『社説』
ウゲゴホッ!ゲコハハア!ハッ!ハッ!
喘息なのである。とゆうか気管支炎とゆうか、この季節になると出るのである。春先もなったが、また、寒くなったら出てきたのである。季節ごとに鼻炎になる人もいて、季節感を味わえて、いと風流でよろしいものであるが、気管支炎とゆうのは、なんとか、なくならないものか。
昔はならなかったのだが、去年くらいから、寒い季節になると出るようになった。呼吸困難で冬のおとづれを感じるのである。まさに体感する冬である。これは、朝方に、出るものらしい。そういう時間で動く病気らしい。つまり、寝てると呼吸ができなくなって、朝っぱらから、起こされてしまうのである。
今日は8時だか9時だかに起こされた。五時間しか寝てないのになあ。とか思いながら薬を飲んだり、お茶を飲んだりするのである。お茶がけっこう効くのである。お湯でもいいのだが。あたためればいいのである、のどを。あたためるとのどが、広がるのである、たぶん。自分の身体だが、よくわからないが。
起きたくはないのだが、息ができないのは、しょうがない。ピーピーのどがなるし、いちいち呼吸するのに、力がいるので、寝ていられないのである。
ああ、それにしても、歳をとってくると、あちこち身体にガタがきて、どんどん生活しにくくなってゆく物である。歯もぼろぼろだしなあ。
歯痛は、精神力でなおすのである。歯が痛い!と思ったら堪えるのである。がまんしてると、一週間くらいで、痛くなくなるのである。精神の勝利である。神経がその間に腐って感じなくなるのかもしれない。たぶん、もう20年もしたら総入れ歯であろう。生活がしにくそうである。
歳をとるとゆうのは、生活しにくくなるものであると、最近、気付いたのである。まず、歳をとると、長く寝ていられなくなるとゆうのがある。どおゆうわけか、知らないが、そういうものなのである。20代の人とか、12時間も寝てしまったとか、35年も寝てしまったとか、(レインマンか)、ゆうが、そういうのを聞くとうらやましいのである。
これは私だけではなくて、高齢者(おおげさな)全般に言えることらしいのである。よく寝れない。そのうえ、一日中、ボケ====っと眠いのである。生活的廃人である。俳人なら、俳句を生産できるが、生活廃人は、時間を浪費するばかりで、活動力も行動力も低下するため、なにも産みださないで、一日が終わってしまうのである、とゆう空しさかな、である。
だたでさえ、カチカチと目覚まし時計をもったワニが、後ろから追いかけてきてるのを、確実に感じているとゆうのに、わかりにくいか、つまり、限られた人生の時間の残りが、確実に少なくなっているのを、感じ取れているのに、年々、活動的に一日をおくることが、困難になってゆくのである。
スーパーにいって、ごはんを買って帰ってきただけで、重労働をしたような気分になって、一日が終わったりするのである。おおっなんとゆう人生の浪費であろうか。とゆうか、単になまけものか。
『社説』
手の皮をむいて、奇跡を演出した人がいる。
宗教法人「法の華三法行」の詐欺事件の公判があって、福永法源被告の実母が、福永法源は超能力がないと、供述していたことが、明らかになったという。それにしても、手の皮である。自分で手の皮をむいて、「わあああああああ!奇跡がおこったああ!」と言ったのである。まわりの人はどうして、「手の皮がむけてる」と、思わなかったのであろうか。見れば、手の皮がむけてるのは、わかるであろうに。痛そうだし。
それで、あとで、痛がってる福永法源が、ママに「手が痛いよう」(あたりまえだ)と相談し、ママがクリームをぬれと、言ったという。クリームでなおるのか。医者に行かないで直したのであろうか。手は腐ってこなかったのであろうか。もしかして、超能力で直したのか。するとやはり、超能力者であったか。こんな結論でいいのか。
と、ここまで書いたら、ハガキがきた。岡田砂織(21)さんが、なくなったので、クラブでパーティーをやって送ると言う。誰だったかな?と思って少し考えたら、ネットでメールとかきて、知り合った、元風俗嬢、グラビアモデルという肩書きで、サイトを開いていた、ノイさんであった。
雑誌の仕事をしてる知人が、ネットでサイトを開いている、おしゃれな女性?とかいう企画で、以前インタビューしたことがあったそうだから、それなりにネット有名人だったのかもしれない。ああ、とうとう死んでしまったのか。うむ。かなりあぶなかったからなあ。
なぜが、去年くらい、電話がよくかかってきていた。一度、会った。イベントとか宴会にさそっていたが、なかなか会えなかったのであるが。それは、かの女が心の病で電車に乗ったりして、移動することが、できなくなっていたからである。渋谷から、出れなかったのである。かの女は渋谷に住んでいた。
電話では、キレたことを言ってはいたが、まあ、まともにしゃべれていたが、本人にあってみると、かなり、壊れていた。ちゃんとした会話が、ほとんど成り立たなかったのである。
意味の通じないことを、ずっと1人でしゃべっていた。人の話は聞かないのである。ずっと自分のことばかり、相手が聞いてなくても、しゃべり続けてるのである。長生きできなさそうな人というのは、いるものである。ノイさんは、そんな感じであった。
まあ、簡単に言うとイカレてたんだけど、別にイカれてても、私はかまわないのである。私は学校の先生でも、警察官でも、池田大作でもないので、人の生き方や、まっとうであるか、まっとうでないか、などをさばく気はないのである。
