U&T episode 4
ポジティブ・チルドレン
第1話 発端(前編)

作 上杉 明

 異形のものが宇宙を駆ける。
 生命の欠片すら見つけだすことの出来ない、漆黒の宇宙空間。その中で鳥に似た朱と白。二つの人工物は互いを滅ぼそうとその位置を変えていく。
 それは兵器だった。その翼の下に備えた大出力のエネルギー兵器は敵の翼を喰いちぎろうと発光を繰り返し、それぞれが作り出すこの世ならざる空間へ突入。敵の至近で再び出現し、防御スクリーンへと突き刺さる。
 機体の色以外は、同じ力を持つ様に見える兵器達の戦いはいつ果てるともなく続く。
 しかし、同じ機体であっても、その乗員には微妙な違いが現れ始めていた。
 すでに、異形の兵器達の常識では考えられないほどの時間。戦いは続いている。疲労からか、白い機体がわずかに直進しすぎた。その隙を見逃さなかった朱い機体のエネルギー兵器が白い機体の後部を貫く。二基備えられていたエンジンの輝きの一つが消えた。
 「く……」
 白い機体のコックピットで水密型スクリーンに囲まれ、フエル・オキシ・カーボン溶液の満たされたナビゲーションシートに座っていた十代半ば過ぎの少女が苦しげな呻きを漏らす。
 「第二動力炉破損。爆縮防止のため緊急停止。第一動力炉出力八〇%より九五%へ。攻撃システムB系統自動停止。以後、超空間転移砲3基使用不能。戦闘能力イエロー」
 感情のない機体を司る主AIの低い声が致命的な損傷を彼女に伝える。
 ねっとりとした液体の中でプラチナブロンドの長い髪がゆれた。真っ赤な血がひとすじ、その髪にまとわりついて流れていく。白すぎる顔の中で紅い瞳が自嘲とも悲しみともつかぬ影に揺れる。
 「ここまでなの。やっぱり……。
 ロスト・コピーの限界……」
と、シートを囲むようにしつらえられたスクリーンの一部にウィンドウが現れる。
 「テストヘッド2より強制通信。現在の出力では排除不能」
 声が告げる間もなかった。
 『綾……。手こずらせてくれたわね』
 スクリーンに写ったのは、綾と呼ばれた少女と年格好のよく似た少女だった。いや、紅いウルフカット。小麦色の肌。紅色の瞳。これら以外はまるで同じ人間のようだ。
 『逃げたりしなければ、こんな目に遭わなかったのに……所詮、ロスト・コピー。敵うわけがないのにさ』
 「そして、モルモットのように生きるだけの生活を続けろと? 紅、貴女はそんな生活で満足しているの」
 綾は静かに応えた。
 『あんたの、そんなところがあたしは嫌いなんだよ。いったい何様のつもりだい。
 ま、いいか。いまはあたしが絶対的に優位なんだ。いつでも、あんたの2号機を蜂の巣にしてやれる。あんたは卑屈に命乞いをするしかないんだよ。
 さあ、答えな、あんたが連れて逃げた、あいつはどこにいる? 答えたら命だけは助けてあげるよ 姉さん』
 嘲りがその口調にありありと現れる。
 が、綾はその嘲りに苦笑で応えた。
 「くす……。
 逃げた瞬間から、戦闘能力が優れた貴女に敗れることは予想がついていたわ。
 でも、だからと言って、はいそうですかと答えると思って? だから貴女は駄目なのよ。
 彼女、私達のたった一つの希望だけは、守ってみせる」
 沈黙が流れる。
 しかし、笑いがその沈黙を破った。
 哄笑。
 『あー可笑しいよ。綾。あんた、気がついていないんだね』
 紅はひとしきり笑うと。唇を歪めながら言葉を続けた。
 『あいつの居場所はねえ。もう、解ってるんだよ』
 「莫迦な……」
 綾の白い肌から更に血の気が引く。
 『一号機の副AIはね、本体も理解してないだろうけど。月に一度、わずかな時間だけマーカーを超空間通信で送ってきてくれる。
