『ハムスターしんぶーん社説』



今日の夕刊より。「カストロ氏。レノンに共感」、、、、、、。 だ、そうだ。わははは。共感してどうする、カストロ。気のせいかどんどんカストロさんは、やわらかくなっているのだが。

カストロさんも昔は、「13日」とかゆう映画にもなったように、第三次世界大戦を、起こしかけたりする、西側諸国にとって、危険人物だったのであるが、ずいぶんと気のいいおじいちゃんだねえ、とゆう感じに、なってきたのである。

同じ共産主義国でも、北朝鮮の例のオタクオヤジが、開放路線をとってきつつも、やはりいつ気が変わって、ブチ切れたりして、テポドンを東京に打ち込みかねない感じとは、おおちがいである。今や、やさしそうなおじいちゃんであるカストロ。キューバにジョンレノンの銅像ができて、カストロが、祝辞をのべたそうなのである。

まあ、このままやさしい状態でいて、世界大戦とか、起こさないでいてほしいものである。

キューバと言えば、昔は、とゆうか70年代は、「キューバの農場に労働者として移民する」とゆうのが、「ヒップ」であるとして、当時の前衛的な若者たちに、もてはやされていたそうだ。フォークの神様とか、言われてもてはやされてるが、どうも、ボブディランのコピーにしか見えない、岡林なんとかとゆうフォーク歌手も、その「キューバ農場労働者移民」を計画していたそうだ。結局は、挫折していかなかったが、、。

昔の赤い人たちの考えることは、今思うと、なんだか笑えるのである。キューバで果物を取り入れるのが、世界平和の道なのか。

まあ、当時の人たちは、真剣に思っていたのだから、ギャグとしてあつかうのは、悪いとは思うが、時代が変わると、昔、「かっこいい」とか「シリアス」とか「切実な思想と行動」とかゆうものが、時間経過で風化し、お笑いになってしまうとゆう現実があるのである。

世の中すべてうつろいゆくものである。同じところにとどまっているものなど、ひとつもなく、すべて流れていく。変わってゆく。人も来ては去り、愛も友情も夢も思想も、時間とともに、腐ってゆく。

おおっ!我らは、リアルタイムを生きるナマ物である。生命をもったナマゴミである。ナマゴミも、時間をかけて、しばらく、ゴミ捨て場にださないで、とっておけば、新たな生物が誕生することも、あるかも知れない。変わることを恐れてはいけないのか。

すべては変わっていき、腐っていき、忘れられていくなかで、死の腐敗の中から、ウジ虫が生まれるように、火の鳥が生まれるかもしれない。まあ、なにを書いてるかよくわからないが、ようするに、すべては、変わってゆくもので、永遠なものなど、なにもないなあ、とゆうことである。

電車の中で、夕刊新聞を読んでる人がいて、記事の見出しをみて、おかしかった。 知ってるひとも、多いだろうが、なんでも、20才くらいの暴力団員が、小学6年生の手下たちを使い、9才の男の子を、おどしていたとゆう。それで、ゲームボーイとか、おどしとっていたそうだ。

いやいや。世の中には、笑いをとる人がいるものである。しかし、それでいくらか、もうかったのであろうか。暴力団もそこまで、不況で困っているのであろうか。さすがに、ばかばかしすぎたのか、この記事は朝日新聞には、載ってなかった、たぶん。

でも、小学6年生と言っても、チーマー系な人たちとか、ヤンキー系とか、凶悪なガキとかいるから、けっこう恐いかもしれない。小学生に生まれなくてよかった。


『ハムスターしんぶーん社説』



寒い、、、。寒い寒いとばかり、毎日書いてるような気がするが、それほど寒いのである。いわばエスキモーが、凍死するような寒さというような物だろうか?しかし、よく御存じのように、エスキモーは今は差別用語なのである。「生肉を食べる人々」とゆう意味だそうだ。なるほど、それではエスキモーエスキモーと言われると、なんかムカツクとゆう気持ちも、わからなくはないのである、が、語感として

エスキモーーーーーーーーーーッ!!!!

