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スカーレット・ウィザード番外編


【Grasshopper】


 ようやくそこにたどり着いた時、彼はへとへとだった。
「ああ......」
 うめくと崩れるように岩陰に座り込む。日陰が涼しかった。
 肩に引っ掛けていた銃の紐をずらし、腰につけた水筒を震える手でようやっと外す。ぐいと呷る水筒からは生ぬるい水が微かに零れただけだった。
「ちっ!」
 腹立たしく水筒を振ったが水音はしない。水をどこかで補給しな......
 ぎくりと身体を強張らせ、彼は振り返った。がさごそと草むらをかき分けて何かが歩いてくる。
 なんだ? 身をかがめ、銃を引き寄せる。
 小さなくしゃみが聞こえた。泣き声も。
「マミー、お腹空いたよぅ」
 弱々しい声が聞こえる。「お腹空いたの、マミー」
「そうだね、なにか食べるものがあればいいんだけど。木の実でもなんでも」
 何かざくりと音がする。
 草むらを透かしてみると、誰かが草を刈っているらしい。
「デイジー、そんな、土なんか食べちゃ駄目よ」
 女の声がした。慌てているらしい。「駄目、病気になったらどうするの」
 泣き声がする。
「駄目よ、デイジー。泣いたら余計におなかが空くの。ほら、これをしゃぶってごらん。お花の蜜が甘いから」
 泣き声が止んだ。やれやれと肩の力を抜いたとき、目の前の視界が開けた。
「!」
 薄汚れた子供が目の前にいた。痩せこけ、緑と青を混ぜ合わせたような色の瞳だけがやたらと大きく見える。口許からは青白い花びらが顔をのぞかせていた。
 硬直して身体が動かなかった。見つかった?! 心臓が一瞬止まり、次の瞬間、割れ鐘のように鼓動が体中に響く。
「デイジー? どこに隠れんぼしてるの? ママの見えないところに行かないで」
 子供は無表情に彼を見ると、のろのろと身体の向きを変えて声のするほうに歩いていった。


 その夜、ようやっと手に入れた水で携帯食料を流し込みながら彼は昼間の子供のことを考えていた。

 なぜ、見逃したのだろう? 「外」の人間にとって自分たちは見えない存在なのだろうか? いや、あの子供は彼を見つめていた。無表情だっただけだ。空腹だと言っていたから、放っておくことにしたのか。
 ......土を食べるほどにひもじい?
 手にした携帯食料のブロックを見つめた。
 そんな話は聞いてはいない。首都から来る連中は飢えてはいなかったぞ? 自分たちだって食料は十分すぎる程あるから、こうやって備蓄倉庫からこっそり持ち出せたのだ。
「わからんな」
 呟くと、背嚢を枕に地面に横たわった。気候がいいから寒くはない。
 夏の星空が見下ろしてくる。華やかな自由に憧れ、あの世界から逃げてきたのに、全然楽しくないのはなぜだろう? 刷り込まれた逃亡者意識だろうか?
 身体を撫でる風が涼しい。昼間の疲れもあって、彼はぐっすりと眠り込んでいた。


