谷川晋誤様(東京在住)より


僕にはできそうもないけれど、音楽評論家のS.Hさんは凄いらしいよ。
回文で、短歌を作るらしい。 つまり、どっちから読んでも 5-7-5-7-7 になっている!
新「いろは歌(50音を一つずつ全て使った歌)」も作るそうです。
しかもそれらは、格調高いものらしい。
丸山さんには、丸山さんらしく、格調低く下品な回文を作って欲しいですね。



それに対するわたしの回答
 私は私らしく格調低く下品な回文を・・・・・といわれると
事実とはいえ、さすがに悲しい。う〜む。
私も格調高いのもあるのですぞ。
眺めしは野菊の茎の始めかな。
(評)野原にたたずみ一面の花を眺めた時の心境が良く表現されています。
なかなか鳴かぬカナカナかな
(評)虫の声が聞こえそうで聞こえない。季節感あふれる秀作です。
遺体が眠る。胸が痛い。
(評)なくなった人を囲む遺族の心情が痛いほど伝わる名作です。
夏だ。わきがが際立つな。
(評)夏の暑さ、不快指数の高さが視覚的でなく、嗅覚で格調高く表現されています。
なんとしつけいい娘。いいケツしとんな。
(評)上流階級の子女の上品な様子。
そしてそれを眺める殿方の心情が控えめに表現された佳作です。
種蒔いて、今寝た。
(評)子造りの様子が種を蒔くという婉曲な表現で上品に表現され、
今寝た、というところで事のあとの静かな様子が短くも格調高く表現されています。
眠る愚妻。つい探る胸。
(評)脇ですでに寝息をたてている妻。
平和な家庭、愛するかわいい妻の様子が「愚妻」という古典的表現に集約され、
「つい」というところに男のやるせなさが感じられる詩的な作品です。
というわけで、どうだえっへん。格調高さに恐れ入ったか〜〜〜。