 まだ、彼女が必要なかったから、放置していただけなんだよ
 お莫迦さん』
 スクリーンから紅の顔が消えた。
 超空間転移砲が二度、三度と朱い機体と白い機体を繋ぎ、白い機体の破片が漆黒の宇宙に散っていく。
 致命傷を与えず、嬲るように。
 「あんたは、いっつもあたしを小莫迦にしていた! あんたなんか死んじゃえばいいんだ! 自分がより、オリジナルに近いコピーだからって」
 朱い機体のコックピット。サブ・パイロットシートで紅は罵声を浴びせながらトリガーを引き絞る。
 すでに、対エネルギーシールドすら動作していないのだろう。破片がまるで粉雪のように飛び散っていく。
 「死ね。死ね。死ね。死ね。死ね」
 小さな電子音が紅を現実に呼び戻した。
 「どうした?」
 「接近する戦闘艦があります」
 綾の機体と同じく感情のない主AIの声だ。
 「何? こんな辺境の、しかも通常航路から外れた場所で? 何者だ」
返事はしばらくない。そして。
 「照会完了。ATF(多目的戦術戦闘艦)。F23と思われます」
 「く、F23だと」
 紅は唇をかみしめた。彼女の乗るF22OC(オリジナルコピー)2に敵う兵器はそうはない。たとえ軍に採用された同型艦F22C(コピー)が相手であっても、OCの優位性は間違いない。所詮、コピーはオリジナルやオリジナルコピーのように成長することはない。オリジナルが蓄積したデータを基本システムとした木偶の坊に過ぎないからだ。
 そして、紅はATF以前の旧式艦のオリジナルが相手でも勝利する自信があった。
 「糞、トライアルに負けた失敗作風情が」
 唯一、脅威を感じるとしたら、同じATFとして建造されたF23しかない。そして、軍に採用されなかったF23は、この宇宙にはオリジナルが2隻しか存在していないことを紅は知っていた。ATFオリジナル同士の戦い。あまり割の良い賭ではない。
 「超空間突入。あいつの回収に向かう」
 コックピットの機器の駆動音が高まる。
 『賽は投げられた……。か』
 そうつぶやく紅の表情は誰にも伺い知ることはできなかった。

 「あのバカ、何してやがる?」
 大村竜之介はそう呟くと太い眉をひそめた。
 時代は移り変わり、宇宙のあちこちに人類が移民した25世紀の現在でも、本というメディアは衰えることはなかった。簡便性や収集性において、磁気や各種半導体メディアに優位性を保ち続けたためだ。だから、アルバイト先の郊外書店には、今日もそこそこの客が入っている。もう、秋の日はとっぷりと暮れていた。
 その客の一人、視線の先にいる人物は一種異様な雰囲気を醸し出している。それが証拠に、半径1メートルほど、客が近づこうとしない。
 怪しい、怪しすぎる。深く被ったアポロキャップ。ほとんど度の入っていない伊達のような眼鏡。襟を立てたフィールドジャケット。レジの近くの雑誌コーナーで、広げた大判のレース雑誌の向こうからこちらを伺っている。
 フィールドジャケットでなく丈の長いコートであれば、ずばり、変質者と言える雰囲気だった。
 「まったく」
 そう言って溜息を一つ。まったく、仕方がない奴ではある。全体的に見れば、自分など、及びもしない大きな器の男ではあるのだが、どうも不器用なのだ。
 「大村さん、休憩終わりました。次どうぞ」
 そんな、竜之介に休憩を終えた後輩から声がかかる。
 「あ、了解」
 壁の時計を見るともう、そんな時間だった。
 「じゃあ、10分ほど頼むわ。衣舞ちゃん、お先休憩入ります」
 後輩とレジについている少女にそう言ってレジを離れる。
 「お客さん、困りますね」
 そうして、売り場を大回りして、不審な青年の背後から声をかけた。
