呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
助太刀屋助六
世の中には奇特な人がいるもので、変な団体を立ち上げて悦に入る人がいる。かくいう私も、実は『岡本喜八監督に1年に1回作品を撮っていただく会』の会員(元ネタはあるゲームクリエイター氏のエッセイ。会名は少し改称)を自認しているのだが、そんな会を立ち上げても幾星霜、残念ながら『EAST
MEETS WEST』以来、ずいぶんとご無沙汰であった。
がだ、久しぶりの新作である。ああ、この喜びたるや。猫は喜び庭駆け回り、犬は炬燵で丸くなるくらいの喜びなのだ。
まったく、この名監督に大量の資金を差し上げて、最高の娯楽超大作を作らせるような粋な大企業は存在しないのだろうか。
こんなだから、左文字小隊がサモンジ小隊となってバトルテックのリプレイ部隊名としか認識されなくなるのだ。
世にも恐ろしい作ったやつは知っているが、呼んだ奴は知らない。故にそのオマージュがオリジナルの顔をする。という現象が発生するのはこんな時である。
最近では、(って、十分に古いか)『銀河英雄伝説』のラインハルトの祝電、(元ネタは『ヤマト』のデスラー)『009』の「ジョー、君はどこに落ちたい」(ハイラインの『地球の緑の丘』)ディズニーのライオンキング(手塚治虫の『ジャングル大帝』しかし、手塚治虫氏自身、まさか『メトロポリス』をオリジナルのように言われるとは思いもしなかっただろうに)でもってディズニーの『アトランティス』(ガイナックスの『不思議の海のナディア』)エトセトラエトセトラ。
は、そんな話はどうでもいいのである。ここで問題にすべきは岡本喜八監督作品『助太刀屋助六』である。なんたって、前作『EAST
MEETS WEST』が1996年なのだ。7年振りの新作である。しかし、こう考えると不況なんだろうなあ。そう思わずにはいられないのである。(その前の名作『大誘拐』が1991年であるから悲しい話である)
しかし、偉そうなことを言っているが私は岡本監督の作品は『独立愚連隊』『独立愚連隊西へ』『日本の一番長い日』『ダイナマイトどんどん』『ブルークリスマス』『ジャズ大名』と上記の2作くらいしか見ていないのだ。はっきり言ってすごい方からすればエセもいいところである。がともかく、私のような歳で岡本喜八監督、岡本喜八監督と叫ぶのは少々珍しいかもしれないが。
ま、そんな状況でどうこう言うのは気恥ずかしいのだが、ともかく言わせてもらおう。
今回は88分と少々小粒だが流石は岡本喜八監督作品と唸らされる作品に仕上がっている。小粋だ。実に小粋だ。真田広之は前作上條健吉以上に好演である。なんというかよけいなものが存在しない、すっきりとした映画だと思う。まったくもって2回見たのだが、1回目にはわからなかったところが2回目でははっきりと理解できる。(それでもまだまだ見落としはあるのだろうが)
野菊の花。
赤鰯。
屋根の上の鉄砲。
意味のないカットはない。意味のない設定もない。作品はこうでなければならないのだ。
冒頭、助六の助太刀屋家業に関わった人々が異様に豪華である。天本英世、佐藤允、竹中直人、嶋田久作・・・。これだけでも大作映画ができてしまいそうなキャストである。
だが、それをあっさり流して助太刀屋という破天荒な稼業を謳歌する青年を浮き彫りにしていく。
幼なじみの石投げ少女お仙。この存在が後半の仇討ちに大きな意味を成すなぞ、誰が知ろう。赤鰯にしろ、野菊の花にしろ、一分の隙もなく必然的なパーツとして映像が流れていく。凄いの一言である。ただでさえ、書く気力が衰えているというのにこんなもの見たら自信喪失でどえらいことになってしまうではないか。
ラストの仇討ち、助六は屋根の上で鉄砲を拾い上げる。この必然。
はあ、やっぱりラストはハッピーエンドである。
といっても、物語はそこから始まるのかもしれないが、やっぱり悪人以外は死ぬのはご遠慮申し上げたいと思うのだ。
その後、狸小路『ライオン』で夕食、ピザとチキンプレートを頼むも、チキンプレートが予想以上に大きくピザをもてあます。
こんなことはなかったのだが。やっぱり歳なのであろうか。もう、37歳だし、あんまり無理は利かないのかもしれないな。そんなことをおもう初春の夕暮れであった。なんだかな。今年はあんまりついていないのかもしれない。(02,3,12)