昨年12月に常陽藝文センターで「障害者のことを知っていますかコンサート〜バリアフリーな社会をめざして」が開かれた。そのコンサートにも出演し、それを中心となって作ったひとりが、茨城県視覚障害者の生活と権利を守る会(茨城視生会)の事務局長も務める村上さんである。
彼は、生まれた時から視力が無い。全寮制の茨城県立盲学校に入り、高校まで勉強をした。卒業後も留まり、3年間鍼灸マッサージを学んだ後、単身上京する。早稲田にある東洋医学技術研修センターで更に1年勉強し、整骨院に就職。
そして彼が24歳になったばかりの平成3年の秋、故郷である那珂町鴻巣に『村上治療室』を開業する。
障害を持ちながら自分の店を構えることは、特別なこととは思っていない。仕事をするために勉強をしてきたのだし、開業は当然のことだから。
一般の人と同じように仕事をして収入を得、社会の一員として生活するのは当たり前。絶対に「障害者なのに仕事ができて感謝」なんて思っちゃだめと、彼は語気を強める。
前向きにハンディを乗り越えている彼だが、現実はまだまだ厳しい。
「20年くらい前に比べると、駅などで道を教えてくれたり、誘導してくれたりする人は増えている。でも、そういう優しさは通りすがりだから出来るのであって、現実の差別はちっとも変わらない。例えば、盲人にはなかなか家を貸してもらえない。火事を出されては?ということが理由だが、煙草を吸う人、特に寝煙草をする人などに比べたら慎重で安全なはずなのに。結局のところ、いざ自分が障害者と関わることになると、避けたがる人が大半であるからだろう。」
結婚についても、治療室にくる患者さんから「結婚したら」と気軽に言われるそうだが、実際に話を持ってきて進めてくれる人はいない。本気で身内や知人に紹介できないからではないかと言う。まだまだバリアフリーには、ほど遠い…。
彼が事務局長を務める茨城視生会は、様々な活動を行っている。
視覚障害者にも交付される身体障害者手帳には、点字での表記がなく、持っている人自身が読めなかったという。
投票義務のある選挙でさえ、選挙に関するお知らせに点字版はなく、情報が制限されていた。
このようなことを県や関係機関に働きかけ、改善してもらえるよう交渉している。
また、会員に限らず中途失明者等の相談を受けたり、マラソン練習会やハイキングなどの企画も行っている。
今回開催したコンサートは、視覚に障害がある人たちに限定せず、障害の種別を乗り越え、みんなでメッセージを発信できればと考えたという。
コンサートでは「ドリームシックス」というグループの一員として彼もギターを弾き歌った。毎月第3土曜日、水戸市総合福祉作業施設(水戸市河和田町)で開催される「ふれ愛パーク広場」(フリーマーケット)で歌う、仲間たちだ。
今、「一番楽しい時は?」と尋ねたら、「みんな楽しい、楽しくないことはやらない事にしているから。」と言う。学生時代の寮生活では、かなり規制があったので、「ひとり暮らし歴10年」になる今は、自由を満喫しているようだ。
今後やってみたいことについて聞くと、たくさんの答えが返ってきた。「習い事をしたい。スポーツだったら水泳とかゴルフ。他にピアノや三味線、小唄や都々逸、落語、トランペット。他に勉強して仕事に関連するような資格も取りたい。また、自転車に乗って街を自由に走ってみたい、写真も…。」と話しは無限に広がる。
夢は「障害を意識せずに生活できるようになること」であるから。
しかし、彼曰く「簡単にできそうに思えるものでも、少しずつ問題があって、現状ではなかなかできない。」
視生会の運動をしている人というので、かなり頑張ってる人だと想像してたのだが、実際にお会いしてみると、肩の力を抜いて自然に生きているような、本当にこっちが拍子抜けしてしまうほどの自由な心の持ち主だった。彼の夢が一つづつでも叶うことを願っている。(はとこ)
連絡先
村上治療室(日曜休診)
茨城視生会事務局 那珂郡那珂町鴻巣2995−2
п@029(295)5508