おそるべき魔法使い



 ある日の昼過ぎ。
 公爵家の玄関のノッカーが音高く鳴らされた。
 下っ端従僕の少年が玄関扉を開けると、黒髪の中肉中背の青年が冷たい無表情で立っていた。
「あの、」
 どちら様でしょうか?と尋ねる前に青年が口を開いた。
「公爵夫人は何処だ」
「は?」
「公爵夫人に呼ばれたんだが」
 ずいと踏み込まれて従僕の少年は思わず後ずさった。青年は玄関ホールをぐるりと見回すとそのまま階段につかつかと歩み寄り、ジロリと振り返る。
「案内を」
「は、ハイあの、ど、どちら様で……?」
 青年は音高く舌打ちをした。
「言ってないのかアレは」
「は?」
「とっとと案内しろ。俺を呼びつけたのはここの奥方だぞ」
 冷たい視線が更に冷たくなり、少年は竦み上がる。
「は、ハイ、少々お待ちください……! ……スミマセン、どなたか……レティーさぁん!」
 半べそを掻きながら従僕は奥に駆け込んだ。
 使用人溜まりに駆け込むと、呼ばれたレティーが立ち上がっていた。
「どうしたの大声出して。お客様でしょう」
「な、なんかこわい男の人が来て奥様に会わせろって」
 使用人たちがざわめく。
「奥様に会わせろってどういうこと?!」
「そいつ名乗ったのか?」
「誰かセドリックさんに連絡しろ!」
 殺気立つ使用人の中でゆっくりと従僕のひとりが立ち上がる。
「落ち着けおまえら。おまえ、セドリックさん呼んで来い。サシャ、おまえお茶を用意しろ。フィオ、奥様んとこ行って来い。レティー、俺と一緒に来い」
 その場を仕切ったのはジンだった。
「いつまでもお客放っておく訳にいかねえし」
「ですね」
 玄関ホールに出たレティーは、ジンが「おや」と呟くのを耳にした。
「誰かと思ったら、セロンの魔法使いじゃないか」
 階段下で不機嫌そうに佇んでいた青年はこちらに冷たい視線を寄越した。
「あんたか」
「久しぶりだな。まぁ街でちょいちょい見かけてたが」
「お姫に呼ばれたんだが」
「ああ悪いな。ここの使用人、あんたの顔を知らない上に、奥様にお客って滅多にないんでね」
 平然と言うと、ジンはレティーに向かって「奥様のお部屋にご案内を」と言って寄越した。
 頷いてレティーは落ち着いた足取りでお客に向かう。
「お待たせして申し訳ございません。どうぞこちらへ」
 階段を上がって奥様の部屋に案内する。
 部屋の中では出掛け際の旦那様に脅しつけられた奥様がめそめそべそをかいていたが、お客——魔法使いの顔を見ると驚いたことにほっとしたようだった。
「れ……れすたー。来てくれてありがとう……」
「まったく、いきなり呼びつけやがって」
「うん。……レティー、あのね」
「はい」
 奥様は「お茶にお菓子つけてね」と頼んできた。どういうわけだ。怪訝な顔のフィオと一緒に部屋を出ると、サシャがお茶を運んできていたが、その袖を引く。
「奥さまがお客様にお菓子付けてって」
「え?」
 サシャは固まった。
「ていうか、奥さまのお客さまってそもそも男性でしょう? フィオもレティーもいなくて問題じゃない?」
「ジンさんが知ってる人だったようよ」
 セロンの魔法使いって呼んでいたけど。というと、同僚の侍女ふたりは目を丸くする。
「まほうつかい?」
「とにかく、はやくお菓子とお茶をお出しして」
「はぁい」
 慌てて引き返すサシャの後ろを歩きながら、レティーは奥さまの部屋の方を振り返る。
 まったくどういうわけだ。あの内気で体の弱い奥さまが、旦那さまとあの元気な男爵令嬢とは別に、どう見ても平民な魔法使いと親しいとは。

 そのあと、お茶を出したサシャは「あの魔法使いって、街でひそかに人気のイケメンよね!」とうきうきしながら戻ってきた。ジンの方は使用人たちに取り囲まれて質問攻めになったあげくに、執事のセドリックさんに呼ばれて執務室に行ってしまった。
 そのあと、セドリックさんが奥さまの部屋に出向いて、どうやら魔法使いに挨拶をしたらしい。
「あのかたは、レスター・オルスコットさまと仰られる。先代のティアーズ伯爵様が奥さまのご相談役として奥さまご幼少のみぎりにお付けになられた御方だ。これから時々こちらにもお見えになられるだろうから、失礼の無いように」
 奥さまの部屋から戻ってきたセドリックさんが使用人を集めて説明をすると、使用人たちはあっけに取られた。

 ご相談役? ナニソレオイシイノ?

「ああ、むろん、旦那さまもお小さい時からオルスコットさまのことはご存知だ。なので、ご友人としても失礼の無いように」

 ダンナサマノオトモダチ?
 そんなのがあの元ご学友の王子さま以外に旦那さまに居たのか!

 セドリックさんが執務室に戻ると、使用人たちは呆然と顔を見合わす。
「旦那さまのご友人で、奥さまのご相談役……?」
 どうなってる。そんなものが両立できるのか。しかも若くて美形な男。街の若い娘たちの密かなアイドルらしいし。

「あ、ちなみにオトモダチっつっても旦那さまとはガキの頃は拳で語り合う仲だからな」
 ジンがぼそっと呟いた。
「な、なんですかそれ?!」
 それでどうして今まで無事でいられたのだあの魔法使い。

 考えられるのは——

 レスター・オルスコットという魔法使いは、旦那さまを越える悪魔か魔王か。

「それとも勇者かもしれんなー」
「正真正銘の魔法使いだしなー」

 うちの悪魔様からあのちまっとした奥さまを守る勇者な魔法使い。
 うん、なんかすごい。
 
 奥さまはその後ご機嫌麗しくお過ごしになられ(お茶のおかわりを出しに行ったら魔法使いとトランプをしていたらしい)、午後のお茶の時間に帰宅された旦那さまは——

「なんでおまえがうちにいて、しかもエリスとお茶してるんだ、オルスコット!」
「あんたがお姫を泣かすからだろ。夫婦喧嘩でいちいち呼ばれる俺の身にもなれ。お姫にベタボレの癖しやがって」
「く……っ」

 レスターが公爵家の使用人からの尊敬を一挙に得た瞬間だった。


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