遍    歴  (Blog キリスト教雑記帳より)

 仏教か、キリスト教か   仏経とキリスト教(その四)   作成日時 : 2008/08/08 14:34  

 これは、観点を幾つかきめて、比較することは出来ようが、「どちらが優れているか」優劣を決めるというわけにはいかないだろう。結論から言うと、「あれも、これも」ではなく、「あれか、これか」の選択の問題である。

仏教の側から見て、「宗教とは、人間が修行などによって、ある高い境地に達する道である」というように観ずるならば、そこに達する方法が「難行道」であれ「易行道」であれ、同じ高嶺に達する多様な道筋として、ある程度肯定することもできよう。イエス・キリストの救いも、仏教でいう菩薩の業と見ることができるから、「仏教でもキリスト教でも、目指すところは同じ」ということになる。

しかし、釈迦の説いた「原始仏教」あるいは「根本仏教」に立ち帰ると、人が悟りを開き、「涅槃」の境地に達するのは、世の中の現実とその法則性を見極め、正しい実践によって「迷い」を滅ぼし、究極の知恵(般若)を体得した境地に至るのである。この世に固定し、永続する実体はなく、現象を超越して支配するような主人公(神のようなもの)は無い。仏教の拠りどころは、法(真理)によって正しく調御された自己の理性だけである。

ところが、キリスト教は、天地の造り主であり、あらゆる存在の根源である絶対者「主なる神」の存在を認め、このお方にのみ依り頼み、忠誠を尽くすことから始まる。「主なる神」は人間の思索による哲理ではなく、世界の歴史・出来事を通して啓示された事実であり、具体的には「聖書」という特別啓示を規範とする教えである。 したがって、仏教の「涅槃への道」と、キリスト教の信仰は根本的に違うものである。

仏教とキリスト教は、「私はどちらを選ぶか?」によって決まる信仰の道である。(今日は、ここまで、続きはまた・・)
http://www2u.biglobe.ne.jp/~matudo/reference1/buddhism.html(参照)

(続き)ここで、筆者の辿った道のりを、なるべく短く、乾いた言葉で記してみたい。
   「四つの遍歴」
1.中学生の頃、仏教の「般若波羅蜜多心経」のお話(解説)を聞いて、「これこそ、宗教も、自然科学も、人間の生き方も網羅した究極の原理ではなかろうか」と、ひどく感心した覚えがある。これこそ「宇宙原理」ともいうべきものであり、もし「神」というものがあるならば、このような「宇宙原理」を神格化した呼び方ではないだろうかと、一人合点していた。日常の嫌なことも(その頃は戦争中であったので何かと嫌なことが多かった)、やがて、修行?を積み重ねて「色即是空」の境地に近づくに従って、闊達な生き方ができるのではないかと、ひそかに考えた。

2.やがて、戦争も敗色が濃くなり、学徒動員などで、生活も拘束され、敗戦前4-5か月は軍隊に召集されて、敵襲に脅かされ、味方の訓練?(軍隊経験者ならわかるであろう)が重なって、地獄の1丁目のような生活で、心身共に100%拘束された日々が続き、将来に生きる希望など考えられなくなった。このようになると、「修行を重ねて--」などとのんびりしたことはできない。「溺れる者は藁も掴む」の心境で、以前には軽蔑していた「他力本願」の親鸞の教えが念頭に浮かぶようになった。・・・このようにして、戦中戦後のひと時、親鸞の「浄土真宗」や「歎異抄」などにひとかたならず傾倒するようになった。

3.戦後、ふとした機会から、キリスト教(プロテスタント)の教会に出入りするようになり、「旧・新約聖書」に接するようになった。キリスト教は「勧善懲悪」を勧める道徳宗教ぐらいに考えていたが、そんな浅薄なものではない。とりわけショックだったのは、天地万物を支配し、「生殺与奪」の権を握る「主」といわれる恐るべき?(人格的な)神が存在することであった。これはとても「宇宙原理」などという抽象的なものではない。「できれば、そんなお方はいてほしくない」と思ったが、その存在を大前提に聖書は書かれている。躊躇の後、私は「このお方」に賭ける(変な言い方だが)ことにして入信した。旧・新約聖書の文脈から、「主」なる神の救いは、「イエス・キリスト」の十字架の贖罪の業によって成就されており、我々は何の功績にもよらず、「信仰のみ」によって義とされるのである。今まで「救いの恩恵性」は、浄土真宗の専売特許だと思っていたものが、キリスト教でより鮮明に、しかも架空の出来事ではなく歴史的な事実に基づくものとして示されている。しかも、これも浄土真宗の独壇場と思われた「悪人正機」も、新約聖書をよく読めば、ちゃんと記されているではないか。・・・

4.私が最初に洗礼を受けて入信した教会は、教理の上から分けると「アルミニウス主義」的な教会であった。勿論「信仰のみによる救い」が説かれるが、個人の自由意思の強調や、「完全聖化」の教えなどに、私としてはついていけないところがあり、またもや模索の結果、最終的に「カルヴィン主義」の教理によって立っている「改革派教会」に導かれて40年余、ここを竟の住み家と決めるに至っている。「アルミニウス主義」と「カルヴィン主義」の比較や、カルヴァンの「予定論」などに対する私なりの納得については、またいずれ・・・