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.神さまからいただいている「自然の光」 聖書はおもに何を教えているか? 天動説から最近の宇宙論まで
宇宙の広さが2倍になった出来事 時間の問題 宇宙とは何だろう?(時間と空間)
7.科学技術について 天動説と地動説・雑感 天地創造のお話
10.間(アダム)の責任 11. 再び・宇宙とは何だろう? 12.ヒッグス粒子ついに発見か?
13.重力波の初観測   ・・・    ・・・ ★.世界の終末について
                                                         (※2012年2月2日作成開始)


キリスト教と科学 その1  神様からいただいている 「自然の光」

 ここでいう科学とは、厳密な意味での自然科学というわけではない。人間に自然に備わっている常識あるいは理性というようなことである。またキリスト教は、伝統的なプロテスタントの教理をベースに考えてみたい。だから、このテーマは「キリスト教と人間の理性」としたほうがよいかもしれないが、-----

 これには、「キリスト教を信じる」という者でも、いろいろな考え方があるように思われる。
1.キリスト教は人間の心の領域であり、日常に起こる出来事とはかけ離れている。聖書は神話かおとぎ話のようなものだから、無理に説明ができなくとも、この中から教訓をくみ取り、心のよりどころとすればよい。

2.聖書は、世界のあらゆる領域について真理である。だから、科学も聖書の立場から考えなければならない。たとえば、世界は神によって6日間で創造されたものであり、人間は第6日目に、土のちりから「アダム」 が造られ、その肋骨から「エバ」が造られた。その後の数々の奇跡は文字通り起こったのであり、イエス・キリストは、聖霊によって乙女マリアから処女降誕の形で生まれたのである。この立場を曲げてはならない。

3.聖書は真理の書であろうが、表現には時代的な制約があるから、最新の科学の成果によって解釈しなければならない。たとえば、世界(宇宙)の起源は、最新の宇宙物理学によれば、約137億年前のビッグバンによって生じたものであり、ごく最近になって約45億年前に地球の地殻が形成された。人間は、われわれの直系の祖先「ホモサピエンス」がアフリカに現れたのが約200万年前である。ここに至るまでには長い進化の系列がある。なお、動物の生殖は、最近のDNAの研究と成果によれば、両性によらない出生もありうる。? 聖書を語るにも、これらの事実を率直に認めて、教理を形成しなければならないだろう。

 そこで、筆者の立場であるが、カルヴァン主義のプロテスタント教会の拠り所である「ウエストミンスター信仰告白」(略して「ウ告白」)を最初の出発点として、考えをを進めてみたいのである。と言ってもこれは、まだ見解がまとまっているわけではなく、あくまでも個人の自由な感想文であることを先ず断っておきたい。(今日はここまで)10.2.3

(続き) 大前提は、聖書に記載されている天地創造の「主」(なる神)が存在することである。世の中のすべての現象は、神よりのお知らせすなわち「神の啓示」であること、啓示にはあらゆる人間に「日光が照り輝き、また雨が降り注ぐように」 共通に及ばされている自然啓示あるいは一般啓示と、人間の救いのために信仰者に与えられた特別啓示に分けられること、聖書はこの特別啓示の領域に属すること。ウ告白にある「自然の光」という表現は一般啓示の領域で、簡単にいえば、人間の理性ということであろうか。ここでは煩瑣な論議は避けて、一般常識的に述べてみたい。

 聖書については、ウ告白1章「聖書について」の見解を全面的に受け入れ、特別啓示は完結しており、これに付け加えることも除くこともできない「神の言葉」であると考える。その全文は過去、現在、未来、あらゆる時代の人々に示された最も適切な表現である。翻訳と歴史的・文法的な解説は必要であるが、現在の人間の理性に合わせて改変してはいけないものである。
 しかし、一般啓示は漸進的であり、今後、新しい展開が見られる分野である。とくに自然科学や技術については、基本的な前提、方法論・研究手段、実験、観察(人間五感に適合するような形の)を明らかにして、その結論や成果を得ることは、神の一般的な祝福(一般恩恵)として許されることと考える。たとえその結論が「進化論」であっても、中世の教会のように破門されるなどはとんでもないことである。謙虚に「我々は、こういう前提で、こういう方法を用いて、研究した結果、こういう結論に達した」と言うのみである。前提・方法などを省略して、結果だけを振りかざし、「聖書の創造論は間違っている」とは言えないのである。(一応ここまで、続きは後で)10.2.4
キリスト教と科学 その2  聖書はおもに何を教えているのか?

 聖書はおもに何を教えるか 
 先ず、我々の信仰基準書である「ウエストミンスター大教理問答」より、この点を確認することから進めてみたい。

問5 聖書はおもに何を教えるか。
答  聖書はおもに、人間が神について何を信じなければならないか、また神が人間に求められる義務は何であるかを教える。  (※ウエストミンスター小教理問答にも、問3に同様の問答がある。 )
 したがって我々は、前回述べた、神の特別啓示一般啓示の関係を明らかにしておけば、アメリカのChristian Fundamentalismのように、無理に創造論的な生物学を主張する必要も無い。時間とともに展開される科学の成果も、人間が自然を征服するような思い上がりはしないで、これもまた日々進展する、偉大なる神よりの啓示と受け取り、賛美と感謝をもって、神のみこころに沿った方向に活用を心掛ければよい。中学生以上くらいになれば、聖書と人間理性の関係は、整理して理解できるものと思う。

 しかし、教会で、日曜学校の小学生ぐらいの子供たちに「天地創造」のお話をするような場合には、子供たちに理解できるように、もう少し調和的に話さなければならないという問題がある。例えば、エデンの園におけるアダムとエバの誕生を話すと、「えっ、人間は、猿がなったんだよ!」という反論が時々起ってくる。日曜学校の先生が苦慮しながら話をまとめると、子供は「うん、わかったよ」 とはいうものの、それは日曜学校だけで、家庭や学校では、「本当は猿が人間になったんだ」というふうに、二元論に陥ってしまう。(猿が人間になったのではなくて、猿と人間は共通の祖先から進化したという意味だが--) 
 これをどのように話したらよいかという、切実な課題があるが、また後に考えたい。
キリスト教と科学 その3  天動説から最近の宇宙論まで
 
 ビッグバン (Big Bang)宇宙について   
 ---中世の教会では、大地が(地球が)中心にあって、諸々の天体が天球に沿って大地の周りを回る、いわゆる「天動説」の立場に立って、これと異なる見解は、神を冒涜するものとして、排除したが---。
 天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。  昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。
話すことも語ることもなく、声は聞こえなくても、
その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう
そこに、神は太陽の幕屋を設けられた。
太陽は、花婿が天蓋から出るように、勇士が喜び勇んで道を走るように、
天の果てを出で立ち、天の果てを目指して行く。その熱から隠れうるものはない。(旧約聖書 詩編 19:2-7)


 この詩編の記者は、丸天井の大空を見上げ、太陽が一方の天の果てから、もう一方の果てまで、進んでいく様を描いている。夜になれば、丸天井には無数の天体が光り輝き、その素晴らしさが、無言のうちに神の栄光を物語っていることを感じている。
 これは詩的な表現であるが、中世の教会では、大地が(地球が)中心にあって、諸々の天体が天球に沿って大地の周りを回る、いわゆる「天動説」の立場に立って、これと異なる見解は、神を冒涜するものとして、排除した。ガリレオ・ガリレーは宗教裁判にかけられた。---(続く)10.2.9

