第3章 人生と世界を楽しむ
  1.オペラを楽しむ   2.クラシック音楽を味わう
  3.異なる世界を体験する   4.詩を通して真実に近づく
  5.自然の美しさにみとれる   6.バイオリンの魅力
  7.コーヒーの香り   8.常に楽しい気分を保つ
  9.自然を楽しむ ー 公園に行く      10.食物を味わう
 11、自由時間の使い方

 
 この人生と世界には至るところに苦しみがあります。このホームページで触れたことは、それらの一部に過ぎません。しかし、私たちに与えられた短い一生を、それらの苦しみだけを見つめて生きることは望ましくありません。そのような問題で頭を一杯にして悩み続けたら、大きなストレスにより病気になってしまうでしょう。

 この人生と世界には至るところに楽しみがあることも事実です。この人生と世界をもっと楽しむべきです。楽しむという言葉の意味は、あるものが持つ価値を見つけて、それを味わうことです。何にどれほどの価値を見出すかは、人によって異なります。この章ではそれらの楽しみの一部を取り上げます。


                                

  1.オペラを楽しむ

私はオペラを時々観に行く。都心の公演の料金は高すぎるが、近くの市民文化会館が招く東欧諸国の歌劇団は手頃な値段なので助かる。実は五年前まではオペラに対する興味はゼロに近かった。オペラ独特の発声法が不自然に思えて違和感を持っていたのである。ところが、1996年にウイ―ンで初めてオペラ劇場に入って、「フィガロの結婚」と「カルメン」を観てから、オペラが急に好きになった。

 ヒュームは「理性は感情の奴隷であり、またそうあるべきである。理性は情念に仕え、従う以外に何らかの役目をあえて望むことは決してできないのである。」と言って、生き方を考える上で、情念や感情の重要性を説いたが、私たちは、日常、多くの情念や感情を心の奥に抑圧し、閉じ込めて生活している。それに比べて、オペラの登場人物は皆、情念と感情だけに動かされて生きているように見える。そして、激しい情念や感情を表現するためには、あの激しい発声が必要であり、ふさわしいのである。観客は舞台を観ながら、登場人物の歌とオーケストラの音楽と一緒に、自分の感情も自由に発散させて、心の中に鬱積したものを解消し、カタルシス(排泄・浄化)を行っている。

芸術とは何か?については、古来、多くの説が提出されてきた。プラトンは、芸術は現実の不完全な模倣に過ぎず、詩は欺瞞を生み、国家にとって有害であるという詩人追放論を唱え、低い評価を与えている。一方、アリストテレスは、芸術は現実の単なる模倣ではなく、普遍的真実を具体的かつ構成的に本質呈示するものと考えて、高い評価を与えている。この考え方はハイデガーとガダマ−に受け継がれて、20世紀の芸術哲学の主流を占めるようになる。ハイデガーによれば、「芸術が真実で、現実は虚構である。」 この芸術観を踏まえて、渡邊二郎は「芸術の哲学」という著作の中で、芸術の役割を次のように規定している。

「芸術とは人生や世界の本質を露呈する装置である」
「芸術とは生と世界内存在の真実を結晶化した作品の形態において、私たちに、その生と世界内存在の根源的な真実の原体験を、増幅した形で反復・反芻することを可能ならしめ、そのようにして、私たちを生と世界内存在の真実の前に直面せしめ、私たちに自己認識を授け、生きる勇気と喜びを贈り届けるものである。生と世界内存在の真実の作品化の輝きが、結果として美となって放射される。芸術の虚構性とは、出鱈目・架空の意味ではなく、生と世界内存在の真実を見えるようにさせる発見的装置・その技法のことにほかならない」
「芸術作品は、単なる美的感傷の対象ではなく、生の真実、世界内存在の真相、その本質的緒形態と向き合う場所なのである

もしも、この規定に従えば、オペラを総合芸術と呼ぶのは適切である。時代が変わっても、人間性の本質は変わらないので、19世紀を中心に作られたオペラの魅力が今でも多くの観客を集めている。次に実例に基づいて、この規定の妥当性を検証してみたい。

「サロメ」
ドイツの国立歌劇団による「サロメ」と「さまよえるオランダ人」を武蔵野市民文化会館で2001年11月に2日間続けて観てきた。両方とも完成度が高くて素晴らしかった。牢獄に捕われの身のヨハネ(イエスに洗礼を施した予言者)にサロメは一目で恋をして、口づけの許しを求めるが、厳しく拒絶されると、ヘロデ王に頼んでヨハネを殺害させ、その死者の唇に接吻して、目的を果たす。「愛の神秘は死の神秘よりも深い」というサロメが最後に2度繰り返す言葉は、男女の愛を超えて、一般に極限状態の愛について成立する真実である。サロメ役の女性がヨハネの首と対面する場面で、全裸になって熱演したのには驚いた。男性客に対する演出のサービスだと思っていたが、脚本に忠実だと全裸になるそうで、「サロメ」は発表当時、上演禁止する国も多かったらしい。

「さまよえるオランダ人」
死ぬことも出来ず、永遠に海をさまよわねばならない宿命を背負った伝説上のオランダ人は、永遠の愛を誓う乙女が現れたら救われるという。船長ダーラントの娘ゼンタはこのオランダ人を愛するが、青年エーリックがゼンダに迫るところを見たオランダ人は絶望して、また悲しい航海に出る。そのとき、ゼンタは永遠の愛を証明するために海へ身を投げるが、この犠牲的な行為によってオランダ人は遂に救われて、2人共昇天する。これは一見すると幻想的で奇怪な物語であるが、メッセージはかなり普遍的で、現実的でもある。多くの男性は自分に永遠の愛を誓う女性を探し求めるが、そのような女性に実際にめぐり合うのは難しく、絶望と希望の間を永遠にさまよう存在であるという現実を示している。

何事もそうだが、本物を体験しないで、物事を正当に評価することはできない。もしも、あの時、あの劇場で、あの歌手と演出による「カルメン」を観ていなかったら、今でもオペラの楽しみが分からなかったかも知れないと考えると、偶然のめぐり合わせの大切さを痛感する。 人生と世界の全てについて言えることだが、偶然の出会いだけを待って毎日を過ごすと、大きな価値あるものを体験しないまま、一生が終わってしまう危険がある。そのような危険を避けるためには、受身ではなく積極的になって、世間一般で長い時代にわたって高い評価を受けてきたものは、全て本物を実際に体験してみる必要がある。これが、自分が今までに知らない価値に出会い、それを味わう唯一の方法である。

「『ドン・ジョバンニ』(モーツァルトのオペラ)を聴くためなら、何里の道でも歩いていこうし、何日でも監獄に入っていよう。だが、他のことのためならとてもこんな努力はしないだろう。」  (スタンダール 52歳)


Bravo! Brava! Bravi!
るりこんのオペラハウス

  2.クラシック音楽を味わう

最近は多くの場所に公共の文化会館ができて、海外から来た演奏家のコンサートにも容易に行けるようになり、クラシック音楽がかなり身近なものになった。また、レコード盤に代わるテープやCDの普及もクラシック音楽を親しいものにしている。
1.音楽の分類
 音楽にはいろいろな種類があるが、オペラ、流行歌などのように歌詞が付いたものと、クラシック、ジャズ、一部の邦楽などのように歌詞が付かないものに分類することができる。その音楽は何を表現しようとして創られたのかは、歌詞が付いたものは明瞭であるが、歌詞が付かないものは必ずしも明瞭ではないという違いによる分類である。これによって音楽の聴き方が随分と違ってくるからである。

2. クラシック音楽の聴き方
クラシック音楽の実際の聴き方は、主に次の4つがあり、時と場合によってこの内のどれか一つに従うか、複数の仕方で聴いている。そして、聴き方はどれが正しいというものではなく、聴く人の自由に任されている。

(1) 作曲者は何を表現しようとしているのかを考え、それを思い描きながら聴く。作曲者の表現意図を事前に調べておく必要がある。
(2) 作曲者の表現意図はあまり考えないで、自分で自由な解釈をしたり、好きな連想をしながら聴く。
(3) 作曲者の表現意図は考えないで、無心になって音楽の流れに心身を一切委ねて、一緒に流れて行く。自分は全く受身の状態で、特に能動的な働きはしない。
(4) 自分がもしも作曲者や指揮者や演奏家だったら、ここの部分はこのようにするというように批判しながら聴く。


3.クラシック音楽が表現するものと与えるもの
 クラシック音楽が表現するものと与えるものを理解するためには、文学作品と音楽の比較が役立つ。両方とも、さまざまなことを表現できるが、情景から受ける印象、喜び・悲しみ・怒り・楽しさというような感情や気分、心の中の葛藤・希望・夢、崇高なものへの憧れ、宗教的な敬虔な気持ち、愛情などについては、文学作品よりも音楽の方がよく表現できる。

 クラシック音楽によって何を与えられるかは、曲目、指揮者、演奏家、生演奏か録音か、その曲の予備知識、それを聴くときの年齢、精神状態などによって、かなり異なってくる。しかし、多くのクラシック音楽は、生き生きした気分、豊かな充実感、何かをやる気力などを文学作品よりもたくさん与えてくれる。これは、文章は頭や心に作用を及ぼすが、音は全身の細胞に直接作用を及ぼす感じによるのかもしれない。
 
次に、音楽が表現するものと与えるものについて四人の証言を引用する。

「今、私が作曲している曲がよいにしろ悪いにしろ、私はただ一つ、それは私の内面的な逆らいがたい衝動から起こっているということを知っています。私はいつもしゃべりたいことがあるので、それを音楽という言語の中でしゃべっているのです。」      (チャイコフスキー)

「わたしはいつのころからか、自分を、モーツァルトに育てられ、モーツァルトにおいて、いっさいの理屈を超える愛と真と善と美とを知ったひとりの人間だと思うようになりました。」
(鈴木慎一:世界的なバイオリニストを育て、"スズキ・メソード"の教育法を海外にも普及した)

「わたしはこの問題(相対性理論の発端になった運動体の光学)を直観で気づいた。この直観の原動力は音楽だ。わたしは六歳のときから、親にバイオリンを習わせてもらった。わたしの新しい発見は、この音楽の世界の勘のおかげである。」                 (アインシュタイン)

音楽が表すものは、あれこれの個別の喜びや悲しみではなく、喜びそのもの、悲しみそのもの、苦しみそのもの、驚きそのもの、歓喜そのもの、愉しさそのもの、心の平安そのものである。
音楽は人間の最も内奥の部分に働きかけて、この世界の形態化に先立つその核心、心臓部を示し、世界の最内奥の本質を表現する、全く普遍的な言葉であり、最大の真実性が宿る。
「音楽が音や旋律を用いて表すものは世界そのものの本質であり、物自体であるが、これを概念を用いて示すのが哲学である。」
「音楽は端的に物自体の表現であって、この点で他の一切の芸術とは異なる。」
                                              (ショーペンハウアー)

