みに
呆冗記 人生に有益なことは何一つ書かず、どーでもいいことばかり書いてあるぺえじ。
2004年10月前半
さて、この件も、今回で終わりにしたい。
はじめに、亡くなられた方のご冥福をお祈りする。また、関係者・ご親族の方々にお悔やみ申し上げる。
しかし今回くらい、ネットワーク社会の便利さと、マスコミの情報について恐ろしさを感じたことはない。
前回の後、更にネット上には情報が流れてきたのだが、結果として、当初の情報とは全く異なった事象が明らかになったのだ。以下、長文になるが、リンク切れの可能性もあるので全文引用させていただく。
就職、進学などで悩み 埼玉で集団自殺の男女
埼玉県皆野町で男女7人が自殺した事件で、身元が判明した5人の最近の様子が13日、秩父署の調べで分かった。就職などで悩みを抱えていた人が多く、同署が詳しい経緯を捜査している。
調べでは、佐賀市の無職女性(20)は高校卒業後、定職がなく悩んでいた。自宅で長時間インターネットに浸る生活で、約1カ月前、自殺をテーマにしたサイトをのぞいているのを母親(53)が見ていた。「メル友に会う」と9日朝、家を出たまま行方不明になった。
埼玉県所沢市の無職男性(20)も定職に就いていないことを悩み、北海道に住む両親に相談していたという。10日朝、同居の弟(19)に「今日も帰らない」と電話したのが最後だった。
大阪府東大阪市のアルバイト男性(20)は、2年続けて大学受験に失敗。父親は秩父署員に「4月から様子が変だった」と打ち明けた。自宅にパソコンはなく、インターネットカフェに通っていたという。9日朝、行き先を言わずに自宅を出ていた。
一方、青森県岩木町の大学3年の男性(20)は理工学部の授業をきちんと受け、9日も大学の近くまで母親に車で送ってもらっていた。家族に思い当たる節はないという。
8日に家を出たさいたま市浦和区の主婦(33)の夫も「妻はインターネットに凝っていたが、自殺するような心当たりはない」と話したという。身元が分からなかった2人のうち1人は13日午後、川崎市の男性(26)と確認された。(共同通信)
- 10月13日13時11分更新 (http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041013-00000107-kyodo-soci)
「7、8人は新しい」 34歳女性、数日前漏らす
埼玉県皆野町の駐車場で男女7人が練炭自殺した事件で、最後まで身元が分からなかった1人は秩父署の調べで13日、東京都内の無職女性(34)と確認された。
女性は自殺の数日前、電話で「7、8人で(自殺を)やるのって新しいよね」と面識があるフリーライター渋井哲也さんに話しており、秩父署などは、女性を中心に一連の「ネット心中」が起きた可能性があるとみて経緯を調べている。
女性は神奈川県横須賀市で自殺した東京都世田谷区の無職女性(21)ら3人を誘い、4日にも東京都奥多摩町の河原で集団自殺を図っていた。
調べでは、女性は中学まで札幌市で過ごし、米国に数年間留学。その後2回結婚し、娘2人を産んだ。母親によると、最近は夫の暴力に悩み「私が死んだら子供はどうなるんだろう」と漏らしていた。(共同通信)
- 10月13日18時34分更新(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041013-00000183-kyodo-soci(2006,9,18リンク先消滅につき、リンク解除))
ええと、当初の事件と完全に趣を異としていることにお気づきだろうか。
まったく、この事件についての最初の文章のほとんどが見当違いも甚だしいことになる。
最初のニュースではまるで青少年が集団で命を絶ったかのようなセンセーショナルさが存在した。しかし、7人の自殺者は皆、きちんとした成人だった。選挙権もあるきちんとした大人だったのだ。大人が己の意志で自分の身の振り方を決定したのだ。親御さんは悲しむかもしれないし、このこと自体はとても哀しいことだが、他者がどうこう言えることではないのだ。
ただ、大の大人が7人、死を選ぶしかなかった現状を考えなければならないのかもしれないが、それはそれ。別の話であろう。
しかし、だからといって、「新しい」という感覚は何なのだろう。その言葉が母親である女性の発言であることをどう考えればいいのだろうか。
母親を失った少女二人の心情を思うとやりきれない思いが残る今回の事件であった。
なんだか、どんどんどんどん訃報が増えてきたような気がする。また、私にとって大切な人を亡くしてしまった。
矢野徹氏死去/作家、翻訳家(2004/10/13 18:28)
矢野徹氏(やの・てつ=作家、翻訳家)13日午前7時58分、大腸がんのため東京都内の自宅で死去、81歳。松山市出身。お別れの会は16日午前10時から東京都府中市多磨町2の1の1、多磨葬祭場で。喪主は妻照子(てるこ)さん。
海外のSFを多数翻訳、紹介する一方、創作も手掛けた。日本SF作家クラブの創立に参加するなど、日本のSF界の発展に尽力した。1985年には優秀な翻訳家に与えられる「チャペック賞」を受賞した。
主な作品に「カムイの剣」「折紙宇宙船の伝説」、翻訳に「宇宙の戦士」「デューン砂の惑星」など。(http://www.shikoku-np.co.jp/news/news.asp?id=20041013000380(2006,9,18リンク先消滅につき、リンク解除))
矢野徹氏がお亡くなりになられた。謹んでお悔やみ申し上げたい。
私のようなものだと矢野氏は『宇宙の戦士』の翻訳家で、角川アニメ『カムイの剣』の原作者で。『ウィザードリィ日記』の作者。ということになるのだろうか。私の場合、更に田辺節雄氏の漫画『地球0年』の作者という感覚もある。
まず定番の『宇宙の戦士』。これについてはまさか、ここまでいろいろ言いたいことが出てくるとは想像もつかなかった。たちまちだらだらと原稿用紙5枚も言葉を紡ぎ出してしまったではないか。
しかし、そのことは今回の本筋ではないので将来への宿題とさせていただきたい。ただ、一言だけ言わせていただければ、この本は、軍国主義万歳の作品でもなくパワードスーツがすべての作品でもない。帝国陸軍の下士官だった(ここが司馬遼太郎氏とは異なる)矢野氏だからこそ翻訳できた、作品であった。と、思う。(逆に言うと士官だったハイラインの翻訳は純粋に翻訳するなら司馬遼太郎氏の方が良かったかも知れない)ただ、中学生だった私は多くのことをこの本から学んだと思う。
で、角川アニメ『カムイの剣』。
はっきり言おう。この作品を私は見ていないのだ。実は昭和40年代はじめ生まれの人間にはご理解いただけると思うが角川アニメは、いろいろあったのだ。『幻魔』とか『ケニア』とか。
見ていない私が、惚けである。阿呆である。莫迦である。
この作品は、名作であるらしい。ネット上で岡本喜八氏の映画の真田広之氏表に絡めて『面白い』という。一度見なくてはならない作品だろうと思っていた。ならば『年に一回岡本喜八氏に映画を作ってもらおう』会の会員としては見ないわけにはいかないのだ。
で、私としては矢野徹氏のお名前をメインに聞いたのは『ウイザードリー日記』からだったのだ。本当に。
私は、残念ながら一番はやいマック版ウイザードリーには間に合わなかった人間である。しかし、幸いなことにPC98版イザードリーには、『ドラクエ』プレイ以後、何とか間ににあった人間である。というか故に、たった一人でワードナーの迷宮に飛び込み、えらい目にあったのだ。
