15 馬鹿を求めて300キロ

 さて、翌日もいい天気だった。朝、6時にはホテルを出発する。
 今回、上杉が参加していないので、ホテルの写真はなしだったりする。申し訳ない・・・。そういえば、いろいろひっくり返して探したが、走行記録も存在しなかったりする。しかし、前回の『風任せ』だったら原稿用紙30枚近く書いたらもう三日目だった筈。それがまだ二日目の朝とは、どれほど濃い旅行かそれだけでもわかる。
 今日こそは真っ直ぐ帯広に向かって欲しいと祈る僕は間違っていない。でも、普段の行いが悪いのか、僕の祈りをあざ笑うかのように、助手席と運転席の冴速さんと朱雀の間で今日の予定が即興で組み上がっていく。
 「昨日は鯨を食べたから、今日は羆と鹿と海馬を食べなければならないんだわ」
 「そうだよな。やっぱり北海道人の主食は羆だものな」
 をいをい・・・。本気にする人間きっと出てくると思う。
 「前に話したかな、岩見沢の教育大学で全国教育大学体育会(名称は曖昧)が開かれた時、俺、在校していたんだが・・・」
 僕は聞いた。
 「ほう・・・なんだわ」
 冴速さんは優しい。
 「グランド歩いていた京都教育大学の学生さんの後ろでな、同じ研究室の連中と深刻ぶって
 『裏山に羆が出たらしい』
 って言ったら、顔引きつらせて校内に駆け込んでいったぞ」
 そういう馬鹿なことをしているから、僕の会社の本社役員が札幌に来たとき、
 『こんな雨の日にはこの辺りにも熊が出るんだろうね』
 なんて言うことになる。札幌の駅前での話だ。
 「ま、羆や鹿や海馬食べるんなら、やっぱり羅臼の『高砂』さんなんだわ」 
 え、網走から羅臼・・・本気なのかな? 二人とも・・・。

16 馬鹿のかけら

 二人とも十分に本気だった。
 知床方面へと車は進む。
 はあ・・・また流離うのか。
 1時間ほどで「れとこ」の看板が見える。前回も思ったがどう見てもこの看板、『しれとこ』ではない。
 そのまま看板の前を走り抜けていく。
 妙な沈黙が車内に満ちた・・・。
 「あ、カムイワッカだな」
 沈黙に耐えかねた僕は最悪のタイミングで最悪の看板を見つけて口走った。
 「カムイワッカ方面自家用車進入禁止な」
 しまったと思ったときは遅かった。車内のエアコンが急に効き出す。
 「わははははは」
 死というものがこれほど身近に感じられたことはなかった。
 「そうなんだよ、そうなんだ。登らないでいるうちに観光地化してな、夏の間はバスが出るようになってしまったんだよ」
 「ははははなんだな」
 僕は乾いた笑い声をあげると手の中のビールを飲み干して新しい缶を開けることにした。どうやら、寝ていた方が(どこに連れて行かれるかはわからないが)ましらしい。
 しかし、なかなか酔わないうちに、車は知床峠を登り始める。
 「わあ・・・」
 僕は思わず叫んだ。
 一面の霧だ・・・。
 しまった。久部さんが今回参加なさっていないから、お約束が出来ない。霧が出たら『エクソシスト』これは僕達の旅行の不変の真理なのに・・・。
 しかし、本当に一面の霧だ。ここが摩周湖ならきっと僕達はみんなさっさと結婚できるに違いない。
 しかし・・・知床峠ではしかたがないか。
 車は色々な思惑を乗せて一路羅臼へと向かう。

17 知床最後の秘湯?

