話だった。
「相手は無人標的機ですよ。中尉殿。優秀なら軽く捻ってみて下さい」
電源車とコンプレッサー車が外される。
古村のその言葉に眉を動かすだけで応じるとキャノピーを閉めた。
離陸。VRに達すると同時に脚を収納。直ちに急上昇に入る。訓練空域まで一五分と言ったところか。JPN大陸の中でもこの辺りは乾いた大地が広がっているだけ。
レーダーは最初から当てにはしていない。本当に必要なのは肉眼。
死角をなくすように、ジギングを繰り返しながら飛び続ける。
『んとに、本来なら茶番だよな』
敵はこちらの居場所を知っているのにこちらは知らない。このような事態を防ぐためにパイロットは感覚を磨き上げるというのに。
『!』
遠くに薄墨のような点が見えた。
「馬鹿か? 戦闘機相手に標的機が反航戦を挑もうってのか。そうか・・・そうだよな」
どこかにもう一機存在するに違いない。これが本命。
ならば、これをさっさと片づけてから本命に対応しなければならない。
「俺が優秀(ライトスタッフ)だという証明を見せてやるよ」
下で聞いている連中に聞こえるように叫ぶとそのままコンバットエリアに突入していく。
「うまいもんですね・・・」
古村はCICで練習機につけられたセンサーからの各種データを読みとりながら呟いた。
「ま、そこそこ。私よりは遥かに落ちますがね」
その隣で野中が悠然と呟く。
パイロットにはどんなヒヨッコでも自分より優秀なパイロットは居ないというのはどうやら本当のことらしい。
古村はそう思いながら、映像に目を戻す。
四方八方からの標的を撃破しながらスターフィッシュは飛び続けていた。
「そろそろ、やりますか?」
古村の問いに野中が領く。
「同一状況でもう一度だ。いいね」
「了解。何度でも」
機上の青年が上機嫌で応じる。
しかし、それは着陸時には激怒へと変わっていた。
「整備員! この機体は何だ!」
「何かありましたか?」
キャノピーを開けると同時に出迎えの古村に罵声を浴びせる。
「何が電子機器がついていないだ。二回目の標的機、自動操縦システムを作動させただろうが! ええ」
「そんなモノはついていませんが?」
「嘘をつくな!」
乗降用ハシゴが装着されるのももどかしく飛び降りるとヘルメットをコンクリートに叩き付けて詰め寄る。
「思うとおりに操縦システムが作動しないのはどう言うわけだ? こんな整備をされるのはごめんだ。辞めさせてもらう」
「はん、逃げるんだ」
雑務用計測機器が置かれていると言われていた、スターフィッシュの後席。軽合金製のキャノピーが開く。
中から、小柄なパイロットが降りてきた。
「古村のじっちゃまは何も墟ついていないよ。電子機器じゃない。私が操縦させてもらった。居眠りしそうになったんでね」 、
やけに高い声だ。
「馬鹿な・・・。あんな後席で、計器飛行やったっていうのか?』
予想外の展開に怒気を抜かれてしまった青年がそちらを向く。
「あ−あ。自分の頭を守るモノをこんな粗末にして・・・。アンタ、パイロットの風上にも置けないね」
そう言うと自分のヘルメットを脱いだ。陽光に銀色の長髪が流れ洛ちる。
『女?』
「逃げる奴に自己紹介はいらんね。たださ、アンタがどのくらい間抜けかは教えてやるよ」
そう言ってデータディスクを放る。
「アンタがどのくらい無駄な動きをしたか再生して見るんだね。女の私でも出来ることが出来ないんだから」
青年は無言のままその場を後にする。
「どうなりますかね」
古村が野中に聞く。
「さあな・・・。偽物ならここまでだろう」
面白そうに応える。
「じっちゃま、ごめん」 .、
娘が震える声で言った。
「そのヘルメット拾ってくれる・・・」
その唇は自分の髪よりも白かった。
CLASH 4
『まだ、勝てないか……?』
屈辱の中で、青年は寝返りをうった。どんな基地でもベットのマットレスの堅さは変わらない。
放送される起床ラッパはまだ、三十分も先の話だ。
『文句ばかりつけているうちに腕が鈍ったな、俺も』
あの日からすでに一週間が過ぎていた。
