[ザ・ランナー]

〜霞ヶ浦を駆け抜けた一陣の風〜

 4月の風が霞ヶ浦を吹きわたる。走ることに魅せられた人々の色とりどりのウェアーが湖面ばかりか空気まで染めてゆく。人はなぜ走るのか。その答えを見つけるためにひとりのランナーを追った。

[マラソンていろいろあっていいと思うんですよ。]
 那珂郡那珂町、鴻巣にひとりのランナーがいる。村上守さん。28歳。土浦市で行われる「全国盲人マラソンかすみがうら大会」に今年も参加を決めている。この大会は平成7年から「かすみがうらマラソン」と同時開催されているので、視覚障害者に門戸を開放したものとして高く評価されている。村上さんは平成7年の第1回大会の10マイル(約16キロ)の部に参加し、足のツリを押して見事に完走したランナーだ。
 鴻巣は、国道 118号、かつての南郷街道に沿ってできた町だ。南郷街道は水戸を起点に大子などを経て陸奥南郷(現在の福島県の塙町・棚倉町)に至る17里27町(約70キロ)の道である。その道からそれて常磐道に沿って那珂インターを越えたあたりにある村上さんの治療室を訪ねた。大会まで2週間を切った4月10日のことである。
 村上さんは鍼やマッサージで腰痛などの治療にあたっている。高校卒業後、3年間水戸の盲学校に通って資格を取ったそうである。患者さんは水戸やひたちなかなど遠方のほか鴻巣近在の農家の人などが通ってくるという。室内にはさまざまな機器やベッドが備えられている。音声を発するパソコンでカルテなどを管理しているのが印象的だ。そこで村上さんにお話をうかがった。
 長い距離を走るためには強い意志を必要とするし苦しいことも多いのだが、走るようになったきっかけは何だったのだろうか。高校の頃、大阪で視覚障害者のマラソン大会があり、先輩が出場したことで村上さんも「試しに出てみようかな」と思ったそうだ。「なんとなくですよね。速く走ろうとも思ってもいなかったし」。村上さんは淡々と語る。
 高校時代は学校のグランドで練習を重ねたが、今のほうが練習量は少ないという。水戸の掘原運動公園で1週間に一度できるか、できないかという程度だ。水戸まで一人で出かけてゆくことはできても、公園に専用のコースがあるわけではなく練習を一人でするのは難しいからだ。
 ただ今年から視覚障害者の支援団体が霞ヶ浦での大会に向けての練習会を開くことになって、以前より練習量も増えたそうである。その練習法については「本格的なことはしてません。ただ走っているだけです」という答えが返ってくる。どうやら村上さんは「ゆっくり時間をかけて距離を行く」という自然体のランナーであるようだ。
 平成7年の大会では、どんな走りを見せてくれたのだろうか。「寒い日でね、足もつっちゃったし。でも、自分で足をマッサージしながら走って…」。寒いというのは平成7年の大会は1月に行われたためである。このほか、走りのネックになるものはあるのだろうか。「向かい風。これがあるとまわりの音がききにくい。それがいやですね」。状況がつかみにくくなるのだという。
 また、視覚障害者のマラソンの場合、伴走者といっしょに走るということで「呼吸が合うのか」と、よけいな心配をしたくなる。「タイムを狙う人だと歩幅が合わないとかあるんでしょうけど。私の場合は2時間で帰ってくればオーケー。マラソンて、いろいろあっていいと思うんですよ」。やはり、よけいな心配だったようだ。
 この伴走者に会えるのも大会の楽しみのひとつだという。村上さんは走ることに、さまざまな楽しみを見いだそうとしているのである。大会に参加するような人は当然記録を狙う、という思い込み、日本人特有の「記録病・成績病」に染まった考え方が払拭されてゆくのがわかる。村上さんの「治療」が効いてきたようだ。
 大会は4月21日。当日につけるゼッケンやパンフレットを見せてもらう。出走は午前9時50分、表彰式は午後1時、ゼッケンは 14005と読み上げていくと村上さんは即座にパソコンに打ち込んでゆく。パソコンは「ケッコンシキの式」などと声をあげながら情報を記憶していく。心強い味方だ。村上さんはこのパソコンを使って『なんだろう通信』という小冊子を発行し患者さんに配っている。整然と文字が並んだうえに役立つ情報が満載の冊子だ。くるぶしのそばに「崑崙(こんろん)」というツボがあり頭痛に効くなどと思わぬ知識を得る。さて、いよいよ大会である。