と書かれてる時の、氷とかペンギンとかカマクラじゃないなんとかゆう氷の家とかシロクマとかウエムラナオミさんの凍結屍体とか、目に浮かんでくるイメージが失われるのは、なかなか表現としておしいと思われるのである。

「ウエムラナオミさんの凍結屍体」で思い出したが、風船おじさんである。最近では、「風船おじさん」とゆうと、あおりたてて、おもしろがって、飛行させて、消息不明になったら、いきなり知らんぷりとゆうフジテレビに、やはり殺人の責任があるのではないか?とゆう概念が、思い浮かんでしまってしかたないのであるが、今どこの空のしたであろうか「風船おじさん」。それともどこの海の中であろうか。夢夢夢、、、と簡単にあおりたてるな、なのである。夢をもつのはいいとか、ロマンだね、とか言ってほしくないのである。夢は、簡単に腐って悪夢になること、いと多しなのである。

死ととなりあわせの狂気とゆうべきものが、夢とゆうものなのである。美しくもなんともないものなのである。精神病院でヨダレとふん尿を、だらだら垂れ流しの精神病患者に、あと2、3歩、うすい紙をつきやぶったら、同化してしまうよ、とゆうのが、夢を追うとゆう事の正体なのである。人間を捨てなくてはいけないのである。狂気と夢は紙一重なのである。

そういう意味で、風船おじさんも、狂気のはざまをただよい、海のなかで朽ちていくか、山奥で腐って行くか知らないが、あれが夢を追うものの、真の姿なのである。夢を追う姿とゆうのは、本当はテレビで放送禁止になるような、みにくく狂ったものなのである。

しかし、寒い。氷漬けの青春である。昔「グリニッチビレッジの青春」とゆう映画があった。読んでのとおり青春映画であるが、陰惨な青春映画なのである。

中に1人、自殺癖のある女が出てくるのである。その女が、映画の中で何度も、自殺未遂をはかるのである。はかっては失敗するのであるが、はじめ登場人物たちは、心配していて、自殺予告のたびに、うろたえていたものだが、何度も自殺未遂されるうちに、慣れっこになって、危機感が風化して、内輪のジョークのような感じで捉えられてしまうようになるのである。

それで、最後は、また自殺予告があり、登場人物たちみんなで、笑って歌いながら、アパートの一室にやってきたら、本当に成功してて、死んでいるのである。なんとゆう美しくないものいであろうか、青春も。汚れて、腐臭腐敗汁だらだらとゆうのが、青春の正体である、それが現実の青春である、本当はこれもテレビで放送禁止確実な陰惨なものなのである青春。

なぜならば、青春も、ほとんどが、挫折していかに夢破れ、だめになっていったか、とゆう記録なのであるからである。

青春の葬式をあげなくてはならない。

そういう年齢になってしまった。そろそろ、腐った夢を、焼き場でコンガリとウエルダムで焼かなくては、いけないだろう。今も腐臭にまみれて、夢を追う悪夢のなかで、ごろんごろんと、転がり、じたばた、あがきつづけて、歳だけとってしまったのである。

焼いてくれ焼いてくれ。俺を、めらめらと、灼熱の百万度の炎で焼いてもらいたい。歳だけはとって、老人と化してしまったが、思うように動かない身体と、めっきりひらめきを感じなくなった、ナマった脳みそを抱えて生きているが、それでもときどきは、私も身体のなかで、アドレナリンが、高温を発してる時があるのである。

それが、毎日、続けば天才と言われようが、残念ながら、時々だけしか、身体内燃機関は、燃え上がらないのである。ふだんは、しぼしぼしぼしぼ、と生焼けの不完全燃焼しか創作の炎は、燃えてくれないのである。燃えろー。とゆう感じで、生半可に生きてる今日この夜である。さよならジョンレノン数日遅れ。


『社説』



寒い。寒いので冷蔵庫もよく冷える。

ありがたい事である。夏は、あたたかく、冬は冷える季節感の豊かな冷蔵庫である。日本人として、性能のいい冷蔵庫よりも、こういう俳句的な冷蔵庫を使うほうが、心を豊かにすることができるのでは、あるまいか。

さっき、朝ゴハンをなににしようかと、冷蔵庫を開けてみた。コンビニのフクロにつつまれたままの、大根が見つかった。出してみると、半分が

「アイスダイコン」

になっていた、、、、、、。あな恐ろしい、、、、、、、。これは、たべていいものであろうか、私はちゅうちょしたが、切ってナベに、ほおりこんだ。冷凍化された、大根とゆうものは、なかなか切れないものである事を、発見した。

