RD50

購入まで
もともとバイクには全然興味がなかったのが、高校2年の夏休み友人が乗っているのを見て、「とりあえず免許だけでも」と思い、原付免許取得。交付は昭和51年9月18日。学校の帰りに家を素通りして警察署に行きました。
免許を取れば、やっぱりバイクが欲しくなるのが人の常。父親の前でさりげなく「オートバイ欲しい」と言うと、帰ってきた言葉が「何買うか決めやぁ」でした。免許を取ると言ったときから予想していたのでしょう。
次の日にさっそく、自転車屋でカタログをもらってきてにらめっこ。その店にはたまたまYAMAHAとSUZUKIのカタログしか無く、YAMAHA RD・MR・TY・GT・GRとSUZUKI GA・TSの中から、まずSUZUKIの2車はかっこわるくてボツ。YAMAHAの中からサイズが大きいのと、ロングタンクにストッパー付きシート(今で言うシートカウル)と後方に向かってまっすぐにのびるマフラーがかっこよくてRDに決定。
ちなみに、CB50JX−1のカタログがあったら、多分CBになっていたでしょう。

RD50こんなバイクです
購入当時、50ccで最速の座を争っていたのが、共に6.3psを誇っていたRDとCB。4サイクルの粘り強さで最高速のCBと、2サイクルの瞬発力で加速のRDという2台でした。
最高速は、メーカー発表で85km/hということでしたが、実際にはメーター読みで80km/hちょっと。メーター誤差を考えると70〜75位だと思います。もっとも普段全然飛ばさず、40km/hでとことこ走っていたので、高回転があまり良くありませんでしたが。その後、RG50がデビューして友人が購入。乗せてもらったら吹け上がりの軽いのにびっくり。相手が新車という事もあるけど、加速・最高速共全然かなわなかった。
装備で特筆すべきは、50ccで唯一の油圧ディスクブレーキでしょう。当時はCBとRGに機械式ディスクが使われていた他は全てドラムブレーキでした。ただし、RGと比較しても特別効きがいいとは思わなかったけど。雑誌で50ccを特集すると必ず絶賛されていました。ただ、ブレーキレバーが大中型車用を流用していたため、クラッチレバーも大中型車と同じで、ワイヤーアジャスターが付いていたのは便利でした。
それと、今では考えられないのが、120km/hスケールのスピードメーター。よく「これ、120キロも出るの?」て聞かれました。これは多分、RD90か125のメーターを流用していたのではないかと思います。

初ツーリング
初めてのツーリングは、昭和52年1月3日。行き先は、三河湾一周。
前の日に愛知県吉良町の親戚の家へ、車で行く家族とは別に一人バイクで行き一泊。翌朝出発。海沿いに蒲郡、豊橋へと走り、ここから太平洋岸に出ようと渥美半島を横断。このとき、前から走ってくる2台のバイクから初めてのピースサイン。「あ!」と思いすれ違った後で、「ピースサインもらっちゃった」と嬉しくてヘルメットの中でニヤニヤ。太平洋を見ながら伊良湖岬へ。
ここからフェリーで知多半島に渡り、師崎のフェリーターミナルで地図を見ようとヘルメットを脱いでミラーにかけると、くるりと回ってゴツン。地面に落ちて、シールドがバリバリ。ここから先は、寒風を顔面に受けて走ることとなりました。
師崎から今度は伊勢湾を横目に一路名古屋へ。午後7時頃帰宅。
とにかく寒い一日でした。ろくに休憩もせず、観光地で止まることもなく、ほとんど走りっぱなしでしたが、楽しみにしていたツーリングを無事完走できて、次の日には今度ははどこに行こうかと早速地図を広げていました。

RD50

初めての一人旅
昭和52年、高校2年から3年になる春休み、紀伊半島一周に行って来ました。RDで唯一のロングツーリングです。
コースは、R1・25で上野市へ、忍者屋敷を見てR163・24で奈良へ行きオンボロの安旅館で一泊。
2日目。奈良公園で鹿と戯れた後、R24・169・309・42を走って熊野市のユースホステル泊。
3日目。海沿いに那智勝浦へ、鯨博物館を見て潮岬を通って、白浜のホテル泊。
4日目。和歌山、堺を通り、大阪へ。この日は宿が見つからず、大阪市街から少し離れたところ、たぶん羽曳野か柏原あたりだと思う。橋の下で寝袋にくるまり野宿。
5日目最終日。R1で京都、栗東。R8で米原。R21で関ヶ原まで行き、そこから県道を走って我が家へ帰還。

道を聞いたらお茶と饅頭を御馳走してくれた、小川で野菜を洗っていたおばちゃん。どの辺を走っているか分からず、不安になりながら山の中を走り続けた後、熊野の海が見えたときの感動と言うか安堵感。白浜の海岸で、のんびり海を眺め。周りで物音がしても怖くて目を開けられなくて、ほとんど眠ることが出来なかった野宿。雨の降っている中をひたすら走り続け、「もう、このまま帰ろかな」と思ったときもあった。
免許を取って半年、右も左も分からない世間知らずの若僧が、原付で一人で走り続けて、今後何十年かの人生でも、これ以上の冒険、これ以上の感動は多分無いと思います。

さらばRD
購入以来殆ど毎日走り回っていたRDですが、18歳になり車の免許を取ると、今度は毎日車漬けの日々。RDには殆ど乗らず、車ばかり乗るようになってしまいました。
そこで、遠乗りは車に任せ普段の足に使えるバイクにしようとBOBBYに買い換え。昭和53年7月、RDとお別れしました。走行距離、12,000km位だったと思います。

RD50仕様諸元表


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