[走り終えるとまた走りたくなる。]
 快晴。寒過ぎず暑過ぎず、ほどよい気候に開催日を1月から4月に移した主催者の心づかいが伝わってくる。午前7時30分、会場の川口運動公園は既に多くのランナーたちでいっぱいだ。一般のランナーがいれば視覚障害者のランナーもいて大会が掲げる「ノーマライゼーション」という言葉を実感する。健常者と障害者がいっしょに活動することが「普通になる」ということである。走ることでこのノーマライゼーションをバックアップしているのが伴走者である。今回はメキシコオリンピック銀メダリストの君原や中山といった、かつての名選手のほか、大勢の人がボランティアとして参加している。
 さて、大会は5キロ・10マイル・フルマラソンと距離で、B1・B2・B3と視覚障害の程度で、また性別・年齢でも部門が分けられている。村上さんは「10マイル男子・盲人・29歳以下の部B1」で出走する、ということでスタート地点へ急ぐ。全面交通規制を間近にして自動車がコース外へ出てゆく。「ランナーだけの道」ができるのだ。
 午前9時50分。10マイルコースのスタートである。色とりどりのウェアーに身を包んだランナーの群れが予想外の速さで動きはじめた。村上さんは、村上さんは…。いた!。伴走者の小林さんと、あっという間に通り過ぎてゆく。声をかけると、少しだけ振り向くようにして遠ざかっていった。
 「スタートしたときはうれしい感じがするしね。天気なんかいいと特に。あと苦しいときは苦しい。それをやりきっちゃうと気分いいでしょ。それがいいわけですよ」。 14005のゼッケンに村上さんの言葉を重ねていた。
 10マイルのコースは運動公園を出て、国道6号と並行して走る道を北上したあと右折し、出島村方面へ向かう。この道が常磐線と交差する直前の陸橋上で村上さんを待つことにした。このあたりはランナーにとって「きつい場所」だということだ。なるほど、勾配を上ってくるランナーの群れが大きく波うっている気がする。こうした苦しさを救うのは自分の意志もあろうが観衆の応援も大きいのではないだろうか。「案外いいんですね。もう少し頑張ろうかなって気になるしね」。そう言っていた村上さんの姿が見えない。読みが甘かったのである。「とりあえず足を交代に出してるだけですから(笑)」という謙遜の言葉をそのまま受け取っていたようだ。村上さんは既に通り過ぎていたのである。速い…。結局、1時間49分59秒でゴールである。
 「走る前はもう今回でやめよう、なんて思っててもね、やり終えるとまた走ろうと思う。その繰り返しですよ」
 「結局、健康診断みたいなもんですね。1年に2回か3回(大会などで)走って、それが楽に走れれば健康なわけですよ」
 だから、いつまでも走っていたいという村上さんにもう一度会いたいと思った。大会は終わっても日々の暮らしは続く。その中で走る姿を見てみたいと思ったのである。
 午後。思い思いにくつろぐランナーがいれば完走証明書を受け取るランナーがいる。ゴール近くで声援を送っているランナーがいれば表彰台に上がるランナーもいる。視覚障害者も健常者もない。「ランナー」だけが湖畔の街にいた。

[レースも練習も変わらないんですよ。]
 5月12日。水戸の盲学校へ行く。村上さんたちの練習を見学させてもらうことになったのである。村上さんは水戸へは電車を使って一人で通っていると聞いていたので道中がいささか心配である。街には自転車が無造作に止めてあったり、看板が飛び出していたりするからだ。しかし、同時に必要以上に心配することもないとも思う。以前に自宅にうかがったときの言葉を思い出したからだ。
 「看板も自転車も、特に視覚障害者だから迷惑というわけではなくて健常者にだって邪魔なわけですよ。お年寄りだって子供だって。だからみんなの問題、モラルの問題なんですよ」
 それよりも道を歩いていて気になるのは点字ブロックの問題だという。
 「場所によって形が違う。わかりにくいのを使ったりとか。色の問題もあるんですよ。少し視力のある人は点字ブロックの色を頼りに歩く。だから、ブロックの形と色は全国で統一してほしいですね。ほら、信号の赤・青・黄はどこでも同じでしょ」
 そうこうするうちに村上さんがやってきた。車での登場である。「パソコンを教えている人」におくってきてもらったという。また、よけいな心配をしてしまった。続いて仲間の石井勝己さんと金田建二さん、伴走者の飯塚和男さんと小林隆さんがやってきた。今日のランナーが揃ったところで、いつも練習に使っている掘原運動公園まで移動することになった。村上さんたちは歩くのも速い。小走りであとをついていく。
 新緑の公園。ウォーミングアップのあと練習に入るということで、走りながら村上・小林コンビにお話をうかがうことにした。公園は散歩をしたり、サッカーの練習をしたりと思い思いに過ごす人で賑やかだ。その中を縫うようにして1周1300メートルのコースを走る。小林さんは勝田マラソンなどでフルマラソンを何度も経験したランナーである。伴走を始めたきっかけは何だったのだろうか。
 「社会福祉協議会の広報誌に伴走者募集の記事が載ってましてね、自分たちだけじゃなくて、いっしょに走って楽しもうと思いまして」楮(こうぞ)川ダムマラソンで伴走を始め、職場の同僚である飯塚さんとボランティアを続けているのだそうだ。小林さんは曲線コースに入る前や障害物があるたびに村上さんに声をかけている。走るだけではなく心づかいもできるのが伴走者なのだとわかる。
 1周すると息がきれてしまったので、おとなしく見学することにした。息を整えているところへ石井さんが走って来る。微かに視力があるということで一人だ。霞ヶ浦マラソンの視覚障害者部門総合2位の実力がよくわかる走りである。金田さんと飯塚さんも走ってくる。こうして、6周8キロの練習は終わった。芝生の上でクールダウン(走ったあとの整理運動)をするメンバーたち…。
 走りの経験の長い飯塚さんと小林さんがほとんど汗をかいていないことに驚く。毎日、どんな天候であろうと走るというお2人だけに体ができているのだろう。当然贅肉なども見当たらない。「でもね、今は61キロだけどマラソンを始める前は86キロもあったんですよ。首がなかったくらい」と飯塚さんがおどけて言うと小林さんが笑う。そばで村上さんが、金田さんと石井さんも笑っている。その笑顔を見て村上さんの言葉を思いだしていた。
 「楽しんで走っているから、レースも練習も同じなんですよ」


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