呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
結局、時代劇
いやあ、『風まかせ月影 蘭』にはまってしまったことは前にも書いた。このアニメ。主題歌のシングルも買った。サントラも買った。DVDも予約した。もう、完全ハマリ状態である。ただ、個人的にはDVDはあまり好きではないのだが・・・。
それはともかく時代劇である。
時代劇にとって現在は寒い時代のようだ。私の小、中学生時代ならば毎日のように時代劇をやっていたものだが、最近はせいぜい大河ドラマと『水戸黄門』、『暴れん坊将軍』、それに半年おきの『剣客商売』程度だろう。しかも、『水戸黄門』にしろ、『暴れん坊将軍』にしろ若い連中にとってはギャグでしかないのだ。時代劇の中でまともなものといったら『剣客商売』だけか。といっても『剣客商売』は原作あってのモノダネという話もある。
この悲惨な今日の原因は何なのだろうか?
これは制作サイドの怠慢以外の何物でもないような気がする。すなわち、『時代劇なんてどーせジジババのものだろ』『今の若いのもジジババになれば自然と時代劇に流れてくるさ』こういった考え方が蔓延し、年輩者の方々の好きなマンネリズムが支配してしまったのだろうと思うのだ。
が、ここで誤解して欲しくないのだが、私は年輩者の方々のマンネリズムを否定するものでは決してない。今日と同じ明日が来る幸せ。これは何物にも代え難いものであろう事は、頭の中では想像できるからだ。おそらくは私にもいつの日かそのマンネリズムに支配され、そして今日とは決定的に違う明日を迎える日が来るのだろうから。
話が横道にそれた。
しかし、彼等の言うジジババ予備軍は時代劇に流れては来なかった。『渡る世間は鬼ばかり』のようなシリアスなホームドラマか、簡便な2時間ドラマへと彼等は流れていってしまった。トレンディドラマにはまっている若い世代が時代劇に流れてくる可能性はほぼ皆無である。
その結果、時代劇は衰退してしまったのである。今では俳優の世代交代もままならない。時代劇のキャスティングで若い男優を捜すのが大変な時代である。役所広司や松平 健はもはや若いとは言えない。女優にいたってはもっと大変だ。だいたい着物が満足に着られないのだから。殺陣にしたって決まらない。斬られる方が格好いいのだけは勘弁して貰いたいのだ。
さて、そんな時代劇と似た環境のジャンルがある。それがアニメとSFだ。
最近のアニメとSFはどんどん閉塞が進んでいるように思える。
アニメの場合、お子様向けの原作付きか、「を」向けの深夜アニメ。もしくはWOWWOWのスクランブル。万人向けのアニメ作品というものが成立しないのだ。
あの、『カウボーイ・ビバップ』は地上波では13話しか放映できず、『ガサラキ』も2クール止まり。オリジナル、冬の時代なのだ。
余談だが『無限のリヴァイアス』は果たして冬の時代を打破できたのか? それはまた後日もう少しDVDがたまってから検証したい。
更にはSFも同じである。10年前に新たな動きとして生まれた富士見ドラゴンや角川スニーカーの『ヤングアダルト』の波はしかし、新たな読者を生み出したのだろうか? 角川スニーカーの読者層は20代半ばであると漏れ聞くとそう思わずにはいられないのだ。彼等は『ヤングアダルト』の作品に飽きたらず『本格SF』へ流れていくのではなかったのか? 『ヤングアダルト』は常に中・高生の新しい読者を開拓するのではなかったのか? 『星界の戦旗』の紹介で『シリーズのべ70万部の大人気作品』の言葉を聞くたびにそう思うのだ。70万部で大人気。はあ。
と、いうわけで、閉塞している時代劇とアニメの明日を担うであろう『風まかせ月影蘭』。この灯火を消してはならないのだ。アニメという技法ならば、まずは時代劇俳優の払底という現象も、ロケ地の減少も打開できる。
アニメで面白い時代劇をばんばん作るのだ。同時に過去において娯楽の中心だった面白い時代劇をばんばん再放送するのだ。その結果、時代劇の人気が復活し、時代劇を演じたい、作りたいという若い才能が萌芽するはずである。彼等を大事に育てるのだ。それが、面白い時代劇を復活させる第一歩なのだ。
ああ、面白い時代劇が見たい。(00,3,26)