呆冗記
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ニュータイプのいないG その5

 久部さんとVガンダム見ているのだがどうにもなんだか安っぽい。うーむ、XやWって、富野ガンダムのアンチテーゼじゃないのかしらんなどと思いながら。今回のニュータイプのいないG。その5はいよいよオリジナルガンダムのジオンモビルスーツ開発史である。しかし、9月18日から12月31日までという期間は、開発のことを考えると短すぎると思うのだが。
 今回は、「ニュータイプのいない」ジオンのモビルスーツの開発史である。
 ついで、言っておくが、この記事は一切オフィシャルな歴史とは関係しない。

 さて、ザクショックによって開発されたRX-78は予定通りであればペガサス級2番艦。ホワイトベースに搬入され特殊部隊として運用、展開されるはずであった。
 しかし、0079年9月18日。開発工場のあったサイド7はジオン軍の強襲を受ける。ここに史上初のモビルスーツによる格闘戦が発生するのだが、この戦闘の終了後、連邦側のパイロットが年端の行かぬ少年であったことが後に双方の混迷の度を深めることになるのだ。
 しかし、この時点では混迷していた連邦にパイロットの素性を云々する余裕はしばらくなく、ジオンもまたしばらくの間、パイロットの具体像を理解することはなかった。
 よって、襲撃、および追撃のザクを撃破し、残されたRX-781機とRX-772機、そしてホワイトベースを地球、連峰勢力圏まで運び込んだ原動力が少年であったことはしばらくの間、問題とはならなかった。
 ジオンにおいて問題となったのは、無敵の存在として自負していたザクが連邦の白いモビルスーツによって容易に撃破されたことだった。すなわち、彼らにとってはモビルスーツはジオンこそが最高の技術を保持しており、連邦のまがいものに敗れることなど考えることすらできないことだったのだ。そのことが、モビルスーツの技術が劣るのではなく、白いモビルスーツのパイロットが特殊なのであるという悪しき思いこみを発生させることになる。また、この思いこみは白いモビルスーツのパイロットが少年であることが連邦軍のプロバガンダによって判明した後は、ますます
助長されることになる。
 また、ジオンはあまりにもモビルスーツのことを知りすぎていた。戦艦並のビームライフルを装備し、大気圏突入能力すら持つモビルスーツ。こんなものを量産できるはずがなかった。ならば、白いモビルスーツは特殊なパイロットに与えられた特殊なモビルスーツであろう。そして古来、戦場を支配するのは特殊な少数の存在ではなく、凡庸な多数の存在なのである。そして、ジオンには凡庸とはいえないモビルスーツ、ザクが大量に存在していた。このままなれば、勝利は間違いのないように見えたのである。
 確かに、RX-78は戦争の天秤を動かすことはなかった。この天秤を動かしたのは大量のRGM-79とRB-79であったのだから。
 もしも、ジオンがこのとき、RX-78の優位性、特にその反応炉出力の強大さと、ビームCAPの存在、を素直に認め、何らかの対策をとっていたら。もしくは異なるアプローチによってそれ以上の存在の開発に成功していたら・・・。これは「ゲルググが3月早く量産されていれば」に連なるジオンの開発ミスを悔やむ繰り言でしかない。
 さて、結局RX-78はしばらくの間、ジオンのモビルスーツ開発スケジュールになんら影響を与えることはなかった。
 汎用としてのザクに対し、陸戦用として局地戦用に再設計、デッドウェイトとしての宇宙装備を廃するとともに、反応炉出力をチューン。地上においてはザク以上の戦力となったMS-07Bグフ。
 逆に地上の機動性を高めるためにホバーを装備。その1G下での重火器を持った戦闘力確保のためにモノコック構造から考え直された、重モビルスーツと呼ばれるMS-09ドムはその操作性の良好さ、反応炉の安定性、整備のしやすさなどから宇宙用に改造されMS-R09リック・ドムとなった。
 以上のモビルスーツはすべて、ザクというモビルスーツの本流があってこその存在であったのだ。