また、レタスとゆうものも、よく冷蔵庫の中で、凍り付いているのが、発見されるものである。まるで、エベレストまたは、南極や北極で、遭難して50年後に発見された探検家の冷凍死体のような、惨状で見つかるものある。しかし、冷凍探検家は、50年後に、発見されても、

「まるで、今、死んだばかりで生きてるように!」

と、死んでるのだか、いきいきしてるのだか、よくわからない表現をされるほど、現状維持されているものであるが、冷蔵庫内で、遭難し、冷凍死体と化した、野菜は、激しく外観を損なわれているのは、なぜであろうか。

みなさまは、凍り付いたレタスを、溶かして、食べたことが、あるだろうか。なかなか、「非レタス」な、哲学的かつ、シュールリアリズムなレタスのはっぱと、なりはててしまうのである。あまり、冷蔵庫の上のほうに、野菜を置いておくべきものではないのである。

変な話をしよう。温暖な本州以南の人間にとっては、信じられない話かもしてないが、北海道では、「大根の冷凍保存」というものが、冬期におこなわれるのである。ただし、もちろん、畑などの土のある田舎の話しであるが。その冷凍大根で、北海道の冬の野菜不足を解消するとゆう、開拓使時代の苦労のなごりであろうと、思われる。

冬が来て、雪がつもりはじめたころに、地面にあなをほるのである。そして、日にほしてやや水分を抜いた大根を、どさーっと大量にいれて、埋めるのである。そして、雪がつもって、雪の下で、大根は保存されるとゆう方法である。同じく、じゃがいももこういうやり方で、保存をされていた。

北海道は冬はやたらと寒いのである。だから、雪のしたのほうが、温度が一定していて、あたたかくて?、保存に適しているのである。雪山で遭難したひとが、雪の穴をほって、隠れるのと、同じである。

だから、正確には、冷凍保存とゆうより、低温氷下保存とゆうべきものである。完全に凍ると、だめなのである。解けると、ぐじゃぐじゃになって。中央が大丈夫だが、周辺の野菜は、よく凍り付いていて、だめになっていた。天然の冷蔵庫である。北海道の田舎では、雪の下に野菜の山が、保存されているのである。

大根のはっぱも、同じように、乾燥&冷凍野菜と化して、よく冬の食卓に、味噌汁の具として出てきたものである。これが、まあ、まったくおいしくないのである。ばさばさして、凍り付いた枯れ草であるからである。荒れ地の枯れ草くさい臭いがするのである。

しかし、子供の食感に、あわなかっただけで、おとなになると、おいしいのかも、知れない。冷凍大根や冷凍じゃがいもの味とかは、忘れたなあ。まあ、そんなもの食っていたとゆう話である。


『ハムスター新聞社説』



塩さばを、焼いて食べた。

「秋さばをハムスターに食べさせるな」とゆう、差別的なコトワザが、あるのをみなさまは、御存じであろうか。なんというゲッ歯類を、バカにした言葉であろうか!ジュー!ジュー!第一、誰か秋さばを、ハムスターに食わせてみた人が、いるのであろうか?

「ハイ!私は食べさせてみました!」

とゆう者が、いたら、その人は、単なる物好きである。ところで、実際にあげてみたら、食うのであろうか?考えてみる、、、。私の予想したところでは、ゴールデンハムスターは、食うが、ジャンガリアン系ハムスターは食わないである、、、、。

どうであろうか?手直にハムスターが、ちょろちょろ、歩き回ってる者は、ハムスターの口をこじ開けて、ムリヤリ、さばを押し込んでみるがいい。気のいいハムスターならば、飼い主に気を使って、

「この飼い主はバカにちがいないので、何を考えてるか、よくわからんが、さばを食べさせたがってるようだから、おいしいそうな顔をしてやろうでちゅー」

と、眉間にシワを寄せながらも食べるかもしれない。だから、オタクのハムスターが、ニッコリ笑って、さばを食べたからって、喜んでるとは、限らないのである。あなたへの義理と人情と打算で、食べているだけかも、しれないのである。やはり、ハムスターには、ヒマワリのタネを、食わしておけばいいのである。