 さて、僕達は羅臼へと到着した。羅臼。ここには鹿に羆に海馬を喰わせてくれる『高砂』さんという名店がある。
 「しかし・・・少し早く着きすぎたんだわ」
湯ノ沢パーキングで地図を見ながら冴速さんが言われる。
 「まだ9時前なんだわ。これでは『高砂』サンに着いてから、しばらく待たなければならないんだわ」
 「何かあてがあるのか」
 朱雀が生茶を飲みながら尋ねる。
 「東へ行くといい温泉があるんだわ」
 温泉? そうだった。冴速さんは名うての温泉マニア。天然のお湯が沸いていればどこでも入るという凄まじい伝説を持つ。すこっちもるとさんが来道した時には3日間で13カ所の温泉に入ったという記録がある。
 「たぶん、時間的にも丁度いいんだわ」
 というわけで僕達は冴速さんお勧めのセセキ温泉に向かった。
 セセキ温泉は旅館も何もない鄙びた温泉だった。ただ、石浜の途中に物置のような小屋がある。そこが温泉らしい。
 「むう・・・」
 しかし、冴速さんは眉をしかめる。
 「どうしたのな?」
 「立派になりすぎてる」
 こ、これで・・・。   
 「昔はもっと、何もない温泉だったんだわ」
 「で、どうする」
 「この先に相泊温泉があるんだわ」
 かくて、僕達は30分ほど車を走らせた。そして、今度は昆布干場の真ん中に掘っ建て小屋しかない相泊温泉を発見する。 「ここがいいんだわ」
 ようやく許可を得て温泉に入る。
 確かにいいお湯だったが・・・。しかし、ここまで来て温泉にはいるというのも・・・なんかいかにも『旅する奇怪』だ。

18 羆を喰った男(達)

 さて、温泉にも入った、あとは『高砂』さんで羆と鹿と海馬だ。なんか急に即興で決まった目的でも気にしてはいけないことを僕は昨日一日で学んでいた。必要なのは流れに逆らわないこと・・・それだけ。
 しかし、その学習はまだまだ不完全だった。
 「ここまで来たら、最東端を目指すんだわ」
 「当然だな」
 わずか数分で行けるそんな場所に行かない方がおかしい。それは理屈ではない。二人の本能なのかもしれない。
 結局、二人の為すがままに僕もひたすら端っこを目指す。
 本当に数分で行き止まりに着いてしまった。食堂のような店が一軒。
 「あれ、『熊の穴』さんって、昔もっと羅臼に近いところにあったはずなんだわ」
 「そうだよな・・・」
 ま、何はともあれ中に入ってみる。
 「『羆ラーメン』ね・・・」
 何でもチャーシューが羆だそうだが・・・。
 「腹案配はどうなんだわ」
 「腹案配?」
 「腹案配とな」
 「折角だから、ここでラーメン食べて、『高砂』で『親爺定食』か『馬鹿定食』食べるんだわ」
 「折角」この言葉の前では全ての常識は掃滅する。
 結局僕達はそこで羆ラーメンを食べることにした。
 羆ラーメンは、羆のチャーシューはそこそこ野性味があって美味しかった。でも、ラーメンはどうって言うことない味だ。これは仕方がない話だったのかもしれない。
 そして、この冴速さんの英断がを救うことになるとはこの時は誰も知らなかった。 僕達は、軽食を食べ終わると『高砂』さんで朝食を取るために出発した。

19 『高砂』消失

 「しかし、なんだわ」
 冴速さんがため息をつく。観光客の僕達と違って、羅臼の相泊にも日常がある。朝9時過ぎの日常が車の外にはあったが・・・。
 「女子高校生以上くらいの女の子みんな金髪なのはどういう事なんだわ」
 ははは、確かにそうだ。間違いない。それも札幌レベルの茶髪じゃない。はっきり金髪だ。
 「マスコミの発達でもう、情報に関しては田舎と都会の区別がないんだよ」
 「『鄙には希の黒髪豊かな美少女』なんてのはいないのだな」
 「ああ、逆に言うと札幌以上に都会に対しての憧れがあるから、金髪の度合いも高いのかもしれないぞ」
 なんか、哀しい話なのかもしれないが、それは都会者のよけいなお世話なのかもしれない。
 10時半頃、羅臼の道の駅に到着する。ここで前に開店寸前の『高砂』のマスターに上杉と久部さんが入れてもらったことのあるお店だ。
 しかし・・・。
 「あれ・・・」
 店の名前が変わっている。ふるさと体験館は変わらないが店の名前が違う。『海賊亭まるみ』・・・。
 中に入っても雰囲気がまるで違う。メニューにも鹿や羆、海馬がない。普通の大盛り雲丹丼、3000円等だ。
 店の人に聞くと最近越してきたそうだ
 「『高砂』さん・・・どうしたんだわ」
 ソフトクリームを舐めながら冴速さん。
 「移転したか?」
 朱雀がぱくぱくと囓りながら答える。
 「ご主人年取って猟が出来なくなって廃業したのかな」
 僕は否定して欲しかったが、僕達の間を沈黙が流れていった。