ベートーベンの創造力の源
クラシック音楽情報センター

   3.異なる世界を体験する

現在、ある人が日常生活を営んでいる世界・環境は必ずしもその人が最も希望して選択したものではない。人種、民族、国、両親などは生まれたときにすでに決まっていたものであるし、居住地、職業などは、原理の上では自由に選べるものであるが、実際は偶然の要因が強く働いている。宇宙の無限の時間の中で、生は一回だけしか与えられないので、その貴重な一生の全ての時間を、偶然置かれた環境に閉じ込める必要はどこにもない。

現代の経済社会は分業が極度に進み、競争が行われる結果、優れた物・サービスが安い値段で入手できるようになり、消費者にとっては大変便利な時代になった。しかし、これを生産者の側から見ると、分業社会の中におけるひとつの役割分担として、ひとりの人間が職業に就いて従事する対象・範囲は非常に狭いものになり、それは人間が一生の間に自然に持つ関心や興味の広範な対象の一部に過ぎなかったり、その対象・範囲の中にも入っていないというような事態が生じる。だからといって、居住地や職業を数年毎に自由に変えるわけにもいかない。

 例えば、日本で会社に勤務している人間が、ある時、パリで画家として生活したいという望みを抱いたとしても、それを実現することは容易ではない。フランス語をある程度マスターし、絵が売れるだけの実力をつけねばならないが、それがうまく行かず、計画倒れになる場合が多い。そのような場合は、次善策として、パリへ時々旅行し、絵は趣味として国内で自由時間に描くという代替案を実行すれば、会社員としての生活を続けながら、所期の望みをある程度まで達成でき、それなりの充足感を得られる。このように、旅行と絵を描くという従来の生活とは異なる世界の体験を加えることによって、自分が本当にやりたいと思っていることと本質的には大差ないことを実現できる。

また、異なる世界を体験することにより、日常生活とは違う刺激を受けて、心身が活性化し、関心や興味が拡大し、潜在していた機能が顕在化して、生活全体が充実する可能性がある。そして、異なる世界の中に、自分が今まで知らなかった、あるいは、気が付かなかった大きな価値が存在していて、それに出会う可能性がある。もしも、異なる世界の中へ自ら入って行かなければ、そのような価値の存在を永久に知らないまま生命を終えることになる。

 このような効用を求めて、読書、コンサート、映画、旅行、自由研究、自由行動などに自由時間を使って、日常生活とは異なる世界を体験し、様々な価値を味わうべきである。体験の狭義の定義は、自分が身をもって直接に経験することであるが、広義の定義は、読書や映画のように他人の体験やフィクションを追体験することも含める。このような間接体験を含めて自己の体験世界を拡大することは、自己の生を豊かに充実させるために必要である。


読書
一般に日本人は本を買って読む習慣があるが、欧米人は図書館を利用する習慣がある。どちらがよいとは断言できないが、自宅の書棚には限界があるので、図書館を大いに利用すべきである。

全国各地の図書館


テレビ
異なる世界を擬似体験する最も安易な方法は、スイッチを押すだけで別の世界に入れるテレビである。テレビで接した映像の影響によって、生き方が変わることさえある。


チャングムの誓い

 NHKのBS放送で毎週木曜夜の10時から始まる「チャングムの誓い」という韓国の連続テレビドラマが、10月一杯で全54話を終了する。NHKの総合テレビでも、10月8日から土曜日夜11時10分に再放映を始めた。これほど面白い連続テレビドラマは珍しい。西暦1500年頃の朝鮮王朝の宮廷が舞台なので、異国趣味的な魅力もあるが、ストーリー、俳優、音楽、撮影、衣装、そして、日本語の吹替えなど、全てがよい。一難去ると、また、一難という形で、ヒロインのチャングムに襲いかかる危険や困難に対して、彼女が決して負けないで立ち向かって行く姿は、視聴者を勇気付ける。理想的な料理人や医者のあり方も描いている。娯楽性が高いだけでなく、プラス α の比重が高い。

日本のテレビ製作者が見習うべき点も多い。私がドラマ全体の途中から見始めた時は、どこか違和感があって、それほど面白いとは思わなかったが、続けて見ているうちに、だんだんと、はまっていった。登場人物が何故そのように行動しなければならなかったのか、その動機や背景を、見る人が理解できるように丁寧に描いている。欧米のドラマよりも、心情が日本人に似ているので、親近感を持てる。近くて遠い国だった韓国を、近くて近い国にするために、このドラマは「冬のソナタ」以上に貢献するだろう。

このドラマを見ていろいろな発見をした。例えば、チマチョゴリという民族衣装が何故、腰より上の胸の下から大きく広がっているのか、今まで不思議だったが、その訳が分かった。彼等は日本と同じように床に座る生活様式だが、正座はしないで、足をくずして座る。人には見せたくない、そのくずした足を隠すために、チマチョゴリのすそをあれほど広くゆったりとしたのではないか? もしも、この推測が当たっていると、チマチョゴリは日本の着物よりも、はるかに合理的な衣服だ。日本の着物では、足をくずせないので、非常に足が痛くなるだけでなく、帯が腹部を締めつけるので、健康にも悪い。この着物の大きな欠点を、千年以上にわたり誰も改良しなかったのは、何故だろうか? 大いに考えさせられるテーマだ。

このようなテレビ番組に限らず、経済、工業など、いろいろな分野で韓国が発展していく様子を見るのは楽しい。少し前までは、アジア、アフリカで欧米と肩を並べる先進国は日本だけだった。どうすればアジア、アフリカ諸国が、先進国の仲間入りを果せるかという問題は、私の大きな関心の一つだった。最近は、中国の進展がめざましい。ノーベル経済学賞を受賞したミュルダールの「アジアのドラマ、 諸国民の貧困の一研究」を昔、読んだ頃は、現在見られるようなアジアの発展は、現実からはるかに遠い夢物語のような気がしていた。その夢が今、目の前でどんどん実現している。欧米諸国に劣らない国が、これからもたくさん登場することを大いに期待している。

チャングムの誓い


映画
映画が提供してくれる疑似体験ほど範囲や種類が広いものは他にはない。「タイタニック」、「猿の惑星」、「千と千尋の神隠し」なども映画以外の手段によっては決して体験できない世界を見せてくれた。これらの原作になっているフィクション、ノンフィクション、SF小説、マンガなどの本を読んでも、同等のものは得られないだろう。また、努力しないで簡単で安価に異なる世界に浸る手段として、映画に勝るものはない。

邦画は不振産業の一つに数えられている一方で、次から次へと目新しいものを作り続けるアメリカ映画の面白さには驚くべきものがあり、娯楽だとしても世界市場を席巻しているわけを理解できる。他の国の作品の中にも面白いものがあるはずだが、日本へ輸入されず宣伝もされないため、私たちはそれらを楽しむ機会を逃しているのかもしれない。

 映画の製作技術も進歩して、アイマックスシアター(新宿高島屋の11階にあった)で、普通のスクリーンより10倍大きい画面に映し出された臨場感あふれる世界は、現実の自分にはできない冒険をあたかも登場人物と一緒にしているかのような感動を与えてくれた。その映画館はいつ行っても空いていたので心配していたが、残念なことに2002年2月をもって閉館してしまった。しかし、4月25日に開業した品川プリンスホテルのエグゼクティブタワー内に同じものができ,早速、「スペースステーション」を観に行き、自分が宇宙飛行士になったような気分を体験してきた。ロケットが発射される時は、心臓に圧迫感を与える轟音が場内を満たし、その場に居合わせたような空気の振動を感じた。

Movie Walker (予告編を動画で見ることができる)
Shinagawa IMAX


旅行
 旅行の中でも、特に海外旅行は同質な文明圏から脱出し、異質の文明圏を体験するという効用を持っている。この場合、異なる文明圏とは西欧だけでなく、アジア・アフリカの文明圏も指していることは言うまでもない。

 日本は輸出産業の努力のおかげで国の保有外貨が増え、1964年にやっと海外渡航が自由化され、さらに円高や航空運賃の値下げによって誰でも希望する外国へ行けるようになったのは画期的である。

 もちろん、短期間の旅行で異なる文明・文化をよく理解できるわけではない。しかし、自分が日常生活を営んでいる文明圏が唯一なものではないことを体得し、比較して相対的に見れるようになることだけでも大きな意味がある。最近はグローバリゼーションによって、世界中が一つの同じ文明圏に向かいつつあるのは事実であるが、それでも固有の文化は生き残っている。

退職後のように自由時間を十分に持てるようになったら、「ロングステイ」という形で好きな国に長期間滞在することもできる。
亀井カノンさんは55歳のとき初めて海外旅行に行き、59歳で退職後、1997年から4年間、パリで月額13万5千円という安い経費で自炊生活を体験した。
「若いころから絵や芸術が好きだったのですが、わが家は貧乏だったため、中学校を卒業したら、すぐに働かなければなりませんでした。そのため、芸術どころではなかったんですね。そんな”欲求不満の原体験”があったせいでしょうか。海外へ出かけるとしたら、パリ以外には考えられませんでした。(中略)私の中で、このパリの4年間があるのとないのとでは、人生の意味が全然違ってきます。振り返ると、パリ生活は、神の国にいたかのような一種の到達感を持ってよみがえりますね。60歳を過ぎてからの体験ではありましたが、そこで見たこと、出会ったこと、考えたことは、まるで青春時代の出来事のように大きなものがあります」

亀井さんのパリ生活費用(PHPほんとうの時代2002.5月特別増刊号より)
家賃        1800フラン       32400円 (モンパルナス地区のアパート)
交通費        250フラン       4500円 (地下鉄・バスの共通定期券)
食費        2500フラン       45000円 (自炊、ただし、カフェには毎日行った)
光熱費        150フラン        2700円
衣料費        200フラン        3600円
文化費       2000フラン       36000円
その他        600フラン       10800円
合計        7500フラン      135000円 (当時1フラン=約18円、現在の通貨はユーロ)

パリの物価
ルーブル美術館友の会  350フラン    6300円 (毎日のように通った)
(年会費)
オルセー美術館友の会  250フラン    4500円 (毎日のように通った)
(年会費) 
オペラ・演劇     50−100フラン 900−1800円 (安い席でも、数多く)
映画          25−45フラン  450ー810円
パン(バゲット)         4フラン       72円
米(イタリア産・1kg)      4フラン       72円
牛肉(1kg)          40フラン      720円
野菜・果物                       格安