ああ、「あきら」、「りゅう」、「まふみ」。
たった一人でワードナーの迷宮に潜った勇者たちよ。安らかに眠れ。
そして、私はダンジョン型RPGにはまり込み、本日のオタクな兄ちゃんができてしまったのかも知れない。そういうことである。
文章のチカラというものはかくも恐ろしいものなのだ。
最後に、『地球0年』の作者としての矢野氏。実は今はな気某本屋で読んだ田辺節雄氏の漫画でしか知らないが、この漫画で私はアメリカに平和維持活動する日本というあり得ない事象も、SFという物語形式の中ではありなのだ。という事を学んだ気がする。学んだだけかも知れないが。
かくて、氏はこんなちんけな文章書きにも大きな影響を残して逝去された。
ご冥福を切にお祈り申し上げます。ありがとうございました。
さて、先だっての集団自殺事件の続きである。まあ、あまり社会的・政治的な話はしたくないのだが、二三言いたいことが出てきたので、書かせていただく。
1人は埼玉の33歳主婦 別の女性は車内に遺書
埼玉県皆野町の駐車場に止めたワゴン車内で男女7人が練炭自殺した事件で、2列目のシートにいた女性の1人はさいたま市浦和区の主婦(33)であることが12日、秩父署の調べで分かった。
東京都内のレンタカー会社で車を借りたのは青森県の20代男性とみられ、同署はインターネットで仲間を募る「ネット心中」とみて身元確認などを急いでいる。
さらに、運転席で死亡していた別の女性の近くには「お母さんはもう死んじゃうけど、あなたたちを産んで幸せだった」などと書いた遺書が残っており、子供がいるとみられる。
調べでは、車内からは運転免許証4枚や健康保険証、預金通帳などが見つかった。(共同通信) - 10月12日18時4分更新
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041012-00000143-kyodo-soci(2006,9,18リンク先消滅につき、リンク解除))
前回に引き続き亡くなられた方のご冥福をお祈りする。また、関係者・ご親族の方々にお悔やみ申し上げる。
しかし、前回の文章は10代20代の若者の集団自殺と言うことだったのであのような書き方になったが、今回、30代。しかも母親の方もいらっしゃると言うことで、少し違うことを言わせていただきたい。
まず、30代にもなって人に迷惑をかけなたのか。そう思う。
むろん、死を選ばねばならぬ理由があるとしても、30代にもなるならば、人に迷惑をかけない形で行えるはずだ。
それがレンタカーでの集団自殺である。人様のものはきちんと返さねばならないのに自殺などしてしまったならば、もう、その車は廃車にするしかないではないか。ならばその請求はどこにいくのか。生き残った家族に行くのではないのか。細かいことと言うなかれ。こういう細かいことを気にできてこそ30代ではないのだろうか。
これは『価値観』の問題ではない、『常識』の問題だと思う。更に、もしも他の7人が彼女よりも若かったとするならば、今回の事件の首謀者は、(たとえ彼女が首謀者でないとしても)彼女と言うことになってしまうのではないか。残された遺族への風当たりはいかほどのことか。ご本人は、少しでも考えられたのだろうか。
更に、「お母さん」もいらっしゃった由。「お母さん」が必然でなく、避けられない、どうしようもない運命でなく、自分で死を選ぶ。
申し訳ない。死者を鞭打つつもりはない。しかし、言わせていただきたい。
何考えてるんだ。
20代の女性の子供が成人しているとは考えられない。民法の定めるギリギリのところで結婚出産しても、16歳である。常識的に考えるなら、小学校に上がるか上がらないかといったところであろう。そんな子供から母親を彼女は奪ったのである。
ランドセル鳴らして家に帰ると、母親が迎えてくれる安心感。(これ、職場でぽろっと言って女子社員の皆様に私の体型すら攻撃される『大罵倒大会』になったことがある。「だから、貴方は結婚できないのよ」「いや、結婚できるわけないわ。そういう考えが女性の敵なのよ」「だからぶくぶく太るのよ」体型は関係ないと思うのだが・・・)を永久に子供から奪ったのだ。
子供が、母親の自殺の原因の一つに自分が入っているのではないか。そう悩む可能性は非常に高いと思うし、事実そのように自分を責めてしまう症例を大学時代に読んだことがある。
更に、この『母親』は他の『母親』の大事な息子・娘を道連れに自殺したのだ。彼女がこの集団の中心人物でないとしても、
その責任は10代の若者と同一ではないだろう。世間はそう見る。
そういう視線の中に彼女は自分の子供を置いてきぼりにしたのだ。これはいくら自分の子供とはいえ許されることではないと思うのだが。
本人にとって死を選ぶしかない状況であったのだろう。それは納得はできないが理解はできる。しかし、だからといって子供をそんな世間に置き去りにする必要があったのだろうか。
子供のために耐えられなかったのだろうか。そう思うこと自体、生者の驕慢なのかも知れないが、そう、思うのだ。
本来、このサイトではあまり、社会的、政治的な話はしたくないのだが、あまりにも痛ましい事件が起こったので、ついつい書いてみる。
若い男女7人が練炭自殺 埼玉、車内にしちりん
12日午前6時10分ごろ、埼玉県皆野町皆野の「美の山公園」展望台近くの駐車場で、10代から20代とみられる男性4人と女性3人がワゴン車の中で死んでいるのを秩父署員が発見した。
車内に練炭を燃やしたしちりんが4個あり、複数の遺書が見つかったことから、同署は一酸化炭素中毒による集団自殺とみて身元などを調べている。警察庁によると、インターネットで仲間を募って自殺する「ネット心中」とすると過去最多という。
調べでは、死亡した男性の1人が11日午後5時ごろ「秩父の皆野町で車の中に7人いる。練炭自殺」というメールを友人の札幌市の男性(21)に携帯電話で送信。男性が約50分後、秩父署に通報した。11日は場所が特定できず、12日早朝から再捜索していた。
車は内側からビニールテープで目張りされ、青いシートで全体が覆われていた。10日午前、東京都内で若い男性が借りたレンタカーだった。(共同通信)- 10月12日13時29分更新(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041012-00000087-kyodo-soci(2006,9,18リンク先消滅につき、リンク解除))
最初に7人の方々のご冥福をお祈りする。また、親族、関係者の方々にもお悔やみを申し上たい。
7人もの若者が命を絶つことの絶望をどう考えればいいのかはわからない。少なくとも彼らの前には命を絶つという選択肢しか存在しなかったのかもしれない。すべて推測である。
この夏、結構、ハードな経験をした故、前ほど強く自殺に対して否定できない自分がいる。実際問題、ある朝の目覚めのあとで、ああ、あの夢の中でそのまま死んでもよかったかもしれないなあ。と寝ぼけ眼で思ったりしたこともある。
幸い、積極的行動を起こすほどの気力もなかったが故に、こうして、私はキーボードを叩いて駄文を作成しているわけだ。
故に、生が絶対善であるという価値観を以前ほど強く主張することに躊躇いを感じてしまうところもある。
価値観の消失。