 太陽が天頂近くまで上がった頃。
 見つけた水辺で水筒に水を詰めていると、誰かが歩いてくる気配があった。慌てて斜面をよじ登り、身を潜める。
 母親と娘の2人連れだった。抱かれている娘に見覚えがあった。昨日、顔をつき合わせた子供だ。母親はきょろきょろと辺りを見まわしている。彼の潜むのとは反対側の斜面を見上げて立ち止まった。
「マミー」
 下ろされると、子供は怯えたように母親のズボンの裾にしがみついた。
「ねえデイジー、あそこに食べられそうなのがあるの。ここでいい子してて?」
 母親は籠を背負っていた。斜面をよじ登り、彼よりも低い位置の木の枝に手を伸ばしている。なにやら枝からもぎ取ると背中の籠をずらして入れる。
「マミー」
「はいはい、ちょっと待ってね、今下りるから」
 子供の場所までおりると母親は疲れたように座りこんだ。そのそばにぴったりとくっついて子供が座る。
「さあ、食べられるかなあ?」
 母親は籠から先程のものを取り出すと、口に含んだ。
「まだちょっと渋いし堅いわねえ。デイジー、待っててね、いい子だから」
 咀嚼しながら籠に手を入れる。
「デイジー、はい、あーんして」
 口移しに食べさせてやる。「お口苦いわねえ。蜂蜜上げるからね、甘ぁいの」
 なにやら娘の口に入れて舐めさせてやる。
「マミー、お口変なの」
 子供はべそをかいた。「お口、へん」
「ママもお口変なのよ。ほら、お水でぐぢゅぐぢゅしなさい」
 水を含ませると子供は吐き出した。
「マミー、お腹空いたぁ」
「うん、葉っぱパン食べようね?」
「いやぁ」
 子供はかぶりを振った。「葉っぱパン、お腹ちくちくするの」
「わかるけど、それ食べないとなんにも食べるものが無いの。ねえ、葉っぱパン食べたらきっとデイジーは羊さんみたいに髪の毛がふわふわになるのよ?」
「ふわふわ?」
 子供の声に驚きが混じる。「葉っぱパン、食べるね」
「いい子ね、デイジーは」
 不安定な姿勢の中で彼は興味を持って親子を眺めた。
 それほど大きくも無いらしい塊を子供は母親からちぎって食べさせられている。
「よぉく噛むのよ。もぐもぐしないとお腹がちくちくするからね」
 水を飲ませて愛しげに頭を撫でてやっている。
「ふわふわ?」
「うん、ふわふわ」
 子供は嬉しそうに声を上げて笑った。
「ダディが早く帰ってくるといいわねえ」
 母親が子供を抱きしめながら言うのが聞こえた。
「きっと、デイジーがふわふわになったの見て、ダディはびっくりしちゃうねえ」
「ダディ、どこおでかけ?」
「どこかしらねえ。デイジーのごはん探してるのよ。寂しいけど、がまんしようね」
「マミーもさびしいの?」
「とっても寂しいなあ。さ、おうち帰ろうね。草もいっぱい摘めたし」
 母親は立ちあがるとよいしょ、と掛声とともに娘を抱き上げた。
「マミー、歩く」
「でもデイジーがお腹空くから、抱っこがいいでしょ?」
「お手々つないで歩くの」
「そうお? じゃあ、お手々つなごうね」
 嬉しそうに母親と手をつないだ子供は5つくらいに見えた。ゆっくりと引き返していく親子を見送って、彼はやれやれと息を吐いた。
 あの親子の後をつけて、人里に出るべきだろうか? まだ早いだろうか?
 しばらく考えていたが、水筒に残りの水を汲むと後をつけだした。初めて見る、政府や軍とは無縁の普通の人間たちに興味を覚えた。
 無防備な母娘をつけるのは簡単なことだった。やがて大勢の人間の気配が感じられ、彼は立ち止まった。
 いや、まずい。この方角から出ていけば、彼が何者か、一発でわかるだろう。それは避けたほうがいい。後ずさりすると、彼は道を引き返した。


