まずは自己紹介から始めよう。
 俺は黒猫。
 気ままな野良猫生活だから、人間につけられた名前はない。
 だがそれも都合悪いだろうから、’又三郎’とでも呼んでくれ。猫仲間からはそう呼ばれている。
 なんでも俺が「宮沢健二」という人に家によく行くからつけたらしいが、まぁそんなことはあんたにとってどうでもいいことだろう。あまり気に入らなかったら、あんたの方で好きに名前を付けてくれ。でもクロとかタマとか、そんな吹いたら埃が舞いそうな名前はよしてくれよな。



 ところで稀にあることなんだが、人間は俺達を見ると、やれ不吉だの、やれ今日は雨が降るのかだの、しまいにはチョ〜ブル〜と訳の分からないことを言う輩までいる。俺は黒猫なんだが・・・・。
 どうやら人間は、俺達を見ると不幸なことが起きると思っているようだ。
 だがそれは間違いだ。なぜなら、不幸なのは俺の方なのだから・・・・。





第一話


 ところで、なぜ人間は俺達を見ると不吉なことが起こる思うんだろうか。しかも俺達黒猫だけではなく、猫全体がときには恐ろしい存在に思われることがある。
 一例を挙げれば妖怪だ。
 化け猫、猫女、ねこまた・・・・。挙げればキリがないし、猫を殺せば七代の子孫まで呪われるという。
 ちょっと待ってくれよ。その話が本当なら確かに人間にとっては恐いだろうが、七代の末まで呪わなければならないこちらも大変だ。俺達猫は、一日も早く人間に殺されないような策を講じなければならない。
 あるとき重(しげ)じいさんに聞いたみたんだが―
 おっと、あんたは重じいさんのことは知らないか。
 重じいさんは西尾さんのところで飼われている三毛猫で、齢(よわい)20歳を越えようかという長老だ。猫の寿命はだいたい15、6年だから、人間でいえば100歳ぐらいの長寿だろうか。最近は足腰も弱くなって、縁側で仙人のようにじっと腰を下ろしている。
 その姿は、あの「眠り猫」を拝めているようだ。本当にただ寝ているだけなのではなどと言う不届き者もいるが、そんな無礼者には「頭が高い!」と葵の紋所を見せてやりたいぐらいだ。あの方は、浮き世の流れをじっと見つめているのである。たぶん・・・・。
 まぁいまでこそ「重じいさん」なんていう名前はピッタリだが、子猫の頃から「重」と呼ばれていたのだ。ちょっと可哀想な気もするが、飼い主が満州へ出兵したこともあるようなじいさんなのだから、致し方ない。
 これから話を進めていくと、俺がずいぶん人間のことに詳しい猫だと思うかも知れないが、この重じいさんから教わった知識だと思ってくれればいい。 
 その重じいさんが言うには、人間は黒い身体をしている動物を不吉なものと邪険に思っているらしい。「黒」という色自体に悪いイメージがあるということだ。
 しかし俺から見れば、町を徘徊してるヤマンバの方がよほど不気味なのだが・・・・。
 そういや同じ黒い身体をしたカラスも、人間からは嫌われている。
 だが自業自得なのはあいつらの方だ。あいつらは人間のゴミをあさるし、調子に乗ってちょっかいまで出すだろ? 
 姿だって薄気味悪い。蟹のハサミのような嘴(くちばし)をしているし、眼はまるで腐った魚のそれみたいだ。腐った魚は不味いが、ゴミをあさっているあいつらを食ったら、きっと腹の中から地球外生命体が飛び出してくるだろう。 
 そこへきて俺達はどうだい? まず愛嬌のある瞳。気持ちよさそうな肉球。人間を惹きつけてやまない魅力的な声。また頭も良くて、自分一人でもいろんな遊びを考えて暇を潰すことができる。カラスも頭がいい動物だというが、所詮奴らはずる賢いだけだ。
 まさに「才色兼備」という言葉がそのまま動物になったようなものだ。猫はどちらかと言えば人間の女性的なイメージがあるし。
 俺が思うに、きっと人間は自分の幸・不幸を超自然的なもののせいと考えているのだろう。占いで一喜一憂するのもそのためだ。
 これはこれで面白い発想だと思う。悪いことを自分の星座や土地の風水に責任転嫁してしまえば、少しは気が晴れるというものだ。いくら天の星を呪ったとて、牡牛の角が折れたり、乙女が裸になるわけでもない。
 例え占いが外れても、悪いことなら外れてくれた方が有り難いわけだし、良いことであっても所詮は占いだと諦めもつく。
 何か不幸なことがあった時に、それを俺達に押しつけてしまうのも、きっとこれと同じに違いない。
 冤罪も甚だしいことだが、俺達が裁判所に駆け込んだところで、新聞の三面を飾るのが精一杯だろう。
 いっそのこと真っ白な身体になれば、白い鳩みたいに平和の象徴にでもなるのだろうか。でも真っ白になったら、黒猫が黒猫でなくなってしまうし・・・・。人間と付き合っていくのも、何かと気苦労が絶えない。
 そんな風に俺が重じいさんの前で熱弁を振るったら、「ふぉふぉふぉ」と当たっているんだか外れているんだがよく分からないような答えが、あの好々爺から返してきた。
 まぁそれもいつものことだ。耄碌(もうろく)して答えられないんじゃないかという浅はかな猫がいるが、愚鈍も良いところだ。きっと、自分で答えを見つけることが大切なんだという深遠があるに違いない。
 とまぁ発想こそ面白いが、犠牲の山羊−スケープゴート−にされている俺達の身にもなって欲しいものだ。なにより気持ちのいいものではない。
 あんたも嫌だろ? 恋人にフラれたとか、テストで赤点を取ったとか、はては転んだことまで自分のせいにされては。 