 「不審者のご来店は、ご遠慮申し上げているのですが。坂本八雲さま」
 青年、八雲は文字通り10センチほども飛び上がった。
 「む、村さん、い、いつから気づいた」
 「ま、ちょっと、こっち来いや」
 そのまま八雲を控え室に引っ張っていく。
 「まったく。客が逃げるぞ」
 控え室の折り畳み椅子に八雲を座らせると、マグカップにインスタント珈琲をぶち込みながら言う。
 「そ、そうかな」
 「ああ、そうだ。坂本さんの周囲1メートル以内に客が近づけなかったの、解ってるのかね。売り上げ、減少したらどうしてくれる気だ」
 ポットからお湯をカップに注ぐと、インスタントなりの芳香が室内に満ちる。
 「それは、悪いと思っている」
 「そう思っているならしっかりしろい」
 「しっかりしてないかな」
 「そう、してない」
 そう、言うと八雲にお湯を注いだカップを差し出す。
 「あ、すまん。
 げ、相変わらず濃いの飲んでるなあ」
 一口、口をつけて顔をしかめた。
 「本当にすまんなあ」
 そう言って微笑む。ごわごわの直毛、太い眉、大きい目、スナップノーズの竜之介に比べ、八雲の顔の造作は全体的に線が細い。少し天然パーマ気味の髪はあくまでも柔らかく、一部婦女子の間で『星の王子様』と呼ばれていることを本人は知らないが、竜之介はしっかり知っていたりする。
 この二人、実は学校の同級だった。翠丘の坂本八雲といえば、校外にまで聞こえた有名人だ。大村もまた別の意味で特に校内で有名なのだが、ま、それはそれで別の話だ。
 「あ、そのカップ、衣舞ちゃんのだった。間接キッスだな。坂本さん」
 竜之介は自分の珈琲を飲みながらぼそりと呟く。
 「ぐええええ」
 八雲の口から呻きともなんとも形容の仕様のない声があがる。
 「嘘だ」
 竜之介は自分のカップを飲み干す。
 「村さん・・・あんたなあ」
 「まだ、告白できんのか?」
 「ぐう・・・」
 「あったく、これが音に聞こえた翠丘の坂本八雲かねえ」
 「それは、それ。これはこれだ。この坂本八雲、人生18年で初めて女に惚れた。この、心の苦しみをいかんせん!」
 両手を握りしめて断言する八雲だった。
 「はあ、確かに、神無月衣舞ちゃん。18才は要領はいいし」
 「おい、一寸待て待て。神無月さんは誠心誠意仕事をしてるだろう」
 竜之介は処置なしという表情で頭を振る。
 「いいか、要領というのは処理、処置の仕方が過不足ないことを言うのだぞ。狡いという印象が入ってくるのは後世のことだ」
 「そ、そうなのか?」
 「ともかく、老若男女問わず優しいし、百人並に可愛いし」
 「そう、そう。ま、最後は千人並み、いや、万人並だが、それは内実の現れに過ぎないしな」
 相好を崩してしまう八雲だったりする。
 「ああ、言うとおりだよ」
 もう、どうにでもしろといった表情で大村は肩をすくめた。
 「その、万人並が、俺の後に休憩に来る」
 「へ・・・」
 「もう、いつもの明晰な頭脳はどこにいった。いいか、坂本さん。こうなったら、我がバイト先の売り上げ回復のため、なんとしても告白に持ち込むのだ。そうでないと、不審者一歩手前に店内をうろつかれて店長も、社員の人も、みんな売り上げが落ちて困ってしまうのだ」
 「そ、そういうものか」
 「そうだ。頼む、この大村、頭を下げる」
 もう、理由などどうでもいい。背中を思いっきりどやしつけるだけだ。
 「わかった。坂本、逝きます!」
 「いけえ、八雲!」
 「竜之介! 俺はいい友をもった!」
 悪のりして抱き合ってしまったりする二人だった。
 「大村さん。お客様が、本のことで・・・」
 そこへ、件の美少女が入ってくる。
