呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
いけいけ魔法戦士
さて、いよいよもってこのバスタード(妾腹)の王子の物語もセカンドシーズンが完結したのだが。
はあああああああああああああああああ。
思わず大きなため息をついてしまったりするのである。
いやね、なんというかかんというか。その一番最初のリウイから、この作品よんでる人間(どれほどいるか知らないが)に言わせると、こんなラスト。誰が、誰が希望したというのであろうか。
少なくとも『剣の国の魔法戦士』『湖岸の国の魔法戦士』の時には、こんなマイホームパパみたいな話を誰が期待したのであろうか! いやいまい。
だいたい、一番最初の話からして、自己充足小説である。主人公一人に、美少女三人。しかも、よりどりみどり。年上戦士タイプ。同年代僧侶タイプ。年下盗賊タイプ。もう、妄想暴走であったはずなのだ。そう、97年8月の第二作までは。この『魔法戦士シリーズ』とでもいうべき2作ではイラストも何か神経質そうな兄ちゃんであったし、妾腹といっても王子様だったし、三人娘は素直であったのだ。
はっきり言っちゃうと『ダイターン3』の波乱万丈とアシスタントみたいな話だったのである。
それが、それがである。98年の秋に出た『魔法戦士リウイ 1』(要するに『ドラゴンマガジン』の連載版)で、かくも情けない兄ちゃんになり果てたのであった。
このあたり、もしかしたらライトノベルが婦女子(腐女子ではない『婦人と女の子』の方である)の手におちた証明なのかも知れない。
すなわち、単純な野郎ども願望、自己充足でなく、女の子達の細かいニーズに応えたファンタジー小説だったのでは、などとうがった見方もできるのだ。故に、主人公のリウイが逆に理不尽な男性社会の象徴として、無能でマッチョな記号的キャラクターと化したのではあるまいか。
なんて、そこまで言わなくても良いと思うのだが。
さて、初期2作(アフターリウイ。もしくはセカンドシーズン)である『剣の国』『湖岸の国』では影も形もなかったアイラという幼なじみの眼鏡っ子(これもまた記号的な設定だが)を後から書かれたファーストシーズンの『魔法戦士リウイ 1』〜『魔法戦士リウイ 9』の中で便利な狂言回しとして(なにせ、シリーズが終わった時点で『剣の国』の始まった時点に落とし込まねばならない。物語のプレストーリーを後から書く場合のどうしようもない制約故に、そこにいないキャラクターを使って、物語を進展させるため)使いすぎ、存在がでかくなりすぎたが故に、『剣の国』につなげるためには退場を余儀なくされたわけだが、その存在感が大きすぎるが故に、その存在をキャラ死亡等で、完全になかったことにできなくなってしまった。その結果、マジックアイテムにその人格を封印されるというなんか、凄い裏技で退場したのだ。
が、しかし、今度はその結果アイラを救うという話がなければ、リウイのキャラクター自体が存在できない、読者の共感を得られない所までいってしまったのである。いわゆる島本和彦著『燃えよペン』の「そうしなきゃ嘘だ」(野球漫画の登場キャラクターがもう、野球ができなくならなきゃ嘘であろうという状況に陥るというあれ)状況となったのだ。
かくて、セカンドシーズン最終話である今回の完結編『砂漠の国の魔法戦士』が開始されることになるのだが。いや、はっきりいって予定調和の物語である。キャラクターで読ませはする。読ませはするが。なんか擦れた読者にはもう、封印された魔神の秘宝というところと封印されてるアイラというところでなんか、話が読めたりしたのだ。
無効化しなくてはならないとはいえ、国家の秘宝が消滅するのだ。エレミアの王子シュメール君も、やけに物わかりが良いし、もう、予定調和一直線だったりする。
まあ、物語としては踊り子の姉ちゃんを殺すのはどうよ。とか、主人公一行はお忍びの旅のはずなのに、もうきっと、越後の縮緬問屋並にばれてるなとか。結局竜神官のティカはアイテムでしかないのか。とか言いたいことは山ほどあるのだが。
結局、物語は理不尽なほどに人間達にはめでたしめでたしで終わってしまうのだから、始末に負えない。セカンドシーズンはファーストシーズンで退場した、アイラの再登場の物語ということで終わってしまったのだ。
しかし、個人的には封印されていた魔神に非常に哀れみを感じてしまうのだが。やっぱりマイノリティなのであろうなあ。きっと。(03,9,24)