ヒップホップが、好きだそうで、トラックを作りたい、とか言っていたが、なにしろ、壊れてるので、アナログ指向だとか、言って、MTRとかサンプラーも使わずに作ろうとしていたが、当たり前だが、レコードだけでは、曲は作れないのである。録音しなくては、ならないのであるから。しかし、それが、わからないのである。
それで、レコードだけ、まわして、トラックが作れない作れないと、言ってるのである。アーチストの言う、アナログ指向とゆうのは、レコードから、ネタをとるという事で、けっして、機械を一切使わないということではない、と言おうとしたが、なにしろ、会話が成立してないので、言うのはやめた。
クスリ飲み過ぎて、イカレて、全裸で渋谷を歩いていて(マンションが渋谷のど真ん中だった)、婦人警官に保護されたとゆう話しは、おかしかったが。入院とか、くり返していたのである。どんどん、具合が悪化して。モデルしてるくらいだから、ハデな美人である、、、と言いたいが、実はそれほど美人ではなくて、ただ、ハデなのである。鼻輪もつけていたし。一言で言えば、メチャクチャな女であった。まあ、よく渋谷とかイケブクロでうろうろしてるようなコギャルのひとりである。
長生きは、できなかったか。はああ。朝から、気分が重く、憂鬱になった。人は、いづれみんな死んでいなくなっていくんだねえ。一年後には、一部でネット有名人だった、彼女の事を、憶えてる人は誰もいないであろう。悲しいねえ。
死んでからも、魂は残ってるとか、天国に住んでるとか、そういう永遠性を信じたいのだが、それを信じさせるための宗教は、手の皮をヒンむいて、
「奇跡がおこった!」
「私は、手の皮がむけたから、神の使いである!」
と、いってるような、ばかばかしい状態であるのである、神は死んだ!この世に救いはないのである。天国も霊界も霊も幽霊も悪霊も死霊も地縛霊も守護霊も背後霊も、ほんとうは、なにもないのであろう。死んだら消えてなくなる。それだけ、とゆうのが、真実なのであろう。
それが、一番の人類の悲しみであろう。その悲しみにたえきれず、人間は宗教や神や天国と地獄を発明したのであろう。でも、いくら信じる物は救われる、と言われても、ないものはないのである。ウソをつくな。私はウソはキライだ。瞬間しか生きていられない我々である。
かの女はなんでも、いいから、有名人になりたいと、言っていた。東京には、そんな人が集まってくるねえ。願いはとうとう叶わなかったか。ああ、さようなら。壊れて、向こう側に行って、とうとう戻ってこれなくなってしまったか、、、。人が死ぬのは、悲しいことだ。
『社説』
寒い寒い。ペンギンが凍死するほどの寒さである、とゆうのは前に書いたな、ペギー葉山が凍死するほどの寒さである、これもよくわからんな。<旧石器発掘ねつ造>。
先日、私は道を歩いていた。そしたら、毎日新聞販売店があって、新聞屋のまえには、その日の新聞や記事や最近の記事やトピックスが張ってあったりするのだが、そこに<旧石器発掘ねつ造>の特ダネの時の記事が張ってあった。
そういやあ、この事件、最初は、毎日新聞の報道が、きっかけと、朝日にも書いてあったが、その特ダネとなった記事見てすごいと思った、これは特ダネである、まさしく。
写真が三枚ばっちり隠し撮りされているのである。これほどの特ダネ写真は、めったに見られるものではない。藤村氏が遺跡発掘現場でビニールふくろから、土器破片を出しているところ、それを並べて埋めてるところ、足で土を踏み固めてるところ、、、、。この3マイが、どーんと載っているのである。これはすごい写真だなあ。
撮られてしまった藤村氏は、善悪を別にしたら、気の毒としか言えないが、撮ったカメラマンにとっては、一生に一度クラスの大特ダネであろう。新聞カメラマンとして最高の名誉であろう。
たぶん、あやしいという情報を仕入れて、何日も、夜中にカメラをセットして、待ち続けたの違いない。深夜撮影だから、赤外線かなんかどうやったか、しらんが、セッテイングもたいへんだったであろう。しかし、本当に、その現場を撮ってるときは、すごいドキドキしたろうなあ、と思う。手がふるえるとは、この事であろう。身体のウブ毛がたって、トリハダがヒナカワのヤキトリのように、出たに違いない。新聞カメラマンの珠玉の喜びの瞬間であろう。
しかし、毎日新聞も思いきった記事をのせたものだな、と思う。もし、まちがいだったら、たいへんな事である。世紀の特ダネが、世紀の大誤報になってしまう。それでも載せたのは、やはりこれだけ、ウムを言わせない決定的瞬間の写真が取れていたからだろう。デスクも?というか、新聞屋の上司はなんていうんだ?、も、ここまですごいものが、とれるとは、思っていなかったろう。さぞや、驚いたであろう。
こうしてみると、写真の力というのは、強いものだ。まあ、CGとかあるが、合成した写真である!という反論なんかは、やはりなかったな。当たり前か。写真はペンより強し、である。
しかし、まあ、世紀の特ダネであるが、こうしてみると、新聞屋とゆうのは、人を不幸におとしめて特ダネとゆう、インガな商売であるなあ。人の幸せは、ニュースにならないのである。
人々がみたがるものは、人の不幸である。
人が幸せから、不幸に落ち込んでいくさまを、大衆は見たがるものなのなのである。有名な人が、不幸のドン底に落ちるのをみて、イイキミダ、とホクソ笑みたいのである。
きみもそうだろう?建て前ではなく自分のウソいつわりのない心をのぞいてみれば、獣のようなものがいるのである。人間はその程度のものなのである。認めない人間もいるだろうが、それは、正直に自分の心を見る事のできない、自分に対してウソをついてる人間なのである。人間はみんなハイエナである。死肉あさりである。低俗な存在である。