実は、これが最近の一連の集団自殺に非常に大きなウェイトを占めているのかもしれない。
働くこと、がんばること。これが『良い』ことである。そう、思って頑張ってきた人間にとって、その価値感を認められないことは非常な苦痛を産み出す。自分だけが認めることで生きていける程人間は皆強くはない。
現代は価値観の消失の時代である。
良い学校、良い会社、終身雇用、年功序列。これらに守られていた価値観はバブル後完全に消失した。
20年前の北海道の住民の誰が、拓銀が潰れ、雪印乳業がこうも大きな痛手を被るなどと考えただろうか。
明日すらわからない闇。そこに何を持って立ち向かうのか。
何もない闇に向かって、どう生きていけばいいのか。
戦前の『公』に対する貢献による価値観は軍国主義の名のもとに完全に否定された。
戦後の『私』の利益による価値観もバブルで否定された。
一生懸命勉強して、良い大学に入って、いい企業に勤めたとしても、いつリストラにあうかわからない。いつ会社が潰れるかわからない。
刹那的な快感に身を任せたくなる気持ちもわからないではない。
しかし、しかしだ。それでも、『死』という選択肢は選ぶべきではないものだと、私は信じたい。
生きていればこそ、結晶化した思い出を笑い飛ばすことが出来る。
生きていればこそ、古傷を示して自慢も出来る。
しかし、『死』を選んでしまったら、二度と戻ってこれないのだ。そして、すべての生き物に『死』は確実に訪れるのだ。
急ぐ必要はない。
死ぬ気になれば何とかなる。
死ぬ気にもなれなかった程の腑抜けの一言。何の説得力もない人間だが、そう言いたいのだ。
朱雀が職場の後輩と鯨を食いに行ってきた写真が届いたので掲載だけするのだ。
今回の旅行はいろいろあって参加できなかった。返す返すも残念である。
写真は網走は喜八さんでの豪遊である。畜生。私が行ってもいない旅行の写真を大きく載せるつもりはないので、サイズは小さい。
10月頭は喜八さんでは生鯨が食えるのだそうだ。なんと、生の尾の身である。
非常に美味であったらしい。うううう。この贅沢者が。
で、後輩君がどちらかというと肉好きなので、竜田揚げやベーコン生姜焼きに串カツなど珍しくそっちの方に走ったのだそうだ。
しかも、昼は途中、アンガス牛のステーキを喰ったというのだから、もう、大名旅行である。畜生。畜生。
朱雀、貴様なんぞ
緑豆に暗殺されてしまえ!
今日のメニュー |
生鯨のお造り |
生鯨の尾の身 |
鯨 竜田揚げ |
鯨 ベーコン |
これは、牡蠣酢 |
鯨生姜焼き |
鯨 串カツ |
「あ、11月は『鯨祭り』で内臓が喰えるんだって。時間あったら、連れてってやろうか?」
なんですと・・・。
朱雀、君は心の友だ
10月10日(日) 04年度 フンベHOFおおくまさん詣で (下)
さて、翌朝、早くに目が覚める。夜遅くまで飲み明かしたにしては実に体調は快調である。
で、モーニング・デッシュ。
朝ご飯である。
たっぷりの牛乳にフルーツ。で、昨日の北勝牛の付け合わせ、「インカの目覚め イエロー」もうまかったが、今日の「レッドムーン」も甘味が濃い。実は少し買って帰ろうかと思ったのだが、在庫がなくてあきらめたのだ。いや、このレッドムーンで肉じゃが作ったらうまかろうな。と思ったりしたのである。
で、デザートは「蜂蜜ヨーグルト」これを食べるのも、フンベHOFおおくまさん詣での楽しみなのである。
パパラギ牛乳とモーニングデッシュ |
トウキビもハニーバンダムじゃありません |
サツマイモみたいなレッドムーン |
はちみつヨーグルト 美味です |
オーナーに、前回教えていただいたお菓子屋さんの場所を確認。何カ所かにいくらを送ってもらうことにして今日の旅に出発するのだ。
目指すは今、十勝で一番美味しいという話の本別町「菓子の家」。
ところが、これが見つからない。どうしても見つからない。走っていくうちにさっちゃんはなんと274号線を白糠の方へ行ってしまう。
「白糠ニャ」
「白糠だな」
「白糠かあ」
3人、顔を見合わせる。ここまで来たら、結論は一つである。昨日のソラチの豚丼も旨かったが、やはり白糠の豚丼である。前回は時間がなくてお弁当買ったが、どうせならほかほかの丼を掻き込みたい。
3人の意見がそろってそのまま白糠に突入する。
仲間内では最高の豚丼がこの白糠の豚丼 |
見よ、このボリューム |
恋問の道の駅で美味しい豚丼を食べて幸せな気分になって再び本別へ戻る。
「しゃあないな。駅でどこにあるか聞こうか」
朱雀の必殺技。「駅を利用する」が炸裂するものの、見つからない。どこにもないのだ。仕方なく半分あきらめてガソリンを補給する。試しに聞いてみるとすぐそばだった。GSのお兄さんの言う通りに移動すると今まで見つからなかったのが嘘のように、あっけないほど簡単に「菓子の家」が見つかる。
これが菓子の家 |
いや、これが十勝一のお菓子屋さんかと思うくらいこぢんまりとした店であった。そこで、季節のお菓子。マロンパイを購入した。
そして、車は一路、芽室へ向かう。
すると途中あれだけ探しても見つからなかった看板が簡単に見つかった。この看板を朝見つけていたならば白糠まで行かずにすんだのだが。
「運命だったんだろうな」
朱雀が運転しながらつぶやいた。
「今日、白糠の豚丼を食うのが運命だったんだ」
「そういえば、菓子の家に、マルセイバターサンドそっくりのお菓子があったニャ」
武田が後席でビールを舐めながら言う。
「それを買って味の比較というのも面白かったかも知れないニャ」
えーい、莫迦者。そういう面白いことは早く言うものだ。
「戻るか?」
朱雀が言うがそこまでする気力はない。
そのまま芽室は「朝日屋」に向かう。ここはオーナー曰く
「新時代のロールケーキを作っている店」なのだそうだ。しかし4時頃ついたらすでに売り切れ。
これがあさひ屋 |
「午前中に来ていただかないと売り切れなんです」
と三角巾も清潔なお姉さんに、まるで一昔前の朱雀の近所は「かどまる餅店」のような事を言われてしまった。「かどまる餅店」の草大福も絶品だったが、あれは朝6時に並ばないと買えない代物だったのだ。
「あと、帯広に大きなお店ができて、工場も移りましたから、帯広なら午後まであるかも知れません」
と、親切に教えてくれたのだった。
「残念だニャ」
「ま、次回のお楽しみだな」
とにもかくにも、そう再戦を誓って一路夕張へと向かう。後は高速にのって札幌へ帰るだけである。
さっちゃんは実に快適に走り抜ける。
「そうでもないぞ。実は結構タイヤのグリップ力落ちてる」
「へ、まだ3年しか乗っていないニャ」
「そうだが、すでに4万5千以上走ってるからなあ」
まるで営業車ではないか。
「誰のせいだと思っているんだ。まったく」
確かに、半分くらいは我々のせいかもしれない。が、朱雀だって好きで『道の駅』攻略戦を戦っているのではないだろうか。
のんびり走って7時頃、無事札幌着。朱雀の家でマロンパイを喰ってお開きとする。
いや、本当に、美味しかったのだ。オーナーの言う通り、六花亭より美味しいかも知れない。来年の旅行が楽しみである。
これがマロンパイだ! |
10月9日(土) 04年度 フンベHOFおおくまさん詣で (上)
さて、実は今日、生鯨食いに行った連中がいるのだが、私はいろいろ事情で参加できなかったのである。仕方がないので9月末に行った フンベHOFおおくまさん詣での記録である。
年に一回のお楽しみ! ペンション フンベHOFおおくまさん詣で!