(続き)2世紀の中ごろ、アレキサンドリアの天文学者プトレマイオス(普通トレーミーといわれる)は、地球中心に天球上を動く星座、太陽、月、惑星などの運動を観測し、一つの宇宙体系を構成した。これがいわゆるプトレマイオスの「天動説」で、中世のカトリック教会では、これが聖書の記述と合致するものとされていた。
 その後15世紀に、コペルニクスが、天体の動きを精密に観測すと、天動説では説明困難で、太陽を中心として地球や惑星の動きを説明する「天体軌道運行について」という書物をだした。これがいわゆる「地動説」の始まりである。コペルニクスの死後、ガリレーは、手製の望遠鏡で惑星の動きなどを観測して、地動説を確信したが、彼の学説はカトリック教会より異端とみなされ、宗教裁判で取り消さざるを得なくなった。彼は法廷を去る時、「それでも地球は動く」とつぶやいたといわれる。当時の教会は、なんと主なる神の偉大なる「創造のみわざ」を、小さく限定的に捉えていたことか。---

 時代は移り、17世紀にはニュートンが、万有引力説を中心に、「プリンキピア」を発表し、物体の力学の理論体系が築き上げられた。その後20世紀に、アインシュタインの「相対性理論」が発表された。ニュートン力学からアインシュタインの「特殊相対性理論」あたりまでが、古典物理学の領域であろうか。我々は、神の「創造のみわざ」が、また一段と明らかにされたことを覚えるのである。

 最近では、Macroの天文学とMicroな量子力学がドッキングして、また、観測の手段が可視光線だけでなく、あらゆる放射線の測定に基づいて、最初記したような「ビッグバン宇宙」説が浮上した。(今手元に資料が無いのでおおざっぱに言うと)この説による宇宙の起源は、約137億年前、無?から大爆発によって、多大なエネルギーと物質の起源となる素粒子が発生し、きわめて短時間のうちに宇宙の原型が出来上がり、現在も膨張は続いているという。ここで問題は、何が原因で大爆発が起こったかであるが、「神の一撃による」と言う識者もいた。キリスト者には「これなるかな」と思う人がいるかもしれないが、これもまた神の啓示が少しばかり進展したのかもしれないが、偉大な神のみわざを限定的にとらえてはいけない問題だと思う。
 なお、その後、虚数系の数理を駆使して、他の解を模索している学者もいると聞くが、ここまでくると、我々素人には科学というよりは哲学の世界になるようにも思えてもくる。 
 しかし、科学の成果は、一本線で進展しているわけではない。時々修正されてもきたことを謙虚に受け止めねばならない。(この続きはまた)10.2.15

キリスト教と科学 その4  宇宙の広さが2倍になった出来事

 遠い天体までの距離はどうやって測るのだろうか? ここでは、観測方法や理論が変われば、結果も変わることの例をあげてみたい。

 地図を作るような場合は、地上の A---B 二点間の長さを実測して基線とし、目標点をAから見た角度と、Bから見た角度を測り、基線の長さと、両端に張る二つの角度から計算する三角測量の方法で求めるのが一般的である。天体でも、比較的近くにあるものは三角測量で直接求めることができる。
 この場合、基線となるものに地球が太陽の周りを回る軌道の直径(半径約1億5,000万Km×2)をとり、1年間かけて、その両端から、目的の星に対して張る角度を測って計算することができる。この方法で測った一番近い恒星は、約4.2光年であり、光が4年余りかかって到達する距離にある。しかし、この方法で測れる天体は僅少で、遠距離のものは目標点の角度が微小となって実測は困難である。

 次の方法には、ケフェウス型といわれる変光星の変光周期から求める方法がある。この型の恒星は光度が周期的に変る特性があり、多くの変光星を観測すると統計的に、周期-光度関係というグラフを求めることができる。光度とは明るさであり、同様の星でも近くのものは明るく遠くのものは暗いわけだら、これらを32.6光年に置いた場合の明るさに換算した値を求め、これを絶対光度と呼んでいる。この型の恒星は遠くにあっても、変光周期がわかれば、その見かけの明るさ(実視光度という)と絶対光度の比較から距離を推定することができる。

 さて、我々の太陽系が属する「銀河系」という小宇宙は、2,000億個程度の恒星や星団、星雲などを含む天体の集まりで、直径約10万光年、厚さ約1~2万光年程度の円盤状の広がりを持っており、地球を含む太陽系は、銀河の中心から3万光年ぐらいの所にあって、公転していることもわかっている。「銀河系」外には、他に我々の「銀河系」に匹敵するような「他の銀河」が無数にあって、全宇宙を構成していると考えられる。

 「他の銀河」の一つに、「アンドロメダ座大星雲」(M31)といわれ、地球からも肉眼で微かに見える有名な天体がある。これは「銀河系」と同程度の、渦状星雲という形に分類される天体である。この星雲の中にケフェウス型の変光星が存在することがわかり、その変光周期から、この星雲は約68万光年のかなたにある「銀河」であるとされた。68万年もかかって光が到達する距離だから大変な遠さだと思うが、まだまだほんのお隣さんで、宇宙には億単位の光年で測るものが多く存在する。これらを測るには、「アンドロメダ大星雲」を一つの標準的な「銀河」と仮定し、遠くの天体の実視光度と「アンドロメダ大星雲」の光度とを比較して割り出すのである。

 ところがその後、ケフェウス型の変光星には特性の違った2種類の型があることが判明し、1952年にバーディ-という人がアメリカのパロマー山天文台の200インチ望遠鏡で精密に観測した結果、「アンドロメダ大星雲」までの距離は従来の約2倍の130万光年に修正された。宇宙の大きさを測る物差しが変ったのだから、全宇宙の大きさも2倍になったというわけである。(因みに、2,010年度の天文年鑑では、この距離は230万光年となっている。)

 ここで、聖書の言葉を一つ・・・
「すばるの鎖を引き締め、オリオンの綱を緩めることがお前にできるか。時がくれば銀河を繰り出し、大熊を小熊と共に導き出すことができるか。天の法則を知り、その支配を地上に及ぼす者はお前か。・・・」(ヨブ記38:31-32)
 私たちは、自然科学を通して、神の天地創造のほんの一端を垣間見て、謙虚になって、その偉大さを賛美するのみである。

キリスト教と科学 その5 時間の問題

 根本主義といわれるキリスト者は、神が天地を創造し、6日目に人間を作り、7日目は安息なさったという聖書の記述を文字通り受け取って「創造説」を構築した。一例として、聖書の年代記述をそのまま累計すると、アダムからノアの大洪水までが2,262年、大洪水からアブラハムまでを1,307年(Halley著聖書ハンドブック等参照)としている。アブラハムは一般にBC2,000年頃と考えられるので、アダムから現代までの年数に、天地創造の6日間を加えても、6,000年に満たない期間となる。地下から発見された恐竜などの化石は、ノアの洪水で絶滅した動物の遺骸と考えられた。 写真は月と金星10/5.16