ゆえに、そのハイエナが本性である世間を生きて渡るためには、我々は、とゆうか、クリエーターとゆうとかっこよすぎか、物書きは、超ハイエナにならなくては、ならないのである。スーパーハイエナである。英語で言っただけ。
低俗を徹底して極めて、低俗が聖なるものに変わる瞬間まで、つきつめて低俗を突き進まねばならないのである。ウラのウラは表である。低俗の底には、神がいるにちがいない。
『社説』
きょうの新聞を見て驚いて、目玉がとびだして、軽井沢まで逃げていった。恐ろしい。軽井沢まで1万五千キロもあるのである。それほどの距離を一気に走り抜けるほどの驚愕した見出しとはこれである。
「武田久美子フルヌード告白36歳白人男性と結婚」
おお!だいじょうぶか、武田久美子!というか、よしたほうがいいんじゃないか。男の趣味が悪そうだが。しかし、いかにも数年で離婚しそうなオーラが、字ヅラからだたよってるのが、見えるのは、細木数子じゃなくても、感じるに違いない。
しかし、国際結婚して幸せに、ちゃんと離婚してない例もあるからな。名前忘れたが、顔の長めなアイドルタレントだった人。と書いてもぜんぜん、わからんか。えーと。朝の花丸なんとかに、たまに出てる女の人。まあ、なんでもいいのだが。
しかし、どうも、ヤクマルという人の、ひねくれたような底意地の悪そうな顔は、朝から見るのは、不愉快きわまりないのだが。あの人だけ、モザイクをかけてくれないだろうか。あと声もボコーダーをかけてロボットヴォイスにしてくれると、さわやかな朝を迎えられるのだが。番組自体はいいのであるが、あの、ヤクマルという人の顔が顔が顔が顔が。
顔は人間の履歴書であるというが、あの人なんか、いかにも、イジメで、何人も自殺させてます、ギゴホホ!というような悪の第一印象をあたえてやまないのであるが、これは偏見であろうか?というか、偏見には間違いのないのだが、まあ、あってみると、いい人かもしれないが、いや、人間は一緒に生活してみないと、その本性までは、わからないものだからな。
いやいや、生活くらいでは、正体を隠すことができるかもしれないではないか。やはり、寝てみないと。ウゲゲバボボボBンンン!では、ヤックンと寝れというのか!きみは!というか、キミは誰?寝るか、、、少しイヤかもしれない。いや、何ごとも挑戦か?しかし、ヤクマルとせっくすしなくてはならないとわ、、、
まあ、ヤクマル氏の本当の性格がわかったからって、パレスチナに平和がくるわけでもないので、花丸を見るのはあきらめて、朝はおきないようにしよう。それが一番である。やはり、早起きは身体に悪い。
たとえば、昨日深夜三時くらいまで、起きていた人がいたとしよう、、、。その人の朝、寝てるとこをねらって、「寝起きチエッッッッッッッッッッッック!」とかいって、カメラマンと乱入して、起こして朝からインタビューしてみよう。えーとかいって、朝からギャグを飛ばして、笑ったならば、その人は、昨日の夜、マネージャーに耳打ちで、仕込みされていた、お笑いタレントである。それ以外の人類ならば、殴り倒されるにちがいない。
もし、その人がゴルゴ13ならば、撃ち殺されること確実である。もし、そのひとが、激怒してしかもモミアゲがはえていたならば、その人はさいとうたかを、せんせいである。えーと。なんの話をしていたのだろうか。
実は驚愕した見出しというのは、「武田久美子」ではないのである。これである。
「緊急報告!!私は字宙人に異物を埋め込まれた!!UFO誘拐事件(再)摘出手術」である!おおおおおおおおおおおおおっあわあわあわあわあわあっ!!!
ところで、気がついた人はいるだろうか?宇宙人ではないのである。字宙人である。よおく目のたまをえぐり出して漢字を、見てみるがいい、見えない。
きっとしゃべる言葉が全て漢字なのである。日本人と中国人と韓国人だけには、対話ができるが、西洋人には、理解できないにちがいない字宙人。まあ、それはどうでもいいのだが、摘出手術とかいってまた「心霊手術ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっっっっx!」とか叫びながらタイとかフィリピンで、メスも使わないで、指だけで、身体だから臓器を摘出するフリをして、鳥のレバーとか、取り出したりするアレだろうか。最近、レバーをよく食べてます。
『社説』
こんにちわ。私がウェブスターである。
なんだか、知らないが、知らないうちにウェブスターとゆ、ものになっていたのだ、変ぼうしてしまったのだ、じかんとゆのは、戻らないものなのだ。
メールが来て、アナタ、ウエブスタナッタアルヨ、ショーダクスルアル、と言われたので承諾したら、ウェブスターになってしまったのである。しかも、よくわかってないのである。ウェブのクリエイターを作ってどのこの、とゆうものらしい。
しかし、ウェブスターである。なんとなくエラソウ。エヘン。ひかえおれ、ズが高い!ウェブスターさまなるぞ。
時事ネタをやろうと、思ったが、今日はとくにネタもないのである。今日のニュースと言えば、
「クラキマイのお父さんのビデオ」
くらいである。
実にどうでも、いい話しではないか、なぜ、反対などするのだろうか、記者会見で、芸能記者とはげしく言い争いをしたそうだが、ヒッキーのコピーキャット発言で、実にコウルサイとわかったクラキマイの事務所も、また、反対してるようだ。
しかし、どうでもいいではないか。「クラキマイのお父さんのビデオ」が発売されるくらい。
お父さんが、
「うろうろ歩きまわったり」
「にこにこ、パンツ一丁でビールとか飲んでる」
ビデオではないか、、。まったく誰が買うのだろう。こんなただのお父さんのビデオ。ホモだろうか?お父さん専ホモ?などという特殊怪奇なジャンルがあるのだろうか?