いや、こればっかりはもう、現状、無茶苦茶な状況だが、行くしかないのである。
しかし、この、フンベHOFおおくまさん詣で旅行も結構長い。長いったら長いのだ。たしか、このサイトの歴史よりも古いはずである。
なんといっても、こちらのペンションを知ったのは小学館の熟年隔週雑誌『サライ』の記事である。朱雀の奴は、なんとあの雑誌を創刊号から持っているというのだから、何者なのであろうか。
当初は、夏の北勝牛のステーキを目標にしていたのだが、オーナーの一言で風向きが変わった。
「今度、秋、10月初めにおいで。いくら丼が美味しいよ」
かくて、その年の秋に再訪。いくら丼を1食いに行き、その美味さにどっぷりはまり込み、以後、いろいろな人間を生け贄にして泊まりに行っているのだ。
そんな旅行に、今年も、9月30日、10月1日、朱雀の休日を利用して行ってきたのだ。参加したのは朱雀と武田、私。いつもの三羽がらすである。
いつもは、この旅行、カムイワッカ攻略を行うのも目的になるのだが、すでに世界遺産になってしまった知床に一般車両の進入は許されないと聞く。故に9時頃札幌を出発し帯広方面へ一直線である。
高速に乗って千歳、夕張と突っ走る。相変わらず朱雀のインプレッサは快調だ。
「いや、エンジン音が最近微妙に大きくてな」
と、朱雀。そういうものだろうか。私のボロ車のカラカラという音に比べればもう、スムーズの一言なのだが。
そのまま、樹海ロード日高で一休み。夏休みのあの混雑が夢のように閑散としている。
そこでとんでもないものを見つけてしまった。
樹海ロード日高の張り紙 |
なんだか、台風の影響でかもえないの道の駅が大被害を受けてしまったらしい。あの眼鏡のお姉さんはご無事だろうか。
そんなことを思いながら、途中のコンビニで小休止。
「帯広来たら豚丼食べるニャ」
武田の言葉にみんなで、コンビニのソラチの豚丼なるものを食する。まあ、白糠の豚丼やぱんちょうさんの豚丼よりは落ちるが値段を考えるとまずまずといったところか。
ソラチの豚丼 |
ネギがポイント? |
で、そのまま、ワイン城によってつまみを購入。来るたびになんだか新刊の売り場面積が狭くなり、古本面積が増える本屋。昔はここで、私は札幌で売り切れていた某雑誌を購入することが出来、ニトロプラスのゲームを知ったのだ
が。なんだか寂しい。そこで立ち読みをした後、5時ちょい過ぎになんだか今回はあっさりフンベHOFおおくまさん
に到着してしまった。
なんだか、やけ静かである。
「今日、お客さん、君たちだけだから」
なんですと。そりゃ、木金の1泊ならお客は少ないと踏んでいたのだが、そこまでとは。
ご迷惑をおかけしました。
で、ビールなど飲みながら夕食を待つ。
夕食である。夕食。
まず、生ビールで乾杯。カニである。カニ。刺身、茹でカニ、焼きタラバ、みそ汁。鮭を豚丼のたれで付け焼きにした一品。北勝牛のさいころステーキ。いくら丼にデザート。これで1泊2食で1万円なのだから、たまらない。命の洗濯である。ビールの後は日本酒の冷酒にしてがんがん行く。
カニ刺し |
茹でカニ |
鮭の豚丼たれの付け焼き |
焼きタラバ |
カニのみそ汁 | 北勝牛ステーキ お芋はインカの目覚めイエロー |
いくら丼 |
メロン |
で、酒の締めはいくら丼。このいくらがまた、美味である。はっきり言って、この活きの良いいくらに醤油だけで味付けしたいくらに匹敵するいくらは、木曽路さんで食べた技巧の限りを尽くしたいくら丼しかない。ま、あれはあれで全くベクトルが逆の存在であるが。
デザートのメロンまで食べると、おなか一杯である。
ステーキは残しておいて、夜のおつまみにする。
部屋に戻ってDVD鑑賞会。『怪傑ズバット』など見倒して、池田町の夜は更けるのだった。
さて、相変わらず鬼畜王三昧である。なんというか良い意味で後を引く美味さなのである。絶妙のバランス。しかも、シナリオが多彩で、レベル上げが苦にならない。
シナリオを選択するには各種の玉が必要なのだが、この玉は敵を倒すことによって入手できるのだ。シナリオをクリアするために玉が必要で、玉は敵を倒すことで入手できる。そして、その結果レベルはひょこひょこ上がるのだ。うーむ、睡眠時間が確実に減少しているのである。しかし、それでも元気いっぱい、ゼスの大地を走り回るランス君なのだ。
で、今回はキャラクター編。
まず、シィル
完全にもこもこである。今回も酷い目に遭うが、本人、それを酷いことと認識していないのはいつもの通り。もう、野郎の理想像である。理想像であるが、故にいまいち影が薄い。しかし、彼女あっての経験値稼ぎである。もう、中盤から後半にかけては、彼女とランス君だけで周辺の森を歩き回って
経験値と玉を集めたものだ。
かなみ
ひどい上司にあたった部下の悲劇である。もう、仕方がなくランスにつきあっているのだが、今回はなんと、最終兵器が運命の人ランスとでないと入手できないと言う。なんか今後の展開が期待できそうな話である。しかし、私のかなみはほとんど『首切り』がボスキャラに効果がなかった。役立たずである。可哀想に。
マリア
ランス大好き眼鏡っ娘。いや、彼女は自分がランスの一番になれないこと、シィルが一番であることを理解しているのだ。しかし、それでも好きなものは好きなのである。悲劇だが、これも男の甲斐性なのかも知れない。私のマリアは援護射撃の名手であるが体力を削りたい女の子モンスターを確実に屠ってくれた。げに恐ろしきは女の嫉妬である。
志津香
攻撃魔法の要。ただ、私のゲーム上ではSPが少ない。切り札的存在である。溜なしで撃てるようになった局地地震は非常に使いやすい。しかし今回、彼女とランスの関係に一大転機が訪れる。いや、私は今まで志津香はランスのことを戦士としては認めているが、男としてはまったく無視していると思っていた。しかし、今回ランス君が運命の人となって最終兵器入手である。次回、話に変化が出てくるのか。実は、ずっと、一番のお気に入りが彼女だったりするのだ。
カロリア
虫使いの最後の生き残り。他のキャラクターの育て方を間違って麻痺系効果のあるキャラが彼女とかなみしかいない我がパーティでは非力な1軍である。ヒットポイントが少なすぎるのだ。しかし、彼女もランスへ依存を深めているから次回はあてな2号と掛け合い漫才が見られるかも知れない。
しかし、かろは本当に可愛いのだ。今回の一番のお気に入りだったりする。
リズナ
前作5Dのヒロイン。悲劇の女の子。今回は大活躍。なんてったって手加減攻撃が御あの子モンスター退治に役に立つのである。また、各種付与も使い勝手がよい。これで溜なしで全体攻撃とまでは言わない。複数攻撃が使えたら最強のキャラクタたーであったかも知れない。彼女はやっぱりゼスに残るのだろうか。
コバンドン