 「お二人って、そう言う関係・・・」
 坂本が声にならない声をあげる。
 そして、大村は控え室から飛び出した。
 「許せ、坂本さん・・・」
 坂本の玉砕は確実に思えた。

 「人生はかくも空しい」
 竜之介は深夜、星の瞬く空に向かってそう呟いた。レジのメモリーマネーの集計も、クレジット計算も終わり、明日、早番の人のための雑誌出しも終わった。早く帰って、睡眠を取らないと学校の授業に差し支える。
 バイトの挙げ句に睡眠不足など、担任の嫌みの十も二十も言われかねない。しかし。状況はそれを許してはくれそうにない。
 単惑星時代の地球とは星の場所もなにも違っている夜空ではあるが、千年近く前の江戸時代も、五〇〇年前の昭和・平成時代も、哀しい若者はこうして空を見上げたのだろうか。
 店の前の自動販売機で缶コーヒーのホットパックを購入する。
 結局の所、人間の精神は紀元前をピークとし、その生活スタイルは21世紀中期から変化していない。偉そうな物言いの評論家がそう言っていたが、それは真理なのだろうか。人間、尾でも生えない限り、服装が劇的に変化するなどと言うことはあり得ない。
 「坂本さん。飲む」
 「飲む・・・」
 駐輪場の隅に置かれた二台の自転車とリニアバイクの側。そこから返事が返る。その声の方にパックを放り投げた。
 「ご馳走様」
 「どういたしまして」
 恐ろしいことに、自転車は、その車体の材質等を変化させながら、人力移動手段として命脈を保っていた。逆にオートバイの類は、環境問題から、そのシステムを一変させている。近代の内燃機関。化石燃料での走行は、学術研究を目的という名目で、膨大な二酸化炭素税を払ってのみ許される。
 現在、箱も単車もほとんどが、バッテリーによるリニア駆動だった。
 「・・・」
 「・・・」
 沈黙が重かった。言うまでもないことだ。
 あの後、休憩に入った神無月衣舞嬢はその栗色の髪と白い肌の表情一つ変えるでなしに仕事を終えた。それも、いつも通りに完璧に。まったく、彼女の精神には欠片ほどの動揺も発生しなかったらしい。
 そのことは、たった一つのことを現している。が、竜之介はわざと見当はずれのことを言った。
 「誤解しっぱなしだったのか」
 そして、パックを捻ると珈琲を飲む。どうも、この販売機のは甘すぎる。
 「いや、それは、なんとかなった」
 「うむ、そうか」
 それはそうだろう。でなければ、あの後の竜之介にたいする視線に、もう少しいろんな意味での色がついていたはずだった。竜之介の見たところ神無月衣舞嬢には昭和・平成女流文学の伝統をひく趣味はない。
 「で、どうした」
 「まずは、見苦しいものを見せてしまったことを陳謝してだな、週末の予定を聞いたわけだ」
 「で・・・」
 別に聞きたいわけではなかったが、話したい男のために聞かねばならないこともある。
 「よかったら、『近世博物館』に昭和・平成時代のアニメーション原画展が来ているので、ご一緒しませんか。と」
 「をい・・・。アニメかよ」
 大村は天を仰いだ。
 「何か悪いか。近世、昭和・平成時代中期の我が祖国の特撮、アニメーション文化は、時代に冠たる物ではなかったのか」
 ちなみに、20世紀の文化は、この時代、20世紀の江戸文化に相当するといえる。
 「確かに、昭和・平成、前期の合衆国ペーパーバック文化に比しても勝るとも劣らぬ文化であることは認めよう」
 しかしこの時代、こう考える人種は多数派ではないことは確かだ。二人とも結構少数派だった。
 「そういう深い趣味はもっと、お互いの気心が知れてからで、遅くはないのではないのか」
 「ああ、確かにはかばかしい返事が得られなかった」
 「そうだろうな」
