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コラム007 PCの自由・2 02/01/27 02/03/28



 コラム005『PCの自由・1』にて、「目の前で少女が襲われている現場に出くわすというシチュエーション」を例に挙げて、PCの自由を話題に取り上げた。先日参加したコンベンションで、私が演じたPCが、このシチュエーションに遭遇してしまった。
 システムは『テラ:ザ・ガンスリンガー』で、私のPCはガンスリンガーだった。「大陸横断鉄道車内の酒場にて、明らかに未成年と分かる少女が酒を注文している。それをネタにしてチンピラが『子供が酒を飲んでいいのか?』とからんでいる」という内容だった。

 ちょっと困った。

 仲間内のセッションならば、間違い無く様子見をする。状況がヒートアップして、「チンピラが少女を部屋に連れ込もうとしている。他のNPCは争いを避けて見て見ぬふり。保安官を呼んでもその間にコトは終わってしまいそう」などとなって初めて、「仕方ねえな」と助けに入るだろう。
 別にそういうのが迷惑プレイなどとは微塵も感じていないのだが、コンベンションで初対面の人とRPGをしているという事を鑑みて、もうちょっと“安全な”プレイングをしておこうと考えた。
 そうは言ってもやはり、芸も無く「大丈夫ですか、お嬢さん」などと言って割って入る気にはなれなかった。何か捻った対応は無いかと考え、それで「チンピラを無視して、少女に対して『子供が酒場に来るな』といって頬を叩いて連れ出そうとする」というロールプレイを行った。
 これがマスターの勘気に触れてしまった。
 結局、チンピラをあしらってその場を収めるという展開にはなったのだが、少女に対して“補導員”みたいな言動を示したのがマズかったらしい。この少女は、マスターが大事にしている“マスターの世界観における重要NPC”だったらしく、それを汚されたとでも思ったのか、マスターはかなり不満気な様子だった。「PCが助けに入るが、“実は”少女自身も荒事に対処する能力を持っていて、颯爽とその戦闘力を見せ付ける」といった展開が用意されていて、マスターはその筋に正確に沿ったプレイを求めていたようなのだ。私から見れば、「少女をチンピラから救い出す」という要件さえ満たせば、少女をガキ扱いしても瑣末な変更で本筋には全く影響を与えないと思えるのだが、マスターはそう取らなかった訳である。

 この手の齟齬は、その後も続いた。
 「客車で殺人事件が起きて、現場には被害者の幼い娘1人だけがいた」というイベントが起こりPCが捜査を買って出るという展開になったのだが、私は「娘が何らかの特殊能力(ダークとか魔術絡みで)を持っていて、その力で殺したという可能性だって否定できない。一応、その可能性を潰すつもりで、医者に幼い娘を調べさせよう」と提案したのだが、これもマスターは気に入らなかったらしい。凄い剣幕で、「120%そんな事はあり得ない。そんな当然の事は、判定無しで分かる」と言われてしまった。
 また、何やら名前持ちの男NPCが登場していたのだが、殺人事件に関わりがある様子が無く、捜査優先で話を進めていたらそのまま犯人にまで辿り着いてしまった。セッション終了後、私がポロリと「あの男NPC、結局、事件に絡みませんでしたね」と感想を言うと、不満気に「そっちが絡むロールプレイをしないのが悪いんでしょう」と返された。マスターの説明によると、この男NPCも“マスターの世界観における重要NPC”だったらしい。
 とにかく、幼い娘NPCの潔白を無条件に信じて同情し、さらに事件調査をおざなりにしてでも男NPCと積極的に関わるという行動が求められていたらしい。

 個人的には、「酷いマスターだったな〜」という感想に尽きるのだが、この話を友人にしたら、たしなめられてしまった。
 「君はマスターがどんなプレイングを望んでいるか分かっていたのだから、その通りにプレイするべきだった」と友人は言うのである。

 RPGは、1つのストーリーラインを発散させる力と、収束させる力のせめぎ合いで進み、最後に1つの解を得て終了する。発散させるばかりではRPGは収拾がつかなくなるし、逆に収束させるばかりではマスターの独り善がりの一本道セッションになってしまう。
 プレイヤーは、「最後には1つの“解”が得られる筈だ」と確信している場合に限り、PCを自由に動かす権利があり、マスターはそれを保障しないといけないと思う。

 口幅ったいことを言うが、私がマスターをする限り、プレイヤーが変に気を回さず自由にプレイしてもらっても“1つの解”に収める自信がある。
 しかし考えてみると、私が参加したセッションのマスターにはそこまでの能力は無く、かつ、能力が無い事に私は途中で気付いていた。「“最後には1つの解が得られる筈だ”と確信している限り、PCを自由に動かす権利がある」という前提からすると、少なくとも途中から「マスターが切れてセッションを投げたら“解”が得られないかもしれない」という危険に気付いていたのに、無頓着でいた……とも言える。
 そのときのマスターはそこまで無責任では無く、最後までマスターを勤めてくれた事だけは、幸いだった。

 当たり前の事だが、“PCの自由”は、あくまでマスターの処理能力に依存してしまう。
 まず第一にマスターを務める人は自らの“底”を見せないように努力するべきなのは確かだ。しかしそれでも“底”が見えてしまうときがあり、そのときプレイヤーは、マスターに“協力”するべきなのかもしれない。
 とは言え、「許容限界を超えて大幅に自分を偽らないと“協力”できない程に酷い場合は、セッションから途中退場したい」という考え方にも正当性があるとも私は思っている。最終的には、参加者それぞれが責任と覚悟を持つしかないのだろう。




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