 現在、我々が1日と考える時間の長さは、地球の自転の時間であり、それを基準に年、分、秒が決められてきた。1年は地球の公転周期であり、平均約365.2422日なので、4年に一度の閏年を設けて調整をはかっている。(厳密にいうと、地球の自転や公転の周期にも変動があるので、現在では1秒はセシウム133原子放射の周期から国際原子時TAIというものを定め、1秒の長さを規定している。)
 ともかく、このような時間をもとに、歴史的な時間を測り、また天文学的な光年も規定している。

 地 球上では、地層や化石などの年代を測るのに、昔は地層の堆積速度や、重なりぐあいなどから推定したが、現在では、放射性元素の半減期から計測する方法が採られている。例えばウラン[U238]という元素は放射線を出して徐々に崩壊し、最終的には鉛[Pb206]になるが、その半減期は45億年であるから、地球上のマグマが冷却して岩石になった時、その中にウラン[U238]が含まれていたとすると、現在含まれている[U238] と[Pb206]の割合を測定すればその岩石の年齢(絶対年数)を知ることができる。動物や植物の化石はもっと半減期の短い放射性炭素[C14]を用いて絶対年数を求めている。(続きがある)

 この項はもっと書き足すのであるが、何を言いたいのかというと、根本主義的な「創造論」は科学とは言えないものであるから、これをもって科学の前提としてはならない事。しかし、聖書の記述によって、神は天地の創造者であること。6日間という創造の区分によって秩序正しく造られたこと。時到って人間の元祖(アダム)が神によって出現させられたこと。人間の罪の起源はアダムの責任によること。などなどは、如何なる時代にも適合する記述であると思う。聖書全体のコンテキストに従って、適切な解説が望まれる所以である。

 しかし、近代科学の先端を行く学説に従って聖書を解釈することも非としたい。これは神の一般啓示として、創造の偉大さ、精妙さを讃えると共に、まだまだ訂正の余地の残された過度的な見解であることも常に謙虚にわきまえておかなければならない。

キリスト教と科学 その6   宇宙とは何だろう? (時間と空間の問題)

 この頃は、「宇宙に行く」とか「無重力体験」とか、「宇宙」という日本語がだいぶ身近に語られているようだが? 先ず言葉の整理から始めよう。 大ざっぱに三つに分けてみると、
①スペース(Space)=空間 ②ギャラクシー(Galaxy)=銀河系 ③ユニバース(Universe)=すべてを包含する大宇宙。また、中国伝来の「宇宙」という言葉は、一説には「宇」は天地四方すなわち空間、「宙」は古往今来すなわち時間を表わすともいわれる。

①スペース(Space)は、これは、地球の重力の影響がきわめて少なくなった空間、だいたい地上200~300㎞以上の高所で、ロケットや人工衛星を打ち上げることができるぐらいの範囲から、太陽系内の惑星が存在する程度の空間を指す。天文単位(太陽地球間の平均距離=約1億5千万km)で数えられる程度の空間。
②ギャラクシー(Galaxy)は、太陽を含む多くの(1千億~2千億程度)の恒星が存在する銀河系といわれる集団で、広さは、直径10万光年程度。(1光年は光が1年かかって到達する距離で、約10兆km)
なお、前に述べた「アンドロメダ大星雲」は我々の銀河系の近くにある他の「銀河」(島宇宙ともいう)である。
③ユニバース(Universe)は、我々の銀河系以外にも無数にある他の銀河や星間物質などすべてを包含する、万有の大宇宙である。

 だから、新聞やテレビで報じられる「宇宙」報道は、①スペースの人間に例えれば、ほんの「息がかかる」程度の範囲に過ぎないのだから、人類の偉業などと誇大に讃えない方がいいと思う。

 さて、この大宇宙(Universe)の最近の研究結果を概観すると、
・約137億年前に、「ビッグバン」によって、この宇宙が誕生した。最初は超高温高圧の「火の玉」のようだった。
・それから1000万分の1秒後に、物質の原型ともいうべき多くの「クオーク」が発生した。
・宇宙誕生後5万分の1秒後には、物質を形成する原子核(陽子・中性子など)が大量に生成された。
・宇宙誕生後約38万年後には、現在とほぼ同じような原子の時代となり、大宇宙の原形ができた。
・その後、この大宇宙は、膨張の一途をたどり、現在に至っている。

 ついでに、その中のちりの一かけらにも足りないような地球について見ると、
・今から約46億年前に地球が誕生した。
・約5億4200万年前頃の「カンブリア紀」には多くの生物の化石が見られるようになった。
・約6500万年前の新生代「第三紀」には、恐竜などの大型爬虫類が、絶滅し、哺乳類が多く生息するようになった。
・「第四紀」に到り、約200万年前には、人類の原型となるような化石が発見されている。ということになる。
 (今日ここまで、またあとで・・)

(10.5.20続き)現在、ハッブル宇宙望遠鏡で観測される最遠の天体は、約130億光年の彼方の渦状星雲だといわれる。今見えているその天体は、実は現在の姿ではなく、130億年前(宇宙誕生から7億年後)の姿を見ているわけである。遠くにある天体はみな過去の映像であって、現在と同時点のものは観測不能である。また、時間そのものも決して固定的ではなく、アインシュタインの特殊相対論によれば、一つの座標系から見て相対運動をしている他の座標系では、時間に伸縮が起こることも明らかにされている。興味は尽きないが、話しを広げないで、終わりにすると、聖書という視点から見れば、これらもみな天地創造の主の「みわざ」を、科学という分野を通して垣間見ているに過ぎないのであるから、謙虚に天地創造の「主」を賛美するのみである。

(10/6/19付記)6月13日夜、日本の小惑星探査機「はやぶさ」が、7年にわたる旅を終えて地球に帰還た。●03年鹿児島・内之浦からのM5ロケットによる打ち上げ、●小惑星「いとかわ」への着地とサンプルの採取、●その後の多くのトラブル(姿勢制御、燃料漏れ、イオンエンジンの故障など)の克服、●自動制御技術の実証、●豪州南部への帰還とカプセルの切り離し、などなど。どの一つを取っても称賛を惜しまないものばかりである。
 この舞台は、最初に述べた①スペース(Space)=空間での出来事である。これに比べると、「宇宙」といわれるもの全体は途方もない広がりを持った世界であることを改めて思うのである。

(このほか進化論の問題や遺伝子などにも触れたいが、筆者の素養では手に余るので、どなたかが論じてくださるとありがたいと思っています。)

キリスト教と科学 その7 科学技術について

 ここでは、科学の応用について考える。アルフレッド・ノーベルは、19世紀にダイナマイトを発明し、その工業化によって、巨万の富を築いた。ダイナマイトは鉱山や交通・建設事業などで、画期的な発展をもたらしたが、・・・

 他方、戦争や暴力でも悲惨な災害を招いた。彼の死後、その遺言によって、莫大な財産を基金としてノーベル賞が設けられ、科学技術や医学、文学、平和などの部門の貢献者に賞が贈られるようになった。
 その後の原子力の利用や、遺伝子工学などでも、その功罪が極端に分かれ、人類がいよいよ足を踏み入れてはならない領域にまで踏み込んでしまったのではないかという声も聞かれるようになった。

 一般的に「科学」と呼ぶものにも二つの分野がある。 一つは Fundamental Scienceで、数学や物理、科学、生物、地学など。もう一つはBasic Scienceで、例えば○○工学といわれるようなTechnology の分野である。後者は基本的な科学の応用技術のほかに、Efficiency(効率)を上げることが要請される。効率とは、例えば機械工学や電気・電子工学などにおいて、出力/入力=効率(%)という関係で、これはまた、産業・経済におけ利益に直結する。このような科学技術は、何らかの規制を加えずに野放しにしてよいものであろうか?

