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7月22日

網走に着きました。

朝、稚内を出発。そのまままっすぐに宗谷岬へ。日本最北端の地です。  

風が強かったのですが、昨日の夕方の天気とはうってかわって さわやかに晴れていました。

ホーネットのタンクには うまくタンクバッグがくっつかないので 強い横風ではずれてしまい、斜めになったまま路肩に寄る羽目になりました。ううう、怖かった。

頭にきたので 後ろにくくりつけてしまいました。ふん。

 

いいお天気でしたが、快晴とまではいかなかったので、宗谷岬の先端からは サハリン、つまり 旧「樺太」は見えませんでした。

なんで私が「樺太」という言い方をするのかというと、べつに政治的思想があるわけではありません。

ただ、私の父が、小さな子供の頃 おじいちゃんの仕事の関係で「樺太」に住んでいたことがあったのです。

だから、あの島は「からふと」という呼び方だったのです。それだけです。

そして、父は稚内から船に乗って おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に 樺太へ渡っていったのです。そういえば 稚内のお寺へ散歩に行って、小さかった父は お寺の鐘のイボイボのかけらが落ちていたのを拾ったのだと言っていました。

うう、かわいい(笑)

終戦の頃の引き上げの騒ぎはそれはたいへんな苦労だったと 今日お話ししたおみやげ屋のおばあちゃんが言っていました。

漁師さんなど、船を持っている人は 43km離れた宗谷岬まで 自力で引き上げてきたそうです。

そして そのまま漁師さんとして 定着した人たちも多いそうです。しかし、私のおじいちゃんは漁師さんではなかったので、たぶん、おばあちゃんは 小さな子供たちを連れて、おじいちゃんがいないまま 大きな船に乗って逃げてくるしかなかったようでした。

空襲を受けたり いつ出るのかはっきりしない船を待ったり、当時小学校高学年だった父は はっきりとおぼえているようです。機銃掃射を受けて 死体を探されたこともあったそうです。それを考えたら ちょっと涙が出てきました。

 

たくさんの記念碑が建つ宗谷岬を出る前に、「最北端のガソリンスタンド」で給油。

最北端給油証明と ここでも交通安全のおまもりをもらいました。

 

海沿いを延々と走って 道の駅めぐり。アイスを食べたり 「牛乳饅頭」を食べ、濃い牛乳を飲んだり、「海の幸ラーメン」もやすくておいしかったです。

そして極めつけは 道の駅「サロマ湖」で食べた 焼きホタテ&お刺身ホタテでした。

まだ動いているホタテを 殻からはずして洗ってわさび醤油でツルッといただきます。むふふふふ、思い出しただけでも唾液と胃液が分泌されてきます(笑)

売店のおじさんがサービスしてくれて、一番大きいやつを選んでくれました。

あんなにでかくて「一個150円」!!

お刺身屋さんでお刺身買ったって、あれだけ入ってたら 300円じゃ買えません。

ホタテのばらし方も 教えてもらいました。北海道っていいところだ。

 

急いで網走に入って 網走監獄へ行ってみましたが、まさに「閉館の時間」でした。おトイレへ入って ホテルへ向かいます。18:00すぎにはチェックイン。コインランドリーで洗濯もして、熱い温泉に入って、近くのコンビニでジュース買ってきて、…きょうも卓也は寝てしまいました。

珍しく暑いという網走。扇風機がおいてあって、外の涼しい風を部屋の中に入れています。

川縁の風が とても気持ちいいです。

毎日 かにやホタテを食べています。ああ、飽きちゃったらどうしよう?

 

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