20 化学反応

 「というわけで、羆は喰ったから鹿肉を食べるんだわ」
 車に乗った冴速さんが断言する。
 「了解。なにせ、前回の『紅葉を求めて200キロ』の時も鹿肉を喰い損なっているからな」
 しかし、羆を食べておいて本当に救われた。あそこで食べていなかったら、どうなっていたか?
 「それじゃあ、阿寒湖の鹿肉料理の店に突撃するんだわ」
 そう意気軒昂たる2名と、おまけを乗せて、車はひたすら南下する。
 一本道で、見通しはぶっちぎり。そんな道を走行距離13万キロになんなんとしているレオちゃんが朱雀の運転で走る。
 「しかし、簡単に90キロ以上は出てしまうんだわ」
 「うん、それを80キロ台で押さえるのが大変なんだ」
 って、上杉の巡航速度よりは10キロは速い。そういえば、あちこち寄り道しながらなんとか旅程が破綻しないのは、この巡航速度の速さがあるからかもしれない。
 「おし、見通しOKなんだわ」
 「了解、いっけいー」
 ターボが効くとレオちゃんは急速に加速、遅い車を追い抜いていく。
 前回の『風任せ〜』の時に、朱雀はこんなに好戦的なドライバーだったろうか? 邪悪なのは車を降りてからの行動だったはずだ。
 『買い出し紀行』の時の冴速さんはこんなに追い抜きを指示するナビゲーターだっただろうか? 後席でにこにこ笑っていたお兄さんだったはずだ・・・。
 化学反応・・・。そんな文字が僕の頭に点滅する。そういえば、この二人と、僕が一緒に旅行した過去はない。
 化学反応・・・。朱雀龍樹と冴速玲。この二人に対する僕のイメージが脆くも崩れ去った瞬間だった。

21 ヨタハチ様万歳

 しかし、いくら頑張っても平成2年登録の11年車。しかも、2年間も浜辺で青空駐車してしまったレオーネが、そんなに加速できるわけもない。後ろについたインプレッサWRXが登り道のブラインドだというのに、追い越しをかける。
 道外ナンバー。少し羽目を外したいことは十分理解できるがしかし、場所が悪い。
 「あ、馬鹿」
 冴速さんが呟くのと、朱雀の舌打ちとレオちゃんの減速はほぼ同時だった。
 そして、対向車線から白いワゴン車が坂道の向こうに現れる。
 WRXもつんのめるように減速すると減速したレオちゃんの前になだれ込む。幸いにして事故にはならなかったが、危ないところだった。流石は過去にWRCラリーにも出場したことのあるレオーネの4輪ディスクブレーキ。11年車であっても馬鹿みたいにディラー車検にこだわる朱雀の日々の行いのおかげかもしれない。
 「ご先祖様をないがしろにするからだ」
 ドライバーがよほどびびったのか、急に減速したWRXの後ろを走りながら朱雀が言う。
 「その言い方だと、そのメーカーの古い車を新しい車は追い抜いてはいけないんだわ」
 「そう、だからインプレッサやレガシィはレオーネ様を追い抜いてはいけないんだ」
 「じゃあ、スバル360が走っていたら、レオちゃんも減速しなければならないんだわ」
 「そ、そうなるな」
 お、鋭い突っ込み。
 「でも、スバルならそんなに走っていないけれど、トヨタのヨタハチあたりが走っていたら、走行中の車の半分は徐行運転しなければならないんだわ」
 「う・・・」
 「運送関係全滅するんだわ」
 そんなこんなで旅はまだまだ続く。


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