 キリスト者(とくにカルヴァン主義のキリスト者)は、旧約聖書創世記1章27-28節の言葉 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世記1:28) これを、神の「文化命令」と呼んで、神が創造された被造物を正しく管理し、全地を整え耕す使命を託されているものと受け取っている。したがって、科学技術もその手段として、適切に管理し、活用することがきわめて大切であると考える。
(文化命令は、技術だけではなく、政治、経済、学術、芸術など、あらゆる領域の問題であるが・・・)

 以上、一応問題提起だけで、次の聖書の言葉をあげて、終わりにする。
 「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。だれでも自分の利益ではなく、他人の利益を追い求めなさい。(コリントの信徒への手紙一 6:12,10:23)

キリスト教と科学 その8 天動説と地動説・雑感

 再び、天動説と地動説に戻り、その効用と、キリスト教信仰に関係する考え方について感想を述べてみたい。これは、あくまでも、筆者の個人的な感想、あるいは思いつきであることを、まずお断りしておきたい。天動説を個人の自由意思になぞらえ、地動説をより広範な視点からの世界観にUPした立場で・・・

 天動説は、時代遅れの陳腐な学説かというと、決してそうではない。
これは、地球上の一点をを含む地平面を基準として、この地平面を覆う丸天井を想定し、東西南北をきめ、この丸天井に投影された天体の位置と動きを観測する手法である。現代でもこれは、球面天文学という分野で、星の出現する位置と時刻を精密に追求することによって、天体望遠鏡での観測や、人工衛星の位置の追跡などに大いに役立っている。また、現在だけでなく、過去、未来に亘る暦(暦学)の数値を得る重要な手段でもある。

 これに対して、地動説というのは、太陽や月や、惑星、地球それ自身などの相対的な位置や動き、大きさなどを観測するには、上記の天動説の手法では、動きが複雑すぎ、計算するにも途方もなく煩雑、というよりは困難になってしまう。そこで、コペルニクス的発想で、天体の運動の基準になる点を、地球ではなく太陽に置き、太陽を中心に、周囲の天体の動きを位置づければ、より簡単で合理的な解が得られることになる。
 これは、上記の地動説と矛盾するものではなく、原点をどこに取るかという座標軸(あるいは座標系)の転換の問題である。 コペルニクスやガリレイは、一応、太陽中心の地動説を想定したが、更に広範な銀河系中心の座標や、全宇宙的の座標系も、理屈としては、有り得るわけである。今これらをひきくるめて地動説ということにする。(一応ここまで、暫時休憩)

 聖書の記述でも、自分(あるいは人間)を中心に、見たり聞いたり、思ったり、決心したり、行ったりする立場がる。これを仮に「天動説的聖書観」とでも言おうか? もちろん、救いは100%、神の一方的な恵みであるが、この恵みを自分の自由意思で、信仰という手を広げて受け止めなければ、救いは達成されないと考える。また一旦信仰に入った者でも、その後の「聖化」の歩みを怠ると、救いからの脱落もあり得る。ということになる。

 これに対して、仮に「地動説的聖書観」、いや、座標を最も高い立場に置く「神中心的世界観」に立ってキリスト教信仰を考えてみよう。何を言おうとするのか種明かしをすれば、これは、カルヴィン主義的な聖書観、「カルヴィニズム」の信仰である。17世紀に大陸の改革派教会が、アルミニウス主義の抗議に対する応答5カ条を、(後代に)整理したものが、有名な「カルヴィン主義の五特質」 <TULIP> といわれるものである。

① Total Inability (全的無能力) (または、Total depravity <全的堕落>)
 人は罪の下に生まれているので、自分の力で救われることはできない。
② Unconditional Election (無条件的選び)
 人が救われるのは、その人が何か善いことをしたから(条件)ではなく、神の一方的な選びによる。
③ Limited Atonement (限定的贖罪)
 キリストは、選ばれた特定者のために、有効的に十字架で贖罪をなされた。
④ Irresistible Grace (不可抗的恩恵)
 この救いの恵みは、自分も他人も、何人も取り去ることができない。
⑤ Persevarance of the Saints (聖徒の堅忍)   
 選ばれた者(聖徒)は、多くの試みの中にあっても、救いの恵みから離されることなく、終わりまで保持される。
 (*この①~⑤の頭文字を並べると、TULIP となる。)

 TULIPは、一見、人間の自由意思による信仰、祈り、善意、努力、忍耐、悪に対する抵抗などを空しくする、ガンジガラメの悪しき哲学のように言う人もいるが、そうではなく、人間の自由意思が決して損なわれない形で、究極的には達成されるものだという。岡田稔先生(元神戸改革派神学校長)の言葉をお借りすれば、これは「同流」concurrence であるという。
我々は、この最高の座標から言い表された神の契約に全幅の信頼を置きつつ、聖霊の助けに依り頼み、自律的な「聖化」の歩みを全うしたいものである。(今日はここまで)
(同流: 岡田 稔著「改革派教理学教本」第六章・神の聖定の教理より)


キリスト教と科学 その9 天地創造のお話

 << 作成日時 : 2011/02/16 17:08 >> 
 キリスト教と科学 その2 に関連して、日曜学校の「天地創造」のお話を書いてみます。
まだ下書きで、もっと手直ししなければなりませんが・・・

世界のはじまり
 聖書は、大昔の人たちも、今の私たちも、これから生まれる人たちも、みんなにわかるように書いてあります。
神さまは「はじめ」も「おわり」もない、いつでもおられるすばらしいお方です。
その神さまが、初めてこの世界を造ってくださったので創造といいます)、世界がはじまったのです。
神さまは、6日に分けて、今、わたしたちに見えるような世界を造ってくださいました。聖書には、「神さまの一日は、千年のようで、千年は一日のようです」と書いてありますから、今の私たちの1日とは長さも違い、内容も充実していたでしょうね。
 また、聖書は理屈をのべているのではなく、絵のように、詩のように、私たちの心に感じられるような言葉で書いてあります。
★第一日: 神さまは「光あれ」と言われました。こうして光ができ、光と闇、昼と夜、の区別ができるようになりました。
★第二日: 「水の中に大空あれ、水と水を分けよ。」 大空の雲は水や氷の粒で、それが雨になると、下の水になります。さて、その下の水はど  うなるのでしょうか?
★第三日: 「天の下の水は一つ所に集まれ。乾いた所が現れよ。」 これで、下の水の行き場所がきまりました。乾いた所は「地」、水の集まった 所が「海」です。地の上の水は、これも神さまが芽生えさせてくださった草木を茂らせ、種や実をつけるのに役立つようになりました。
★第四日: 今度は、空に見える「光る物」、太陽や月や星です。
 大きな光る物---(太陽ですね)昼を明るくします。  小さな光る物---(月ですね)夜空を飾ります。
 星---これも夜の目じるしとなりますね。
 実は、もっと大切な役目があるのです。それは、太陽や月や星の動きによって、1年や、春・夏・秋・冬の季節や、夜昼の時間がきまってくるので す。
★第五日:水の中には魚や水中の動物、空には鳥など、飛ぶ生き物が造られました。
★第六日:そして、地上には、多くの家畜や、野山の獣、這うもの、そして、人間が造られました。
大切なことは、神さまのお造りになったものは、みんな、「これ以上すばらしいものはない」最高傑作だったのです。