地球の歩き方


フランス旅行

 フランスというと、モンテーニュ、デカルト、パスカル、サルトル、スタンダール、フロベール、ルノアール、モネ、ロダンなど親しい名前が次々と思い浮かぶ。その彼らが生活した国フランスを2004年の9月末から10月初めにかけて旅行し、ニース、エズ、モナコ、エクス・アン・プロバンス、マルセイユ、アルル、アヴィニョン、リヨン、ロワール、トゥ−ル、モン・サン・ミッシェル、ル−アン、ジベルニ−、パリを団体で周った。本来は個人旅行の方が望ましいが、団体旅行の利点も捨てがたい。パリは過去に数回訪れたことがあるが、南フランスなどは初めてで、亜熱帯植物の街路樹が並ぶニースやモン・サン・ミッシェルの修道院など、新鮮な印象と感動を受けた。

 朝バスに乗って夕方ホテルに着くまで、下車する観光地を除くと、車窓から見えるのは、地平線まで続く緑の畑、牧草、草原と点在する農家だった。来る日も来る日も山など遮るものがない広い平野を眺めて、心も解放されるような感じがした。最後にパリに到着した時は、フランスという農業国の中に、それとは別に独立したパリという都市国家が存在するような思いがした.。どこの国でもそうだが、2,3の都市だけ見て、その国を分かったような気になるのは大きな間違いである。

 ベジタリアンにとって団体旅行の最大の問題点は、原則として皆と同じ食事を摂らねばならないことである。今回は旅行前に「肉(牛、豚、鶏)は食べられないので、魚に替えて欲しい」と旅行代理店に依頼したところ、航空会社、ホテル、レストランに事前に手配をしてくれて、実際にどこでも魚がスムースに出てきて非常に助かった。

 アルルで古代ローマ時代に建てられた闘技場の遺跡を訪れた時、滞仏20年の日本人ガイドが次のように語っていた。「この遺跡では春と秋に闘牛が行われる。観客の半分は闘牛士を応援し、半分は牛を応援する。私は牛を応援して、闘牛士が倒れた時には歓声をあげた。その残酷な場面をみて帰宅したら、ビフテキが食卓に出されていたので、食べることが出来なかった」。 闘牛はスペインとメキシコだけの行事かと思っていたら、フランスでも行われているのを知って驚いた。もしもイギリスだったら、とっくに禁止されていただろう。もっとも、世界中の屠殺場で同じようなことが毎日もっと大規模に行われているわけだから、驚かなくてもよいかもしれない。

 海外を訪れることは、それ自体が大きな楽しみであるだけでなく、マンネリズムに陥りがちな日常生活から離れて、異なる文化圏に一時身を置くことで、日本で得られないいろいろな刺激を受けて、日々の生活が活性化するという効用も持っている。


アメリカ旅行

 現代日本に最も大きな影響を与え続けている国、アメリカの心臓部に当たるワシントンとニューヨーク、さらにカナダにまたがるナイアガラを2005年6月に訪れた。ワシントンは2回目、ニューヨークは3回目、ナイアガラは初めての訪問だったが、それらは昔のことなので、どこでも新鮮な印象を受けた。

 過去の統計上の気温データは当てにならず、連日30度を越す快晴の真夏日で、予備に持参した冬服は無駄に終わった。

 テロ対策が厳しく、成田空港ではスーツケースの中をチェックされ、ワシントンの入国審査では、両手の人差し指の指紋と顔写真を撮られた。また、ワシントンからナイアガラに行く飛行機に搭乗する際は、靴を脱いで、靴のX線検査も受けた。2001年9月11日のテロから4年近く経過しているが、まだウサマ・ビンラーディンが攻撃を警告し、イラクの武装勢力が活動を続けているので、アメリカは警戒態勢を解除できない。我々日本人もアメリカに向かう国際線の飛行機やアメリカ国内の飛行機に乗る時は、一抹の不安を感じる。

 ニューヨークのグラウンド・ゼロ(貿易センター・ビルが崩壊した跡地)を訪れると、周囲はまだ金網が張り巡らされ、中への出入りは禁止されていた。跡地の再開発計画は、安全上の問題のために中断され、現在は白紙に戻されて、未定ということだった。崩壊した建物の残骸は全て撤去されているので(土台部分のコンクリートなどはまだ残っている)、金網に張り出されているテロ事件の概要説明書と犠牲者の名簿を除くと、事件を直接に思い出させるものは特にない。

 しかし、その後の世界の歴史を書き換える発端となったテロ事件の現場に立って、ビル崩壊の映像を頭の中で再現し、感慨深い心境になった。あの事件がなければ、アフガニスタン戦争もイラク戦争も起きなかったのだから。

 グラウンド・ゼロという呼称は、従来は広島と長崎の原爆の爆心地を示す言葉であった。その言葉をテロ事件の跡地にも使うようになったということは、テロがアメリカ国民に与えた衝撃の大きさを物語っている。 結局、このショックがアフガニスタン、イラク戦争を引き起こしたと言っても過言ではない。

 ブロードウェイの劇場で「オペラ座の怪人」というミュージカルを観た。既に日本で、同じタイトルの素晴らしい映画を観ていたので、大きな感銘は受けなかったが、やはり生の人間による歌や踊りを本場で観るという楽しみはある。「ライオン・キング」、「キャッツ」、「美女と野獣」、「マンマ・ミーア」、そして「オペラ座の怪人」など、ブロードウェイでヒットしたものを、劇団「四季」は日本でも上演して、興行成績を挙げている。客席の前後の幅が狭すぎて、誰かが通路に出ようとすると、皆が起たねばならない不便さには困った。

 1950年にヘミングウェイは、パリを「動く祝祭」と呼び、それにならって、1986年に千葉敦子は、ニューヨークを「動く祝祭」と呼んだ。現在でも両都市には、毎日が祭りのように、人の心を刺激してワクワクした気分にさせる何かがある。これが、大勢の訪問者を外国から引き寄せる最大の要因かもしれない。

 ワシントンのリンカーン記念堂と国会議事堂を結ぶモールという広大で美しい緑地帯を囲むように博物館が群がっている。アメリカの中で一番好きな場所はどこかと問われたら、私はこの区域を挙げる。そのうち、今回はスミソニアン航空宇宙博物館とスミソニアン自然史博物館と国立美術館に入ってみた。特に航空宇宙博物館では、誰でも触れる月の石、ライト兄弟が作った飛行機、リンドバーグが初めて大西洋を横断した飛行機、ソ連とアメリカの核弾道ミサイルなど、目を見張るものが多い。広島に原爆を落したエノラ・ゲイの機体は、遠く離れた別館に展示されているため、残念ながら見ることが出来なかった。

 ワシントン大統領が22歳から67歳で死ぬまで過ごした邸宅の細部まで見学して、建国当時のアメリカを手に取るように追想した。そして、1492年のコロンブスによるアメリカ大陸の発見、1776年のイギリスからの独立宣言から、超大国に発展した現在に至る歴史の光(自由と民主主義の推進、科学技術の発展など)と陰(先住民の虐殺、黒人の奴隷化など)の両方の側面を思い起こした。歴史的な建造物は見る人の心を現在から過去に運ぶ力を持っている。

 ナイヤガラの滝は遊園地の仕掛け花火で毎年のように見ているが、本物は初めてである。滝の周りは観光用にできた橋、ビル、道路などがあって、そこから見下ろした滝は想像していたほどの驚きではなかったが、遊覧船に乗って滝壷の近くまで行って、見上げた滝の巨大さには圧倒された。滝というよりも、大きな川が目の前に落下してくる感じである。ナイヤガラからニューヨークに向かう飛行機の窓からも、この滝を見ることができて、写真に収めてきたので、帰宅後それを拡大して、滝の周囲全体の地形を見たら、決して奇跡的なものではないことが分かった。川の途中で大きな落差が偶然にあるために、川の流れが滝状になったに過ぎない。

 今回の旅行では、訪れた場所の性格にもよるが、アメリカのスケールの大きさ、明るさ、開放感、美への配慮などを特に強く感じた。それと比較すると大きな隔たりがある日本が、何故、世界第2位の経済大国で、欧米に追いつき、美を重んじる国民と言われるのか、理解に苦しむところがある。

 最後に、衣食住という生活の基本について、旅行者の目に映ったアメリカの長所、短所と、それと比較した日本の長所、短所を挙げてみる。

1.衣服
 アメリカ人は、一般に明るくカラフルな色彩で、ラフなスタイルの衣服を日常は好んで着ている。日本人は地味で目立たない色を選ぶ傾向がある。日本人の場合は、わびやさびを尊ぶ美的伝統や、謙譲を美徳とする伝統の影響もあるが、それが好きというよりも、他人からどう見えるかということを気にして、無難さや保身を優先させた結果ではないだろうか? ということは、日本の社会全体が服装の自由を認める度合いが、まだ低いことを示している。ホテルの近くのオフィス ビルに出勤する人々の群を見たが、スーツにネクタイというスタイルの男性は、例外的だった。環境保護のために、日本でも夏の間はネクタイを取り外す運動を政府が始めたが、どこまで普及するだろうか? 生活を楽しむという観点からすると、衣服は、アメリカの方に軍配が上がる。

2.食事
 アメリカンサイズと言われるように、何を注文しても、量が多過ぎる。クリントン前大統領がよく行くらしいワシントンのレストランで、昼食に出てきたイカのフライとパスタの味は良かったが、量は日本の2倍から3倍はありそうで、半分食べるのがやっとだった。ビフテキも、厚さが5cmくらいはありそうだ。1人1日当たりの供給栄養量のカロリーと脂肪の平均値は、日本人の場合は、2,746kcal, 82.5gだが、アメリカ人の場合は、3,766kcal, 152.7gである。胃袋の大きさに違いがあって、彼らはこの位食べないと、空腹を満たせないのだろうか? たとえ、そうだとしても、このような食事が肥満と生活習慣病を招きやすいのは明白である。医療費の節減のために、カロリーや脂肪の取り過ぎを、アメリカの政府機関も警告しているが、なかなか改善されないようだ。食事は、日本の方に軍配が上がる。ただし、日本の食事も欧米化しつつあるので、問題点はある。

3.住宅
 アメリカの郊外の住宅地では、公園や芝生の中に家があるような感じで、緑に囲まれた環境が素晴らしい。映画やテレビに登場する住宅街のシーンは、決して特別なものではなく、どこでも見られる普通の光景である。また、住宅を含めて、一般に建物の外部も内部も、おしゃれで、美への配慮・工夫が十分になされている。それに対しして、日本では、ただ機能を果せばよいという感じの建物が多い。しかも、その機能でさえ、大地震には弱く、耐久年数が短いという欠点があって、十分に機能的ではない。このように美を軽視することや、耐久性が低いという責任の大半は、素人の建て主よりも、専門家の建築業者やそれを指導する政治にある。住宅は、アメリカの方に軍配が上がる。


