大老語録
突然何かというと、実際問題として私は今、こういう驚きを繰り返しているのだ。
「あれ、こんな所にこんな本が・・・」
「げ・・・これもう一冊買ってなかったか?」
「おいおい、この作者、今はぼろくそに言ってるのに、デビュー作買ってたのか・・・」
等々である。
井伏鱒二氏の岩波少年少女文庫。「ドリトル先生」シリーズなども半分だけ出てきた。後半部分はどうしてしまったのだろう。
しかしこの作品の中で私は大きな勘違いをしたことを今でも懐かしく思い出すことが出きるのだ。
「鰯のサンドイッチ」が、それである。
オイルサーディンはウォッカを飲むのに大変適したつまみである。それをおそらくレタスや何かと一緒に芥子バターを塗ったパンに挟む。それが「鰯のサンドイッチ」である。
しかし、私の連想は丸干しを挟んだサンドイッチだったのである。この誤解はTVドラマ『俺達は天使だ』で、今は亡き沖雅也氏が「鰯の丸干しサンド」を好物にされていたことでしばらく続くことになる。結局この誤解は大学まで続いたのだった・・・。
は、また時間をつぶしてしまった。
2月はまたたくまに逃げてしまった。職場でのあんなことやこんなこと。によってもはや私の体はぐちゃぐちゃである。
兄が命を二つ持ってきてくれそうな様子もなければ(第一私に兄はいない)、上杉上司が迎えに来てくれる様子もない。現実の上司は入院したりなんなりの同僚の分の仕事を私に振り分けるだけだ。
だから、2月の日記は永久に発表されないであろう。どう考えても楽しいことは何もない。怨嗟と憎悪に満ちている日記(去年のなんぞ問題にならない。今回は真面目に転職考えたのだ)など誰が読みたいというのだ? 少なくとも私は公表したくない。
自分の莫迦は曝せても、だ。
ま、そんなこんなで惚けていたら1月2月は一度も久部さんに遊んでいただけなかった。なんと言うことだろう。こんな哀しいことがあっていいのだろうか? しかし、毎週続く日曜出勤、たまに開いても部屋の片づけにあけくれてしまったのだ。
3月にはなんとか遊んでいただきたいと思うのだが・・・果たしてどうなるか。
というわけで、こんな時は長電話である。申し訳ない。
しかし、どうやったらこんなに久部さんの所に情報が集まるのか。札幌でありながら関西風の腹開きのウナギ屋さんと、菅原道真公の子孫のラーメン屋さんは今度暇が出来たら是非とも行ってみたいではないか。
それで話が「真タイラー」のことになる。私の説明に久部さんは一言。
「自分で物語を壊しているのかい」
そうとしか思えないんです。
「うーん、もしかして、自由主義史観のパロディやってるんじゃないのかなあ」
へ・・・。
「最後に『国民のタイラー史 完』でしめたりして」
あ・・・。
な、なんという・・・。そう、なんという・・・。流石である。流石久部大老。目の付け所が凄まじい。
しかし、そうだとしたら、大した話なのだが・・・。(01,2,27)