「ヘイ!いらはい!田中さんのお父さんのゴルフ姿の盗撮ビデオはいったよ」
「大木さんのお父さんの泥酔忘年会せくしービデオプレミア付きだよ」
とか、地下組織で高値で流通してたりするのだろうか。世も末である。
『社説』
アメリカ大統領選が、なんか、おもしろいことになっている。
どっちが、大統領になるのであろうか。たいへんな接戦だそうである。私が思うに、接戦となった原因は、どっちの候補も、パッとしないから、ではないか。ブッシュは、なんか、たよりないし、ゴアは冷酷そうだし、というか人相悪いし。どちらにいれても、悪くなりそうだ、どっちもだめそうなオーラを出してるのではないか。
それでいながら、どっちも、同じような感じである。印象というか、人物の大きさが。どっちにいれても、たいしてちがわないんじゃないかと、思わせるものがある。服も同じだ。
ところで、アメリカ初の女性大統領は、ヒラリー夫人になるような、気がしないか。というか、ぜったい、心の中で、ヒラリー夫人は、10年後くらい先に、大統領選に出ることを、狙ってると思う。テレパシーをもってなくても、野心がぎらぎらして、にじみでてくるのを、感じるのである。というか、これ、誰でも感じてるかも。
それにしても、今回の大統領選で、面白かったのは、ゴアが、ブッシュに、敗北を認める電話をして、あとから、とりけした事だった。アメリカでは、表面的なスポーツマンシップというのが、心の中でまったく別な事を、考えていても、求められ、喜ばれるので、大統領選では、負けた候補が勝った候補に、電話をして、お互いに健闘をたたえあう、というウスラ寒い光景が見られるのが、伝統のお約束だという。それで、ゴアが
「ハイ、ブッシュ!やあ、負けてしまったよ。なかなか、やるじゃないか!きみこそ、大統領にふさわしい人間だ!」
「オウ!ゴア!きみこそ、すばらしいライバルだったよ。選挙中はいろいろ臓腑をえぐる悪口いわれたが、みずにながすよ!」
とか、口のはしをピクピク痙攣させながら、言ったにちがいない。
そのあとで、
「やっぱり、負けはみとめん!大統領は、私のほうがふさわしいぞ!このファーザーファッカーめ!」
とか、取り消しの電話をしたのである。なんというばかばかしい光景であろうか。ゴアも恥ずかしかったに違いない。子供の使いにでもなった気分だったにちがいない。
まあ、日本人は、なんでも、イエスイエス、とへらへら、笑って答えて、メガネかけて、吸血鬼のようなキバがはえてて、なに考えてるか、わけわからんので、無気味だ、とアメリカ人に思われてるが、こうしてみると、アメリカ人も、フェアプレイの精神とか、言って、心の中は、はらわた、煮えくりかえってるにも、かかわらず、表面だけは、ニコヤカに健闘をたたえあうとは、本音と建て前が、はげしく分離してて、なにかんがえてるか、わかったもんじゃねえ、と思う。
『社説』
ずっと逃げていることについて、考える。
ずっと、逃げていた人が、逮捕された。昔は、日本赤軍というものだったらしい、、、。25年も逃げ回っていたそうである。
25年逃げ回る生活とは、どういうものだったのだろうか?
それで、ふと思い浮かんだのは、横井社長ではなくて、横井庄一と小野田ひろおである。小野田さんは、漢字がわからん。2人ともスターであった。当時の小学生にとっては。考えてもみたまい。ジャングルのなかに、数十年間である。何年間だったのだろう、こちらは。さっと、いいかげんな計算をしてみたが、20年間くらいである。
すると、この赤いおばさんは、横井さんより、5年多くジャングルにくらしていたことに、なる。横井さんの手記や記事は当時の少年雑誌や学習雑誌の花形だったのである。ジャングルで横井さんは、何を喰っていたか、とか、どんな生活をしていたか、とか、よく載っていたものである。誰でも、ジャングル願望というのが、あるのである。
私は、よく考えた。もし、飛行機が不時着して、ジャングルにひとり取り残されたならば、どういうふうに生き延びたものか、、、と。たしか、そういう映画もあったような気がする。今ならば、飛行機が落ちたら、1人だけ、生き残るよりは、きっと、空中で機体爆発して、地面に激突して、全員死亡で、1人だけ生き残りなんてことは、起きないにちがいない、、、、と、思う。価値観の変化か?
