回文作家としてのプロフィール |
1973年:高校3年の時、
「ねずみ算式に増える」=RATSと「星の数ほど」=STAR
における「RATS」と「STAR」の対称性に気付き言葉の神秘を感じる。同じ年 「僕、久保(ぼくくぼ)」「君、美樹(きみみき)」「俺、レオ(おれれお)」と叫ぶ。
1974年:大学入学
テニス部に行って「ブスにテニス部」と黒板に大書きして顰蹙をかう。
1976年:量産態勢
次々と同級生が私の所へその日の作品を見に来る。代表作は同級生二名の名前を織りこんだ「星来たふらふら二木志保」、空白の一日で阪神から巨人に移籍した江川投手を詠んだ「我が江川、ああ恋し、本心は阪神ほしい子、ああ我が江川」等。
1978~9年:同好の士と切磋琢磨
田中淳司氏、棚橋保氏(後の筆名”冷凍トイレ(れいとうといれ)”)と競い合う。
1988年5月:「回文傑作選」編集・発行
1976~9年の作品および、文献などで見かけたものを田中氏が編集(平成元年五月二日発行。丸山友裕、田中淳司、棚橋保(筆名:冷凍トイレ) 編著)。
1994年:「回文傑作選」学生に見られる
ふとした拍子に学生に「回文傑作選」の存在を知られ、また創作することになる。富山の地名や富山弁シリーズに限って短期間制作。代表作「雁飛ぶ富山医薬大 俺を抱くや 今や飛ぶ鳥か(かりとぶとやまいやくだいおれおいだくやいまやとぶとりか)」。
1998年9月:ホームページ開設
当初、回文コーナーは「回文傑作選」を小出しにするつもりだったが思い直し創作再開。
1999年7月:回文コンテスト、「回文短歌の部」で優秀賞(一位)受賞(日本言葉遊び・回文学会主催、作並温泉後援)
入賞作
松の葉に 悲しみ深し 追憶を いつしか踏みし 中庭の妻 (まつのはにかなしみふかしついおくおいつしかふみしなかにはのつま)