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イスタンブル (1992年4月23日) ![]() エユップ・スルタン・ジャミイ 4月23日、朝8時。 イスタンブルのアタチュルク国際空港でTさんと再会した。 タクシーでイスタンブル市街に入ると、まず今夜のアンカラ行きの寝台列車の切符を買った。 イスタンブルには海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側に2つ駅がある。 アンカラに行くには当然アジア側のハイダルパシャ駅から乗ることになるが、切符はヨーロッパ側のシルケジ駅でも買えた。 ここはヨーロッパの果て、オリエント急行の終着駅。 はるかに続く線路を前にして私が感慨に耽っているうちに、Tさんはさっさと切符を買ってくれた。 その後、Tさんとそのお友達のトルコ人のAさんに連れられて、イスタンブル市内を歩く。 初めて訪れた街だというのに、懐かしいような気がするのはなぜだろう。 モスクの丸い屋根、響き渡るコーランの詠唱、道行く人の言葉も日本とは違うのに…。 まだ何も見ていないのに、この町が好きになりそうな予感がした。 せっかくだから観光客のあまり行かないところに行こう、とふたりが連れて行ってくれたのは、エユップ・スルタン・ジャミイ。 エユップはイスタンブルの西方、テオドシウスの城壁の向こうに位置する。 バスでも行けるが、今日は船で行った。 船は金角湾をのんびり上って行く。 エミノニュ桟橋から30分ほどでエユップに着いた。 ジャミイ(モスク)までの道は、ジャミイが近づくにつれ、露店が多くなる。 お菓子やらお守りやらスカーフやら。 そんな露店のひとつでAさんがお菓子を買ってくれた。 カルメ焼きのような甘いお菓子。何となく懐かしい味だ。 この辺りはイスタンブルの中心街とは一味違ったゆっくりした時間が流れているようだ。 エユップ・スルタン・ジャミイは1459年に建立され、新しいスルタンが即位する時にはここで聖剣の授与が行われたと言う由緒あるモスクだ。 聖戦で殉死したマホメットの旗手エユップの墓があり、参拝者が絶えない。 ここはイスラム教徒にとってメッカ、エルサレムに次ぐ第3の聖地なのだそうだ。 モスクはそれほど大きくはないが、落ち着いた女性的な感じのモスクだ。 青いイズニックタイルが美しい。 この一帯には墓地が多く、モスクにも募廟のような静かな雰囲気が漂っていた。 モスクを見下ろす丘の上に登った。 道の両側は一面の墓地だった。 白い墓石が雑草の中に無造作に並んでいる。 こちらの墓石は、高さ1メートルくらいの円柱の上に丸い石をのせたような形をしている。 ターバンや帽子を被ったような形のものは男性の墓、そして墓石の頭部が緑色に塗られているのは埋葬された人が巡礼に行ったことを示しているのだとAさんが教えてくれた。 丘の斜面に続く墓地は、明るい陽射しの中でどこまでも静かだった。 丘の上にチャイハネ(喫茶店)があった。 ピエール・ロティというフランス人の作家がよく通った場所らしい。 今では彼の名前が店の名前になっている。 金角湾を真下に眺めながら飲むチャイはおいしかった。 このあたりまで来ると金角湾もどんづまりで水はきれいとは言えない。 でも、遠くにかすむイスタンブルの町と金角湾、そして対岸の新緑とピンクの花に彩られた山の景色は、まるで一枚の絵のように美しかった。 夕食はAさんのお家に招かれた。 フェリーでアジア側に渡り、タクシーで10分ほどの高級住宅地。 突然の訪問だったので、たいしたものはないんだけど…と言いつつもテーブルには何種類もお皿が並べられる。 思いがけずトルコの家庭料理を堪能することができた。 トルコ料理はトマトやピーマンなどの野菜をたっぷり使って、味も日本人には合っていると思う。 お腹いっぱいになって、すっかりくつろいでしまった。 気が付けば列車の時間が迫っている。 Tさんと私はハイダルパシャ駅にタクシーを飛ばし、夜行列車に飛び乗った。 10時半に列車は時刻表通りに発車した。 私達のコンパートメントは一等だけあって快適だった。 洗面台やクローゼットも付いていて、アメニティグッズもいろいろ揃っている。 歯ブラシからソーイングセット、靴磨きまで。 ちょっとしたホテル並みの装備だった。 しばらくすると車掌さんがベッドメーキングしに来てくれた。 ソファの部分が二段ベットになる。 この車掌さんは笑顔がチャーミングな、なかなかの好青年だった。 黒い巻毛に人懐っこそうな瞳。トルコ人は一般的にとてもフレンドリーだ。 一日でいろんなことがあったせいか、二段ベットの下段に横になるとすぐに眠ってしまった。 |