呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
2人でぬくぬく
先日、『レオン』をTVで見た。何度見ても泣ける。しかし、はっきり言って私は『レオン』は嫌いである。
粗筋は簡単。正義の味方であるはずの麻薬取締官に親兄弟を殺された少女が、優秀な殺し屋とひょんな事から出会うのだ。少女は殺しのテクニックを学ぶという名目で殺し屋の元に転がり込み、2人の共同生活が始まってお互いが影響を受けていく。少女はある日、自分の家族を殺した麻薬取締官を見かけて衝動のままになぐり込みをかけてしまう。一度は少女を救ったレオンだが、その住処を警察が急襲する。
さて、本題は『レオン』の粗筋をなぞることではない。ただ、何で、最後に少女と殺し屋と殺し屋の友達の観葉植物は3人でなかよく一件の小さな家に暮らすことが出来なかったのか? このことで私は『レオン』を否定するのだ。同じ様な粗筋(マフィアの会計士だった父親が組織を裏切ったが為に家族を殺された少年が、母親の友人だったボスの情婦である主人公のグロリアとともに逃亡する話。ラストの墓場のシーンはこれまた涙(違う意味の)なしでは見られない)の『グロリア』(監督の奥さんが主演している古い方。ちなみに、『ニキータ』も古い方が絶対に面白い)はうまくいって、なんで『レオン』は駄目なのだ? 女なら良くて男なら駄目なのか?
どうやら、世の中は平井和正氏(ウルフガイ)が言われる『ハッピーエンドは物語の死だ』という考えに満ちているのだ。安易なハッピーエンドくらいなら悲劇になった方がましという考えなのである。しかしだ、しかし、現実世界は悲しみに満ちている以上、せめて物語の中でくらいハッピーエンドがあってもいいのではないのだろうか? むろん、逆の考えを私は否定するものではない。とあるPCゲームで主人公が必然的に死んだときにはその演出のうまさに唸りもした。ただ、出来るなら世の中ハッピーエンドにならんかなと思ってしまうのである。
だから、私が充分に納得したある物語の悲劇であっても、『なんで、2人でぬくぬくというラストがないのだ』と評した名古屋のKさんに深いシンパシーを感じるのだ。
決して私が美少女と本に囲まれてぬくぬく暮らしたいという訳ではないのだ。
誤解しないで欲しい。誤解しないで欲しいのだ。(99,12,6)