しかし、オタクのハムスターは、ニッコリ笑ったりするのであろうか?もし、毎日、飼い主に顔を見て、ニッコリしたり、しまいには、

「やあ、オハヨウでちゅうー」

とか、話しかけてくるようになったら、危険である。病院にいって、頭の配線を2、3本ひっこぬいてきて、もらったほうが、いいであろう。ところで、ゴールデンハムスターは、さばを食べるだろうという事を、書いたが、これには根拠があるのである。

ゴールデンハムスターのほうが、肉食性が強く、凶悪なのである。ジャンガリアン系ハムスターは、穀物食嗜好が、強いように、思われる。ベジタビリアンである。ハムスターのニューエイジである、ジャンガリアン。おそらく、人間の見ていないところでは、ヨガをくんだり、UFOを呼んだり、

「オ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ム〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」

とか、言って瞑想して、手下を熱湯ブロに入れて、修行を称して、ユデ殺したりしてるにちがいない。

まあ、ハムスターの食生活は、どうでもいいのだが、さばはおいしいが、グリルが、油まみれになって、大変なのである。さば油である。なんで、あんなに油がでるのであろうか?ウラミでもあるのか。

洗うのが大変である、、、、と書くとまるで、焼いたらこまめにすぐグリルの受け皿を、洗ってるかのように、思えるが、なかなか洗わないのである受け皿。めんどくさいなあ、、、、、とほおっていくのである、しばしのあいだ。すると、だんだん、匂ってくるのである。グリルの前を、歩くと、さば臭いにおいが、プ〜〜〜〜〜〜ンと、してくるのである。

また、外から帰ってきて、部屋に入ったときが、強烈である。部屋にいると匂いになれてしまって、鈍感になるが、外から、はいると鼻の臭覚がリセットされていて、どんなに臭い部屋であったら、よおく、客観的に理解できてしまって、実にいやな気分になるものである。さばは、あと始末が、楽なら、もっと食べるのになあ、、、と思う今日この頃の秋の空である。雨。

『社説』



<殺人>犬のフン注意され恨む 48歳男を逮捕 福岡 (毎日新聞)

だそうである。先日、フライパンで、夫を殴り殺した妻の事件があり、

「フライパンでも夫を殺せるのか!」

と、世界中をアッと言わせたが、これも、まけてはいないであろう。被害者と犯人には、気の毒であるが、おもしろい。特に、警察にあやしまれた理由が、

「事件後に散歩コースを変えた」

ということであるとゆうのが、変である。犬の散歩のコースを、変えると、警察とゆうのは、逮捕してしまうものらしい!おおっ!この国家の犬どもめぇぇぇぇぇ!キサマらが、毎日、見張っているのはわかっておるのだ!電話も盗聴しているな!メールも全部、チエックしてるに、ちがいない!

警察は、道で困ってるおばあさんがいたら、親切に道案内してあげたり、横断歩道で、渡れないで困ってる、おじいさんがいたら、親切に手をひいて渡らせてあげたり、、、、とかいうイメージを、情報操作によって、われわれ国民に、植え付けようとしているが、事実は、まったく異なることは、周知の事実である!

警察は、おばあさんに道案内するフリをして、「おばあさん収容所」に、連れていってひどい拷問をくりかえしたうえ、天国まで道案内してしまったり、しているのだ。

また、横断歩道で、かわいそうなおじいちゃんの手をひいて渡って、愚鈍で盲目な一般大衆の目を、あざむいておいて、横断歩道を渡りきっても、オマワリは、おじいちゃんの手を離さないのである!うろたえるおじいちゃんにむかって、1秒前まで、ボサツのように、やさしそうだった親切オマワリは、突如、豹変し!手をひっぱり、いきなり、ベンジョンソンのように、超高速で、走り出すのである!