人間のはじまり
 人間は、今までに神さまに造られたすべてのものが、きちんと治められ、生き物も幸せに生きていけるように、それらの世話をするために造られたのです。
 神さまは、「エデンの園」という所で、土のちりで、人の形をつくり、鼻から命の息を吹き込んで、生きる者としました。土のちりとはゴミとかホコリではありません。酸素や水素や炭素など、元素が精密に組み合わされた、とても精巧な造りをあらわしています。これがアダムという男の人です。
 神さまはまた、「人がひとりでは良くないから、助け合う者を造ろう」と言われて、最初の人のあばら骨から、女の人を作りました。(これがエバです。) あばら骨からというのは、最初の人と同じ材料から造られているということです。
こうして、神さまの第六日の最後に、今の私たち人間の祖先が誕生したのです。私たちは、一番最初の人間アダムの性質の、良い点も悪い点も、神さまから与えられた世界を治める責任も、全部引き継いでいるのです。
(悪い点=罪についてはこの次にまた・・・)

※「愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。」(ペトロの手紙二3:3)

キリスト教と科学 その10 人間(アダム)の責任

 日曜学校向けのお話から始めましょう。天地創造の第6日目に最初の人間がつくられました。アダムとエバでしたね。神さまは、この人間がこれから先は、全く自由に、自分の責任で生きていくようにしてくださいました。良いことをすれば神さまの恵みが与えられて、ほんとうに幸せになるように。また悪いこと(罪)をすれば、これも自分の責任で、神さまの罰を受けることになることも・・・

 最初の人間アダムは、エデンの園という、とてもすばらしい国で暮らすようになりました。アダムは神さまに似せて造られたので、何でも自由にできる力を持っていました。神さまはアダムに、大切な命令をなさいました。
 「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
「善悪の知識の木」は、神さまの命令に従うか①、従わないか②、というしるしなのです。
 アダムは、何でも自由にできる力を与えられているのですから、①だけを守り②は絶対にしないことが自分の責任で十分にできるはずなのですが、さて、どうしたでしょうか?

 結果は、創世記3章に書いてありますね。残念ながらアダムは(エバと一緒に)「園の中央にある木」の実を食べ、②の神さまに従わない方の事をやってしまったのです。
 後で、神さまからお咎めを受けた時、アダムとエバは、責任逃れの言い訳をしました。
 アダム:「エバが木から取ってくれたから・・・」 エバ:「へび(サタン)がだましたので・・・」 
しかし、なんといってもこれは他人事ではなく、人間の責任なのです。この結果、人間は自分の責任で、悪い「罪」が入り、次々と悪いことをするようになり、そのために苦しみ、しまいには死んでしまうようになりました。アダムは人間の代表ですから、その後で生まれた人間(私たち)はみな、生まれつき、罪の性質を持っているのです。私たちも「アダムが勝手にやったことだから、私には責任がない」とは言えないのです。

 神さまは、このみじめな人間を憐れんで、大切な「救いの道」を与えてくださいました。それが、イエス・キリストの十字架による出来事ですね。
 今日はここまで、続きはまた・・

(続き) 今度は日曜学校ではなく、私たち大人の理屈や議論として考えてみましょう。「人間の罪の責任」、もっと露骨に言えば、「人間の創造者である神は、罪の創造者でもあるのか」という問題です。アダムが罪の責任を他の者のせいにして言い逃れをしようとしたように、子供が悪いことをして親に叱られた時、「こんな悪い俺を産んだのは親の責任ではないか」と反論するように、言うことができるのだろうか? 

 私たちの教会で、聖書全体の真理を系統的にまとめた書物としての、「ウエストミンスター信仰基準」に基づいて考えてみます。第一に、神は永遠の計画(神ご自身のみ旨=神の「聖定」という)をお持ちになっておられ、この「聖定」に基づいて、起こってくるすべての事が「予定」されています。第二に、この「予定」が「創造」と「摂理」という形で実現して、今の世界として存在するようになったのです。
 人間の罪は第一原因の「聖定」によるのではなく、第二原因の中の、創造された人間の「自由意思」によるものとして、100%人間の責任なのであります。「聖定」については、エフェソ1:11、ローマ11:33、他、新約聖書の多くの個所に記されています。それは疑いようのない最も基本的な、私たちの論評を超えた、神の永遠のみ旨であると考えられますので、罪の責任を神に帰することなど、とんでもない思い上がりということになりましょう。
 人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」といえるでしょうか。(ローマの信徒への手紙9:20) この言葉に尽くされます。

 (以下は蛇足です) ここで、「聖定」と「予定」について我流に考えてみます。
 ベルコフの「改革派神学通論」で、「聖定」(decree)の特色が次のように記されています。
①それは神的知恵を基礎とする。 ②それは永遠である。 ③それは有効的である。 ④それは不変である。 
⑤それは無条件的である。 ⑥それは全包括的である。 ⑦罪に関連したものは、許容的(permissive)である。
 と書かれています。
 この中の「永遠」とは、無限に長い時間という意味ではなく、時間の長さや前後関係(あるいは空間も)を超越していることをいいます。もちろん、人間の理性で把握することはできません。
 これが、時間の軸に沿って、空間的な出来事や、人間の心的な現象として、次々に現れ、変化していく成り行きが「予定」(predestination)であって、これは、人間の理性(時間、空間、範疇など)で納得することのできるような形の啓示です。これが実現した姿が、「創造」と「摂理」ということになるでしょう。
 ここでも、人間の罪の問題に関連して、「堕落前予定説」と「堕落後予定説」があて、改革派関係でも、両論併存のようですが、私どもにとっては立ち入ることの許されない事柄ではないでしょうか。


キリスト教と科学 その11 再び、宇宙とは何だろう?