中国旅行

 2005年10月に中国の北京、上海、杭州、蘇州を訪れた。反日デモの影響で激減した日本人旅行者を増やすために、国内旅行並に設定された低料金コースに参加したが、不満な点は特になかった。2度目の訪問なので、最初に訪れた時ほどの新鮮さはなかったが、北京と上海では大規模な高層建築群が非常に増えて、どこか未来都市に来たかのような驚きを感じた。2008年の北京オリンピックと2010年の上海万博に向けて、都市全体を整備中で、市内のあちこちで古い建物を壊し、そこに高層ビルを建設している。この未来都市のような景観を眺めていると、それほど遠くない将来に中国は日本を追い越すという予測は正しいのではないかという気がしてくる。北京空港のトイレでさえトイレットペーパーが置かれていないのに驚いたが、そのような不便さもオリンピックまでには解消されるだろう。

 眠れる獅子と久しく言われてきた中国は、今、長い眠りからやっと目を覚まして、名実ともに大国への道を早足に歩いている。中国が先進国に向かって急速に発展している要因はいろいろあるだろうが、第一に挙げられるのは、自由な市場経済の部分的導入だろう。今後、全面的な自由と民主主義を確立すれば、加速度的な進展を期待できるが、それは共産党の独裁が終わる時であるから、何年後になるか不透明である。国民の潜在的能力を最大限に引き出す社会の仕組みは、自由主義と民主主義であることを、中国の指導者もよく知っているはずなので、それを段階的に実現していくための戦略はすでに練られているのではないだろうか。

 旅行中は毎日、中華料理を食べていたが、広東料理でも四川料理でも全ての料理に油を使っているので、たとえ美味しくても、何日も続けば、日本食を食べたくなる。日本人は中国からさまざまなものを取り入れたが、どんな料理にも油を使うというやり方は取り入れないで、淡白な味付けの日本料理を好んだのは何故だろうか?気候?体質?味覚?その他?何が原因だろうか?これは面白い問題だが、その答を説明した本に今まで出会ったことがない。また、「飛んでいるものは飛行機以外、足があるものは椅子以外、何でも食べる」と言われている中国人の食事法も日本人は真似しなかった。

 中国人ガイドの説明によると、昔の建物の色について、王侯貴族の家の屋根は黄色、外壁や柱は赤色で、庶民の家は灰色という規則があり、もしも庶民がこの規則を破ると、死刑にされた。日本人の場合は、大名の城も武士の家も庶民の家も生木色や灰色が一般的で、区別がない。黄色や赤色のような派手な色よりも、生木色や灰色のような落ち着いた色を日本人は階級に関係なく好み、その傾向は昔から現代まで変わらない。

 しかし、過去の日本人は本当にいろいろなことを中国から学んで、取り入れてきた。漢字、(ひらがなやカタカナも漢字の変形である)、仏教、儒教などは現在でも日本文化の土台的な役割を果している。その反面、日本が中国に与えたものは、ほとんど何もないのではないか?代わりに、日本は中国を侵略して、無数の人命を奪い、建物を破壊した。この日中関係を中国人の立場から見れば、恩を仇で返されたという思いだろう。つまり、日中関係の歴史はgive and takeではなく、中国は日本に対してgive and give 、日本は中国に対してtake and take の関係であったことを、日本人は十分に認識する必要がある。反日感情の根底にある、この歴史的事実を念頭に置かなければ、日中関係の改善を図れないだろう。

最後に、アメリカ旅行と同じように、旅行者の目に映った衣食住について、日本と中国の比較をしてみたい。
1.衣服
北京の代表的繁華街である王府井を歩いている若者の服装は日本と大差ない。人民服が見られなくなったことは、大きな前進である。しかし、観光名所を訪れる農村(?)の人たちを見ると、人民服よりはよいと言える程度の質素な服装である。洋服の色は、概して日本人よりも地味だ。もう少し、明るく楽しい色の服装でもよいのではないか。この地味な洋服の色合いは、まだ全面的な自由が国民に与えられていないことと関係があるような気がする。日本の服装は、アメリカほど自由ではないが、中国よりは自由である。

2. 食事
最近はあまり聞かなくなったが、「日本女性と結婚して、洋館に住んで、中華料理を食べるのが最高」という言葉があったくらい、中華料理は確かに美味しい。日本でも、てんぷら、コロッケ、きんぴらごぼうなど、油を使った料理は一般に美味しい。しかし、どんな料理にも油を使う習慣は健康によいとは思えない。1人1日当たりの供給栄養量のカロリーと脂肪の平均値は、日本の場合は、2,746kcal, 82.5gだが、中国の場合は、2,961kcal, 83.2gで、香港の場合は、3,104kcal, 135.6gだ(アメリカの場合は、3,766kcal, 152.7g)。 北京や上海の食事は中国全体の平均よりも香港に近いと思われるので、カロリーや脂肪の摂取量の観点から、食事は日本の方に軍配が上がる。

3.住宅
北京と上海のバスの窓から見える範囲では、一戸建の住宅は少なく、高層アパートが多い。日本の高層アパートはどれも平凡な箱型で形も色も個性のない平面的な感じが多いが、中国の場合は、薄いサーモンピンクなどの楽しい色の外壁、変化のあるデザインで、個性的な建物が目立つ。さらに、日本のマンションや公団アパートで洗濯物を干すベランダに該当する部分は、ガラス張りのサンルームになっているので、洗濯物は外からほとんど見えないことが、きれいな印象に貢献している。街路樹などの緑も日本より多い。また、杭州から上海、上海から蘇州へ移動するバスから見えた農家は、多くがレンガ造りの3階建てで、モダンで大きく、なかなか立派だ。家の内部を見ていないし、広い中国の全てを見ていないので、総合的判断はできないが、私の視界に入ったものだけから判断すると、住宅は中国の方に軍配が上がる。以前、上海から来た留学生が、成田から都心までの車窓から見た日本の住宅に幻滅して、日本には住みたくないと語っていたが、そのような感想もやむを得ないだろう。


イギリスから何を学ぶか

現代の人間の生活の仕方に最も大きな影響を与えた国はどこだろうか?それは多分イギリスではないだろうか? 工業の出発点である産業革命、交通革命をもたらした蒸気機関(ワット)、自然科学の基礎とも言える運動の法則(ニュートン)・電磁気学(マックスウェル)・進化論(ダーウィン)、自由主義経済学の古典である「国富論」(アダム・スミス)、市民社会の根幹である議会制民主主義、保険制度、今でも世界中で上演されているシェイクスピアの戯曲、等々、そして最先端の文明をリードするアメリカ合衆国を生んだのはイギリス人である。その要因や秘訣は何だろうか?この疑問を以前から抱いていたが、それを解明した本には今まで出会わなかった。

そのイギリスを2006年6月下旬から7月上旬にかけて、北から南に向かって縦断し、ネス湖、エジンバラ、湖水地方、ハワース、チェスター、ウェールズ、ストラトフォード・アボン・エイボン、コッツウォルズ、バース、ロンドンなどを訪れた。イギリスを訪れるのは今回で5度目だが、いつもロンドンとその近郊に限られていて、スコットランドやウェールズは初めてだ。

何よりも強い印象を受けたのは、自然の美しさで、特にスコットランドやイングランド北部の美しさに感動した。バスの車窓から見える景色は、どこまで行っても、なだらかな起伏に富んだ草原と丘陵で、あたかも国土全体が巨大なゴルフ場のような景観を作っている。イギリスで一番高い山を見たが、それも1337mで表面は草と潅木で覆われているので、高い樹木で覆われた日本の山よりも優しい感じだ。時々、放牧された羊や牛を見かけるが、広告や建造物に出会うことがめったにないのは驚きだ。景観美を保つために、さまざまな工夫や規制が行われているのだろう。日本人が自国の景観美を尊重しないのは、何故だろうか? 

ただし、冬になれば、この世の楽園のような光景が「嵐が丘」で描かれているような荒涼とした景色に一変するかもしれないので、夏の姿だけが全てではない。しかし、イギリスの自然を見れば、日本の自然が世界で一番美しいという話は事実ではないことが分かる。

都会では、エジンバラの印象が強い。旧市街と新市街から成り立っているが、両方合わせて、世界遺産になっている。旧市街の建物のほとんどは石造で、数百年を経た石の表面は古色蒼然として黒ずんでいるので、一見すると、美しいとは言えず、汚い感じを受ける。しかし、見慣れてくると、それは歴史の重みを象徴していることに気づく。つまり、現代の便利な生活は、今、生きている人間が一朝一夕に作り出したものではなく、過去の人間の努力の積み重ねの上に成り立ったものであることを思い出させてくれる。そして、現代人の傲慢さを反省させてくれる。

大きな地震がないイギリスでは、このように石造の半永久的建造物が可能である。地震国の日本では、木造建築は耐久消費財の一つである。それにしては、家の価格が高すぎるのは、おかしい。

エジンバラ大学からは経済学者のアダム・スミス、哲学者のヒューム、生物学者のダーウィンなど多くの学者や文化人が輩出している。ベストセラーになった「ハリー・ポッターの物語」は、この街で生活保護を受けていたローリングによって書かれたもので、億万長者になった今も、彼女はこの街に住んでいる。

生活の基本である衣食住は、イギリスとアメリカでは異なる点もあるが、基本的傾向は似ているので、ここでは触れない。私は外国を訪れると、その国の生活状況を知るために、必ず代表的なデパートに入ることにしている。イギリス随一のデパートであるハロッズの正面玄関を入ったところに、所有者のエジプト人のアル・ファイドの蝋人形が置かれ、古代エジプトの4つの彫像が周囲を守るように立っている。かってイギリスの植民地だったエジプトの資本によって買収されたわけだが、この蝋人形は現在のイギリスの国際的地位を暗示しているようだ。

第2次大戦後、大部分の植民地を失い、イギリス経済は衰退した。政権を執った労働党は「ゆりかごから墓場まで」といわれるように社会保障を充実させて、福祉国家を実現した。しかし、その影響もあり、社会の活力が失われて不況に陥り、英国病といわれるほど経済は停滞した。1979年に登場した保守党のサッチャーは、小さな政府を目指して、国営企業の民営化や各種の規制を緩和して、市場経済化を進めた。その結果、ウインブルドン現象と呼ばれるように、多くの自動車産業や金融業が外国資本の傘下に入ったが、不況を脱出することができた。

1997年に政権をとった労働党のブレアは、保守党による市場化一辺倒の弊害を克服するために、
「第三の道」を選んだ。これは、保守党の市場原理政策でもなく、従来の労働党の社会主義的政策でもなく、どちらにも偏らず、両者の長所を取り入れ、短所を排除し、ちょうど中間を行くものなので、「第三の道」と呼ばれている。社会保障も依存型福祉から自立型福祉への転換を図り、社会の活力が失われないようにした。このような「第三の道」を進むことによって、現在のイギリスは、いろいろな問題を抱えてはいるが、安定した景気と社会を維持している。これは短期の旅行者の目にも感じとることができる。

日本の小泉改革は、中途半端であるにせよ、小規模なサッチャー改革にたとえることができる。そして、ポスト小泉に誰がなるにせよ、あるいは、自民党と民主党のどちらが政権を執るにせよ、今後はブレアと同様に「第三の道」を歩むことを求められるだろう。アメリカ モデルよりも、イギリス モデルの方が、日本には適していると、日本国民の大半は考えているのではないだろうか?