 その夕方。

 彼は空を飛ぶ奇妙な群れを見つけた。
 鳥かと思ったその群れは、あっという間に彼に迫り、彼にぶつかり、彼にまとわりついた。
「うわ?!」
 払い落とそうとしてギョッとした。周り中で虫が動きまわっている。こちらが虫の......バッタの巣にでも落ち込んだかのように。やけになって払い落とすがキリ無くぶつかり、足を引っ掛けてくる。
 周囲を見まわし、岩陰に入り込む。払い落とし、踏み潰す。周りからざわざわガサガサと音が押し寄せてくる。
「なんなんだ、これは」
 天変地異の前触れだろうか? こんなことは聞いたことも無い。まだ身体を虫が這いずっているようだ。
「ええい、気色悪い」
 身体を撫で回す。なんなんだ?
 目を凝らすとバッタの大群はそこら中の草にべったりと張り付き、
「まさか」
 とんでもないことに気がついた。
 バッタは食べているのだ、そこら中の草を。食い荒らしているのだ。しかも彼の行こうとしている方角からやってきた。
 あの母娘はどうしたろう? 
 思ったのはまずそのことだった。食べるものが無いと言ってそこらへんの草を刈り取り、それでどうにかパンを焼いたとか言っていたようだが。
 その草すら虫けらに食われては、食料もないのではないか?
 そう思ったとたんに落ち着かなくなった。
 どうしてこんなことが起きたのか。もしや、この虫は東の生物兵器ではないだろうか? 大量に人工的に作り出され、西の大地にばら撒かれたのではないのか?
 居ても立ってもいられなかった。
 バッタの大群はまだ飛び回っていたが、それには構わず岩陰から出る。道を走り、昼間、大勢の気配がした場所まで進む。誰も居ない。
 そこは谷間だった。向こうには小さな崖があり、ちょろちょろと水音を立てている。見まわし、開けているほうを登り出す。
 崖をあがると夕暮れとバッタの飛び交う遠くに小屋が見えた。窓にはぼんやりと明かりが灯っている。用心しながら進むとなにか生き物がけたたましく鳴く声が聞こえた。立ち止まる。家の中の気配が動いた。扉が開き、女が灯りをぶら下げて出てくる。
「デイジー、そこに居てね」
 家の中に言うと、あたりを見透かすように眺めわたし、鳴き声の聞こえた一角に向かう。
「はいはい、狐もなにも居ないわよ。安心して寝てなさい。あんたたちのえさはあるんだから」
 なにやらに言うともう一度、周りをぐるりと見まわして小屋に入る。
 気配を消して地面に這っていた彼は静かに立ちあがった。そのまま小屋の窓から中を覗く。
 揺り椅子に腰掛けた女が子供を抱いてあやしていた。母親の膝の上で子供は丸くなり、柔らかそうな胸に顔をうずめている。
 それを見つめ、彼は切なくなった。
 彼の恋人だったあの女兵士は今ごろどうしているだろう。彼が出会い憧れた、外の世界のあの女性はどうしているだろう。別れた恋人に会いたかった。そして彼の憧れの象徴にも。
 窓の中で母親が立ちあがる気配がして凝視した。テーブルの上の灯りを小さくすると、女は視界の外に消えた。
 しばらくその場に立ち尽くしていた彼は、やがてのろのろと引き返した。足跡を残さないように気を付け、低い柵を越えるときに振りかえる。
 灯りも見えず、まるであばら家のような小屋だった。
 その夜、彼は虫除けに毛布をかぶって眠った。
 夢を見た。
 訓練兵の子供たちの泣き声がした。懲罰で夕食を抜かれたらしい。その子供たちに必死に食料を手渡そうとしている自分。なぜか無性に腹立たしかった。あの子らが悪いわけじゃあない!と夢の中で怒鳴り散らし、その怒りで目が覚めた。
 怒りのあまり涙を流していた。
 あの子達の責任で飢えてるわけじゃあない、と半ば眠った頭で考える。あの小さな子供のような存在を守ることが彼らの存在理由なのだ。戦う理由なのだ。
 目が覚めると曇天だった。
 顔を洗いに水辺に向かう。その途中の草にはまだバッタが齧りついている。
「ちっ」
 草を蹴飛ばし、虫を踏み潰す。水辺で考え込んだ。
 この土地からさっさと立ち去ったほうがいいのはわかりきっていた。恐らく追手はもうじき追いついてくるだろう。しかし夢の中で聞いた泣き声が耳から離れない。ため息をつくとその場に座りこんだ。頭を抱える。
 周りでは木の枝がざわざわと風音を立てる。バッタがきちきちと羽音を立てて飛び回る。音はしても他の気配は無い、静かな世界。
 かさり、と小さな音がした。かさり。かさり。
 ぼんやりと顔を上げると目の前にあの子供が立っていた。一昨日見たときは薄汚れていた顔は、今日はきれいに拭われている。洗いざらしのTシャツに赤い半ズボンをはいている。その顔は怯えている様子もないが友好的でもない。