あの後、四の五言ってくる野路を追い払い、割り当てられた自室に戻った。
データなぞ見なくても分かった。操縦桿が効かないコックビットで、あれだけの動きをされれば嫌でもわかる。
完敗だった。しかも、あんな小娘に・・・。
柏手がホンチョ・パイロットだった事よりも自分がどうしようもないターキィであったことがショックだった。
それでもこの基地を出ていかなかったのはくだらない。それでいて男にとっては重要な意地がまだ、自分の体に残っていたからだろう。
いや、久しぶりに出現した壁をぶち破って見たかったのかもしれない。
『結局、はめられたのかな』
空戦とは詰まるところエネルギーのやり取りでしかない。エンジンが発生させるエネルギーを高度に変換し、高度をエネルギーに変換する事でマヌーバを行うだけだ。
あとは、その変換ロスをいかに少なくするか。
やれ、スブリットSだ。やれインメルマン・ターンだ。というご託はいらない。
必要最小限の機動で最大の効果を得る。それが基本であり、基本を忘れた派手な機動など結局は墜とされるだけ。
『忘れていたな。それ』
防音ボードの天井をスクリーンに、自分の無様な飛行が写る。
それはさんざん叩き込まれた基本であったはずだった。
それを舵機の動かし過ぎを当て舵で修正する、ムダな機動でお茶を濁す。
『まあ、ぐたぐた抜かす奴に親身に注意してくれる人間もいない』
ごろりと寝返りをうつ。
射撃にしてもそうだ。エンジンの回転から直接発電するダイナモを動力とするレーザーバルカンは、弾丸を無限大に供給する。
だからといって、遠距離からの射撃は賢いやり方とはいえない。射撃の間中、機体は無防備の直線飛行を余儀なくされる。目標には限界まで近づいてからの射撃で十分だったはずだ。
負けるべくして負けた。
それが1週間。シュミレータに通い詰めた結論。
野中司令はそんな彼を無言のまま放任している。どういうつもりか知らないが、それが一番ありがたかった。
『あいつだって一から十まで無謬な訳ではない』
同時に、それも解った。
『あいつは、廻りすぎる』
それがもう一つの結論だった。
あのパイロットは、標的を追うあまり幾度か巴戦に入った。それ自体は大したことではない。
が、真に行うべきは派手な格闘戦ではなく一撃離脱戦のはずだった。
少なくとも、そこから突き崩すことは可能なはず。
『あとはやってみるだけさ』
飛行記録からコンパイルしたシュミレータ用のAIも完成している。
『辞めるにしても何にしてもすべては、こいつを墜とせてからのことだ』
と、不意に自分に最も影響を与え、今も精神的に影響を受けている男の言葉を思い出した。
『気楽に行こうぜ。世の中、誰だって代わりはいるんだからな』
が、青年はまだ、彼の代わりを見つけてはいない。
録音された起床ラッパが鳴り響いた。
CLASH 5
「で、様子はどんなもんだい」
シュミレータをモニターしているオペレータの背中に野中が声をかける。
「あ、司令」
現役中、スーパー・ホンチョの一人であり、一線部隊を退いた後も、エア・ボスとして後進の指導に当たっていた男を借り出してきたオペレータは振り向くと座ったまま軽く敬礼した。
「一皮剥けましたかね。よっぽど小娘に負けたことが悔しかったと見える」
楽しそうに顎をしゃくってみせた。
「ほれ、至近距離まで接近して短時間射撃。で、即座に左旋回。
ま、合格モノじゃないですか。少なくともここ三日間は無駄な動きはしていません。
少々機転に欠けますが、ま、飛行時間が四千時間を超えるホンチョや、命のやり取りをギリギリのところでしていた訳でもなし」
そう野中の頻を見てから続ける。
「ま、私の部下だったなら、ベテランのウイング・マンにつけてやって、次の段階に進めても良いんじゃないかと進言しますがね」
「ふむ:・・・。あれ、あの赤い機体は? 何だ」
「ああ、あれですか」
エア・ボスはニヤリと笑った。
「あれは、あいつの細工ですよ。この前、嬢ちゃんに負けたときのデータを逆コンパイルして作った嬢ちゃんの偽物といったところですかな。