初めに述べた「イギリス人が他国民よりも偉大な業績を挙げることができた要因は何か?」という疑問について、何かヒントのようなものが得られるかもしれないという期待を持って、今回の旅行に臨んだ。しかし、あれこれ憶測はできるものの、証拠を提示できるほど確実な答は分からないままだ。イギリスだけに存在して、他国には存在しないものは、何も見出せないのである


エジプトで考えたこと

昨年の12月にエジプトを旅行した。カイロから成田に到着するエジプト航空の飛行機が1時間半遅れ、それに乗った後、さらに故障が見つかって、修理に1時間半かかり、結局、出発は3時間遅れた。カイロまでの13時間を安全に飛行できるのかどうか不安になり、旅行を取りやめたい気になった。帰国便も搭乗直前に故障が見つかり、他の飛行機を調達したので、1時間半遅れた。この一連の出来事は、エジプトがまだ開発途上の国であることを思い起こさせた。エジプトの一人当たりの所得は日本の30分の1で、フィリピンやインドネシアとほぼ同じレベルだ。カイロ大学の日本語学科を卒業したエジプト人のガイドは、エジプトが貧しい理由として、エジプト人が勤勉に働かないことを挙げていた。しかし、勤勉に働かないのは何故なのか?その説明はなかった。

外務省の海外安全情報によると、エジプトは「十分な注意を要す国」に分類されている。エジプトにとって外国からの観光収入は、重要な外貨獲得の手段だ。テロが1度起きると、観光客が激減するので、どこに行っても、銃を持った兵士が厳重に警備していた。私たちの観光バスにも、ピストルを隠し持つ私服の軍人が一人、常に乗り込んでいた。また、長距離を移動するときは、約80台の観光バスの先頭に数人の武装兵士を乗せたジープを走らせた。テロの脅威はイラクやアフガニスタンだけでなく、他のイスラム教国にも及んでいる。

昔、カイロとギザとアレキサンドリアを訪れたことがあるが、今回はその他にアブシンベル、アスワン、コムオンボ、エドフ、ルクソールの古代遺跡を見て回った。カルナック神殿の大列柱室、カイロの博物館に陳列されたラムセス2世のミイラ、アブシンベル神殿、王家の谷に散在するファラオの墓の内部など、驚きの連続だった。古代のエジプト人は永生の願望と信仰を抱いていたので、ミイラ作りや墓の建設には特に力を注いだ。現代人の死後の生に対する信仰はゼロに近いが、死の恐怖や長寿への願望は強いので、この点は古代のエジプト人と同じだ。この事実に思いを馳せたら、古代エジプト人に急に親しみを感じた。人間性の本質的な部分は5千年前も今も変っていないのだ。

ホテルに泊まっていると、朝の4時か5時頃にどこからか、大きな祈りの声が聞こえてきて、眼が覚めてしまう。イスラム教徒は1日5回(夜明け、正午、午後、日没、夜半)(シーア派は3回)、メッカに向かって祈りを捧げるからだ。また、アルコールも禁じられているので、飛行機内で飲酒したい人は、自分で酒を買って乗り込まなくてはいけない。宗教がこれだけ日常の生活を律している状況は、キリスト教圏や仏教圏では見られない。例えば、仏教は肉食を禁じているが、それを守っている日本人はほとんどいない。

アラブ諸国では、宗教の権威が他のいかなる権威よりも、上位に位置している。現に、イラクでは政治の指導者よりも、イスラム教の指導者の方が、国民に対する指導力や影響力を持っている。アメリカが武力によってイラクの民主化・自由化を強制しているのに、うまくいかない最大の原因は、この点にあるのではないだろうか?したがって、アラブ諸国で民主主義や自由主義を確立させるためには、政治と宗教の分離が必要だ。 そのためには、外部からの強制ではなく、内部の意識変化が不可欠である。

キリスト教国家でも、中世は法王の権力の方が国王の権力よりも上位にあった。しかし、科学の進歩などによってキリスト教が権威を失うにつれて、自由な市民が台頭して、民主主義や自由主義がキリスト教よりも上位に来るようになった。これと同じような変化がイスラム教国家でも、いずれ起きるだろうが、それまでかなりの時間がかかりそうである。日本が第2次大戦で敗北後、アメリカの強制で民主化と自由化を容易に達成したのは、イスラム教ほど根強い宗教を持っていなかったせいだろう。ブッシュ大統領の過ちは、この日本とイラクの相違点を認識せず、戦後のイラクは日本と同じような道をたどるだろうと確信したことである。



自由研究、自由行動
自分1人でやるよりも、インストラクターや仲間と共にやる方が能率的な場合は、学校、カルチャーセンター、ボランティア団体などに参加するという道もある。

朝日カルチャーセンター
カルチャーセンター(全国)
早稲田大学エクステンションセンター
NPO
NGO
ボランティア活動

   4.詩を通して真実に近づく

私たちは普通、真実に近づく手段として、科学を最も尊重しているが、科学が明らかにできるのは物事の一面であって、全ての本質ではない。むしろ、芸術によらなければ本質が開示されない真実もある。そして、芸術の中でも音楽や小説よりも詩の方が真実に迫る場合がある。ここでは、そのような詩のいくつかを挙げてみたい。


           
              おくめ                           島崎 藤村
 
       こひしきままに家をい出で
       ここの岸よりかの岸へ
       越えましものと来て見れば
       千鳥鳴くなり夕まぐれ

       こひには親も捨てはてて
       やむよしもなき胸の火や
       鬢の毛を吹く河風よ
       せめてあはれと思へかし

       河波暗く瀬を早み
       流れて巌(いは)に砕くるも
       君を思へば
       絶間なき
       恋の火炎(ほのほ)に乾くべし

       きのふの雨の小休(をやみ)なく
       水嵩(みかさ)や高くまさるとも
       よひよひになくわがこひの
       涙の滝におよばじな

       しりたまはずやわがこひは
       花鳥(はなとり)の絵にあらじかし
       空鏡(かがみ)の印象(かたち)砂の文字
       梢の風の音にあらじ

       しりたまはずやわがこひは
       雄々しき君の手に触れて
       嗚呼口紅をその口に
       君にうつさでやむべきや

       恋は吾身のやしろ社(やしろ)にて
       君は社の神なれば
       君の祭壇(つくへ)の上ならで
       なににいのちを捧げまし

       砕かば砕け河波よ
       われに命はあるものを
       河波高く泳ぎ行き
       ひとりの神にこがれなん

       心のみかは手も足も
       吾身はすべて火炎(ほのほ)なり
       思ひ乱れて嗚呼恋の
       千筋(ちすじ)の髪の波に流るる


この詩は「おくめ」という女性の名を借りて、恋愛の情熱の極限を藤村が「若菜集」で表現した。人間関係が希薄になりつつあるクールな現代社会でも、このような熱情は無くならないで、どこかに存在しているにちがいない。       




                                           エドガー・リー・マスター
       
       
あの意志の弱かったエルマ、あの腕の強かったハーマー、
       
人生の道化者のバート、大酒飲みのトム、
       
あのけんか好きのチャーリーはどこにいるのか?
       皆はこの丘の上に眠っている


       
ある者(エルマ)は熱病で死んだ
       ある者(ハーマー)は鉱山で死んだ
       ある者(バート)はけんかで死んだ
       ある者(トム)は牢獄で死んだ
       ある者(チャーリー)は女房、子供のために働いていて
       橋から落ちて死んだ
       皆はこの丘の上に眠っている


      
 あの優しいエラは、あの単純な心のケートは、
       声の大きかったマックは、高慢ちきだったリッツは、
       幸福な一生を送ったエディはどこにいるのか?
       皆この丘の上に眠っている


       ある者(エラ)は産褥熱で死んだ
       ある者(ケート)は愛情を裏切られてで死んだ
       ある者(マック)は女郎家で死んだ
       ある者(リッツ)は誇りを失って死んだ
       ある者(エディ)はロンドンとパリで暮らした後
       この小さな墓場に連れてこられた
       皆はこの丘の上に眠っている


       
アイザックおじさんは、エミリーおばさんは、
       トーニー・キンケイドじいさんやセヴアィン・ホートンは、
       名士たちと革命を談じ合ったウォ―カー少佐は、どこにいるのか?
       皆この丘の上に眠っている

       皆は戦死した息子たちを、人生にうちひしがれた娘たちを、
       父親のいない子供たちを、この町に連れて戻ってきた
       皆はこの丘の上に眠っている

       
ジョーンズじいさんはどこにいるのか?
       彼は裸の胸に降りかかるみぞれも構わず、
       酒を飲んで、女房、縁者を顧みず、
       金も、恋も、天国も願わずに、九十年の生涯ヴァイォリンを弾いた
       彼はむかしの魚フライやクレアリー森の競馬や
       スプリング・フィールドでリンカーンが言ったことを
       ぶつくさとしゃべっていた




          18世紀によく使われた墓碑銘

       前を通る人たちよ、
       あなたが今生きているように、
       私も生きていた時があった。
       私が今死んでいるように、
       あなたもいずれ死ぬ。
       私の後に続く準備をせよ。


大きな公園の中に墓地があるような緑豊かな小平霊園に一歩足を踏み入れると、静寂さが支配する別世界が広がっている。そこを時々散歩してベンチに腰掛け、野口雨情、壷井栄、伊藤整などの有名人や全く無名の人々の無数の墓石を眺めるとき、この詩が思い浮かぶ。すると、墓石の寂しい雰囲気が急に親しみやすいものに変わる。数十冊の書物よりも、前の詩は人間存在の哀しさやはかなさを浮き彫りにし、後の詩は生き方を反省させるだろう。






      
     黎明へのあいさつ                 カリダサ

       今日という日に目を向けよう!
       これこそ生命(いのち)、生命のなかの生命なのだ。 
       その短い行路の中には
       君の存在の真理と現実とがすべて含まれる。
         生まれ育つ喜び
         行動の栄光
         成功の光彩
       昨日は夢に過ぎず
       明日は幻でしかない
       精一杯に生きた今日は
       すべての昨日を幸せな夢に変え
       すべての明日を希望の幻と化す
       だから目を開こう、今日に向かって!
       黎明へのあいさつはこれだ。


「今日一日を精一杯生きることだけを考えよ」とインドの劇作家カリダサは説く。この詩を、アメリカのジョン・ホプキンス医科大学の創立者であるオスラーは座右の銘とし、「人を動かす」や「道は開ける」の著者のカーネギーは毎朝ひげを剃るときに使う鏡に貼っていたそうだ。


花と詩と音楽と


                             わたしが一番きれいだったとき       茨木 のり子

              わたしが一番きれいだったとき
          町々はがらがら崩れていって
          とんでもないところから
          青空なんかが見えたりした