<< 作成日時 : 2011/10/21 16:08

 その6の、「宇宙とは何だろう」の続きです。最先端の科学の情報についての補足と感想です。

・宇宙の構成物質 ・ニュートリノ ・暗黒物質 ・暗黒エネルギー ・多次元宇宙 などなど

1.宇宙の構成物は、星やガス体などの普通の物質(原子)は、4%ぐらいしかなく、最近発見されたニュートリノという粒子が1%前後、暗黒物質という得体の知れないものが約23%、その他に物質とは言えないが、暗黒エネルギーというものが約73%もあり、光り輝いて我々に見える星や銀河はたったの0.5%に過ぎないのだそうです。
2..この暗黒物質は、我々の認識できる3次元空間(時間もいれると4次元)を超える異次元から来た物ではないかという説。宇宙は、我々の想像を超えた多次元の世界ではないのか。更に飛躍すると、このような多次元宇宙は一つだけではなく、ほかにも多く存在するのではないかということになります。
3.最も新しい情報は、「ニュートリノは光より速く飛ぶ」という、驚くべき実験結果が発表されたことです。

1.2..は、宇宙物理学者の村山斉<むらやまひとし>先生の著書「宇宙は本当にひとつなのか」(講談社ブルーバックスB1731)からの受け売りであり、3.は欧州合同原子核研究機関(CERN)の実験結果です。
ニュートリノは、超新星の爆発が起こるとき、光とともに大量に放出される素粒子で、地球にも到達するのですが、たいていの物質はすり抜けてしまうので、捉えることが難しく、日本の神岡宇宙素子研究所にあるカミオカンデという装置で、小柴昌俊先生がはじめて捉えることに成功し、ノーベル賞受賞。その後、さらに大型のスーパーカミオカンデを用いて、小柴先生の弟子戸塚洋二先生らのグループがニュートリノには質量があることを確かめました。

  2015年10月7日 追記 (ニュートリノの質量についての証明)
 戸塚洋二先生は、08年夏に亡くなられ、ニュートリノの研究は小柴先生の門下生・梶田隆章先生に引き継がれました。そして2015年10月6日スエーデンの王立科学アカデミーによってノーベル物理学賞が贈られることになりました。

 暗黒物質は、もちろん目に見えませんが、周囲の天体の運動の様子から、これが質量を持った物質であることがわかりました。はじめ、暗黒物質の正体はニュートリノではないかと考えられたが、ニュートリノは、光速とほぼ同じ速さで動き、質量がきわめて小さいので、全部集めても暗黒物質の一部にも満たない程度です。

 暗黒物質の粒子は質量が大きく、電荷も持たず、他の物質とは殆ど反応せず、ほかの天体とぶつかっても、それをすり抜けて動くという幽霊のような物質で、その正体はまだまだ未知の要素が多いようす。そこで、これは異次元からやった来たのではないかという説も起こったわけです。

 最近の研究によると、誕生した直後の宇宙に存在した暗黒物質の分布にちょっとしたムラがあったために、宇宙の大規模構造ができたといわれます。(この理論は筆者にはよくわかりませんが、)もし、暗黒物質がニュートリノのような速度の速いホットな粒子であれば、早く動き回ってムラをならしてしまうので、陽子も中性子も発生せず、すべての元素ができないので、当然、現在のような地球もなく人類も生まれなかったということになります。

 仮に多元宇宙という考えで、宇宙が多くあったとしても、上記のバランスがうまくとれていて、人間が存在できるように宇宙の条件がそろっていなければ、宇宙を観測する人間は存在せず、このような宇宙も存在しないのと同じです。ここから先は宇宙論とともに「人間原理」がからまってくることになります。ここで、宇宙論の著者の村山斉先生の言葉を紹介して、一旦このBlogを閉じましょう。
 「・・・宇宙が『できすぎ』なのは、神のような超越的な存在が宇宙を創ったため、初めからうまくデザインされているのだという考え方もあり得ます。宇宙は試行錯誤の『たまたま』うまくいったものなのか、超越者が非常にうまく考えてつくったものなのか。・・・ここまで来ると科学なのか、哲学なのか、その境界があいまいになってきます。・・・」 (今日はここまで)
2.の暗黒エネルギーの問題と、3.の「ニュートリノ速度が光よりも速い」については、またあとで

(続き)(2011/11/18) 暗黒エネルギー<暗黒物質ではない>は、まだ正体がわかっていないものです。
 宇宙は、生成以来膨張を続け、現在でも以前に増して、膨張速度が加速していることが、観測結果から確かめられています。このように膨張すれば中身(構成物質)が薄れてくるはずですが、その気配もないのは、宇宙の真空だと思われていた所に、斥力を働かせるようなエネルギーが存在すると考えなければなりません。これが暗黒エネルギーで、その量は、全宇宙の73%ぐらいないとつじつまが合わない計算になるのです。

3.の「ニュートリノ速度が光よりも速い」については、2011年9月、スイス・ジュネーブの欧州合同原子核研究所(CERN)から発射したニュートリノビームを、約730キロ離れたイタリア中部のグランサッソ国立研究所まで飛ばしての到達時刻が光(秒速約30万キロ)より約60ナノ秒(1億分の6秒)速いとという結果を得たというニュースです。
 これは測定上の誤差ではないかと一応は考えられるのですが、その後、11月18日(金)22時6分、再試験でも変わらなかったというのです。(時事通信11月18日による)
 もしこれが事実だとすれば、アインシュタインの「相対性理論」を塗り替え、現代物理学の枠組みを覆すような出来事だということになります。
 この結果から想像を飛躍させれば、現在から過去に向かって進行する時間の流れもあり得るという「タイムマシン」も、空想科学小説だけの話ではなく、存在可能となってしまうのです。

「超光速」撤回へ  ニュートリノ 再実験で誤り確認  (2012/6/2<土>朝日新聞)
 欧州原子核研究機関(CERN)で、今年(2012年)2月に、二つの問題が判明し、再実験が5月にに実施され、超光速は再現されなかったため、「撤回」宣言がなされることになった。

 一応このBlogを終わらせることにしましょう。前述の「人間原理」については、もし「観測する人間が存在しなければ、このような宇宙は存在しないも同様だ」という論は、仏教の「唯識論」<ゆいしきろん>に通じるところがありますし、「神のような超越者が非常にうまく考えて創ったたものなのか・・」という論は、キリスト者にとっては「わが意を得たり」と言いたいところですが、私としては、科学的な宇宙の発生の部分に「神」を安易に登場させることは、かつてキリスト教が「天動説」を教義の中に取り込んだと同様に、「神」を限定的に捉えてしまうことになるのでは・・・と恐れます。
 「神」は、人知をはるかに超えた、偉大なお方ですから。
聖書の言葉
 「天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。」(詩編19編2節)
 「あなたの天を、あなたの指の業をわたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。
  そのあなたが御心に留めてくださるとは 人間は何ものなのでしょう。
  人の子は何ものなのでしょう。あなたがかえりみてくださるとは。・・・ 」 (詩編8篇4-5節)

(2011年12月末) もう一つ、最近の話題を付け加えておきましょう。
①ヒッグス粒子の探索---
 これは、1960年代にイギリスのピーター・ヒッグス博士が、予告した理論で、ビッグバン直後に、光速で飛び回る多くの質量0(ゼロ)の素粒子に作用して、抵抗を与えて動きを弱め、質量を与え、物質生成の起源となったものと考えられています。最近、スイスにある欧州合同原子核研究機関の(CERN)の大型粒子加速器で陽子と陽子を光速近くに加速、衝突させ、その痕跡からヒッグス粒子の存在を確かめようとする探求が進んでいます。この装置には5000億円もの、莫大な費用がかかるそうですが、天地創造・すべての物質の創造の起源を探るものとして「神の粒子」とも呼ばれています。
②太陽系外惑星の存在---
 最近は、太陽以外の他の恒星にも地球や木星のような惑星の存在が発見されています。もちろん、非常に遠方なので直接、望遠鏡で見ることはできませんが、惑星が親星である恒星の周囲を回ることによる、親星の運動の影響やスペクトルの変化などから、このような惑星が多数存在することがわかっています。
 そのような惑星の一つ、「ケプラー22b」と名付けられた星がオリオン座で見つかり、大きさは地球の2.4倍、公転周期290日、表面温度22°Cで、もしその星に水があれば液体の形で存在するであろうから、地球のような生命が存在する可能性も考えられるとか。
これらもまた、天地創造の深奥が明かされる問題として、興味が持たれるところです。

キリスト教と科学 その12  ヒッグス粒子 遂に発見か?