ネットでよくお邪魔するあるお方はプレゼント買うお金欲しさに彼女と深い仲になったそうだが、私は付近の森でぼこぼこプレゼントを見つけることが出来たので、そんなに深い仲に鳴らずにすんだのだ。関西弁のお姉さんは嫌いではないが、しかし、残念ながら戦力としては全く使えなかった。どうも、凶ばかり出るのである。一度それで全滅しかけて以来、2軍扱いであった。可哀想に。
と、いったところで紙片が尽きた。一部でヒロインはこいつではないかとまで言われるロッキー以降は次回、また、機会があれば明日にでもレビューしたいと思う。ともかく、急いでゼスに戻らねば、なんか非常に状況がやばいのである。王様になるための策が人類を滅ぼしてしまっては何にもならないではないか。果たして、人類の運命は。
といっても、これ、自作自演なのだよな。
うぉーーー。どんどんどんどん。である。
久しぶりに私の感情は熱く、熱く、暑苦しいほどに燃えているのだ。
いや、何のことはない、『ランス6』である。こいつが恐ろしいことに悪嵌りずっぽしなのである。
いや、この感覚、なんかずいぶん久しぶりなのだ。ええと、最後に嵌ったのは、『ワイルドアームズ アルタコードF』だっただろうか。うわ、去年の12月じゃないか。
それ以来、非常にゆっくりと精神が病んでいたのだろうなあ。そう思ったりするのだが。
閑話休題。
このゲームは、はまるのである。間違いなくとてつもなく、古き良き時代。ウィザードリィのダンジョンをマッピングしまくった人間ならば、わかってくれるだろう。
DQ2のダンジョンでダンジョン内を全部きれいにするためにうろうろし、第二の王子を叩き殺された事のある人もわかってくれるかも知れない。
まあ、本当のことを言えば、オートマッピングは必要ないかな。などと思うのだが。ぬるいリーマンゲーマーになってしまった今の私にとってはちょうどいいのかも知れない。ともかく、久しぶりにダンジョンに潜る楽しさ。というものを味あわせてくれた作品である。
ただし、残念ながら、というべきかどうかはわからないが、今風のゲームではない。メインであるはずのナニは、非常に薄い。
18禁ゲームとしても、エロではなくエッチゲーというべきかも知れない。だいたい東ドイツ国歌(だとは知らなかった。あの曲『我が栄光』)にのってガンガンといった感じなのである。うむ。ま、ランス君はだからいいのだが。最近の悩みまくって自己弁護と自己憐憫と自己嫌悪にまみれた主人公たちよりはよっぽど健全である。
だからこそ、シナリオがぎょっとするくらい重くても、一気に寄り切ってしまうのだ。
だいたい、ゼスの現体制。魔法使いによる魔法使い以外の差別。魔法使い以外が、魔法使いに対する逆差別。なんぞ、悩みまくって自己弁護と自己憐憫と自己嫌悪にまみれた主人公ならあさっての方向に行ってしまいそうになるのだが、ランス君の場合、簡単に
『美人(美少女)が正義』
で、押し切ってしまうのだ。この痛快さ。
他にも、魔法使いが自分の特権を守るため、自己の地位を世襲するために使用する方策は、現在、小学生に円周率すら教えないゆとり教育の弊害につながるし、キムチさんの背負う状況は慰安婦問題にまで踏み込む。
そして、正義を名乗るそれぞれの勢力の行動の残酷さはテロリズムにまで踏み込んでいるのだ。無茶苦茶社会派である。
これをマジにやったらとんでもない状況になるのに、ランス君は痛快に切って捨てるのだ。
『俺様が気持ちいいことが正義』
うーむ、フィクションの中だけで許されることではあるが。この痛快さはちょっとない。
女性でもランス君が好きだという人が多いというのも頷ける話かも知れない。
いや、結構、ランス君も無茶苦茶やっているのだ。
どう考えても自分が王様になるため、混乱を発生させる手段として、魔族との防壁を破壊するなど、鬼畜の名に恥じない行動もするのだが。なんともかんとも、がはは笑いですんでしまうところが無茶苦茶である。あそこまで無制限の自信というものをいっぺん持ってみたい。そう考えてしまうのは、私が自信喪失しているせいだろうか。
有り難いことにこのゲーム、セーブすると進行度がきっちり表示されるのだ。それによるとまだまだゲームは道半ば。まだまだ遊べそうな雰囲気である。
しかし、私のトコのカオルさん。武器も防具もAクラスのものを購入しておいて、スパイ容疑でリタイアである。なんてこったい。涙で前が見えなかったりするのだ。うーむ、こんな事ならパットンにでも武装強化しておけば良かった。と、思いながらも私は、今日もまた、ゼスへと向かうのだ。国土解放の日は近い。はずである。
さて、最近、スパムメールがよく来るのである。うーむ、なんとかせねばならないかも知れないかも知れない。
だいたいうちのさして客のこない掲示板にすら、スパムな書き込みが存在するのだ。(先日、消去したが)
暇してるから・・・ みさき さん 【2004/09/08 14:28:19】
最近カレと別れたばかりでツマラナイよT-T 誰かみさきと一緒に遊んでほしいの・・・
あっ!みさきは20才になったからお酒も飲んでみたいな。 http://www.****.**/***.***?*=***
ここに写メあるから気に入ったらメールしてね!! みさきと○○○なこととかしようよ(#^.^#) http://www.****.**/***.***?*=***
うーむ。まあ、この手の代物は呆れるほど多いのだ。まじめに。トップページにアドレスを晒すのをやめようか。そう思うくらいである。これだけ考えるともう、私はモテモテである。つい、最近に来たメール。
今度は2000ピースのパズル作るね♪
それは置いといて…
前髪切りすぎてちょっと大変な事になっちゃいましたヾ(>y<;)ノ
はぁ…鬱
なんて、あんただれ。なのだ。名前くらい作れ。そう思ったりする。まったく、このスパムのできは良くない。
私は、今までに、女子大生のまきちゃんから、OLのようこさんから。人妻のあきこさんまで、よりどりみどりのメールをもらっているのだ。ビバ、カサヴァノ! である。(いや、ドン・ファンは女性を破滅させ、泣かせるからなあ。逆にカサノヴァの場合、一種、ステータスになって、女性の評価が上がるという。おおらかというか、人徳というか。何なのだろう)
ところが、更に、私の皆無のセックスアピールを当てにしたメールアドレスがきたのである。後輩某嬢曰く、
「60近い爺様よりも先輩の方が男と認識できないのはどうしてでしょう」
とまで言われる私にである。
明日からの10日間の間、各地域、各都市で大人のパーティーを開催致します。今回の女性がベースで男性はゲストですので、ご負担なくご利用する事が出来ます。女性は全て高級でセレブな女性のみで構成されていますので、Hだけではなく、金銭面での男性様へのフォローも確実!パーティー終了後はお気に入りの女性をお選び頂き、逆援助生活を開始して下さい。貴方様のご地域のみ送信頂ければ、開催地・女性の情報(写真付)男女比率等を返信致しまして、
参加、不参加を置き目下さい。