          わたしが一番きれいだったとき
          まわりの人達が沢山死んだ
          工場で 海で 名もない島で
          わたしはおしゃれのきっかけを落してしました

          わたしが一番きれいだったとき
          だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
          男たちは挙手の礼しか知らなくて
          きれいな眼差だけ残し皆発っていった

          わたしが一番きれいだったとき
          わたしの頭はからっぽで
          わたしの心はかたくなで
          手足ばかりが栗色に光った

          わたしが一番きれいだったとき
          わたしの国は戦争で負けた
          そんな馬鹿なことってあるものか
          ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

          わたしが一番きれいだったとき
          ラジオからはジャズが溢れた
          禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
          わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

          わたしが一番きれいだったとき
          わたしはとてもふしあわせ
          わたしはとてもとんちんかん
          わたしはめっぽうさびしかった

          だから決めた できれば長生きすることに
          年をとってから凄く美しい絵を描いた
          フランスのルオー爺さんのように
                        ね


茨木のり子(1926− )だけではなく、現在の高齢者の大多数は、戦争中と戦争直後にこのような青春や青年時代を送ってきた。戦場に送られて、戦死したり負傷しなくても、国内の厳しい環境でこの時代を過ごしてきた。しかし、これは単なる反戦詩ではない。戦争のない時代でも、何らかの事情によって、これと似た気持ちを抱いたことがある人は少なくないだろう。その意味でこの詩は普遍的な真実を表現しているので、自分の人生を重ねてみる読み方もある。



                         
   よりかからず                  茨木のり子

               もはや
               できあいの思想にはよりかかりたくない
               もはや
               できあいの宗教にはよりかかりたくない
               もはや
               できあいの学問にはよりかかりたくない
               もはや
               いかなる権威にもよりかかりたくはない

               ながく生きて
               心底学んだのはそれぐらい
               じぶんの耳目
               じぶんの二本足のみで立っていて
               なに不都合のことやある

               よりかかるとすれば
               それは
               椅子の背もたれだけ 


「わたしが一番きれいだったとき」という前に挙げた作品同様、この作品の背景にも戦争体験がある。しかし、表現していることは、時代を超えている。最後の「よりかかるとすれば、それは、椅子の背もたれだけ」というのは、自分の頭で考え抜いて、自分が心から納得できる思想のことだろう。つまり、自分がよりかかることができる椅子が、できあいのものに無い場合は、自分で作るしかないということだ。
 



                           自分の感受性くらい                   茨木のり子

                 ぱさぱさに乾いてゆく心を
               ひとのせいにはするな
               みずから水やりを怠っておいて

               気難しくなってきたのを
               友人のせいにはするな
               しなやかさを失ったのはどちらなのか

               苛立つのを
               近親のせいにはするな
               なにもかも下手だったのはわたくし

               初心消えかかるのを
               暮しのせいにはするな
               そもそもが ひよわな志にすぎなかった

               駄目なことの一切を
               時代のせいにはするな
               わずかに光る尊厳の放棄

               自分の感受性くらい
               自分で守れ
               ばかものよ

同じ作者による詩が、偶然三つ並んだ。タイトルが「自分の感受性くらい」となっているので、作者はこの詩で感受性について述べていると思いがちである。しかし、各段落ごとに見ていくと、「ばさぱさに乾いてゆく心」、「気難しくなってきた」、「苛立つ」、「初心消えかかる」、「駄目なことの一切」 というように、様々な心の現象を取り上げている。そして、その原因は他者ではなく、自分にある場合が多いと言っている。だから、自分のことを棚に上げて、他を非難するのではなく、自分自身を反省して、自分を変える努力が、いくつになっても必要だというメッセージをこの詩に託している。

「自分の感受性くらい」の作品をこのHPに掲載した同じ2月に、茨木のり子さんの訃報に接した。享年79歳だった。ご冥福をお祈りします。

               

   5.自然の美しさにみとれる

この節では、初めに、「自然と芸術作品とは、どちらの方が美しいのか、あるいは、優れているのだろうか?」という問題を考え、次に、自然美に対する望ましい態度を考えてみたい。

ゴッホの有名なひまわりの絵と実物のひまわりとは、どちらの方が美しいのだろうか?
セザンヌが描いた果物と壷の静物画と本物の果物と壷はどちらの方が美しいのだろうか? レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナリザの絵とそのモデルになった実際の人物とは、どちらの方が美しいのだろうか?モネが描いた睡蓮の池の絵と彼の家の庭にある本物の睡蓮の池とは、どちらの方が美しいのだろうか?

ゴッホもセザンヌもレオナルド・ダ・ヴィンチもモネも、実際の自然の具体的な対象から感銘を受けて、その感銘したものを絵という作品に表現したのである。「芸術作品とは、人生と世界の真実を露呈させ、見えるようにさせるための発見的装置である」という定義に即して考えれば、優れた画家とは、自然に内在する美に気付いて感動し、それを抽出して、絵という作品の上に表現することができる人ということになる。

カントは芸術美よりも自然美に、また、ヘーゲルは自然美よりも芸術美に優位性を認めたという。しかし、前記の分析に基づけば、私たちが自然と芸術作品に対する態度としては、一方が他方よりも美しいとか、優れていると位置付けることではなくて、私たちは美という価値を味わうために二つの通路を持っていて、一つは芸術家のように自然に直接対面してその美を見出してみとれることであり、もう一つは芸術作品を見てそこに表現された美を鑑賞することである。そして、同じ自然の対象から芸術家が感じ取った美とは別の美を自分は感じ取るかもしれないし、自分が気付かなかった美を芸術作品によって初めて気付かされることがあるかもしれない。

アウシュビッツ強制収容所から奇跡的生還を果たした精神分析家のフランクルは、収容所での過酷な生活のわずかな合間に、夕焼け空の美しさにみとれて仲間と共に感動した体験を述べているが、全ての囚人が同じ夕焼け空を見て感動したわけではないだろう。野原に無心に咲く目立たない草花も注意深く観察すると、その可憐な美しさに今まで何故気付かなかったのだろうかと思うことがある。人間が自然の美しさに気付いて感動する体験を分析してみると、一様ではない。

自分が置かれた状況に関係なく、自然の美しさを発見して、それにみとれる感受性豊かな精神を常に持っていたい。美は真理と同じように、対象から自ずと与えられる場合と、意識して探して発見する場合とがあるので、ある対象を目の前にして、そこに美を見出だそうとする能動的な精神の働きかけがあるかないかによって、美は出現しり、埋もれたままになることがある。

その好例として、星野富弘(1946− )の場合を挙げることができる。彼は24歳のとき思いがけない事故によって両手両足が全く動かない身体になり、一時は死を考えたが、いろいろ悩んだ末に生きる元気を取り戻した。そして、母親と妻の献身的な支援の下で、身近な草花の絵を口にくわえた筆だけで描き、そこに自作の詩を添えることを始めて、現在も継続している。

それまで無関心だった名もない草花が美しく、力強く生きている姿に気付いて感動するようになった要因の一つは、彼が身体の自由を失って、精神が謙虚になり、さらに草木と自分を重ねて見るようになったことではないだろうか。群馬県の富弘美術館に行くと、それらの作品と共に、彼の日常生活を記録したビデオも見ることができる。彼の作品と生き方は、悩みを抱えている多くの人々に生きる勇気を与え、富弘美術館の入館者は2002年1月現在で400万人を超えたそうである。ここで絵の紹介はできないが、詩を3つだけ紹介してみたい。


      「男タルモノ
      花になど
      見とれていて
      よいのか

      しかし男タルモノ
      花の美しさもわからず
      女の美しさを語るな」


     「木は自分で
      動きまわることができない
      神様に与えられたその場所で
      精一杯枝を張り
      許された高さまで
      一生懸命伸びようとしている
      そんな木を
      私は友達のように
      思っている」


     「神様がたった一度だけ
      この腕を動かして下さるとしたら
      母の肩をたたかせてもらおう
 
      風に揺れるぺんぺん草の
      実を見ていたら
      そんな日が本当に
      来るような気がした」


  



   6.バイオリンの魅力

 バイオリンという楽器は、オーケストラの一部としてよりも、独奏曲や協奏曲においてその魅力が最も発揮されるものである。そして、同じ曲の印象が演奏家によって驚くほど異なり、私が一番好きな演奏家はパールマンである。彼はイスラエルに生まれ、現在はアメリカで活躍しているが、日本を訪れたときサントリー・ホールと武蔵野文化会館で二度聴いたことがある。身体障害者の彼は普段は車椅子を使用し、舞台では杖を使って登場し、中央の椅子まで一人で歩いていくが、武蔵野文化会館で途中バランスを失って転倒してしまい、なかなか起き上がることができなくて、はらはらしたことがあった。パールマンは感情と理性を程よくバランスさせた演奏で、落ち着いた深みを持ち、重厚でありながら、一方で明るく軽快でもあるというように複雑であり、それが彼の演奏の魅力である。

 バイオリンはビオラ、チェロ、コントラバスとともにバイオリン族を構成し、その中で最高音域を受け持っているが、楽器の中では人間がしゃべる言葉の音色に最も近いような気がする。そして、バイオリンの独奏は、その縦横無尽な表現能力によって一人の人間が心の内部や人生や世界について言葉以上に雄弁に語りかけるような雰囲気を醸し出し、人間の理性、情念、感情に訴えたりささやいたりするところに魅力の源泉があるのかもしれない。したがって、バイオリンの演奏にどれだけ魅力を感じるかどうかは、その曲にもよるが、それを聴く人間がどれだけ深く人生や世界を体験し省察したかに対応して異なってくるという一面がある。そのため、若いときにはその良さが分からなかったものが、長い年月を経た後に初めて感動するということが起こる。

 Charmという言葉は、一般には「魅力」とか「魅惑する」と訳されるが、元来は「魔力」とか「魔法にかける」という意味があり、バイオリンのCharm(魅力)には、この魔力や魔法の作用もあるのではないかと見なされて、悪魔の発明品に喩えられることもある。19世紀の名演奏家のパガニーニには悪魔が乗り移ったと考えられ、ニース市は彼の遺体を悪魔だとして埋葬を許可しなかったと言われている。 



   7.コーヒーの香り

 まだバブルがはじける前の古き良き時代、サントリーホール周辺のビル群(アークヒルズ)が建設される前、当時完成されたばかりの赤坂ツインタワービルの中に、私が勤めていたコンピューター・メーカーで新規事業を立ち上げるためのスタッフ部門のオフィスがあった。朝、出勤してオフィスに足を踏み入れると、コーヒーの香りがプーンと匂ってきた。部屋の片隅に置かれたコーヒー・メーカーは、誰でも常時飲めるように温めた状態にしてあるので、匂いが絶えることはなかった。不思議なことに、満員電車の通勤で疲れた私の心身を、そのコーヒーの香りがリラックスさせ快くしてくれた。