「あひひはひひあげげげげgるるるるっろおおお!」

文字変換も、ちゃんとできないほど、うろたえるおじいちゃん。

「ぎこははははららられあだだだばjはうあうあかかhがfgjdkふfgfrkf」

もう、笑い声だか、単にデタラメにキイボードを打っただけか、わからないような笑い声をあげる鬼警官!ギコボキ!おじいちゃんの、腕がもげる。、、、、、、、、。元ウデの付け根から、血を吹き出して、地面を転がって苦しむおじいちゃん!(かわいそう)。

見よ!こんなに警察をゆうのは、悪いものなのである。そうにちがいないでちゅう。とゆうか、だいたい、わたしは、警察が大嫌いなのである。よくも逮捕しやがって、、、、おっと、あぶない、そうではなくて、どうも、なんとなくエラソー。

しかし、警察と自衛隊は、レスリングと剣道と柔道のいい選手が、たくさんいるなあ。柔道とかなら、わかるが、剣道も警察所属の選手が、最強なのである。この前テレビをつけたら、たまたま剣道の日本の決勝戦をやっていた。1位も2位も、警察の人だった。

こういう日本の格闘系の選手を育てる&養う余力があるのは、警察しかないのかもしれない。実益もかねてるしな。格闘が強い警官は、強盗と戦う時、有利である。という理由付けして、格闘家養成に予算をひき出すことが、できるのであろう。

また、あたりまえだが、皮肉ではなく、警察は右翼であろう。だから、古来日本の古典的武術を学び、浸透させるのは、右翼的心情におおいに、マッチしているのであろう。

剣道も柔道も、日本を右翼国家にするための、国家の陰謀なのである!

ヤワラちゃんめええええ!そんな、ねらいがあって、がんばっていたのかああああ!だまされたああああああ!

で、たまたま見た、剣道の決勝戦だが、なかなか珍しいものを見た感じで、良かったのである。漫画などで、よく剣道ネタのは、あるが、本当の剣道の試合などは、めったに見られるものではない。とゆうか、見る気になれば、見られるのだろうが、なかなか、率先して見ようという発想も出るものではない。

剣道では、今、剣道の歴史に残る強い選手が、ひとりいて、その人が10年以上も勝ち続けているそうである。すごい記録だと思うが、一般人は誰も知らないのは、マイナースポーツゆえか。かわいそう。

それで、今回の決勝で、ついに負けてしまったのである、その歴史に残る人が、若い挑戦者に、、、。しかし、試合が終わったら、両者向かい合って、面をとるのだが、その歴史の残る人、すがすがしい実にいい顔をしていた。ストイックで長年の精神的な鍛練を感じさせるスポーツマンの顔である。または、武者修行者の顔か。いい顔が印象に残った。こういういい顔になるような生き方をしたいものだ、と思うが、無理だ。


『社説』



新日本プロレスの橋本真也がクビになった。

よもやの、解雇である。まさか、本人もクビになるとは、思っていなかったに、ちがいない。処罰を受けるくらいは、覚悟していたであろうが。一応エースだったはずである。最近は休んでいたが。順調にいけば、将来は、新日本を代表してしょって立つはずであった。本人もまわりもそう思っていたであろう全盛期は。

おおっ、それが、クビである。おおっおおっ。まさに世の中は一寸先は闇、人生は山あり田にあり、コトエリ変な変換するな!これは人生ゲームのチャッチコピーであった。なつかしい>人生は山あり、、、、。

人生ゲームって、今もあるんだろうか。なつかしいボードゲームである。サイコロをふって、勝ったら、4つ進んで、銀行を手に入れるとか、子供の遊びである、昭和時代の。

今や、大人になった私達である。本物の人生で人生ゲームである。私は、最近、下り坂である。サイコロであと、2つくらい進んだら、「出版社が倒産して、フリダシにもどる」とか「仕事ほされて新宿公園で野宿中、チーマーにかこまれて、けられて死亡」とか、まっていそうな気がするのは、憂鬱な気性のなす技で、そこまで、こけずにうまく世の中を、わたれるのだろうか。

おおっ!サイコロの目で、ころころ、ころころ!

世の中、先が見えず目がまわる!目がまわる!とゆうか、しまいには、先をあまり見ないフリをして、現実逃避するぞう。現実逃避するぞう、で思い出したが、「元気いいぞう」とゆうタレントは、へんな名前だ。さぞや、売れてないにちがいない。名前からして、売れないオーラを出してる。「オールナイトロング」とゆうラッシャー木村が出てるとゆう以外ウリのないひどい映画に出ていたが、元気いいぞう。元気いいか?