尚男性様には一切のご負担はおかけ致しません。
↓大人のパーティー参加申し込み連絡先↓
******_****_****@*****.**.**
である。
もう、完全、間違いなくスパムである。スパム。沖縄で朱雀が買ってきてくれたスパムのメールなのだ。あれはきちんと料理すれば旨かった。スパムというのは本来、素材の缶詰なのだ。第二次世界大戦中、米国からの大量の食料援助に含まれていたこれを、イギリス人は、ろくに調理せずに喰ってしまったからさあ、大変。
スパム=まずい。
と、モンティパイソンにまでこけにされる始末なのだが。しかし、それよりも。
参加、不参加を置き目下さい。
いったいどんなIMEつかったらこんな見事な誤変換できるのだろうか。私にはパーティよりもそっちの方が興味深いのだ。(だから、60過ぎより枯れていると言われるのだろうか)
さて、現在、コーヒーを飲みながらこの文章を打っている。私の愛用のマグカップは大学時代に手に入れた「APEX」さんの販売促進グッズであるというのは前に言っただろうか。
大学時代、生成と紺のこのマグカップに惚れ込んで、友人と「APEX」さんの自販機に張り付いていたときに、補給のメンテおじさんが来られ、
「兄ちゃんがた、次と次、この自販機使えよ」
と、言ってくださって入手した代物である。
以後、道北の地で使い倒したにも関わらず、生き残り、現在も私の前で『ランバン』さんの豆をカットミルでカットしたコーヒーを飲むのに使っているのである。
大抵のコーヒーを飲むのはこのAPEXのカップである。本当は、家のカップは『トムテ』さんのカップなのだが、こいつは買ってきて家の母親が洗ったとたん、欠けてしまったのだ。いや、別にぶつけたわけではない。普通に洗ってくれたにも関わらず、あっさりと欠けたらしい。
割れたわけではないのだが、欠けてしまったカップは使いづらい。このカップ、新しいの欲しいので、幾度か『アトリエ・トムテ』に行ったのだが、ずっと『CLOSE』だった。まさか潰れたわけではあるまいが。
というわけで今日も私のメインカップは『APEX』なのだ。どういう訳か、非常に丈夫である。引っ越そうが、何度か落そうが、欠けもせず現在も目の前にある。
で、器によってコーヒーの味が変わる。これは間違いないのだ。
前出の『トムテ』のカップで飲むと酸味系が非常に美味だった。
逆に『APEX』は苦み系が非常に素直にでる。学生時代、UCCのブレンドをミルのあるコンビニで購入。卒論のために飲みまくる時にこのカップがどれほど私の心強いパーティの一員になってくれたか。(他のメンバーはコンピュータPC−98、一太郎、花子、エプソンのプリンタ)この6人で戦うレポートのダンジョンで負けはなかった。と信じたい。
もちろん、極上の豆は『ランバン』さんで購入した薄手の蛍青磁のカップでいただくのだ。非常に飲みやすく、私の下手に入れたコーヒーでも、数倍美味にしてくれる・・・ような気がする。
が、こいつは破損が怖い。洗うのもおっかなびっくりである。
なにせ私の場合。思い入れのある器ほど消失したり、破損したりしやすいのだ。
私が最高に愛した湯飲み茶碗。生成に近い白地に緑色の縦線が一本すっと入っているやつは、しかし、幾度かの引っ越しの最中。消失した。割った覚えはないのに、行き方知れずなのだ。逆に、今使っているやつはもらい物で、なんでも、かに料理屋でも同じものが使われていたという代物だ。ところが、どうでもいいやとばかりにぞんざいに使っても割れもしない。
他の器もそうだ。
私が愛用している、ショットグラス。何故か文房具屋の大丸藤井セントラルで購入したそれははっきり言ってバーボン飲むには天下一品である。こいつでバーボンを飲むと、次の日が休日ならば、腰が立たないくらい気持ちよく酔うことができる。が、所詮は量産品である。扱いもそれなりだ。なのに壊れない。
ところが、大事に愛用していたベネチアグラスのごついビールジョッキはあっさり砕けてくださった。これはどういう事だろうか。
飯茶碗にしてもそうだ。
今使っているのは、確か高校時代以来20年近く使っている奴だが、欠けもしない。それ以前の奴は、何でも志野だか、織部(のはずはないが)だかだったはずだが、あっさり割れた。
器という奴は非常に大事なのである。前述したが、器によってコーヒーの味は確実に変わる。酒も、間違いなく変わる。やっぱり、バーボンは家の奴で飲みたいし、ウォッカは『パイネポー』さんの少し大振りなショットグラスでやりたい。シングルモルトは『かふぇ えるみたーじゅ』のグラスにとどめをさす。
中身も大事だが、器も大事なのだろうなあ。そう思うのだ。中身を場合によっては何倍も旨くする。それが良い器なのだ。そう思う。
カップ類は落とすと割れるので今回、落ちはない。
さて、ようやっと最近、何かをしようという雰囲気になってきたのである。と言うわけで、久方ぶりにプレステの埃を払って、『想水滸伝3』でもやろうかな。などと思ったのだが、その目論見は脆くも潰えてしまった。
「何を言ってるニャ。こうなったら、ランスするしかないニャ。僕の代わりにCG回収してくれると嬉しいニャ」
と、悪友武田が言うではないか。ゲームディスクを借りて、インストール。ゲーム終了後、セーブデータ保存後、アンインストールして返却という、非常にグレーゾーンな契約でプレイ開始である。
しかし、思い起こせば、この『ランス』シリーズも長い。この業界、永遠のナンバー2。(ナンバーワンとの差は凄まじくある。とノンフィクションの『アリスの部屋』かフィクション『アイスの部屋』で言われていた)アリスソフトの大黒柱がこのランス君なのだ。
冴速氏曰く、『茶髪の鬼畜』。もう一人、ゲーム毎にヒロインを変えまくる『赤毛の外道』アドル・クリスティンとともに、一時期のゲーム界の狭い部分を席巻したキャラクターである。
個人的には、意識しないで、ドン・ファンやってるコンシュマーのアドルよりも、はっきり意識して「世の中の美人はみんな俺の物」というランス君の方が好みだったりする。
ま、唯一気にくわない所は、こんな男に誠心誠意尽くしまくる(働かないランス君に内職してお小遣いまであげてしまう)可愛い(私にとっては充分に美人)シィル嬢が、ひっついていることなのだが。こんな可愛い子が尽くしてくれるなら、それで充分だろうと思うのだが、それは非常に小市民なのかも知れない。器が違うランス君は、昨日はリーザスの女王。今日は自由都市カスタムの魔女達。明日はまだ見ぬ美女・美姫達。と愛の狩人を続けるのである。
私がこの手のゲーム初心者だった私が、はつしばけいすけ氏(『DE・JA』の主人公)の次に出会ったのがこのランス君だったのだが、エンディングキャラ1名、ゲスト攻略少々の『DE・JA』から、出会った美女・美少女はほとんど攻略(しないとフラグが立たないともいう)可能な破天荒さには驚いたものだった。