「2000年の夏、沖縄でサミットが行われましたが、その時、食後に出されたコ−ヒ−は、私が修行をした東京のコ−ヒ−焙煎の名店"バッハ"の豆でした。普段コ−ヒ−を飲まないクリントン前アメリカ大統領には紅茶が用意されていましたが、まわりの人達に運ばれてくるコ−ヒ−の香りの良さに誘われ、珍しくコ−ヒ−を飲み、おかわりまでしたそうです。」(珈琲工房 CAFE BOHNE のホームページより)

 この言葉に引かれて、お店で一番良く売れているというマンデリンの豆を購入して、自分で挽いて飲んでみたら、苦味、酸味、甘味などのバランスがとれて本当に美味しく、紅茶派のクリントン前大統領がコーヒーをお代わりした訳が分かった。良いコーヒーの香りには人の気分をうきうきと心地よくする作用があり、それに惹かれる人は多い。

 コーヒーを美味しく飲むために大切なことは、生豆に含まれる不良豆(虫食い、カビ豆など)を手作業で丁寧に取り除くこと(ハンドピック)と、焙煎後2週間以内に新鮮なものを飲むことと、抽出する淹れ方にあるといわれている。そして、できれば、焙煎した豆を買って、飲むときに自分で挽くことが望ましいという。

珈琲工房 CAFE BOHNE

 昔、イスラム世界でコーヒーの生豆を砕いて煮出した液体が薬用として飲まれていたが、13世紀に煎った豆を微紛にして煮出した液をそのまま飲む方法により香りの高いものに変わり、17世紀にはヨーロッパ各地に広まり、さらに18世紀に入るとその煮出した液をろ過してカスを除いたものを飲むやり方を採用して、コーヒーは快い刺激と興奮を与える嗜好飲料として世界中に広まっていった。カフェインの含有量は緑茶の方が多いが、タンニンとの作用で、カフェインの効果はコーヒーの方が大きく、食事や憩いの時に飲む一杯のコーヒーは心を豊かになごませてくれる。

 日本人はコーヒーよりもお茶の方を多く飲む習慣だと思っていたら、実際にはお茶(緑茶、紅茶等)の3倍のコーヒーを飲んでいるのは意外である。また、ドイツ、フランス、イタリアの人々は、日本人の約2倍のコーヒーを飲んでいる。イギリス人はミルク入りの紅茶が好きでコーヒーとほぼ同量飲んでいるのは何故なのだろうか?

一人当りのコーヒー・茶の消費量(グラフ)




   8.常に楽しい気分を保つ

  仏教は人生を苦と見なし、生老病死の四苦に、愛別離苦(愛するものと別離する苦),怨憎会苦(憎むものに会遇する苦),求不得苦(求めるものが得られない苦),五盛陰苦(輪廻的存在の苦)を加えた四苦八苦という表現をしている。

 これらの四苦八苦のうち求不得苦(求めるものが得られない苦)が生じる主な原因は、人間の心を放置しておくと、欲求は際限が無くて、一つの欲求が満たされると、さらに次の新しい欲求が生じるので、満足した状態(快・喜び)は短く、不満足な状態(不快・苦しみ)の方が長く続くことである。もしも、はじめから欲望が無ければ、求不得苦も生じないので、仏教は欲望を捨てて、涅槃の境地(煩悩を断じて絶対自由となった状態)に入ることをすすめている。

 しかし、苦から逃れるための方法として、この教えは誰でも実行できることではない。それよりも合理的で、実行しやすいのは、何事も理想や他と比べる相対評価(減点評価)ではなく、無と比べる絶対評価(加点評価)をすることによって、常に楽しいい気分を保つことである。これが本来あるべき姿である。無と比較すれば、大部分の物事はそれなりに大きな価値を持っている。

 
自分が入手したAというものの絶対評価が500で、入手できなかったBというものの絶対評価が550とする。このとき相対評価をして、A がBよりも50少ないという不足点を見つめて不快になるようなことは止めて、絶対評価をしてAの500に注目して、それを味わって楽しむべきである。同じAという対象を前にして、苦しむか楽しむか、どちらの生き方が愚かで、どちらが賢いかは明白である。

 例えば、前に食べたおいしいものと比較して、あるものを不味いと思って食べれば不快が生じるが、食べ物が何も無い状態と比べれば、それなりの快感を抱くことができる。あるいは、電車に乗って長い時間ずっと立ったままのときは、座った状態と比べて不快になりがちだが、もしも電車がなくて、遠い目的地まで歩いて行かねばならない状態と比べれば、ありがたいと思うことができる。そして、電車で立っている時間を不満足・不快感と共に過ごすか、満足・快感と共に過ごすかの選択は、各個人の自由な解釈と評価の仕方に委ねられている。

 
このようにどちらの評価方法を習慣化するかで、毎日の気分が良いものになったり、不快で苦しいものになったりする。常に他と比較して現状に不満を抱くことによって、目の前にある価値だけでなく、人生全体を台無しにしていないだろうか。

 死を宣告された末期ガン患者の闘病記には、野に咲く小さな花のように、それまで目立たなかったものが輝いて見える心境がしばしば書かれている。これは日常の現実世界を死という無の世界と対比させて、全ての物事を絶対評価するようになるからだろう。普通の健康な人間も、このように見方や評価の習慣を変えれば、生きていることそのことをもっと楽しむことができるだろう。死の宣告を受けて、余命わずかになって、この真実の生き方に初めて気が付くのは遅すぎるのではないだろうか。

 このように何事も絶対的価値を持つものに対しては、不平不満ではなく、一つの恵みとして感謝して、楽しみ味わい快感を抱くことを習慣にすれば、毎日の生活と人生はもっと豊かで味わい深いものになるだろう。

 自分という人間は、無限な過去に一度も存在したことはなく、死後の無限な未来に一度も存在することはなく、現在生きているこの人生だけが、自分がこの世界に存在する唯一の機会である。このように永遠の無と比べれば、人生は自分にとって奇跡のようなものであり、今日という一日が在ることだけでも大きな恵みとして感謝すべきだろう。

 このような生き方に対して、「現状に満足してしまうと、向上心が弱まる。現状に対する不満が、現状を改善しようとする原動力になる。」という批判があるかもしれない。確かに、そのようなケースも存在するだろう。しかし、楽しい気分がやる気を生み、進んで努力する原動力になることも事実だ。
一般には快の感情と共に行為する方が不快な感情と共に行為するよりも生産性が高い。また苦しみや不快感が長く続くことがストレスになって、さまざまな病気を引き起こすことや、快感が病気に対する免疫力を高めることが実証されている。人間の行為を目標の設定とそこに至るまでの過程とその達成とという三段階に分けると、達成した段階だけでなく、過程の段階も十分に楽しみながら行うべきである。

 

   9.自然を楽しむ ー 公園に行く

 人間にとって気分というものは非常に大切である。心地よい気分、不愉快な気分、元気な気分、だるい気分、嬉しい気分、憂鬱な気分など、人は時と場合によりさまざまな気分の中に置かれる。できればいつも好ましい気分でいたいが、実際はなかなかそのようには行かないで、好ましくない気分の方が長くなりがちである。気分を良くするにはどうしたらよいだろうか?

 気分が良くない原因を調べてそれを除くことであるが、気分を左右する要因は、自分や家族が健康かどうか、自分の欲求がそれなりに満たされているかどうか、人間関係はどうかなど、たくさんある。しかし、意外と環境が重要であることを忘れがちである。

 特に都会で生活する人間の場合、家、通勤電車、職場で一日の大部分を過ごすことになるが、そこにはほとんど自然というものが欠落している。一般的に、都会の人間が不安定な気分にいつも置かれがちな原因の中で、この自然と隔離された環境という要因は想像以上に大きな比重を占めているのではないかと私は考えている。その証拠に、旅行でも、ハイキングでも、公園でもよいから、大きな自然の中に長い時間身を置いてみると、気分が爽やかになり安定してくるのが分かるはずである。

 何故、そのような力を林や森林は持っているのだろうか?人類が文明を生んで、都市を作り、その中で生活するようになってからまだ数千年しか経っていない。一方、人間に進化するまでは、哺乳動物、猿、類人猿として数千万年もの間、森林の中で生きてきたのであるから、人間の身体は元来、森林という環境に適応するように出来ているのである。だから、すでに森林を離れた今でも、森林に入ると身体そのものは自ずと環境に溶け込み、安定するのではないだろうか。

 東京に住む場合、そのような森林に気軽に行くことはできない。しかし、大きな公園を見つけて、そこに行くことならできる。4月初旬に昭和記念公園と神代植物園に行き、美しい桜を満喫した。今はどこに行っても新緑がまぶしい。芝生だけではなく、ケヤキやイチョウのように葉が豊かな大木の林や並木がある公園が私は好きだ。そこを散策したり、ベンチに腰掛けて、樹木を眺めていると、気分がよくなり安定して、自然な自分に戻ったような気持ちになる。都会生活をしていると、自分と外界との間にはっきりと境界線を引いて区分するが、たくさんの樹木に囲まれているときは、外界との間の境界線が取り払われて、自分が自然の一部であり、自然と一体であることを、頭ではなく身体で感じるようになる。

また、公園に行くと、思わぬ発見や体験をすることがある。先日、小石川植物園を訪れて、樹齢400年を超えるたくさんの大樹を目の前にした時、その尊厳さに打たれた。そして、その樹木に対して何か畏敬の念が自然に生まれてきて、自分よりもずっと偉大な存在に接したような感動を覚えた。人類は自分だけが偉大で万物の頂点にあり、知性を持たない他の動物、植物は自分よりもはるかに劣った存在であると信じているが、これらの大樹を眺めていると、そのような考えは間違っているのではないかと思えてくる。「生命への畏敬」という考えが、かってシュバイツアーの心にひらめいた時は、多分、この私と同じような感覚が彼を捕らえたのかもしれない。

 普通、アメリカという国から連想されることは、大都会の高層ビルなどであるが、それはアメリカの一部に過ぎない。アメリカが優れている点の一つは、公園の中に住宅があるような環境を創り出していることである。学生時代に滞在したアメリカの市で一番高いビルの展望室に昇って、自分が下宿している家を探したが、その辺りは一面が緑の樹木で覆われていて、1軒の家も視界には現れず、驚いた経験がある。もしかすると、アメリカ人のこせこせしない性格が形成された一因として、この公園のような住環境があるのではないかと私は思っている。さすがの日本も、これだけは真似ができない。それなら、せめて、国有地や公有地に緑豊かな公園をたくさん創ることならできるはずであるが、それをしないのは何故だろうか? 結局、心よりも経済を優先する政策と、それに異議を申し立てない国民のせいなのだろうか?