それにしても、横井さんの記事で今も忘れられないのは、ジャングルで、ネズミとか、ナメクジとか、カエルを喰って生きていた、というとこである。おいしいそう。ではなくて、すげえ、と幼心にとらうまに思っていたのだが、今思うと、考えてみれば、横井庄一本人が、子供向け雑誌に記事を書いてるわけでもなく、てきとうなライターが、でっちあげて書いてたにちがいない、のだから、本当にナメクジを喰っていたかは、ほとんどあてにならない、と思う。
なぜならば、出版界の暗黙の法則というのが、あって、しばらく働いていると、拒否したくても、身についてしまうものだが、「事実よりも、面白くするために、てきとうにウソを入れて書く」という習慣が身についてしまうのである。
これは、昔、朝日新聞のカメラマンが、「サンゴを守ろう」という記事の写真で、適当なカメラ映りのいい自然破壊されたサンゴがなかったので「自分でサンゴをへし折って」写真にとって、使った、事件を見てもあきらかなことである。こういう動作を無意識にしてしまうものなのである。サンゴを守るために、サンゴをへし折って、はじめて、プロらしくなったな、、、、ポン、とカミナリ上司のイカリヤチョウスケに肩をたたかれて、脱きゅうするという、きびしい世界なのである。
それにしても、まあ、昔昔のヒッピーの時代は、共産主義がヒップで、ニートで、イカシテルと思われて、ちょっとインテリぶったプログレッシブな連中は、みんな世界革命を夢見ていたわけであるが、まあ、共産主義もただの流行のスタイルにすぎなかったのである、そして、もはや、アラが見えてしまって、魔法がとけてしまってるのである。
ソレンはなくなるし、北朝鮮は、食い物ねえのに、怪獣映画つくって有名になってるし、キューバはカストロおじさん、なんかいいひとになってるし、誰ももう、世界革命は起きないことを知ってるし、共産主義に革命しても、平和も平等もなんもやってこなくて、共産主義とは、革命指導者の一家のライフスタイルを国民全体に押しつけて、みんなでマネしろ、マネしないものは、銃殺、ていどのナンセンスなものだと、ばれてしまった。
そんな崩壊した価値観に一生をささげて逃げ回る人生とは、どんなものか、逃げ回ってる間にどんどん壊れていく共産主義の現実を見ていく人生とは、いかなるものであったか、、、。
それとも、目に見える現実を見ず、自分の見たいものだけを見て、生きていたか。
こっちのほうが、ありえるか。裸の王様である。マスコミは操作されてるからと信じず、支持者のサークルの中だけで生活していれば、永遠に夢の中に暮らしていけるのだろう。これが千年王国である。
『社説』
さて、今日は世界は、どんな出来事が、あったであろうか?と、新聞を見てみる。
「タイで自動ポルノ」で、製作会社社長が逮捕だそうだ。おお!なんという世も末であろうか?世界の倫理は、どうなっているのか、、、。
しかし、「自動ポルノ」とは、、、(絶句)。
あいたズボンのチャックが、ふさがらない、とは、このことである。露出狂でつかまってしまうではないか。
露出狂といえば、先日、おしゃれな若者の街、ジョージタウン(火をつけて良し)で、チンをだして、止めて並んである、バイクに順番に、尿をかけている若者がいた。
ブツブツいって、UFOのお迎えがたまに来て、よくエイリアンに恥ずかしい人体実験をされてしまってるような、コベコベしたオヤジならわかる。だが、しかし、これは若者である。
見た目は、やはりくるくるぱーそうだが、大学生風の男が、人通りのおおい街頭で、尿である。オウ!ニョウ!。外人が百姓一揆を起こしそうな、ギャグである。まあいい。なぜ君は、バイクに尿を、ふりかけながら、歩き続けなくては、ならないのか?前世が肥料屋さんだったのか?
それとも、パフォーマンスだったのであろうか?大橋巨泉に時代ならパプニングという、アレである。とんでもハップン、というコトワザもあった。
しかし、先入観にとらわれず純粋な心で考えてみたまえ君。もしかして、その若者は、愛にあふれた善意の青年だったのかも、知れないではないか?
こういう、一般人が、気持ち悪そうに、見るような行動をとる人に、限って、実は、ウラには、感動的なエピソードが隠されている、、、、という事例は、なんとかドラマランドという、ゴミのような、テレビ番組を見ても、よくあるではないか?
きっと、白血病が関係してるのである。エイズでも、いいような気がシロウトは、思うだろうが、エイズではない。なぜなら、「エイズ」という言葉は、もはや、差別用語と、なってしまい、よほどの覚悟とか、おおげさな大上段にかまえた理由でもないかぎり、テレビや雑誌の話では、出せないようになってしまったのだ。
「エイズ」というものが、人々の頭の中に浸透してきた、初期の時代には、
ウラギッテ私を棄てた恋人に復讐するために、ニューヨークに渡って、エイズになって帰ってきて、その男とHして、エイズをうつして復讐する
というような話が、平然とレディコミに載っていたりしたものだが、今はまったくこういう話しは、タブーとなってしまった。
それで、この「尿をかけてまわり少年」も、実は、かわいそうな白血病の妹と、約束して、それで、尿をかけて回ってるのかも知れないと、思わないか?思いませんよね。と、自分で否定してどうする。
「オニイちゃん、尿かけてまわってえ。はあはあ。尿をかけたら、エリサ(誰?)元気になるような気がするの」
「わかったよ、かけるよ!かけます!かけます!尿うううううううううううううううっ!!しゃー。」
と、こんなサイドストーリーがあったのではないか?あるわけないですよね。しかし、感動的な話だと思い込めば感動的な話である。
映画化のさいは「尿をかける少年」というのは、どうだろうか?
それにしても、「タイで自動ポルノ」である。しかし、どういうものであろうか?自動的にポルノなのであろうか?
ならば、「手動ポルノ」というものも、存在するのでろうか?「手動ポルノ」は、なんかいやらしい感じがする。
それにひきかえ、「自動ポルノ」とは、なにごとか!なんでも、自動化しては、味気ないではないか。有機ヤサイのように、化学肥料を使わないで、自然の力で、ポルノを作るのが、本当のポルノではないか。
「自動ポルノ」関係者は猛反省をしてもらいたい。なにを書いてるかわからなくなったので、オチはない。
『社説』
自分で埋めたのを、発掘して、見つけた!と叫んだ人がいる。
いいではないか。比喩的な意味で、「自分で埋めておいて、自分で発掘する」ことは、誰でも一生に一度くらいあるだろう、、、。あなたも「自分で埋めておいて、自分で発掘した」身に憶えはないか?(あなたって誰だろう)。
それを言うなら、テレビだって、「自分で埋めておいて、自分で発掘する」番組がテンコもりでは、ないか?