ま、それはともかくその後、「鬼畜王」にはまりまくって睡眠時間を削りまくったわけだが、それ以来、久しぶりの「ランス」である。実はこの間、「ランス5D」なる短めのゲームがあるのだが、今思えば、昨年夏過ぎからの無気力状態の前兆だったのか、どうしてもやる気が沸かず、武田に返却してしまったのだ。
というわけで、久しぶりにランス君の世界に入っていく。今回の舞台は、パラレルワールドのランス君が主役の「鬼畜王」で後半の重要な拠点となったゼスである。
ここにやっつけ仕事でやって来たランス君は魔法使い編重主義のゼスの貴族達の2級市民への仕打ちに憤り、現体制打倒を目指すレジスタンスに身を投じるのだ。
うそです。
我らがランス君がこんな普通の動機を持つはずがない。いや、青臭く、真面目臭いこの動機で読者、視聴者を納得させるのは純真な青少年以外は難しい。
しかし、ランス君の場合、
やっつけ仕事でやってきた先の、ゼスの貴族達が、魔法使いのシィルを厚遇し、偉大な自分を2級市民扱いして奴隷の闘技場のような所へ放り込んだ。そんな奴らは許しちゃおけない。そこへ美人がいっぱいのレジスタンスから協力を依頼されたので、美人・美少女と「ぱふぱふ」しながら、貴族どもに自分の愚かな行動をその命でもって償わせてやる。
とまあ実にもって、簡単明快な行動理由が成立してしまうのである。実にもって明るいキチクなのだ。
というわけで、しばらく、この世界にはまりこもうと思う。
いや、絶対自分にはあり得ない世界なのだ。悲しいことに。
改めて『姫神』(星吉昭氏)のご冥福をお祈りしたい。
さて、前回は途中で紙片が尽きた『姫神』について、もう少し語らせて頂きたいと思う。
といっても、『姫神』(ひめかみ)を「ひめがみ」と濁るとばかり思っていた俄ファンである。ただ、追悼の思があるばかりだ。
私は居心地の良い学生時代を過ぎ、就職浪人しても、夢果たせず、理想とは少し異なる職種で、最果ての地のサラリーマンとなった。
しかしそれは、あの頃に起こった事を思い出すだけで、簡単に体調が悪化する経験をしてしまった2年間でもある。
そんな私の最果ての地での時間を支えたのは、村下孝蔵氏の歌声だった。あの切々とした歌声がなかったら。どうなっていただろう。
話がずれた。
というわけで、この頃、村下氏のCDはすべて揃えたのだが、『姫神』のCDはほとんどほったらかしという状況になっていたのである。残念だが、その頃の精神は明るいお祭りやきれいな風景は、縁遠いものだったのだ。
その後、転職し、閉塞状況から抜け出した私は、新しい職場でのストレス解消に、プレイステーション上のRPGやシミュレーションゲームにはまりこんでいく。ま、それはまた別の話である。ファイナルファンタジーのサントラ聞きまくる三十路という非常にアレな状況は、心に棚を作るしかない。
しかし、事態に変化が起こったのしばらくしてからだった。
そう、『旅する奇怪』(そういえば、最近全然更新がない)の始まりである。朱雀の運転するスバル・レオーネ。そのカセットしか使えないカーステレオにアダプターをかませ、CDウォークマンで旅行用BGMを再生する。その中で、ゲームのサントラは、非常に規則的で、眠気を催すことが判明したのだ。
なんということだろう。ゲームを彩る音楽、何か作業しながら聴くのに最適な音楽は、単調な道東の道。それも常識はずれな行程の中では子守歌でしかなかったのだ。
といって、放っておけば、朱雀は自分で編集した時代劇『必殺』の主題歌集なんぞを聞きたがり、武田は『メイドさんなんとか』とか、特殊なゲームサントラを聴きたがる。かといって私がアニメソングを振りかざせば、まるで、移動中の車の中はサバトではないか。
私の精神が保つはずもないし、なによりも、たまに同乗してくださる久部さんや冴速さんに申し訳が立たない。
というわけで、私は自分のカセットBOXを引っかき回し、しばらく聞くこともなかった『姫神』のテープを探し出したのだった。 幸いにして、93年に『姫神』の初期作品は『名作大全集』の名で格安で購入が可能になっていた。かくて、再び、私は『姫神』の音楽を頻繁に聴くようになったのだ。
しかし、何らかの違和感も感じるようになってしまっていた。何かが異なるのである。
初期の『姫神』に存在した単純なメロディライン。それが後半になればなるほど変わってくるような気がしたのだ。陽気な祭り、気持ちの良い景色。そういったものを唄っていたメロディは、だんだんと東北の歴史の重さを感じさせるものに変化していくように、私には思えたのだ。そして、それはわたしにとってはあの最北の思い出につながるものであった。
といっても、私が購入した最新のアルバム『風土記』にしても89年のものである。音楽は変わる。そう思い、11枚目以降のアルバムを買うかどうかの試しとして購入したベスト版『森羅万象』で、私は唖然とした。
『姫神』と歌。なんだか、珍妙な組み合わせと、私の鈍い感性は判断してしまったのだ。
かくて二度目の接触は不幸な出会いとなってしまった。結局、よく聞いたのは『姫神せんせいしょん』時代の4枚目までであり、他は再びCDラックの肥やしとなった。
が、02年、事態は更なる展開を見せる。
PS2RPG『幻想水滸伝3』のOPに『姫神』の声あり曲。『愛を超えて』で思わず感動してしまったのである。そして、久しぶりに手に取ったコンプリートベスト。『神の祭、風のうた』はその曲の配列の巧みさゆえか、同じベスト版であっても『森羅万象』とは違って、11枚目からのアレルギーを癒してくれたのかもしれない。
『姫神』再びそろえようか、そう思った矢先、私は昨年夏からのむちゃくちゃな状況に追いやられ、脊椎反射で生きるような状況になって、その望みは果たされなかった。そして、今回の訃報である。
三度、ご冥福をお祈り申し上げる。
間違いなく『姫神』は私の青春とともにあったのだ。
そう、思う。
というわけでなんとか復活した『夢民書屋』なのだが、旅先から帰ってきて、さて、更新しようかね。と思ったらどえらい事態が発生していた。
シンセサイザー奏者の姫神さん死去=ピラミッド前でコンサート
東北の伝統芸能や自然に触発された音楽活動で知られ、国際的に活躍したシンセサイザー奏者で作曲家の姫神(ひめかみ、本名星吉昭=ほし・よしあき)さんが1日午前1時21分、心不全のため盛岡市の病院で死去した。58歳だった。宮城県若柳町出身。自宅住所は公表していない。葬儀は密葬で行う。
電子オルガンの音楽教室の教師を経て、1980年に「姫神せんせいしょん」を結成し、翌年「奥の細道」でデビュー。84年にソロに転じ、名前を姫神に。岩手県を基盤に作曲活動を続け、東北をテーマにした作品を次々に発表。大河ドラマ「炎立つ」をはじめとするテレビやラジオ番組、CMなどの音楽も多数手掛けた。