 笑ったら可愛いだろう。

 ふと思った。
 昨日の笑い声は子供らしい無邪気なものだった。彼にとってもなじんでいる、その年頃の子供にふさわしい笑い声だった。
「おはよう」
 出来るだけ怖がらせないように、優しく声をかける。「今日は......風があるね」
 子供はこっくりと頷いた。
「今日は......」
 何を言ったらいいか迷った。「今日はママは一緒じゃないのかい?」
「マミー、葉っぱパン作ってるの」
 小さな声だった。「おひげのおじいちゃんのおうちなの」
 なにを話せばいいのか。そこで会話は途切れてしまった。
 彼は座りこんだまま、子供を眺めやった。バッタが頭に止まるのを首をすくめて嫌がるのを見て、手を伸ばして払ってやる。小さくきゃっと声を上げるのがふと嬉しくて、そのまま頭を撫でてやると子供はにっこり笑った。
「おにいちゃん、ありがとう」
 小さな声だったが胸が温かくなるのを感じる。
「そうだ、これをあげよう」
 背負っていた背嚢を下ろすと携帯食料のブロックを1つ取り出した。
「これは小さいけど、お腹が膨れるからな。ママに渡して食べさせてもらうといい」
 目を丸くして子供は彼を見た。「たべもの?」
「そうだよ。ママときみだけに特別にあげるから」
 小さな手で受け取ると、まじまじとブロックを眺め、彼を小首を傾げて見つめる。
「とくべつなの?」
「そうだよ、きみだけに......」
 遠くで雷鳴のような音がした。
 空を見上げ、彼は血の気が引くのを感じた。
 見たことも無い飛行物体が上空を旋回している。一目でわかった。軍の、彼の追手だ。
「.........」
 子供がなにか言ったが、飛行機のエンジン音で聞こえない。唇をかみ締め、立ちあがった。
 決断の時だった。このまま逃げるか、それとも軍事法廷を覚悟して戻り、この惨状を、この子供のような目にあっている市民を救うよう、訴えるか。
 上着の裾を引っ張る子供を見下ろした。
 自分と接触したことでこの子に不利益があっては駄目だ。
 その手を優しくはがすと、そっと頭を撫でて駆け出した。斜面を登り、台地を駆け、崖を滑り降りる。苦労してよじ登った崖は滑り降りると実にあっけなかった。
 荒野をかける。あの飛行機に乗っている連中からあの子への注意をそらさなければ。振り向くと、飛行機はまだ旋回していた。銃を構え、飛行機に向かって何発も撃ち込む。届かないのはわかっているが注意をそらすことだけを考えていた。
 こちらに機首が向くのを確認して再び駆け出す。追いかけて来い。こっちに来るんだ。
 飛行機は彼の上空を通過し、上昇し始めた。見る見るうちに小さくなる。
 駆け続けているとさすがに息が切れてきた。立ち止まり、膝に手をかけて体を屈めて息をつく。ふと顔を上げた。
 彼の視界のずっと向こうから、砂煙があがるのが見えた。地面に耳を当てる。なにががやってくる振動が感知された。
「お迎えか」  呟いた。脱走して10日。こんなものかもしれない。どのみち、奪った二輪車にも位置確認の装置はついていたのだ。
 あっという間に「やつら」の車両に取り囲まれる。両手を上げた彼に銃口が突きつけられた。






 デイジーはサラダ菜を摘み取ると籠に入れて立ちあがった。その脇をバッタが飛び跳ねていく。その行方を目で追いかける。
「ディー?」
 トマトを両手にもぎ取ったケリーが籠に入れながら怪訝な顔をした。「どうした?」
「ううん」
 首を振った。バッタを見てなにかを思い出したと思ったが、するりと逃げてしまった。ただバッタは好きではなかった。あの怖く辛い時を思い出すから。それでも誰かの影が見えたと思った。
「父さんだったの?」
「へ?」
 呟くのを聞きとがめてケリーが振りかえる。「なにか言った?」
「ううん、ひとりごと」
 ふとケリーが手を伸ばしてきた。「ディー、動いちゃだめだよ」
 髪からなにかを掴んでみせる。
「バッタ捕まえた」
 指を開くと茶色の羽根を広げてバッタは飛び立った。


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