「ガチンコ」「別れる2人(だったか?)」「おもいきりテレビ」「電波少年」「未来日記」、、、みんな「自分で埋めておいて、自分で発掘」してるではないか。
どれも、関係者が口をつぐんでいるだけだ。誰1人として、ほんとうに、それが「最初から土に埋まっていたもの」とは、思っていないのではないか。いや、2チャンネルの情報などからすると、それらのテレビを本当に、「最初から土に埋まっていた」と、思って、応援したり、見て感動の涙を流してる、英語で言うなら悪い意味でのナイーブな人たちが、いるらしい。このナイーブは、繊細で細やかである、ではなくて、世間知らずで単純でだまされやすい、という意味なのは、言うまでもない。
この世は「自分で埋めておいて、自分で発掘」が、大流行りなのである。いや、この世のすべては、「自分で埋めておいて、自分で発掘」であると、言っても過言でないのかも知れないのではないか?
みんなは「自分で埋めておいて」さも大発見をしたように「自分で掘り出してる」だけではないか?
自分でも気付いてないのではないか?埋めたのが自分であることを、、、。目が曇ってはいないか?自分の見たい風景だけを、無意識に自己操作して、その瞳で見てはいないか?本当に「自分で埋めておいて、自分で発掘」したことが、ないと自信をもって言える人間は、いるのか?
それを考えてみると、たかが、割れたお皿やツボを、土に埋めて、また、掘り出すくらい、罪がないではないか?リサイクルにもいいではないか。
夢の島とか、ゴミ捨て場は、日本中で、いっぱいいっぱいになってきていて、問題になっているのである。その人は、これ以上ゴミを増やしまい、と大昔の「燃えないゴミ」を、土に自ら埋めて、始末したのでは、あるまいか?
そう考えてみるならば、「日本エコロジー協会」から「エコロジーオブザイヤー」とか、賞をもらっても、おかしくない、立派な行動なのである。
「日本エコロジー協会」は、なぜ、黙っているのか?今こそ、表賞して、その団体の価値観が、一般社会の平民どもの価値観と異なって、地球規模、宇宙規模で、大きな視野で考えてることを、示すべきではないか?
だいたい、過去を貴重なものと、考えるから、大事件になるのである。過去など、なんになるのであろうか?
過去の時間など、ないと思えばないのである。アブクのような人生である。目に見えないものは、存在しないのだ、目に見えるものだけを、信じるべきである。
土器の破片などは、大昔の「燃えないゴミ」ではないか。
考えても見るがいい。昨日、あなたは、知人を酒を飲んで口論して殺してしまった。それで、屍体を埋めようとして、庭を掘った。すると、地中から、コンビニのビニールブクロが出てきた、、、、、。
さて、そこであなたは、この「コンビニのビニールブクロ」が、1年前のものか、20年前のものか、悩んで屍体を埋めるのも忘れ、考え込むであろうか?
否!否!否!
考えないに違いない、というか、コンビニのビニールブクロどころじゃなくて、世の中にはもっと大切な問題があるのだ、と思うにちがいない、この場合は、屍体を埋めることである。考え込んでいたら、日が開けてきて、近所の人に見つかって、警察に通報されてしまうではないか?
さて、これで問題は、はっきりしたであろう。やはり、逮捕されるよりは、屍体を埋めるべきである。
それにしても、こんなふうに、すべてが、ばれて、今まできづきあげてきたすべてが、一瞬の間にパアになるということは、よくあることではないが、たまにあることである。これが人生だ。一寸先は、海の底である。
明日、「自分で埋めておいて、自分で発掘したのがばれて」新聞の1面をかざるのは、あなたかも知れない。他人事じゃないよ。まったく、、、。
『社説』
なんか、今日は、妙に人が来ているのである。サイトに。
日記のテーマが『(5票)(3568)ハムスターナポリタン「日記」見渡す限り、あんさんたる荒野が、ひろがっているハムスターさん』というインサンなものだっただからであろうか?
死臭を嗅ぎ付けて、集まってきたか。死は匂うのであろうか。
死の匂いと言えば、最近も父親が死んで葬式をしたりしてるのだが、それよりも、幼児期の体験のほうが、リアルに思い出されるのはなぜであろう。
子供の頃、親戚に寝たきりのおばあちゃんがいたのである。たいへん、高齢だったのである。今だったら、カンオケに片足をつっこんだババアとか書くところだが、親戚で知ってる人だと、そういうことは書きにくいものだ。それで、子供のころは、地元にいたので、親戚つきあいとが、ちゃんとあって、年に数回とか、親戚の家とかに、いったりするのである。
寝たきりのおばあちゃんは、もうヨボヨボして、いつ死んでも、わからないような状態だったのである。その部屋の匂い、、、。これが死の匂いなのだな、と子供心に感じていた。
もっとも死に近い人の出す独特の匂いである。
しかも、効果を高めるように、老人の部屋には、子供の頃、死んだ子供の写真が、飾ってある。遺詠なのか?それがまた、なんとも、無気味で。もう、何年も前に、死んでいる女の子のお下げの写真の大きいのが、どーんと鎮座しているのである。
あの女の子は、誰だったのだろう?親戚のどれか、というところである。子供とゆうのは、時間の概念が短いので、案外、今思うと、それほど、大昔に死んだ子供ではなかったかも、知れない。
だが、しかし、そのころの、子供の私には、遠い過去から、時間の壁を越えてやってきて、覗き込んでる、不可思議な存在に感じていた。超越したもの、とか、そんな感じである。死者への、恐れかつ、うやまう気持ちのあらわれだろうか?