器用な奴です。そこそこ動きますよ」
「そんな事をしなくても十分相手はさせてやるモノを」
野中はコンソール上のヴィジフォンへと手を伸ばした。
「あ、古村のじっちゃまですか? ええ、彼女を呼んでもらえますか。面白いことやってみましょう」
そう言うと手近の折り畳み椅子に座り込む。
「さて、本物が出て来るぞ。どうする。坊ヤ」
むろん、本人はそんな事は知らない。ただ旦別の敵を墜とすだけだ。
バーチャル・リアリティ・シミュレーション。神経系に疑似情報を与えることでGから機体の揺れまで現物そのままに再現してくれる。彼が訓練生の時に何度もお世話になった。
唯一の違いは致命的なミスを犯しても死なずに済む。それだけだ。ただし、しばらくは夢に見るが。
そんな架空空間の数機目の標的。赤い機体。
『レッド・ワン』
自作の疑似AIを保持した標的だった。
『釆たか・・・』
ランダムに出現するように設定しておいたその機体は、コンバットエリアのはじをなぞるように飛行するとやがて視界から消える。
『ハグったか?』
あまり、こういった作業は得意ではない。可能性は十分にある。
が、それは杞憂にすぎなかった。
しばらくして再びその機体が戻ってくる。間違いようのない殺意をもって。
その薄墨を青年はかなりの距離で発見することが出来た。が、これはこの際何の慰めにもならない。なぜなら、相手はこちらの位置を知って接近してくるシミュレーション・データに過ぎない。
イニシアチブは常に向こうにある。
なだらかな左旋回で敵は自機の後方に回り込もうとする。
『予想通りだ!』
回り込んでくる。それは予想していたことだ。が、それに巻き込まれては勝機はない。旋回戦では相手にかなうはずがないのは痛感している。
一撃離脱。それしかない。
お互いが敵の手に乗らない、どこか噛み合わない空戦はしばらく続いた。
『俺のAI作成技術ってこんなに高かったのか。それともここまで俺はターキィだったのか?』
もう意地だけでマヌーバを行いながら考える。
そして、本物の空戦のように結果はあっけなかった。それは過信とも言えないだろう。
赤い敵機は幾度目かの左旋回、右側にフライ・パイ・ワイヤーの操縦桿のある機体にとって効果の大きいその旋回を行った。
が、それは青年の一か八かの予測射撃の射程内に入っている。
射撃。
ふっと。目の前のスクリーンがブラックアウトした。シュミレータのキャノピーが跳ね上がった。
五感が突然のことに混乱する。
「合格だな」
壁に作りつけられたスピーカーから、オベレーンョンルームの野中の声が響いた。
借り物のメットを脱いで、辺りを見回す。
「司令……」
もう一台。キャノピーが跳ね上がったシュミレータから、銀色の髪の娘が立ち上がると五感変調が存在しなかったかのように床に降り立った。
『え・・・。あれって凝似AIでないのか』
混乱が混乱に輪をかける。
「アンタ、生まれたときからこれだけ努力すればもっとまっとうな職についてたろうに」
口調をがらっと変えて続ける。
「よろしく、中尉。以後、貴方のWSO(後席ウエボン士官)を勧めさせていただきます。ジブ(GIB=ガイ(ここではガールだが)・イン・バック後席要員の意味もある)と呼んで下さい」
そして、そばにひっかけてあった黄色いヘルメットケースを差し出す。
「これ、先日壊されたものと、同じ寸法で作っておきました。マーキングも同じにして有ります。
「あれ?」
まだ、青年の日の焦点が合っていない。
「ああ、ジブくんね。にうは−ふさんだったんだ。(gib=去勢された雄猫の意味もある)」
「私は女です!」
ヘルメットケースが青年の頭を直撃する。
「ありゃあ、もう一つ作らんとなりませんね。司令」
エア・ボスがしごくのんびりとした声を出した。
CLASH 6
「で、古材整備班長」
返事がない。
「古村整備班長殿」
無視。
「古村のじっちゃま」
「どうしました。中尉」
「んとに、まったくもう・・・』
青年は心の中でため息をついた。
「我々はいつまでこうしてシミュレーションに日々を送っていなければならないんです」