 ザクはあまりにもできすぎたモビルスーツであった。よって、ジオンは開戦後なかなかその後継を完成させることなく、地上における局地戦用モビルスーツや、宇宙においてザクをサポートする高速、重武装のモビルアーマーの開発に血道をあげていたのである。
 その結果、生産ラインは混乱し、なかなか次世代のモビルスーツの開発、生産に手が廻らなかった。
 しかし、ザクの優位性が破綻する事件が発生する。すなわち、オデッサ作戦と乾坤一擲のジャブロー攻略が失敗に終わったのだ。これは今まで絶対的な優位だと信じていたジオンのモビルスーツ神話の終わりだった。確かに戦艦すら一撃で撃破するRX-78のビームライフルの量産は不可能だった。しかし、モビルスーツに対しては十分な破壊力を持つビームスプレーガンの量産は可能であったのだ。
 そして、連邦軍はそのビームスプレーガンを装備したRGM-79の量産を行ったのである。1年戦争後、連邦軍はRGM-79よりも接収したザクやドムを主装備とした時期もあったほど教育型コンピュータを装備していても満足な操作性を得られない、「RGM-79よりはザクの方がまし。ドムにあたれば大ラッキー」とまでパイロットに言われた代物であったが、ビームスプレーガンの移動プラットフォームとして数をそろえ、RB-79の援護の下、「1機のザクに4機のRGM-79」という明確なドクトリンで戦う連邦のモビルスーツ作戦展開はそれまでのジオンも優位をうち砕いたのだった。
 むろん、ジオンも座してこのような状況を見ていたわけではない。真のザクの後継機としての開発はゆっくりとではあるが進んでいた。それがMS-14ギャンとMS-15ゲルググである。
 しかし、この2機のスペックを比較すると面白いことに気がつく。ゲルググの方が10トン以上ギャンより軽いのである。
 ギャンはジオンモビルスーツの王道ともいえるモビルスーツである。従来の技術の延長上にある、よく言えば安定した、悪く言えば冒険を排したともいえる。この機体は、グフによって失われたザクの汎用性を取り戻し、もとより宇宙用でないリック・ドムの不合理を排除したものといえる。従来の技術の延長上で強化した反応炉出力によりジオンのモビルスーツとしては初めてビームサーベルの使用を可能としていた。素直な操縦性と良好なパワーウエィトレシオ、そしてこのビームサーベルはギャンに凄まじい格闘戦能力を与えたのだ。これは、決してパイロットとしての能力が傑出していたわけではないマ・クベ大佐がギャンの試作機を駆り、テキサスコロニーにおいてRX-78を苦しめたことからもうかがえる。
 対して、ゲルググはギャンと同じかそれ以上のスペックを新技術をふんだんに使うことで10トン軽い機体に収めたのである。これは冒険であった。連邦から入手した新技術による強化された反応炉はビームライフルの装備すら可能としていた。しかし、冒険はテストにおける勝利として報われたのだ。トライアルの結果
格闘戦以外でギャンより優勢と判断され、ザクの後継機としての生産が決定されたのである。
 しかし、この新技術は少数生産の試作機、先行生産の時には破綻をもたらさなかったものの、大量生産時に数々の不都合を発生させた。よって後世、大量の人員と予算を投入しつつ、ついに戦況に寄与することなかったジオングとならび、戦後「ジオン敗れてゲルググあり、ジオング、ジオン滅ぼす」とまで言われることとなる。
 言っても詮無い事ながら、ゲルググの技術が安定するまでの間、従来の技術の延長であるギャンを長距離支援用のモビルアーマーと組み合わせて量産していたならば、1年戦争末期に戦況があそこまでは悪化することはなかったであろう。しかし、ジオンはゲルググの冒険的な性能に一発逆転を期待し、賭に敗れたのだった。

 次回は連邦のニュータイプ対応モビルスーツ、ジオンのモビルアーマーの系譜について考察する予定である。
 しかし、普通の『呆冗記』の3倍の時間がかかるのだ。このシリーズ。(00,3,31)


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