なにも、考えてない、カラッポの脳みその子供にも、そういう感覚は、存在してるのである。死に対する本能的な恐怖感と、うやまう気持ち。そんな死にもっとも近い部屋であった。
子供というのは、大人が親戚と挨拶して、近況報告やら、真面目な話しやら、くだらないバカ話しなどしてるあいだ、ひまなものなので、よくその部屋でだらだらしてた記憶がある。あと、家の中を探検とか、、。あまり探検する面積のない家だったが、庭にある水の張ってある古いカメなどは、子供には、神秘的なものに感じたものだった。
イナカを棄てて、長いので、もう、その頃の親戚の家とか、親戚とか、部屋とかは、私の記憶の中だけにしか、存在しない物のように感じる。でも、数十年ぶりにイナカに帰ったりすると、記憶の中だけに存在しているはずのものが、今も、そこにあったりして、時間がなにもたっていないかの、ように、実に気持ち悪い思いをするのは、私だけだろうか?
つげ義春の「李さん一家」とゆうマンガのオチで、「彼らは今、どうしているかというと、、」「今も2階に住んでいるのです。」というのが、あるのだが、そのオチのなんともいえない、不安定な不安な気味の悪さ、または居心地の悪さ、に似ている。過去が、時間を越えて、覗き込んで来ると、実に不安なものだ。それにしても、縄文時代なら、私はもう死んでいる年齢なのである。長老とか、呼ばれていたのだろうか。
日本人は明治に入って、食生活が西洋化して、寿命が、どんどんのびたそうだが、
そう考えてみれば、コレストロールばりばりのステーキとか肉とかアイスクリームとか、ムシャムシャ食べる生活も、悪くないにちがいない。
だいたい、占星術などに、脳みそをやられ(偏見)、ヨガとかはじめたり、ベジタビリアンとかになると、急に、昔の日本のような「粗食」を食べて健康になろうとか、しはじめるが、よく考えてみると、昔の人はヘルシーな日本食くって、ばんばん若死しているのである。
フスマやオカラやヒエ、アワ、ムギを喰っても、実は、ぜんぜん、長生きできないにちがいない。ステーキのアブラミの脂肪だらだらしたのを、喰ってコレステロール万歳と、こっちの方が長寿になれるにちがいない。喰わないけどな。
関係ないが、サケやツナのカンヅメの油は、身体にいいそうである、ダイエットでも。カズハヤシというレスラーが言っていた。これが最近の一番のトピックスであった。これで、ツナが食べれる。うれしい。ツナおいしい。
『ハムスターしんぶ〜ん社説』
最近、新聞のチラシがやたらと、多い。
なんだ、この厚さは、と思うのである。朝日新聞である。本紙も厚いが、配られてくる状態では、チラシが本紙よりも、厚い状態なのである。それを4つおりにして、郵便口にむりやり押し込んであるのだが、最近、どんどんチラシが多くなってきて厚くなってきてるので、なかなか入れるのも、取り出すのも、ギリギリでギューギューとゆう状態である。
なんで、こんなにチラシいれるのか?本紙を1としたらチラシが1、3くらいの分量である。これをなにも見ないで、そのままゴミになるのである。なんとゆう紙資源のムダ使いであろうか?
リサイクルリサイクルと、頭の狂ったキリギリスのように、世間では、合唱がうるさくいわれてるが、新聞のチラシをへらせ、とゆう声がまったく聞こえないのは、なぜなのであろうか?と、思う。が、考えて見れば、リサイクルで資源保護、とかゆう記事を見るのは、新聞やテレビ?もか?などである。ゆえに新聞が自分の収入をへらしてまで、もっとも身近な資源浪費である、「新聞チラシばか大量」を、黙殺して、のせるわけはないのではないか?
朝日新聞の読者欄などで、このチラシの資源無駄使いの投書など、ぜったい来てると思うのだが。むこうでボツにしてるにちがいない。暗黙の了解とかで、自社の批判は、のせないことになってるのであろう。
チラシは新聞の収入のかなりの分をしめてるに、ちがいない。口先では、資源を守ろう、とかキレイことを言ってても、その対象が自分におよんだら、いきなり口をつぐって見てみないフリをするのである。
まあ、資源がコカツしようが、人類がメツボウしようが、キリストが再生しようが、オゾンが破壊されてUFOが来襲しようが、知ったこっちゃないのだが、新聞のゴミだしはたいへんなので、チラシがイミなく大量に入ってるのは、実に不愉快で困るのである。
新聞と言えば、新聞チラシは、世間の情報源として貴重です、とかゆう話しは、よくわざとらしくのってるんだがねえ。そうやってヘリクツをつけて、自らを正当化してるのである。
そんなことを言えば、ゴキブリだって、もし食料危機がおきたときには、貴重なタンパク源になりますと正当化できるだろうし、クジラ漁だって、貴重なオキアミやイワシを大量に食べる資源保護の敵、クジラを殺すことは、人類の貢献です、といくらでも、ヘリクツはつけられるのである。
長所がない人間はない、とゆうが、どんな人間でも無理矢理長所を見つけられるものであるが、そんな長所は、実際のところ、短所に併殺されてなにも役にたたない程度のものなのである。世の中とはそんなものである。
とにかく朝、とゆうか昼だが、郵便口からガリガリ無理矢理、チラシで膨れ上がった新聞をとりだすのに苦労するのは、なんとかならないだろうか?朝日新聞。人民の味方だろう?