「どうしてって、中尉。WSO用のタイプ八六センサーソステム一式が釆てないですからね。動きませんよ」
「そんな……」
この基地に配属になってからすでに3週間近くが過ぎようとしていた。第二週目はシュミレータによる機種転換訓練に明け暮れたモノの、五感変換システムを駆動しないドンガラヘ転換なぞ、ほとんどがコンピュータ制御。難しいものではない。
ぬぐい去ることの出来ない電子制御への不信感はあるもののそれ以上に飛ぶ事への渇望が青年の体を満たしていた。
「この前送ってきた荷物は何だったんです」
「ああ、あれ。あれはタイプ八七外装FDインターフェイスでした。今日釆たのは1G−HD。ま、武装関係だけですね」
「んとに! 何でそんなモノが来るんです」
「中尉、いいんじゃないですか。こっち来てお茶しません?」
メーカー所属のパイロットである、ジブと名乗った娘が、戦闘用糧食のラズベリーパイ缶を開けながら言った。
「結構!」
「古村整備長、中尉」
野路が格納庫に悠然と入ってくる。
「本日、納入された1G−HD発射テストを実施してもらいます」
「何? 今日来たばかりの? こちらでチェックもしないで。司令が馬鹿なこと言ってるんですかね?」
「ふん、そんな悠長な事を・・・。もっと上の方の命令を受けてあります。
ニュー・トラックの]Aの進展が著しいのはご存じでしょう。このままではXT計画はキャンセルされかねないのです。来たパーツは、工場出荷時に完全にチェックされています。機載して大丈夫。当然です」
新型フレームであるMフレームのXTに対し、既存のDフレーム新型、]Aの進捗が著しいのはここへ来て三週間の青年の耳にも伝わっていた。
「了解」
青年は肩をすくめ格納庫の隅。装備置き場へと向かう。古村も忌々しげに吐き捨てた。
「馬鹿が、完全などないのに。お嬢。頼む」
「了解!」
ジブはにっこり笑うとカップを空け、後に続く。
「馬鹿が・・・」
古村はもう一度呟くと。声を張り上げた。
「お−し。飛行準備!」
『しかし・・・』
]Tのコックビットに座り込んだ青年は今までに感じたことのない不快感を感じていた。
それまでの飛びたいという要求がまるで凍り付いてしまう。
「中尉、どうしました? 顔色が悪いです」
本来、五感変換ユニットに直結したGIRLユニット、もしくはBBが接続されている場所にしつらえられたWSOシートからスクリーンを通してジブが聞いてくる。
「いや・・・別に」
右肩のハードポイントに巨大な1GのHDシステムが接続される。
「システム・アイドリングに入ります」
起動スイッチとともにチェックシステムが作動する。
「各部異常なし、SCSI2も異常なし」
新型の動力・火器管制システムが作動した。
腹の中の滴りがますます大きくなる。
『いかがです? 中尉殿、素晴らしいマシンでしょう』
ジブの頻に割り込むように野路が現れた。
「それは良いんだが、技術長・・・。この振動、何とかなりませんか」
『振動? そんなものは計測されてません』
「そうか・・・」
『また、ですか?』
嘲笑。スクリーンが消えた。
首を振ると前を向く。スクリーンにコンフィグレーンョンが自動的に構築されていく様子が映し出されている。
「動力炉安定、コマンドラインOK。アプリケーンョン作動準備完了」
まだ、整備部に難癖をつける癖が直っていないと見られたわけだ。
「んっとに・・・」
『一寸、待って。アンタ。何か様子おかしいよ。どうしたのさ』
伝法な口調で再びジブがスクリーンに映る。機内秘匿通信のマーカが点滅した。
「別に、何でもない。尻の座りが悪いだけだ。振動。君も感じないだろう」
碧玉のような瞳が細められる。
『本当に、何か感じるんだね』
「いや、また、悪い癖だろう・・・」
『本当はどうなのさ!』
「気になる」
『そう・・・。
こちらWSO。エマージェンシー、生命維持装置に異常発生。出撃中止』
鈍い振動とともにコックビットハッチが吹き飛ぶ。
『これで、今日の出撃はなしだよ』
スクリーンの中のジブが微笑んだ。
|