 「何か言ったか」
 八雲の目が危険な色に光る。
 「いや、それではかばかしくなかったのでどうしたんだ」
 慌てて話を変える竜之介だ。
 「じゃあ、常設展示の、日本刀でも見ましょうかと」
 竜之介は大きく溜息をついた。
 「坂本さん、何を考えている。デートだろうが。デート。映画を見るもよし、小洒落た店でショッピングするもよし、小腹がすいたらお洒落なレストランで食事をするもよし。そうやって、少しずつ洗脳していくのがスジというものだろうが」
 「うぐ・・・やっぱり」
 八雲の手の中で珈琲のパックが握りつぶされた。
 「そうか」
 「そうだ、おれだって、最初のデートの時は『ゴジラ2497』を見に行くとか、AIデバイスショップで基盤を買うとかしないぞ。きっと。たぶん・・・したことないけど」
 語尾が小さくなるのはご愛敬だ。
 「うむ、そうか。そうだよなあ」
 溜息をつくと握りつぶした珈琲パックをゴミ箱に捨てる。
 「すまん、折角奢ってもらったのに」
 「いや、それはいいのだが、で、結局、その第二の提案はどう返されたんだ」
 珈琲でべとべとになった手を白いハンカチで拭き取りながら応える。
 「『ごめんなさい』と」
 「『ごめんなさい』かあ」
 それは致命的な一撃だった。
 「ああ、『ごめんなさい、わたし、そういうのに全然興味ないんです』と」
 「で、どうしたんだ」
 「じゃあ、興味のあるところへ行きましょうかと」
 竜之介は溜息をついた。
 「坂本さん、お前さんは賢い。鋭敏な感覚を持ち、人のことを思いやる優しさをも持っている。しかし、今回はその優しさも感覚も空回りだ。なぜ、そこまで自分を追い込んだ」
 返事は明白だった。
 「可能性は、ゼロではないと思った」
 端から見てゼロであっても当事者にとってはそうではなかったらしい。溜息をひとつついて竜之介が声をかけようとした時だった、
 「何だ?」
 八雲が突然自分のリニアマシンにまたがるとエンジンキーを捻った。

 「ど、どうしたんだ」
 「変だ。何か変だ」
 それだけ言うと自分のリニアマシンを駆動させる。
 「村さん、つきあってもらってすまないが、今晩はここまでだ。なんか、変なことが起こってる気がする。やばい。凄まじくやばい」
 ヘルメットを被りながら、表情が硬い。
 「一寸待て、坂本さん、男とタンデムは趣味じゃないだろうが乗せてけ」
 「しかし」
 「贅沢にも、学生の分際で、中型リニアバイク、維持してるんだ。法的問題はあるまい」
 そのまま、強引ビリオンシートにまたがる。
 「ああ、問題はないが、しかし、メットはどうする」
 「心配するな、おれのメットは自転車用だが、坂本さんのメットよりも高い。たぶん、安全規格も一つ上ではないのかな」
 「過剰装備・・・」
 「何か言ったか。おれも、変なことってのが気になる」
 一瞬の沈黙。
 「時間ないんじゃないのか。きっと」
 これがとどめとなった。
 「行くぞ!」
 そのまま、リニア駆動系が車体を僅かに浮かび上がらせると音もなく移動を始める。
 「しかし、どうもメリハリがないなあ。ここは一発、盛大なエンジン音が欲しいところだけどな」
 竜之介が随分と場違いなことを言う。
 「時々、村さんって大人物何じゃないかと思うよ」
 「知らなかったのか。坂本さん。おれはいつでも大人物だぞ」
 「へーへー」
 そのまま、住宅街を走り続ける。
 「ここか?」
 しばらく、あちこち走った後リニアバイクが停車したのは。住宅街のはずれ、大きな公園だった。
 「ここか」
 「ああ、訳が解らんが、どうもここらしい」
 そのまま、メットを脱ぐと八雲は公園の中に向かって歩き出す。