 2012/7/4(水)、スイスにある欧州合同原子核研究機関(CERN)で、万物に質量を与えると考えられる「ヒッグス粒子」と見られる新粒子を発見したと発表されました。これは、東大や筑波大など16の研究機関が参加する「ATLAS」と、欧米中心の「CMS」の二つの研究チームの実験結果で、共にCERNの巨大加速器「LHC」で、加速した陽子と陽子を衝突させて、作り出したものといわれ、その存在確率は99.99994%と言われます。 これにより、物理学の「標準理論」による17種類の素粒子の最後の17番目が捉えられたことになり、新たな発展が期待されるところです。 
(2012/7/5・テレビや朝日新聞その他の記事より)

※物理学の標準理論 (標準理論で扱われている素粒子)
        第1世代      第2世代      第3世代
         
クオーク アップ チャーム トップ
ダウン ストレンジ ボトム
レプトン 電子ニュートリノ ミューニュ-トリノ タウニュートリノ
電子 ミューオン タウ
・・・・・・・・
ボソン 光子 zボソン    wボソン   グルーオン
 ・・・・・・・・                  ヒッグス粒子 






 説 明
地球上の物質は原子核とその周りを回る電子からできています。 原子核は陽子と中性子の集まりですが、陽子と中性子は更に小さなクオーク(アップクオークとダウンクオーク)が集まってできています。(ここまでは中学生でもわかるでしょう。)
私たちのまわりにある物質は、アップクオークダウンクオーク、と電子が組み合わさってできています。
しかし、そのほかにも宇宙からやってくる粒子が次々と発見され、現在は上の表のようにクオークとレプトンに分類され、全部で12の種類の粒子があります。この12種類の粒子は物質を形成している素粒子です。
そのほかにボソンと呼ばれる素粒子がありますが、これは物質ではなく、力を伝える素粒子です。
光子は電磁気力を伝え、wボソンとグルオーンは原子核内部で働く弱い力と強い力を伝える働きをします。もう一つ重力を伝えるボソン(zボソン)があります。
 ----この標準理論は、多くの学者の研究と、研究装置の開発による結果で、1970年代に枠組みがほぼ完成されています。----
さて、以上の標準理論は、粒子についてのものですが、粒子には反対の性質を持った反粒子というものが必ずあります。(例:-の電荷を持った電子に対し、+の性質の陽電子があるように)、
このクオークとレプトンについても、上図と同様な反粒子の世界が考えられます。これをCP対称性といいます。
 ----ここで、ニュートリノのはたらきが大変興味深いのですが、ちょっと後回しにして、ヒッグス粒子について考えてみましょう。----

 ヒッグス粒子の発見
 
これは約50年も前にピーター・ヒッグス博士によって予言されていたのですが、2012/7/4日に、発見のニュースが流れ、世界中の物理学者は大騒ぎして喜んだといわれます。
 素粒子の標準理論では、すべての素粒子は、本来、重さ(質量)を持たないもの考えられましたが、実際はほとんどの素粒子が質量をもっています。この矛盾を解決するために考え出されたものがヒッグス粒子です。
 たとえば電子のような素粒子が出来たばかりの頃は、本来質量がないわけですから、光速で素早く走ろうとするのですが、途中でヒッグス粒子の群れを通過する時、ヒッグス粒子に邪魔されて、スピードを失い、その代わりに質量を与えられたと考えられます。
 これを発見するために、誕生したばかりのビッグバン(の小規模実験装置)を作って、大きな円形トンネルの中で二つの陽子を超電導磁石によって加速し、高いエネルギー状態にして衝突させ、衝突によって発生した多くの粒子の中から、ヒッグス粒子と見られる粒子の痕跡を探し出す作業です。実験を何回も繰り返し、99.99994%の確率でデータを取り出せるようになり、「発見」というニュースになったのです。 このヒッグス粒子のはたらきは、これからだんだんと明らかになることでしょうが、現在、世界に存在する、質量を持った、人間を含めたすべての動物・植物・鉱物が存在する条件は、このヒッグス粒子によって具えられたということができるでしょう。
 東京大学、高エネルギー加速器研究機構などの国際研究チーム「ATLAS(アトラス)」は、昨年7月に見つかった新粒子が、物に質量を与えたとされる「ヒッグス粒子」であることが確定したと、7日付の国際専門誌「フィジックス・レターズB」に正式報告する。
 ヒッグス粒子は、スイス・ジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究機関(CERN(セルン))の巨大加速器の実験で見つかり、ATLASと欧米中心の別のチームが実験結果の検証を進めてきた。CERNは今年3月、両チームの検証をもとに「新粒子はヒッグス粒子」とする見解を発表。今回、その際のデータが正式な論文にまとめられた。論文は、粒子の自転を表す量「スピン」がゼロであるなど、ヒッグス粒子の特徴を示すことを明らかにしている。(2013/10/7読売新聞・その他より)

ヒッグス粒子の存在についてノーベル物理学賞受賞

 スウェーデン王立科学アカデミーは8日、2013年のノーベル物理学賞を、物質に質量をもたらす「ヒッグス粒子」の存在を理論的に予言した英エディンバラ大名誉教授のピーター・ヒッグス氏(84)と、ブリュッセル自由大名誉教授のフランソワ・アングレール氏(80)に授与すると発表した。素粒子物理学の大きな謎を解明した功績が評価された。
 ヒッグス粒子は全部で17種類ある素粒子のうち唯一、未発見だった最後の粒子。1964年、ヒッグス氏はこの粒子の存在を予言し、アングレール氏は物質に質量が生じる仕組みを説明する理論を発表。極微の世界の基本法則である素粒子の標準理論を完成に導いた。 スイス・ジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究所(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使った国際チームの実験で昨年7月、ヒッグス粒子とみられる新粒子が見つかり、今年3月に発見が確定。わずか半年後の異例のスピード受賞は、科学史に残る大発見を裏付けるものとなった。
 ヒッグス粒子の性質を詳しく解明すれば、現在の標準理論を超える新たな物理学が生まれ、物質や宇宙誕生の理解が飛躍的に進むと期待されている。 LHCは各国から計数千人の研究者が参加した巨大プロジェクトで、日本も東大チームなどがデータ解析や装置建設で貢献した。 授賞式は12月10日にストックホルムで行われ、賞金計800万スウェーデンクローナ(約1億2200万円)が贈られる。

もうひとつの謎 (2013/10/10)
 最初のビッグバンで、エネルギーから物質ができる時には、必ず反物質とペアになってできたと考えられます。この反物質は物質と出会うとペアで消滅して最初のエネルギーに戻る筈です。が、現実には我々の世界には、上記の標準理論の物質は存在し、現に私たち人間が生きていますが、反物質はほとんど存在しません。この謎はニュートリノという物質の働きにかかわりがあると考えられています。そのほか暗黒物質などの解明も今後の大きな問題でしょう。
                                          