ところで、新聞チラシを入れるともうかるのは、新聞社なのだろうか?新聞配達店なのだろうか。どちらかは、知らんが彼らの収入を増やすために、部屋中が古チラシの山にあふれる事態はなんとかしてもらいたい、といゆか、こまめに新聞すてろオレ。
こんなにチラシが多いのは、東京だけなのだろうか?ほかの街ではもっとスッキリしてるのだろうか?たぶん、これよりは、厚くないにちがいない。
今、思いついたが、新聞チラシとゆうのは、スパムメールと同じではないか。チラシは受け取り拒否とか、できるといいと思う。しかし、これは新聞または新聞配達店にとって大幅な収入減になるので、告訴でもいなければ、無理だと思う。こういう制度はできないだろう。我々は、新聞をとる契約をしたので、新聞チラシをとる契約をしてるわけではないのだが。
『ハムスターしんぶ〜ん社説』
寒い。世界が崩壊するような寒さである。今日はなん人、凍死したかぁぁぁ!今日はなん人、凍死したかぁぁぁ!
そういう寒さである。さっき、そとをみたら、ペンギンが凍死していた、、。恐ろしい。冗談だと思うだろうが、これは本当のことである。ペンギンもまさか、この寒さに強い自分が、極東の亜熱帯地方にぞくする文化の低い島国日本で、凍死するとは、いたくプライドがキズつけられてことであろう。おおっ!ペンギンさんに神のおめぐみを!
ペンギンといえば、先日、職場で話をして誰も信じてくれなかったが、北海道にはペンギンがいるのであーる。海にいくと、スーイスーイとペンギンが気持ち良さそうに泳いでいるのが、マレに見ることができるのである。マレをいうか、一度しか見たことがないが。うむ。しかし、誰も信じてくれない。
どこかから、逃げ出して野生化したノラペンギンなのだろうか?略してノラペン。うむ。かわいいではないか?
いやいや、それより、知ってるひとは知ってるが、ガラパゴス諸島など、赤道に近いところにも、ペンギンは生息しているのである。だから、北海道にペンギンがスーイスーイ泳いでいても、少しもおかしくいないではないか?決定。北海道に、ペンギンはいる。そういうことにしておこう。
と、いいながら、見かけたのは、ペンギンというより、ウミガラスとか、ゆうものかも知れない。ペンギンみたいなもので、それより、なんとなくアリガタミにかけるウミガラスとゆう種類が、いるらしい。それかもしれない、と我が輩は推理をするのである。
私が目撃したのは、身長20〜30センチくらいのちいさなものであった。これが小魚を追いかけてスーイスーイと泳いでいたのである。
ちなみに、鳥類ズカンによると、ウミスズメ、とゆうものいるらしい。これも、ありがたみにかける名前である。
こうして見ると名前というのは、おおいに印象を左右するものである。人間の目はフシアナなのである。そこにいるのを、ペンギンと呼ぼうがウミガラス、ウミスズメと呼ぼうが、名前とゆうものは、人間がかってにつけてるだけのものゆえ、実体は同じなのだが、ペンギンの方が、貴重に感じてしまう。人間の感受性などというのは、単にムードに流されっぱなしのいい加減なものである。
ペンギンが絶滅寸前とゆうことになったら、まあ、かわいそうと、みんな心配したり保護運動をはじめたりするではないか?ところが、その絶滅しかかってるのが、ウミガラスとかゆう、イキモノであったらどうだろうか?
かわいそうな知性も高い人間のおともだちのウミガラスが絶滅の危機にひんしてます、ひとり寄付金をひとくち10万円おねがいしま〜す!!
と、渋谷で、募金活動をしたら、チーマーに、なぐり殺しにされること、確実である。とゆうわけで、
クジラは知性のある人間と同等なかわいい生き物であるから、殺すなあああああああああああああああ!
と主張して、クジラの空揚げを居酒屋で喰ってるやつをみると、集団で囲んで説教を五時間くらいして、言うことをきかないと、その本人をかわりに空揚げて食ってしまう自然保護団体の連中がいるが、いやいねえよ、まあいい、クジラだから保護しようという気がおきるのである。
もしクジラがゲンゲロベッペジョンジョロロン!などという名前だったら、こんなに保護運動がもりあがるだろうか?いや、もりあがらないこと神に誓ってである!
かわいいゲンゲロベッペジョンジョロロン!を保護しましょう!ゲンゲロベッペジョンジョロロン!は人間のともだちでーす!
などと、駅前で主張しようものなら、地球全体の全人類の笑い者になって、
ゲンゲロベッペジョンジョロロン!なんて、みんな空揚げにして食ってしまえばいいんだよう!
とか、言われるのは、確実である。
それどころか、こんな恥ずかしい名前のイキモノは、人類の恥だから、人知れず、滅亡させるべきだ!
とゆう主張をかかげたカゲキな逆動物愛護団体が、ゲリラ活動をして、ゲンゲロベッペジョンジョロロン!を殺しまくり知らん間に、絶滅してるかもしれない、、、、。恐ろしい世の中である、、。ゲンゲロベッペジョンジョロロン!とゆう名前じゃなくてよかったな、クジラ。
ところで、昔の北極だか南極だかの探検隊は、ペンギンのヒモノでタイマツをつくったそうである。御存じのように、ペンギンは寒いとこに、すんでるから、体脂肪がおおいのである。そこで、昔の人は、ペンギンのケツに棒をさして、火をつけてタイマツにしていたそうである。とゆうか、昔のペンギン狩りの目的は、ペンギンを煮て、ペンギン油?をとるか、ペンギンタイマツを作るか、だったのである。ペンギンは、燃料資源の一種だったのである。どうでもいい雑学。
あと、オオウミガラスとゆうのがいて、こっちは本当に絶滅してしまったのである。昔は北海道などに生息していたのである、が、乱獲がたたって絶滅である。でも、そんな話は誰も知らないであろう。やはり、カラスなどという名前がついてるから、アリガタミがなくて、誰も保護しようという気にならなかったに違いない。これが、人間の本性である。人間を信用してはいけない。
MORE
コミック
アニメ
漫画
ホラー
無料