あっ、私も売れてないオーラを最近、出してる気がする。おおっ!見ない見ない。自分の後頭部越しにカガミで、見ると変なオーラが出てるような気がするから、もうカガミを見るのは、止めよう。

しかし、橋本真也クビである。事情を知らない人は、プロレスに興味がない人だから、知りたくないだろうし、プロレスに興味がある人は、もう知ってるから、説明はいらないであろう。

私は2回くらいクビになったことがあるのである。雑誌から、仕事が来なくなって、ホサれるとゆうのは、数にはいってない。あれも、クビなのであろうか。それなら、数えきれないほど、あるが。仕事は常に保険を用意して置くものである。

もし、あなたが、「ハイ!こちら亀有警察署」の作者でないのならば、雑誌一ケ所だけに、しぼって、仕事するのは危険である。自然の法則のゆうのが、あるのである。

人気は初めはなくて、(運がいいと)だんだん人気がでて、そしてまた人気がなくなってゆく、、、、。法則である!定説である!自然である!イキモノ万歳!なべおさみ捕まった!これは神様でも、こういうのは、さけられない物なのである。

手塚治虫でも、人気がなくなって、新宿でコジキになった、、、、、わけはないが、こけてゆく時はあるのである。まあ、コケる時はしょうがないな。

トムとジェリーにいいセリフがあった。空から、マンモスタンカーが落ちてくるのである。下にいるトム。初めはジタバタしていたが、「じたばたしてもしょうがねえな!」と、リゾートサングラスをかけて、ハンモックを出して、ジュースをストローで飲みはじめるのある。トムとジェリーには、人生の真理が描かれているのである。

ムードに流されるだけで現実には何の役にも立たない「326」などより、よほど役に立つのであるトム。最期はタンカーの下敷きになるが。

最近、消えかかってるな「326」、どこに行った?3年後は、「あの人は今」に出て、「あっ!いたいた!そういう人!326!」と、笑いをとるに、ちがいない。いい気味である。嫉妬だな。

そういやあクビである。クビはサッポロのパルコで一回、東京でビデオ屋で一回クビになった。しかし、パルコとは、、、。なにを考えていたのであろうか。合わない仕事はするべきではない、とよくわかった。しかし、不況である。そうだ!すべて不況が悪いのである!私が悪くない!橋本真也も悪くない!そういうことにしておこう。


『社説』



冷蔵庫をのぞいたら、正月のモチがまだ、凍り付いたままあった。こうゆうふうに、永遠の生命を得てしまう事物は、なかなか多いものである。生ながらホトケである。恐ろしい。

冷凍化されていると、永遠の命を得るものだろうか。とゆうか、腐らないものであろうか。カチコチに腐りついたまま、カビたモチなどは、見たことがないから、腐らないのであろうか。一年くらいは大丈夫か。これで、歳を越したら、歳越しモチとして、ありがたいものなのではないだろうか?

モチのキンさんギンさんである。死んだけど。こういう風に、長寿のモチが出現するなど、なかなか独身生活者らしい風情である。ウジが湧きそうである。とゆうか、たまに湧くのである。

しかし、なぜウジだけ「湧く」のであろうか。いかにも、いやあな感じで、ウジに印象が悪いではないか。これで、いいと思ってるのか。ウジも貴重な地球の生態系のひとつなのである。

もし、この世にウジがいなかったら、どうなると、思ってるのか、、、、生活しやすいじゃないか!やはり、ウジはこの世にいらないものである。

あと、ボーフラとゆうものも、湧くな。

そういえば、最近、ボーフラとゆうものを、見る機会が少なく、いとさびしい。イナカにいたころは、わけのわからん水ためとか、あって、ふらふら浮いていたものであるボーフラ。あれも蚊にならなければ、可愛いものであるが。

都会人のペットに良いのではないか。高級な東京タワーが見えるマンションの一室、ガラスビンに浮いたり沈んだりしてるボーフラ、、、、おおっ、なんとクールな風景であろうか。これは流行るにちがいない。ただし、蚊にさえならなければ。刺されるとカユイからな。

都会には、ボーフラはいないが、人間のボーフラは、たくさん湧いている。人間がボーフラ化してしまったイキモノである。ボーフラになろうと思って、生まれたわけではないが、気がつくとボーフラと、なってる。こういうことは、多いものである。

東京の空のした、浮いたり沈んだりである人間ボーフラ。いつか、孵るときがあるのだろうか?孵っても蚊であるが。おおっ!私は東京ボーフラ!殺虫剤かけて!かけて!


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