回文俳句・短歌

 はいはいはいはい、回文にまたまた新しいコーナーが登場しました。わたくし、まるちゃんは 今まで俳句も短歌も作ったことがありませんでした。

 このたびひょんなことから「回文コンテスト」なるものをやっていることを知り、え〜〜、一等・5万円と温泉招待、えっへん、そんなものに・・・釣られた訳ですが、応募しようかなあと思いまして、はい。

「回文俳句の部」、「回文短歌の部」、「自由の部」とありまして、やっぱり「自由の部」に出そうと思った訳ですが、焦れば焦るほどさっぱり作れない。締切まで3週間位しかない。

 そこで今まで自分が作った回文を改めて見てみると、一番充実しているのが「人名シリーズ」それも「下腹部のしけた大竹しのぶ食ふか?」などという人をおちょくった様なものばかり。これではいくら笑えても、賞など頂ける訳がございません。そこで、今までの悪行を深く反省し、もう人をおちょくった回文はやめよう、と思ったその晩に「素で出た岩下志麻言いました。しわ痛手です。」なんてのを思いつく私は一体なんなんだ〜〜!という訳で、生まれて初めて俳句と短歌に挑戦した訳です、はい。

 それも、ぐっと作風をかえて課長風月、じゃなかった、花鳥風月を風流に詠んでみたいな・・・・と

 やってみたら、俳句は結構難しいですな。理由はよくわかりませんが5・7・5なので頭と尻尾の5が丸々ひっくり返し、真ん中の7が左右対称、ということでちょっと含蓄が足りないのかなと・・・

 それに比べると短歌はとても作りやすい。普通の短歌に比べると質は落ちますが、作るだけなら出来る。なんと初日に8首も出来てしまって自分でもびっくり。でもこれはビギナーズラックだったようで翌日は2首、そのあとは2日かかって一首と、どんどんペースダウン。そのあとは作っているうちに寝てしまう始末。

 それでも結局、俳句5句、短歌12首、自由14編の計31作品を6月6日に投函、6月11日の締切に間に合わせた次第。

 その中からご紹介!(その後の追加分も一緒に掲載)

葱スキや 埋もれた肉に残りあり この肉にタレ もう焼きすぎね

(ねぎすきやうもれたにくにのこりありこのにくにたれもうやきすぎね)(99.8.3作)

史上初!この回文は自転車に乗っていて思いつきました。忘れないうちに家で書き留めるため、そりゃもう必死になってペダルをこぎました!!(正確にいうと「ねぎすきや〜やきすぎね」は既に考えてあり、この間の部分を車上で思いついた)

麻原彰晃に死刑判決
別れたる 主 理屈見つ 黙りおり まだ罪作り 死ぬる誰かは       
(わかれたるぬしりくつみつだまりおりまだつみつくりしぬるたれかわ)(99.5.26) 

(評)これを作った時、自分ではよく意味がわからなかった。しかし、これまでの裁判の経過・・・多くの弟子はかつての師に別れを告げ自らの死刑判決をそれなりに受け止めたこと、麻原は保身のため沈黙を貫き、まだ罪作りなことをしているせいでオウムがまだ実質的に存続していること、そして、そして・・・・・恐ろしいのはまだ死者が出るかもしれないこと・・・・ 私の「回文占い」が当たらないことを祈るのみ・・

かく言うも 朝 手に寒さ残りおり この寒さにて「さあもう行くか」 (かくいうもあさてにさむさのこりおりこのさむさにてさあもういくか)(99.5.27) 

たしなみの 今朝起き お酒 飲み成した               (たしなみのけさおきおさけのみなした)(99.5.27)

(評)「飲み成した」という表現が生きていますね。

私好き 尻ふりふりし キスしたわ                 (わたしすきしりふりふりしきすしたわ)(99.5.25)

おねむの子 朝の母知り また泣くな 黙りし母の さあこの胸を    (おねむのこあさのははしりまたなくなたまりしははのさあこのむねお)(99.5.26)

優しい子 残り惜しくも義母(はは)のもの 実母(はは)黙しおり 子の恋しさや(やさしいこのこりおしくもははのものははもくしおりこのこいしさや)(99.5.26)

(評)大岡越前の名裁きで二人の母親にわが子の手の引っぱり合いをさせる、というのがありました。強く自分のほうに引き寄せ、勝ち誇った偽の母親を越前は嗜めたものです。実母の愛の深さやいかばかりか・・・

わが妻が 待っていたしと 外科医恋い 影と慕いて 妻が待つ川    (わかつまがまつていたしとげかいこいかげとしたいてつまがまつかわ)(99.5.26) 

