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コラム009 ごっこ遊び 02/02/02



 “ごっこ遊び”というものがある。辞書には「子供が、大人の真似をする遊び。例:買い物ごっこ」とあるが、大人の真似をする以外にも「戦隊ヒーロー物のテレビ番組の役柄をそれぞれが演じる」といった類の遊びも“ごっこ遊び”に含まれる。
 私は子供の頃、けっこう大きくなるまで“ごっこ遊び”に興じていた。演劇的に体を動かす“ごっこ遊び”だけで無く、人形を使ったり、床に座って状況を口で言い合うだけといった形式で遊ぶ事も多かった。シチュエーションや役柄も、「戦隊ヒーローを束ねる長官」とか「謎の宇宙線の影響で正義に目覚めた悪の怪獣」とか「サンリオのキャラクター総出演でキキの役」とか、割と多彩だった。

 さて、「RPGとは“ごっこ遊び”だ」と言い切る人がいる。しかし私は、RPGと“ごっこ遊び”には明瞭な境界があると考えている。

 まず、未読の方はコラム001『RPGとは何か?』に目を通して欲しい。ここで“極めて広義なゲーム性”という言葉を用いたが、説明を付け加えさせていただく。
 私が定義するRPGは、“極めて広義なゲーム性”が存在する事により、“状況対応シミュレーション”としての機能を持つ。
 「目の前で喧嘩が始まった」という状況があるならば、「殺し合いに発展しそうか?」「原因は?」「周囲の反応は?」「警察の対応はどうなる?」「自分の実力で止められるか?」「下手に止めに入ったら、却って当事者の遺恨を残す結果になったり、或いは自分も喧嘩に巻き込まれて官憲に裁かれたりといった結果にならないか?」「無関心を貫いたせいで最悪の事態になったとして、自分は納得できるか?」といった幾つもの疑問が生じ、制限時間内に情報を集め、判断して、起こすべき行動を決める。
 行動が妥当か否かは、ルールとシナリオとゲームマスターが審判する。
 これによってRPGは、言わば「ローテクな“バーチャル・リアリティ装置”」となる。

 “バーチャル・リアリティ装置”によって与えられた現実感(文字通りの現実世界だけでは無く、トールキンの言うところの“第二世界”の現実感も含む)は、RPG/セッション/プレイを構成するパーツをまとめる求心力になる。

 子供は、求心力の乏しい“ごっこ遊び”でも折り合いをつけて遊んでいられる。それというのも、ほとんど“物語”らしい“物語”を持っていないので、「事件が起こって、それに対応する」という形式が発生せず、固定された状況から先に進むこと無く1つのシーンを演じているようなものだからなのだ。
 子供も大きくなれば、そんな“ごっこ遊び”に飽き、小説や映画やコミックなどに関心が移って行くしか無い。

 「自分は“ごっこ遊び”的なRPGをしている」と思っている人も少なくないが、そういう人も、子供が行う“ごっこ遊び”そのものを行っている訳では絶対に無い筈である。必ず何処かでその人なりの“状況対応シミュレーション”をしているに違いない。本当にやっていないと言うのであれば、それは正に“ごっこ遊び”であり、「RPGをプレイする」と言って人を集めるのは間違いだ。

 ちゃんとしたRPGをしていく上で、“バーチャル・リアリティ装置”が正常に機能しているかどうかは、常に注意しておくべき重要事項の1つである。
 セッションが上手く運営できない原因として、「“バーチャル・リアリティ装置”の機能不全」が占める割合は少なくない。機能不全が原因ならばルールかシナリオかマスターのミスという事だし、機能に問題が無いならば「プレイヤーが無茶を言っているだけ」という事になる。原因を理解する事ができれば、改善の指針ともなる。
 しかし、「RPGは“ごっこ遊び”だ」と思ってプレイしていると、セッションが破綻しても原因を理解できないという事がままある。当然、改善も行われない。
 その辺り、特にゲームマスターを務める人は、気を付けるべきだろう。




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