   10.食物を味わう

 人間は食べるために働くと言われるほど、食事は誰にとっても重要で不可欠ある。食事の主たる目的は空腹感を満たして、生命と健康を維持することであるが、副次的な目的としてその美味しさを楽しむことがある。古代ローマではこの楽しみを主たる目的とした食べ方があり、美味しいものを食べて満腹になると、それを吐き出して胃を空にして、また、美味しいものを食べ始めて、味覚の快感をできるだけ長く持続するということが一部で行われていたそうである。

 この点から日本人の食事の仕方を観察すると、義務で食べるような面が強いように見える。味わうことよりも、早く食べ終わることを目標にして食べていないだろうか。そのため、急いで食べて、15分前後で終えてしまうことが多い。早く食べ終わって、仕事に精を出すことが美徳であるというような伝統の影響かもしれない。食事だけでなく、何事も楽しみを十分に求めるという生き方ではなく、よく働く生き方をよしとする傾向が日本人には強い。

 少なくとも、食物に関してはもっと時間をかけて味わって食べる方がよいのではないだろうか。食事のために払われる莫大な犠牲のことを考えると、十分に味わうことなく、急いで食べることは、準備してくれた人たちや食物となる生物に対して失礼でもある。

 食事を用意するためには、先ず、農家の人々による畑の耕し、肥料の施し、種まき、刈り取り、市場への出荷という作業がある。次ぎに、それは消費者の近くの販売店に運ばれる。一方、消費者は労働によって得た金で食材を買い、冷蔵庫などに保存し、調理し、棚から出して食卓に並べた食器に料理を盛るという作業が必要である。そして、食事が終われば、使った食器を流しに運んで洗って拭き、食器棚にしまうという作業が続く。さらに出されたゴミを集めて特定の日にゴミ置き場に捨てる。そのゴミは最終的に役所の下請け業者によって集められて、焼却される。

 これほど多大なプロセスを経てテーブルに出された食物を、他のことを考えながら、よく味わうこともなく、アッと言う間に食べ終えることは望ましいと言えないだろう。美味しさを楽しむために、食事時間を5分か10分延ばしても、何の支障も生じないだろう。

また、食物をよく噛んで、口の中に滞留する時間を増やすことは、美味しさを味わうためだけでなく、唾液とよく交じり合って、消化を助けるという効果もあるので、食事本来の目的である健康維持のためにもよい。食物を口に入れてから呑み込むまでに歯で噛む回数は、食物の硬さなどによって異なるが、平均すると10回前後ではないだろうか。それを20回以上に増やせば、改善と言えるだろう。

 このような考え方に対して、「よく味わって食べるほど美味しい物は少ない」という反論が出されるかもしれないので、次に美味しい食べ物にありつく方法を考えてみたい。せっかく多大な労力と犠牲を払って食事をするのだから、できれば美味しいものを作るのが望ましい。

 食材をなるべく加工しないで、食材本来の味を生かすのを良しとする料理の伝統がある日本では、食事の美味しさを決める要因は食材が7割で、料理の腕は3割程度の比重ではないだろうか。つまり、美味しさは食材次第と考えてよい。

 それでは、より美味しい食材はどこで入手できるだろうか? 一般的に言えば、その可能性はスーパーよりも、生活協同組合の方が高い。何故なら、スーパーはやはり利益を最優先して商品を仕入れるのに対して、生活協同組合は組合員の満足を優先して食材を吟味して選んでいると思われる。したがって、生協は添加物や農薬だけでなく、味についてもうるさいので、結果として、食材の美味しさについて、スーパーと生協の間には、はっきりした差が生まれる。そして、その美味しさの差は若干の価格の差よりも大きい。

 美味しく食べるためには、この他に、食物を盛る食器も大切である。全く同じ料理でも食器次第で美味しさが変わるのは不思議である。さらに、テーブルの上に花を一輪でも置いてあれば、食事はもっと楽しくなる。

首都圏コープグループ(パルシステム)
生協の宅配の比較

 人間にとって気分というものは非常に大切である。心地よい気分、不愉快な気分、元気な気分、だるい気分、嬉しい気分、憂鬱な気分など、人は時と場合によりさまざまな気分の中に置かれる。できればいつも好ましい気分でいたいが、実際はなかなかそのようには行かないで、好ましくない気分の方が長くなりがちである。気分を良くするにはどうしたらよいだろうか?

 気分が良くない原因を調べてそれを除くことであるが、気分を左右する要因は、自分や家族が健康かどうか、自分の欲求がそれなりに満たされているかどうか、人間関係はどうかなど、たくさんある。しかし、意外と環境が重要であることを忘れがちである。

 特に都会で生活する人間の場合、家、通勤電車、職場で一日の大部分を過ごすことになるが、そこにはほとんど自然というものが欠落している。一般的に、都会の人間が不安定な気分にいつも置かれがちな原因の中で、この自然と隔離された環境という要因は想像以上に大きな比重を占めているのではないかと私は考えている。その証拠に、旅行でも、ハイキングでも、公園でもよいから、大きな自然の中に長い時間身を置いてみると、気分が爽やかになり安定してくるのが分かるはずである。

 何故、そのような力を林や森林は持っているのだろうか?人類が文明を生んで、都市を作り、その中で生活するようになってからまだ数千年しか経っていない。一方、人間に進化するまでは、哺乳動物、猿、類人猿として数千万年もの間、森林の中で生きてきたのであるから、人間の身体は元来、森林という環境に適応するように出来ているのである。だから、すでに森林を離れた今でも、森林に入ると身体そのものは自ずと環境に溶け込み、安定するのではないだろうか。

 東京に住む場合、そのような森林に気軽に行くことはできない。しかし、大きな公園を見つけて、そこに行くことならできる。4月初旬に昭和記念公園と神代植物園に行き、美しい桜を満喫した。今はどこに行っても新緑がまぶしい。芝生だけではなく、ケヤキやイチョウのように葉が豊かな大木の林や並木がある公園が私は好きだ。そこを散策したり、ベンチに腰掛けて、樹木を眺めていると、気分がよくなり安定して、自然な自分に戻ったような気持ちになる。都会生活をしていると、自分と外界との間にはっきりと境界線を引いて区分するが、たくさんの樹木に囲まれているときは、外界との間の境界線が取り払われて、自分が自然の一部であり、自然と一体であることを、頭ではなく身体で感じるようになる。

また、公園に行くと、思わぬ発見や体験をすることがある。先日、小石川植物園を訪れて、樹齢400年を超えるたくさんの大樹を目の前にした時、その尊厳さに打たれた。そして、その樹木に対して何か畏敬の念が自然に生まれてきて、自分よりもずっと偉大な存在に接したような感動を覚えた。人類は自分だけが偉大で万物の頂点にあり、知性を持たない他の動物、植物は自分よりもはるかに劣った存在であると信じているが、これらの大樹を眺めていると、そのような考えは間違っているのではないかと思えてくる。「生命への畏敬」という考えが、かってシュバイツアーの心にひらめいた時は、多分、この私と同じような感覚が彼を捕らえたのかもしれない。

 普通、アメリカという国から連想されることは、大都会の高層ビルなどであるが、それはアメリカの一部に過ぎない。アメリカが優れている点の一つは、公園の中に住宅があるような環境を創り出していることである。学生時代に滞在したアメリカの市で一番高いビルの展望室に昇って、自分が下宿している家を探したが、その辺りは一面が緑の樹木で覆われていて、1軒の家も視界には現れず、驚いた経験がある。もしかすると、アメリカ人のこせこせしない性格が形成された一因として、この公園のような住環境があるのではないかと私は思っている。さすがの日本も、これだけは真似ができない。それなら、せめて、国有地や公有地に緑豊かな公園をたくさん創ることならできるはずであるが、それをしないのは何故だろうか? 結局、心よりも経済を優先する政策と、それに異議を申し立てない国民のせいなのだろうか?

   11.自由時間の使い方

 日本人が自由時間を何に使っているかという実態について広範囲にわたり調査した結果を紹介したい。自分の自由時間の使い方の参考になるだろう。今まで自分が体験したことがなくても、実際にやってみると、自分に適しているというようなものが、このランキングリストの中に入っているかもしれない。

1.自由活動のランキング

★★  自由時間の使い方のランキング・リスト

 経済産業省の外郭団体で、余暇に関する国内唯一のシンクタンクとして1972年に設立された「余暇開発センター」は、2000年に「自由時間デザイン協会」と改名したが、この財団法人が毎年発行している「レジャー白書」の一部を引用した。

 リストを見る上での留意点
(a) 調査仕様
調査対象:全国15歳以上男女3000人(人口5万人以上の都市部)
男女、年齢、都道府県などは偏らないでバランスをとっている。
有効回数:2431人(回収率81.0%)
調査方法:訪問留置法
調査時期:2001年12月

参加希望率:ある余暇活動を将来やってみたい、あるいは、今後も続けたいとする人の割合。
参加率:ある余暇活動を1年間に1回以上実際に行った人(回答者)の割合。男女年齢別、都道府県別の調査結果も出ているが、ここでは割愛した。
参加希望率が参加率よりも低いケースは、実際にやって見たけれども、今後は続けたいと思わない人がいることを意味している。

(b) リストの順位
レジャー白書では内容が似ているものを並べて表示している(例えば、囲碁、将棋のように)が、ここでは参加希望率の高いものから低いものへ並べ替えて、ランキング表にした。

(c) レジャー白書で取り上げている余暇活動の種類は、人々が自由時間に楽しんでいる活動の全てを網羅していない。例えば、実際には、テレビ、新聞、読書、親しい人との交流などは多くの人の楽しみであるが、このように特別でない日常の行動は調査から除外されている。

2.自由時間の増加と経済効果

 自由活動をするためには、その種類によっては、それなりのお金を使う必要がある。したがって、元来は自分のために使う金が、結果として社会全体の経済の活性化に貢献するという副産物を生む。余暇市場で使われた金は、2001年では83兆円で、これは国民総支出の16.5%を占めているが、供給よりも需要が少ない需給ギャップが生じ、不況が続いている。

 自由活動をするためには、先ず、自由に使える時間が必要である。週休2日制が普及(2000年は95%の普及率)して、労働時間が減り、自由時間が増えた。年間総実労働時間は1989年に2100時間を割り、2001年には1848時間に減った。

 年次有給休暇の取得実績はフランスやドイツでは年平均30日以上だが、日本は9日間で、今後の改善が望まれている。
 年次有給休暇の年間平均付与日数(18日間)と実取得日数(9日間)との差である未消化有休(9日)を全部取得したとすると、経済波及効果(11.8兆円)と雇用創出効果(148万人)が試算されている。

余暇需要の生産波及効果(7.4兆円)、新規雇用の生産波及効果(1.8兆円)、代替雇用の生産波及効果(2.5兆円)の合計11.8兆円は2000年のGDPの2.3%、2001年の余暇市場83兆円の14%に相当する。

余暇消費の経済波及による雇用創出(56万人)と有休完全取得に伴う代替雇用(92万人)の合計148万人は2001年の完全失業者数340万人の44%に相当する。



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