野外でのライブにも積極的で、岩手県平泉町などで大規模な野外ライブを開催。2000年にエジプト・ギザのピラミッド前で行ったコンサートは、大きな話題となった。代表作に「まほろば」「神々の詩」「姫神風土記」などがある。
(時事通信) - 10月1日22時1分更新
復活早々、とんでもない記事が飛び込んでみたものである。これだけでまたショックを受けて一月くらい音信不通になってもおかしくないではないか。そのくらいのショックである。
姫神といったら、今は亡き、村下孝蔵氏とともに、貧しい上杉明の音楽世界を豊かにしてくれたユニットである。
私が『姫神』を知ったのは中学時代、まだ、彼らが『姫神せんせいしょん』というグループ名だった頃である。『YMO』が爆発的にはやり、テクノなる言葉が暴走していた頃、「それだけじゃないんだぞ」という言葉とともに、今は亡き中学の友人のS君が、教えてくれたのが『姫神せんせいしょん』だった。
今、手元にあるでろでろに伸びてしまったカセットテープ。初期アルバム3枚の著作権違反物品は、ジャン・ミッシェル・ジャールや富田勲のアルバムとともに、彼から譲り受けたものだ。
あのころは、まさか二十数年後、互いが幽明異なる世界の住人となっているとは思いもよらぬことだった。少なくとも、未来は永劫とまではいかなくても、かなり長い間変化はなかろう。そう思っていたのである。
話がそれた。
私は『YMO』の忙しない音楽全てにどっぷりと浸かることが残念ながら出来なかった。むろん、名曲と信じる『RYDEEN』や『東風』はもう、すり切れるほど聞いたが、その根底に存在する(だろうと、私が感じた)の中国趣味(のようなもの)にはまりきることが出来なかった(ような気がする)のだ。やけに
()が多い文章になったが、このあたり、おそらくは一生をかけて『YMO』を愛し、研究、評論なさっている方に対してどうこう言うつもりはないのだ。ただ、当時の中学生の私が感じた違和感。その隙間に『姫神せんせーしょん』の音楽は実に心地よくしみ通っていったのである。
しかし、結果から言うならば、私は結局それ以上この世界にはまることはなかった。
私の興味関心は、高校に入ってからアニメの方へ突っ走り、更に大学時代は本とパソコンに全資金を投入するようになってしまったのだ。
結果、音楽に関しては全くと言っていいほど顧みなくなってしまうのである。
レコードプレーヤーなどもSONYのライン出力付きのものでお茶を濁してしまったのだからお里が知れる。
故に、冴速氏などからは、
『上杉くんって、知識はあるけど、システムはお粗末だよね』
という評価をいただいたりするのだが。まあ、仕方があるまい。
しかし、何故か現在、私の『早瀬』のモニタースピーカーはローランドのMA−12C×2台だったり、音源ボードがサウンドブラスターのAUDIGY2 PLATINUMだったりするのは、このころの残滓である。しょうもないことはわかっているのだが。
なにはともあれ、後世、ヒーリングというジャンルが発生する前から、私は『姫神』を聞いていた。このことは間違いない。星吉昭氏のご冥福をお祈り申し上げる。
というあたりで、紙数が尽きた。以下次回。
さて、気がつけばいつの間にか2月の日にちが経ってしまっているではないか。7月28日のHDクラッシュの報告を最後に、この、『夢民書屋』は、長い眠りについたわけである。いや、もう少しで永久の眠りにつくところだったかもしれない。
今回はまじめに、半年、1年近く更新がなされず消滅、もしくは更新されないままネット上にその姿をさらしているWEBサイトの舞台裏が解ったような気がする。
その可能性は常にどこにでも転がっているのだ。事実、おそらくは『夢民書屋』もそのようなサイトの仲間入りをする可能性は十分にあったのである。
つらつら思い出すに、5年間の歴史においても、ここまで更新を行わなかったというのは記憶にない。日記の更新がなくとも、少なくとも『呆冗記』は最大でも2週間に一度は更新されていた訳で、まるっきり2月の間更新されないなどということはなかったはずだ。(久しぶりの否定の連続)
ところが、今回はまじめに男の更年期というか、なんというか、情報に対して感性が摩耗しきり、情報の入力に対して一切の出力が行われなくなってしまったのである。
きっかけは7月末のHDクラッシュであった。正確にはクラッシュしたのではない。クラッシュさせたのである。
昨年完成した、我が愛機『早瀬』には160GのHDを搭載した。シリアルATAの新型である。
しかし、動画の記録はべらぼうに容量を食う。1時間の番組録画に2GのHD。HDはたちまち埋まっていく。圧縮かけようにも、暇がない。というわけで、夏休みにでも圧縮をかけるべく、当座しのぎとして、200GのHDを購入したのだ。そのときの私は、なんと夢と希望にあふれていたことか。
しかし、現実は無情だった。HDの増設。フォーマット。たしか、WIN98の頃は、増設すれば認識してくれたはずだった。そこで、フォーマットすればよかったのだ。しかし、XPはどうやら違ったようなのだ。ともかく結果だけをいうならば、増設し再起動した『早瀬』は、しかし、認識していたのは160GのHDだけだった。それを私はフォーマットかけてしまったのである。
自分の意志で。
過去にも何度かHDのクラッシュは経験している。しかし、今回は、画像データのサイズが違う。80G近い、1年間の動画データ、各種旅行の写真。すべてが失われた。あまりの大容量に、バックアップを半ばあきらめ、夏休みの圧縮整理を考えていたわけだが、それもすべて夢幻の彼方に消えてしまった。
それが全てではないが、引き金になったことは間違いない。
職場で、
「死にそうに忙しいんです」
「じゃあ、死ねば」
と言われるような状況が全てでもないだろう。
4月からの人事異動で、
「あんたの代わりなんぞいくらでもいるんだぞ。もう少しまともな仕事できないのか」
と、実情を何も知らない、ヘッドハンティングされて職場にやってきた新部長に言われ続けたことも全てではないだろう。
「あれも、やっておいて。これもやっておいて」
そう、人に仕事を振りまくる、後輩だった新直属上司の存在が全てでもないだろう。
しかし、結果としておそらくはHDの誤フォーマットを引き金に、これらの状況の複合によって、私の精神活動は完全に停滞した。情けない話だが、にっちもさっちもいかなくなったのである。今だから言えるが。結構危機的状況だったかもしれないし、それは今も続いている。
しかし、確実に時間は流れる。
状況も変化する。
部長にとっても、私にとっても残念なことに、私の代わりはいくらもいなかったようで、仕事は完全には暇にならなかった。まあ、3月までには完全に暇になるかもしれないが。
そんなこんなで、再びキーボードを叩いてみることにした。
もしかしたら、明日、更新が止まり二度とお会いできなくなるかもしれないが。
いろいろあったけど、いまのところは元気です。
と言ったところなのである。