呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
ラストサムライ
いや、例年通りならばここは、ゴジラなのである。正月3日は『ランバン』さんでコーヒー呑んで。ゴジラ見て、『ライオン』で飯を喰って帰ってくる。それがここ数年の私のお正月なのだが。
「いやあ、ゴジラは・・・なんだわ」
などと冴速さんに言われてしまうと前言撤回なのである。いや、私自身、ゴジラ見て、口直しにラストサムライ見よう。そう思っていたのであるから・・・。(失礼な野郎だ)
まあ、そんなこんなで見に行ったのだが・・・。偉く混んでいるではないか。ともかく何とか潜り込み(前から2列目)鑑賞開始。
ええと、傑作である。
まあ、朱雀あたりに言わせるといろいろいろいろ言いたいことは山ほどあるような気もするのだが。ともかく、傑作である。騙されたと思って1,800円、払って見ろ、見てください! である。(今更・・・)
一応、今更の感があるが、物語など。(パンフより抄出)
1870年代、政府軍に西洋式戦術を教えるために南北戦争の勇者オールグレン大尉が来日する。しかし、彼は第七騎兵隊に所属していたとき、命令のままに、見せしめのため、無抵抗のインディアン集落を焼き払ったことに苦悩する男だった。
彼の元で訓練を受ける帝国軍であったが練度は低く、到底、帝国の心なき近代化に反対し、その中心である大村が推進する鉄道敷設を妨害するサムライ、勝本盛継率いる反乱氏族に対抗できるものではなかった。しかし、出陣を強制された帝国軍は敗退。オールグレン大尉は勝本の捕虜となる。
サムライの暮らしに触れる中、『武士道』精神に自分の苦悩を癒されたオールグレンは自分と同じ魂を持つサムライ達と命をかけて最後の戦いに殉じることを決意する。
いや、まず、ミーハー的に言わせてもらうと、トム・クールーズ。よくやった。はっきり言って彼は主役ではあるが、狂言回しといった感じの役どころである。これが出しゃばるととんでもないことになるのだが、実に押さえた演技がいい。しっかり汚れ役もやっているし。殺陣も香港映画のそれじゃなく、しっかり日本映画のそれになっているところが凄い。いや、無茶苦茶練習したのであろうなあ。こんなん見てしまうと、今年の大河ドラマが心配でたまらなくなってしまうのであるが。大丈夫であろうか?
トム・クルーズはこの映画で10年は戦える。であろう。太鼓判。(私に押してもらっても嬉しくないだろうが)そのぐらい良かった。
でもって、物語の本筋で言わせてもらうと、渡辺謙。すげえのだ。真面目にアカデミー賞の助演男優賞。審査員に見る目があるなら、いただきであろう。いやあ。白血病で『天と地と』の主役を降板したときは、もう、この芸達者な若い俳優を失ってしまうのか? そう思ったが、医学の発展と渡辺氏の摂生に感謝である。こんな素晴らしい演技を見せて頂いて感謝感激。はっきり言って主役は(クレジットは違っても)彼である。彼こそ主役。彼こそ映画の中で滅び行く武士道の体現者なのである。うむ。
まあ、なんで、あんなに英語がぺらぺらなんだ? とか、いや、いくら何でも義理の弟を殺されといてあの聖人君子ぶりは鼻につくとか言いたいこともあるのだが、格好イイとはこういう事なのである。
真田広之もいい仕事をしている。逆に言うと、渡辺謙が「いいひと」過ぎるための一般的な目線が彼なのだと思う。トム・クルーズは彼の仕打ちというか彼と剣を交えることによって『武士道』精神に触れ、己の精神を復活させていくのだから。いや、この役は結構美味しい役なのかもしれない。
福本清三氏。なんで、福本氏だけ氏をつけるか。私。いやすげえのだ。斬られ斬られて2万回。日本一の斬られ役の花道。ハリウッド俳優相手にあの存在感。いや、涙出てきたのだ。すげえ。静かなる男。「技」の真田、「誠」の渡辺、「魂」のトム・クルーズ。で「静」の福本氏。ネット上の某所で合成された(オフィシャルではない)ポスター見たのだが、そんなものが作られるくらいの存在感なのだ。いや。
「おじいちゃんはねトム・クルーズと競演したんだよ」
お孫さんがいるならば、そう言える。凡百の主演俳優の誰がスクリーン上、二人っきりで写ることができますか? トム・クルーズを守って死ねますか? なのだ。あの2〜30秒は福本氏のためにあったぞ。この映画。はあはあ。(落ち着け、私)
最後に少しばかり残念だった点。
その1。いや、ラスト近くのラブ・シーンはいらなかったなあと。ま、ハリウッドなので仕方がないが、あれで、たかさん。女を下げたな。そう思うのは日本人だけであろうか。いらねえよ。あのシーン。なのである。
その2。これも勧善懲悪のハリウッドなので仕方がないのかもしれないが、大村が小悪党過ぎ。単に私腹を肥やそうとする小悪党に、なんであそこまで武士道を貫かねばならないのか。という疑問が残るのだ。パンフレットで解説されているような大久保利通では決してないと思うのだが。
日本近代化のために切り捨てねばならない武士道。どうしようもない状況、列強の圧力に対抗するため、近代化を急がねばならない。そんな状況で、過去にともに仕えた勝本を討たねばならぬ大村というのを見てみたかった気がするが。(いや、大久保と西郷ってそういう関係であろう)その方がかえって物語に厚みが出たのではないか?
それとも大村って大村益次郎から取ったのであろうか? ならば、逆に完全に鋼鉄による武士道の否定。ガトリングガンによって武士道を否定する大村というのもより武士道に殉じる悲惨さが出たのではないか。
こうすると、戦場でオールグレン大尉が死んでも物語に破綻はなくなるのではないだろうか。結局、あれは大村を小悪党に書いたが故の(善と善との対決でなく、善と悪との対決としたが故の)視聴者に対するエンディングの爽快感、大村の失脚を行うために生かされたような気がするのだが。ま、トム・クルーズが死んじゃったら拙いであろうという非常に根本的な問題かもしれないが。
ともかく、劇場で、是非とも劇場で見て頂きたい映画である。
(前から2列目で見てくれとは言わないが・・・。ああ。くらくらした)(04,1,4)