 さて・・・・。
 話は変わるが、俺達猫は人間に撫でられるのが好きだ。特に顎の下とか耳の裏を撫でてくれると、何とも言えない心地よさが全身を駆け巡る。子猫の頃に母猫から優しく舐められた時のような、心の底から安らげる気持ちよさなんだ。
 人間のあんたには分かりにくいかも知れないな。そうだな・・・・、火のついたように泣いていた子供も、母親に抱きかかえられると泣きやむことがあるだろう。小さいときに母親におんぶされたときの気持ちよさと同じようなものと思ってくれればいい。
 人間も人間の方で、俺達の姿を見ると撫でてくれる。まぁたまにはさっきも言ったように嫌われることもあるが、それは稀なことだ。
 例えばここに人間の女がいるとする。俺の好みで、敢えて若い女としておこう。するとこんな反応が返ってくる。
「きゃ〜、可愛い。よしよし、撫でてあげるわね〜」
 こんな具合にニッコリ微笑んで俺を撫でてくれる。すると俺も、ゴロゴロ〜と喉を鳴らして甘えるわけだ。
 ただ俺には、苦手なやつらがいる。それは子供だ。
「猫だ〜。ほら、撫でてやるぞ」
 と言って乱暴に俺の頭を叩いたり、
「抱っこしてみよ〜」
 と言って粗末に抱きかかえるわけだ。だから俺は・・・・
「尻尾を握ってみよ〜っと。ニギニギ〜」
 人間の・・・・
「肉球だ〜。ブヨブヨ〜」
 子供が・・・・
「うわ〜、猫の舌って本当にザラザラしてるんだ」
 ・・・・・・
「髭を引っ張っちゃえ〜。ビヨンビヨ〜ン」
 大ッ嫌いなんだ〜! さっさと消えろクソガキが〜!
「ううっ、うえ〜〜〜ん!」
 泣くなよ〜。まるで俺が悪者みたいじゃないか〜。
 畜生っ、いきなり好感度が急降下だ。