 「ここなら、おれの自転車でも来られたな」
 そんなことを呟きながら、竜之介が続く。
 「まいったな、剣気がびんびんだ。野放図に放出して、一体何を考えてる。村さん。気をつけろよ」
 「あ。ああ」
 八雲の言っている意味はよく分からなかったが、竜之介も何かを感じている。
 「村さんの人格、知識、アウトドア能力は信用しているが」
 「運動神経は全く信用していない。そういうことだな」
 「すまん」
 「別に、事実は事実だ。というと、なんか、おれの方が偉そうだな」
 「はは」
 八雲は軽く笑みを浮かべると、更に先へと向かった。
 まさか、こんなことになるとは思いもよらなかった。もう、こんな剣気にさらされることなど二度としないはずだったのだが。
 『だが、制御されない力は、完全に制御された力に勝るものではない。しかし』
 自分の力が完全に制御されているか。という点ではてんで自信がないのだが。
 『もう、丸2年近く、まともに修行してないものなあ』
 「あ、坂本さん、あっち」
 遊具の散らばる児童用エリアの中央。そこに二つの人影がある。
 一つは地面に崩れ、もう一つはそれを見下ろしている。
 白い半導体灯の明かりの下、八雲の目は栗色のショートカットを認めていた。
 「神無月さん」
 理由も何もなく本能が、その人影を衣舞だと告げる。
 見下ろしていた影がこちらを向いた。赤い炎に飾られた白いマスケラ。
 辺りがしんと、張りつめたようだった。
 「坂本さん、これ」
 竜之介が、八雲に向かって金属製の棒を差し出す。長さは60センチほど。
 「よい子は芝生には入らないんだが、この際だ。勘弁してもらおう」
 芝生と通路を区切るロープが切断されていた。どうやらそこから引っこ抜いたらしい。その棒をロープを通す方を先に握る。
 「有り難う。もう一つ頼んでいいか」
 「どうした。借金の申し込みなら断るぞ」
 「絶対に手を出さないでくれ」
 「了解」
 竜之介のその言葉を合図に八雲はマスケラの人影に向かって飛び出していった。
 そのまま、渾身の力を込めて横に払う。が、手応えは全くない。
 気配は背後に回り込んでいた。
 「莫迦な」
 無造作に突き出される一撃。恐ろしいほどに研ぎ澄まされたそれを無様に転がるようにしてよける。
 「笑ってるのか」
 体勢の崩れきった八雲を嘲笑うかのように、マスケラの人影は、その手に持つ黒く塗り潰した短刀を投擲の構えとともに放った。
 「うぉおお」
 八雲は絶叫した。その先にはこういった道にはひたすら疎い竜之介が彼の感覚で十分な安全距離をとって立ちつくしている。しかし、それは完全な間違いだった。
 間に合わない。いかなる手段をもってしても、刃を止める術はない。
 刃は竜之介の急所を易々と抉るだろう。逃げることなど論外、どう逃げてもそのような稚拙な動きは見破られ、そこへ刃が飛ぶ。唯一、命を保つとしたら、刃の軌跡を見切るしかない。しかし、八雲の知る竜之介はそれができる人間ではなかった。
 「畜生ぅ」
 渾身の力を込めてうちかかる。そこにあるのは絶望と殺意のみ。その一撃がマスケラを砕き、ほの暗い光の下、瞬間赤い色が八雲の目を射る。
 「な、何。神無月さんが二人?」
 が、その直後に恐れていた末期の絶叫は聞こえない。
 ガッツーン。
 そのかわり、特殊複合樹脂を堅いものにぶつけたような音が夜の大気を震わせる。
 「おーい、誰かいるのかい」
 通行人らしい男の声がする。
 突然、張りつめていた気が変わる。そして、人影が信じられぬ跳躍で闇の中へと消えた。


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