キリスト教と科学  その13  重力波の初観測  2016・2・13)
 キリスト教と科学その6に、「現在、ハッブル宇宙望遠鏡で観測される最遠の天体は、約130億光年の彼方の渦状星雲だといわれる。今見えているその天体は、実は現在の姿ではなく、130億年前(宇宙誕生から7億年後)の姿を見ているわけである。」と書いたが、これは、光を通して見た場合で、それ以前は光の放射ができない初期の状態であったからです。しかし、光ではなく「重力波」による観測が可能になれば、もっと初期の宇宙創成の姿がわかるかもしれません。
 100年前にアインシュタインが存在を予告し、世界の研究者が観測を目指していた「重力波」が、100年後のこの度、アメリカの研究チームによって観測成功し、光や電波ではわからない宇宙のの姿を探る道が開けることになったといわれます。この観測が実現すれば、ま新たに「重力波天文学」という分野が開けてくるでしょう。
 この観測はヨーロッパや日本でも取り組まれており、神岡鉱山(岐阜県)の地下にある観測施設「KAGRA」も17年度から本格観測を始めるといわれています。
     


終末
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キリスト教と科学 についての新しい情報が報じられたら、追加の記事を加えるつもりですが、一応、世界の歴史の最終段階をキリスト教の立場から、最終稿として記しておきたいと思います。 





キリスト教と科学 ★★★ 「世界の終末」について

 
その11に宇宙論の著者の村山斉先生の言葉、 「・・・宇宙が『できすぎ』なのは、神のような超越的な存在が宇宙を創ったため、初めからうまくデザインされているのだという考え方もあり得ます。宇宙は試行錯誤の『たまたま』うまくいったものなのか、超越者が非常にうまく考えてつくったものなのか。・・「・ここまで来ると科学なのか、哲学なのか、その境界があいまいになってきます。・・・」 と記されていますが、・・・・・
遠い将来、宇宙を観測する人類が「不在?」となってしまったら、現在の折角の宇宙論も終わりということになってしまうのではないでしょうか?

 ここでは、聖書に記された「世界の終末」についての教えを記して筆を措くことにしたいと思います。

 これには、聖書の解釈をめぐって、たいへん多くの説があるわけですが、ここでは主として、
①「改革派神学通論」 (エル・ベルコフ著、大山忠一訳)、
②「改革派教理学教本」 (日本キリスト改革派教会の故岡田稔著) などの中から拾ってみることにします。

1.終末論について 聖書には世界の初め「天地創造」から始まって、最後には「終末論」まで記されています。終末論には、人の死と死後の霊魂の状態の問題を扱う「個人的終末論」と、神と人間全体の最終的な状況を取り扱う「一般的終末論」に分けることができるでしょう。

2.死と死後の個人的霊魂の存在様態・・(個人的終末論)
人間は、主に贖われた敬虔な者も滅びに至る悪しき者も、死ぬと旧約聖書の陰府(sheol)新約聖書の黄泉(Hades)と呼んでいる中間状態に置かれるとされています。これは、善悪とは関係のない死後の様態をさす言葉と考えられます。
 旧約の初めから新約の終わりまで、その期間は長いように思われますが、死後では時間がストップしているとも考えられますから、死者は皆同時に存在しているとも考えられます。)
(死者のそこでの過ごし方は省略して、時至ってキリストの再臨の時について調べてみましょう。)

3.一般的終末論
  新約聖書では、主イエス・キリストの最初の生涯の後、第二の来臨(再臨)があることを明示しています。使徒らもそれについて語っています。
 A..先ず、再臨に先行する諸々の大事件として、次のようなことが起こるでしょう。
 ①異邦人の召命:(マタイ24:14、マルコ13:10、ローマ11:こ5) ②イスラエルの改心(ゼカリア12:10、13:1、Ⅰコリント3:15-16、ローマ11:25-29)
 ③偽キリストの出現 ④しるしと不思議 など。
 B..再臨について
 再臨の時期については、前千年期論と後千年期論があるが、前記のしるしと不思議の後で、人の子(イエス)が天の雲に乗って来られます。
 来臨の目的は、次のとおりです。   ①死人の復活と最後の審判を行うこと。 ②神の国の到来
千年至福の問題
  黙示録20::1-6を根拠として、キリスト再臨の前後のいずれかに、千年至福の神の国があるであろうと信じる者もいます。これには三つの説
 (反千年至福説、後千年至福説、前千年至福説)があるが、ここでは省略します。(私どもの改革派教会では、一般に反千年あるいは無千年  王国説をとる人が多いかと思われます。これは、すべての人々の復活が同時に起こるのではないというだけのことであろうか?)

4.死人の復活  聖書はキリストの再臨にあたって、死人が甦らされるであろうと教えています。(聖書箇所省略)
  復活の特色・・・
 ①身体の復活---聖書は、人の霊的な復活だけではなく、身体の復活を教えています。(ローマ8:11、Ⅰコリント15章など) それは現在地上で まとうていた不完全なものとは違うであろうが、明らかに現在のものを引き継いでいるものであります。
 ②悪人もまた復活する。身体の状況は聖書に記されていないが、最後の審判において刑罰を受けることになります。

5.最後の審判と終局の状態
  聖書は、死人の復活は人間の最後の在り方に至る前段階であるとしています。
 ①審判者と補佐人
 審判者は、言うまでもなくイエス・キリストでです。御使いらもこの審判を補佐する側に立つでしょう。(マタイ13:41-42、24:31、25:31)
 ②審判される者たち
 先ず、人間はあらゆる者が審判の座に立たされることになるでしょう。(また、サタンやその関係者も裁きを受ける側に立つでしょう。)
 ③審判の時・・・ 
 死者の復活直後と考えられます。また。ある人は審判には莫大な時間がかかるだろうともいいますが、この段階では、現在のような時間の流れ は無くなるわけですから、それは問題にならないでしょう。
 ④審判の基準
 明確な神の基準によって裁かれるでしょうが、他人の心配はさておき、私どもとしては、イエス・キリストの救いを受け入れているか否かによ って、結果が決まるということに心を留めておく必要があるでしょう。

6.終局の状態
 (1)義人の終局の状態
 ①新しい創造・・・ 現在の天地は過ぎ行き(ヘブライ12:27他)、新しい創造がそれに代わる。しかし全く新しい創造ではなく、現在の創造の更新 ということでしょう。(詩編102:26,27他)
 ②義人の住みかは・・・ それは我らの父の家である「天国」です。そこで、何らの苦しみも欠陥もない「永遠の生命」を与えられ、神との交わりの 中に過ごすことになるでしょう。
 
 (2)悪人の終局の状態
 ①悪人の終局・・・ 刑罰の場所は、通常「地獄」(hell)と呼ばれています。
 ②彼らは「神の恩寵」を剥奪されて、絶望的な苦しみの中に置かれる。
 ③彼らの刑罰は、”無限””永遠”に続くといわれています。           ーーー未完ーーー

  以上は大あらましです。追々もう少し詳しく書き加えるつもりです。(岩﨑)