 こうは言っても、誰彼かまわず人間に近寄って行くわけでもない。猫アレルギーの人間というものいるからだ。まぁ中には、犬みたいに尻尾を振って人間に近寄っていく八方美人のお調子者もいるがな。
 そんな阿保に限って、近づいていった相手が猫嫌いだったということがあるんだ。俺もあの時はヒドイ目に・・・・。あっ、いや・・・・、猫嫌いの人間に近づいていって地獄を見たのは、断じて俺ではない。
 仮に黒猫Aとしておこう。やつはいつものように綺麗な女に近づいていった。何やら白くて大きな袋を肩から下げていた、後ろ姿は本当に綺麗だったんだ。
 黒髪ストレートで、足は細く、歩くたびに揺れる腰は、まるで誘っているかのようだった。
 やつは「にゃ〜ん」と、とびきりの甘え声で注意を引こうとする。大抵の若い女ならこれでイチコロだ。
 女が振り返る。やつは最高の営業スマイルで足にすり寄った。この時ストッキングだったのは残念だった。どちらかというと、俺・・・・、いや奴は生足の方が好きなんだ。
 だが振り返った女の顔は大魔人だった。おっと、これでは醜い女と思われるな。正確には大魔人のような顔になっていた。いよいよ地獄のフルコースの始まりだ。
 女は「いや〜!」と痴漢にでも遭ったような金切り声を挙げると、奴に後ろ回し蹴りを食らわせた。まさに芸術的な回し蹴りだ。軸足の角度、腰のひねり、スピード、申し分ない。
 「お主の教えることはもうない」という師匠の気持ちに浸りながら、奴は吹き飛ばされた。その時、背負っていた袋にも字が書いてあったのがわずかに見えた。そこにはこう書いていたんだ。
「極真空手」
 奴は泣いた・・・・。
 奴が吹き飛ばされた先には、ゴミ収集車がいた。奴は放物線を描いて、そのまま後ろのゴミを投げ込む口に飛び込む。そこに待ちかまえていたのは何か。当然、ゴミを中に押し込むあのグルグル回る鉄板のようなものである。正直これには、心臓が喉から飛び出ようかと言うほど驚いた。
 考えてみて欲しい。あの車の中に押し込まれたら、まさに中はゴミの海だ。最近海がゴミで汚いと言うが、こちらは濃縮還元のゴミ100%。臭いし、生ゴミの汁でも垂れてきたら・・・・。おまけにゴキブリが這い回ったりして・・・・。身の毛もよだつ。
 この絶体絶命の窮地に、奴は持ち前の跳躍力を発揮してなんとか車の中から九死に一生を得た。だがこれでは終わらない。
 ジャンプした先に、作業員の顔があったのだ。突然ゴミの中から猫が襲いかかってきたのだから、作業員だって驚く。結局奴はまた放り投げられてしまった。
 今度はたまたまゴミ収集車の脇をペットショップの車が通り過ぎて、奴はその中に墜ちていった。少しも生きた心地がしない。
 その中には何がいたと思う? 凶暴な犬が・・・・いたわけではない。ははっ、もしかしてひっかかったかな?
 中にいたのは猫だった。同族である。
 だが、様子がちとおかしかった。眼を逆三角形にして俺を睨んでいるし、おまけに「グルグル〜」と低い声で唸っている。まさに蛇に睨まれたカエル、不良グループに囲まれた出川哲朗のような気分だ。
 しかし相手は檻の中。所詮俺には手を出せない。奥には脂肪の塊のような猫がいかにも悪人面でふんぞり返っていたが、檻の中ではただの木偶の坊(でくのぼう)にすぎない。
 なんだかよくは分からないが、触らぬ神に祟り無しである。こういう奴らとは関わらない方がいい。奴はガンを飛ばされるのを背中に感じながら、いそいそと車から出ていこうとした。
 だが神は奴に味方しなかった。不幸な神ならいたかも知れないが。
 車が急に大きく揺れたのである。何かに乗り上げてしまったのだろうか。まぁそんなことはこの際どうでもいい。問題は、後ろの方から大きな陰が忍び寄ってきたのである。
 奴はさび付いた人形のようにギコギコと後ろを振り返った。案の定、そこにいたのはあの肉の塊だった。車が揺れた拍子に檻が壊れてしまったようである。
 あの時の不敵な笑みは、今でも覚えている。いや、覚えているというか、奴の話から容易に想像できる。さしずめ町娘を追いつめたときの悪徳商人の笑みだろうか。
 もしあの肉の塊に男色の趣味があったら・・・・。イヤだ。イヤすぎる。
 しかも車の中は割れんばかりの猫の大歓声。まさに状況は四面楚歌だ。虞(ぐ)美人がいないところが寂しい。まさか冗談ではなくその気があるんじゃないかという不安が沸き起こってきた・・・・。
 こんな時こそスマイルである。笑顔は動物の世界でも友好の証だ。奴は「にゃ〜ん」といつもの営業スマイルで一言挨拶をした。その笑顔が凍り付くまで、一秒もかからなかったという・・・・。
 その後のことは、俺の口からは言えない。気付いたときには、奴はボロ雑巾のようにされていた。深い傷を負って・・・・。
 車の着いた先は保健所だった。どうやら手の着けられなくなったペットを処分するらしい。でもボロボロにされていた奴は、すでに死んでしまったと思われてゴミ箱のようなものの中に入れられてしまった。まぁそのおかげで助かったわけであるが、捨てるなら始めからペットを飼うなよな・・・・。
 何度も言うが、決して俺のことではない。
 まぁこんな不幸な目に合う奴もいるが、よく観察してみれば、その人間が猫好きか猫嫌いかはすぐ分かる。
 見分けるポイントは表情だ。俺達猫は人間の表情に敏感だから、相手が好意を持っているのかそれとも敵意を持っているかは、手の取るように分かるんだ。あの時は顔の表情が見えなかったから・・・・、げほっ、げほっ、なんでもない・・・・。
 それに嘘をついているのも分かるから、笑顔で近づいても心で敵意むき出しだったら簡単に見抜けるんだ。猫が嘘発見器の中に入ったら、どんな嘘でも百発百中で見破れることだろう。




