第十二話:関屋分水横断事件


あれは高校3年のとき。

 数年前に完成した関屋分水のほとりをよく散歩した。

 関屋分水とは、新潟市中心部を流れる信濃川の治水のため人工的に作られたものである。このため新潟市中心部は信濃川、関屋分水、日本海に囲まれた三角形の「島」になり、いつの頃からか「新潟島」と呼ばれるようになった。

 当初、新潟市は関屋分水をメインにし、本来の信濃川の川幅を大幅に縮小して土地利用の活性化を計る予定であった。しかし、漁業保証の問題が解決できず、海に面した水門は閉じられたまま、その実関屋分水は「溜め池」の状態であった。

 恐怖の物語はここに始まる・・・・・

 高校三年のある日、隣のクラスの友人Kと関屋分水のほとりを散歩していた私は、川幅200メートル程の対岸を見つめながらふとつぶやいた。

「ここを泳いで渡ってみないか?」

「いいよ」

意外にもあっさりした返事であった。

Kは変人として有名で、人目を気にしないという共通点があり、不思議と気が合うのであった。

当日はもう陽が暮れそうなので、翌日、ということになり、時間を約束して別れた。

翌日、約束の場所に到着した私は驚いた。半数近くの同級生が見物に集まっているのだ。中にはカメラを持っている奴もいる。

朝、学校でクラスメイトの一人に何気なく言ったのがあっという間にクラス中に広がったらしい。また、あのバカが面白いことをしでかすと思ったようである。

一方、Kのクラスメイトや友人は一人もいない。私はちょっぴり後悔した。Kは私と二人だけの秘密のイベントを楽しみたかったのかもしれないのに。見世物になってしまう事を心の中でKに詫びた。

 しかし、いざスタートという段になり、シャツを脱いだKの体をみて少し安心した。筋骨隆々。そうだ、彼は水泳部だった。そうか、彼は泳ぐこと自体が趣味だから、見物人のことはどうでもいいんだ。自分にそう言い聞かせたところ、今度は自分の貧弱な体が急に恥ずかしくなった。(写真をとってくれた本間大君へ:私がシャツを着たまま泳いだのはそういう訳なんだよ)

 いよいよスタート。ドボンと飛び込む二人。橋の上からはヤンヤの喝采。Kはどんどん進む。追い付かないと悟った私は、クロール、平泳ぎ、バタフライ、横泳ぎに犬かき、得意の”イカ泳ぎ”、”溺れ泳ぎ”等を披露、橋の上の同級生は大笑いしながら付いてくる。最後には”鯨の潮吹き”も披露。これは口の中いっぱいに水を溜め、潮吹きよろしく水を噴射しながら泳ぐものである。

 数分後、無事対岸に到着。先に到着していたKと肩を組んで写真に収まり、無事イベントは終了。同級生達も大満足で帰路についた。

 私と二人残ったKが小声でつぶやいた。

「おい、体がべたべたしないか?」

「べたべた?言われてみれば少しべたべたするかなあ」

相談の結果、海まで行って「身を清める」事にした。しばし海で泳いで陸に上がると、すっきり爽やか。普通、海で泳いだ後はべたべたするものだが、この爽やかさはなんだろう。関屋分水はよほど濁っていたらしい。

翌日からは何事もなかったように、また平凡な日々が再開した。

一週間後の朝、何気なく新聞をみていた私は一つの記事に眼が釘づけになった。

『清掃業者、関屋分水に糞尿を不法投棄』

警察の調べによると、この業者は数年間に渡り、家庭より汲み取った糞尿(当時はほとんど汲み取り式)を密かに関屋分水に投棄し続け、その総量は何百トンにも及ぶというのである。

さすがの私も飛び上がった。そうか、あのべたべたは・・・

その日学校に行くと、すぐKのクラスへ向かった。

「K君いますか・・・」教室を覗き込む私。

「ああ、K君なら休んでいるよ。下痢と発熱がひどくて入院しているらしいよ

「いつから?」

「一週間位かな」

思わず息を飲んだ。

「あ、あ、あの、原因は?」

「さあ、食中毒って言ってたかな?でも、なんでそんな事聞くの?」

「いや、いや・・何でもないっ!」

私は全身にびっしょり冷や汗をかいていた。

何故、鯨の潮吹きまでした俺は何ともないんだっ!?

と思った瞬間、口の中が苦くなった。


                        〜回文〜

                     
いかん!下痢!限界!
                                (いかんげりげんかい)


おまけ1

 結局このことは、以後話題にならなかった。Kのクラスメイトは泳いだことを知らないし、泳いだことを知っている私のクラスメイトはぴんぴんしている私からは何も想像できなかったから。Kともその後随分会わず、お互い忘れていた。

おまけ2

 それにしても何故、鯨の潮吹きまでした私が何ともなく、すいすい渡ったKが発病したのか?

 これは医学的に根拠がある。子供の頃から汚いものを平気で口にしていた私は、簡単にいえば「お腹が丈夫」になっていたのだ。腸管の分泌型IgAが豊富になるのである。そこで、私は自分の子供には「床に落としたものは拾って食べなさい」と教育している。関屋分水で泳いでも発病しないために・・・・

おまけ3

 これは今思いついたのだが、清掃業者が逮捕されたきっかけは何だったんだろう?

Kが垂れ込んだのか?まさかね。でも、今度会ったら聞いてみよう!!(京大医学部生理学教室のK君、これをみたらメールくれ)

おまけ4

 この話をNHKラジオの「朝の随想」で喋ったところ、今や立派な医学者になっているK氏の耳に入り、メールを頂きました。以下にご紹介します。

(朝の随想の)10回目の話で、関屋分水を一緒に泳いだもう一人とは、私のことです。友裕が先に泳ぎ始め、わたしが抜いて先に対岸にたどり付きました。関分をはじめて横断した栄誉は私にありますが、その後の激しい下痢は、一週間続き、今ではもう使われなくなった、クロマイという抗生物質でやっと治った記憶があります。糞便に多くいる大腸菌でこんな下痢が起こるとは思えず、汽水域で泳いだことから、腸炎ビブリオかなんかによる激しい腸炎であったといまでは考えられます 。以上です。

K     


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