(評1)え〜〜、これは特定のモデルはありません。皮膚科医(まるちゃん)より外科医のほうがカッコイイ等いうことも全くありませんです。はい。

(評2)足曳きの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかもねむ・・・この有名な歌は意味のある部分は「長々し」以下だけで、その前の部分は「長々し」を引き出すための「まくらことば」です。この回文歌は前後で意味がダブっています。逆さの言葉同士が微妙に意味が似通い、後半で前半を彷彿させるという回文特有のテクニックで「まわし枕」と言います。

別れたる 抜き差し無きと 言う彼か 憂い時なしさ 来ぬる誰かは   (わかれたるぬきさしなきというかれかういときなしさきぬるたれかわ)(99.5.26)

(評)「君が代」と同じで、作者にも意味がわかったようなわからないような、とても含蓄のある歌です。

たった今 朱鷺生き生きと 舞い立った           (たったいまときいきいきとまいたった)(99.5.25)

今朝起きて つい悪酔いよ 残りあり この酔 夜 は一滴お酒     (けさおきてついわるよいよのこりありこのよいよるわいつてきおさけ)(99.5.26)

おくるみ着 舞うや父の子 目の幸さ 飲めこの乳や うまきミルクを   (おくるみきまうやちちのこめのさちさのめこのちちやうまきみるくお)(99.5.26作)

(評)回文であるために「目の幸」という新しい言葉が生まれる。聞いたことが無いのにその意味はわかる。どうだ、まいったか。これぞ回文文化の真骨頂。

雪の日の「さあもう行くか」が戻りけり 友がかく言うも 朝の檜湯  (ゆきのひのさあもういくかがもとりけりともがかくいうもあさのひのきゆ)(99.5.29作)

松の葉に 悲しみ深し 追憶を いつしか踏みし 中庭の妻       (まつのはにかなしみふかしついおくおいつしかふみしなかにはのつま)(99.5.26作)

遠ざかる 丘の花には 残りおり 木の葉に那覇の 薫る風音      (とおざかるおかのはなにはのこりおりこのはになはのかおるかざおと)(99.6.2作)

おねむの子 泣くなよ泣くな この胸を                      (おねむのこなくなよなくなこのむねを)(98.11.6.作)

遠ざかる 駅の汽笛の 悲しみを見し 長の汽笛の 消える風音     (とおざかるえきのきてきのかなしみをみしなかのきてきのきえるかざおと)(99.6.2作)

以下は応募しなかった作品

遠ざかる オカリナ友と 涙した 皆友となり 薫る風音        (とおざかるおかりなともとなみたしたみなともとなりかおるかざおと)(99.6.2)

遠ざかる 丘に恋など なき時と 気などない娘に 薫る風音      (とおざかるおかにこいなどなきときときなどないこにかおるかざおと)

遠ざかる 丘に咲くとき 野の花は 野の木と草に 薫る風音      (とおざかるおかにさくときののはなはののきとくさにかおるかざおと)

遠ざかる 駅の汽笛の 音憂う 遠の汽笛の 消える風音        (とおざかるえきのきてきのおとうれうとおのきてきのきえるかざおと)(99.6.2作)

(評)よほど「遠ざかる」が気に入ったようですねえ。これだけ推敲してもらえば「遠ざかる風音」さんも本望でしょう。

いますまい ごっつい五つ子 いますまい

(いますまいごつついいつつごいますまい)(99.5.25作)

(評)確かに、いますまい!

おねむの子 朝よきお乳 残りあり 子の父起きよ さあこの胸を

(おねむのこあさよきおちちのこりありこのちちおきよさあこのむねお)(99.5.26作)

(評)母乳って結構残っちゃうんですよねえ。この時、父の出番・・・私はミルク紅茶にして頂きましたです。はい。かあちゃんご馳走さま。

留守となり 模湖としたわと 母照れて 母と私と 子守などする     (るすとなりもことしたわとははてれてははとわたしとこもりなとする)(99.5.26)

評)鬼嫁というほどじゃ無いけど、ちょっと気を遣う嫁、いますね。買い物にでもいったのでしょう。「ほっとした」と言わず「模湖とした」と、曖昧模糊に表現するところが奥ゆかしい。たまには親子水いらずで子守もいいでしょう。

 

むら草の 名は知らず 目に 夕焼けや 冬にめずらし 花の咲くらむ
(むらくさのなはしらずめにゆふやけやふゆにめずらしはなのさくらむ)(11.6.1作)

(評)
下記の回文ですが、わたしゃ短歌になっていると思ったのですが、よく考えてみたら57575なんですね。 それで翌々日に57577の純正短歌に直したものが今回の作品。


〜東日本大震災後の被災地に花が咲く事を祈って〜
草の名は 知らず愛でては 後の地の 果てでめずらし 花の咲く
(くさのなはしらずめでてはのちのちのはてでめずらしはなのさく)(11.5.29作)


 


なお、この一部は 青柳三郎氏ホームページの中の「ヴァリエの広場」にも掲載されています。

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