 それと撫でられることで最後に一つ、あんたにとっておきの秘密を教えてやろう。第一回目の特別サービスみたいなもんだ。
 俺達が撫でられるのが好きなのは、気持ちいいからというのが一つある。これは間違えない。それともう一つ、俺達の密かな楽しみがあるんだ。
 女の場合、俺達を撫でるのにしゃがむだろう。その時に、スカートの中が見える・・・・。
 ちょ、ちょっと待ってくれ。呆れて帰らないで欲しい。別にあんたを馬鹿にしているわけじゃないんだ。
 確かに、猫が人間のスカートの中を見て何が楽しいんだと思うことだろう。だがその前に俺の話を聞いてくれ。下着というのは、普段他人には見せないぶん、その人間の個性や性格が出やすい。心当たりはないか? 
 俺はスカートの中を見ることを通して、人間観察をやっているんだ。本当だからな。
 確かに下着が見られるという嬉しさもあるにはあるが・・・・。だから俺は、できるだけスカートを履いた女に撫でてもらうようにしている。
 んん? いやらしい奴だって? 他の猫だってやっているぞ。知らないのはあんた達の方だ。
 俺の好み、ではなくて、よく観察する相手はどちらかというと若い方が多い。セーラー服の女子高生なんか良いな。まだどことなく初々しさがあって。
 観察を続けていると、結構面白いことに気付く。
 例えば、一見おとなしそうな女が派手な下着を履いているとする。こういうのは、人前ではおとなしいが、自分一人の時か、ごく親しい者の前では、意外にもお茶目で明るく振る舞うタイプだ。
 それとは逆に、いかにも遊んでそうなコギャルが白い綿の下着を履いているとする。こういう女は、見た目はコギャルでも、意外に純な一面を持っていたりする。例えば自分で詩を考えてみたり。
 こんな風に、その人間の意外な一面を垣間見ることができるんだ。
 そんな中、俺はあるとき極上の女に出会った。制服姿の女子高生である。
 手を加えていない眉は一筆書きをしたようにスゥッと延びており、その下にある二重の瞼は駿馬のような優しさをたたえている。まるで侍女のように控えめに存在している鼻を通り、やがて至る唇は桜の花弁のようだ。
 だが何といっても俺の目を引いたのは、その黒髪だった。前髪は眉の辺りまでおろし、ストレートの前髪はキュッと引き締まった腰の辺りまで延びている。
 これだ。百人一首には、髪の毛しか描かれないで、顔の見えない女がいるだろう。古来より、やはり女は髪が命なのである。
 まだ恋愛もしたことないような、’純粋’という言葉の似合う女であった。
 早速俺は彼女にアタックした。
 しかし、彼女は俺の前にしゃがんでくれるのだが、いつもスカートを膝で抱えてしまう。動物相手だと人間も気が緩むのだが、こういう女は何事にも警戒心が強いタイプが多い。
 だがそうやって隠されると、逆に燃える。俺は彼女のすべてを調べた。
 彼女の家から、帰る時間や道順、趣味、誕生日、好きな食べ物、好きな歌手、朝食は和食が好きかパンが好きか、SPEEDはいずれ再結成すると思っているかどうか、ハットリ君の頭巾の下が気になるかどうか、おばあさんに拾われなかったら桃太郎は桃の中で死んでいただろうと思っているかどうか、などなど・・・・
 なに? それを「ストーカー」と言うだと? 
 失敬な。愛の天使(キューピット)の悪戯と思ってくれ。あんたにだってあっただろ? 炎のように燃える恋が。
 そしてついにその時が来た。その日、学校帰りに妙にウキウキしている彼女を見た俺は、いつものように彼女に近寄っていった。そんな俺に、彼女は輝かしいばかりの笑顔を返す。その笑顔を見ていると、俺の心も一杯になっていくようだ。
 そんな彼女が、初めて無防備にしゃがみ込んだ。
 まさに千載一遇のチャンス! 俺はここぞとばかりに獲物を見つけたハンターのような眼で(それでいて彼女に悟られないように)、目指す聖域を拝んだ。
 だがその瞬間、俺の中で時が止まった。堅い封印の奥にあったのは、透けてしまいそうなほどの赤い下着。俺はその時思った。
 勝負パンツだ、と・・・・。
 散った・・・・。俺の恋は散った。
 涙を流しながら夕日に向かって走る俺の中で、彼女の笑顔がガラスのように砕け散っていく。そして俺は心の中でこう叫んだ。



 俺の大和撫子を返せ〜!



 話がだいぶ横道にそれてしまったが、とにかく俺達は人間に撫でられるのが好きなのだ。ふと気付けば側にいる。そんな生活のパートナーとして、俺達のことを可愛がってくれ。
 ただし、特に女はあまり派手派手の下着は履かないでくれよな。



 今日はこの辺にしておこう。また俺の話しでも聞きに来てくれ。
 それまで達者でな。



おしまい……




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