徒然ノート バックナンバー8

思いついたことを徒然なるままに掲載したいと思います。

 

2002/6/15 『マスメディアの価値の再考』
 インターネットの普及とともにメディアを自分の好きなようにカスタマイズする嗜好が強くなっているように思われます。一昔前、某携帯電話の宣伝では「ミーメディア」という言葉が使われたほどです。このメディアのカスタマイズは個人にとっては非常に便利なものに思われますが、ある意味社会の分断をもたらす可能性も持っています。ある個人が自分の好きな情報だけを取捨選択していくということは、自分と異なる価値観を受け入れる許容性を低下させていくこととも捉えられます。異なる価値観を受け入れられないということは、社会全体としてのコミュニケーション能力の低下を意味し、社会全体としての調和や発展性の大きな阻害要因になるでしょう。そんな中で、マスメディアの役割を見直すことができるのではないでしょうか。
 私はこれまでマスメディアに対してあまり良いイメージを持っておらず、少し前の個人情報保護法案関連の反対報道に関してもマスメディアという特権を利用した手前味噌的な一方的なものであると、批判的に見ていました。しかし、最近のワールドカップに関するマスメディアの情報発信とそれにともなう日本国民の反応を見ていると、マスメディアはある意味、価値観の異なる人々を結ぶコミュニケーション手段ではないか?と感じています。確かに日本国民全体がマスメディアに踊らされている、ととれなくもない面もありますが、ある意味、皆が自分の価値観に閉じこもることを防ぐのにマスメディアが重要な役割を果たしているようにも見ることができます。このことは以前からどこかで言われていることかも知れませんが、ここしばらくの我が国におけるサッカーフィーバを見ていてふと感じたのでしたためました。

2002/6/5 『インターフェースとは相互接続性の問題』
 最近になりまして我が家もようやくミドルバンド化して、最近、富に重さが増してきているWebを見てもストレスが溜まらなくなりました。その代わりと言っては何ですが、その導入に際しては非常にストレスが溜まる経験をしました。我が家は配線を張り巡らすことができないため、以前からPHSの無線通信を導入していましたが、ミドルバンド化を機に無線LANに移行することになりました。某A社の無線LANのルータと無線LANカードを購入したのですが、その設定は容易ではありませんでした。夜の11時くらいから無線LANの設定をやり始めたのですが、設定のウィザード通りやれば問題はないだろうと考えていたのは非常に甘かったです。最後の最後でパソコンからルータが見つけられず失敗。その後も再設定を試みましたが、夜中の3時まで格闘した挙句の果てにつながらないまま力尽きてしまいました。結局、明くる朝、コールセンターに電話してようやく接続できたわけなのですが、このコールセンターに電話したのも1回ではなく、3回です。しかも、もう一台のパソコンはA社製ではない無線LANを内臓しており、こちらの設定では、双方のコールセンターが相手の会社の否を指摘するだけであまり建設的に話が進みませんでした。話が長くなりましたが、今回の無線LAN導入でWindows95導入以来のひどい経験をしまして、あれから7年ぐらい経つのに機器間の相互接続性に関してはあまり進歩していないのではないか、と感じました。私がこれだけ大変な思いをしているのですから、高齢者(一般的な)なんかが無線LANを導入するのは本当に大変でしょうし、トラブルを考慮すると非常にリスキーであると言わざるを得ません。高齢者のIT利用促進のためにインターフェースの更なる改善が求められますが、この相互接続性をなんとかしないとパッと見だけ分かり易くしても、後々問題が起こります。メーカーが個別にインターフェースを改善するのではなく、各メーカー連携の下、もっと相互接続性に関して目を向けるべきではないでしょうか。このような苦い経験をしているのはたまたま私だけで、本当は以前と比較してトラブルは格段に減っているのかも知れませんが、掲示板等への書き込みを見ますと、そうでもないような気が致します。

2002/6/2 『地域情報化の回顧』
 この前、地域情報化関連の会議に出席した折に、学識経験者の方からこれまでの地域情報化への取り組みを痛烈に批判する厳しい言葉がありました。特に印象に残っているのは、「テレトピア、ニューメディアコミュニティ、グリーントピア等、地域情報化の取り組みを行ってきたが全然情報格差が是正されていないのではないか」という話と、「これまで地域情報化を進める際にニーズ調査を行ってきたけど、地域情報化の推進に寄与していないし、住民の側はマスメディア的なものを求めているのではないか」という話でした。確かにおっしゃる通り、昨今はデジタル・ディバイドという言葉で示されるように、相変わらず地域間の格差は存在しますし、これまで行った地域情報化施策も利用が進まないことを考えると、ニーズに合致していなかったとも考えられます。この辺は、これまで地域情報化のコンサルタントとして働いてきた者として非常に耳が痛いもので、今後の仕事の糧として、大いに反省したいところです。
 しかし、敢えて反論したい点もいくつか存在します。まず、国の推進するテレトピア構想、ニューメディアコミュニティ構想等に関しては、情報格差を是正する意図が当初からあまりなかったのではないかと考えています。ある意味、地方分権を尊重し、やる気のない地方公共団体が参加することを無理強いせず、そのため指定を受けた地域は案外、市以上の地域が中心になっていたと記憶しています。また、これまでの地域情報化の取り組みに関しても、必ずしも失敗ばかりではないと私は考えています。明確なデータによるものではありませんが、従来、パソコン通信、CATV、キャプテン等、地域情報化への取り組みを行ってきた地域の方がインターネットを活用した地域情報化への取り組みに関しても先駆的、積極的に取り組んでいる傾向があると認識しています。そういう意味において以前の地域情報化への取り組みは必ずしも無駄にはなっていません。
 一方、住民のニーズの話ですが、住民のニーズがマスメディア的なところにあるからと言って、地域独自のサービスや情報の提供をなくして良いのかどうかははなはだ疑問が残るところです。マスを対象にしサービスや情報を提供することは、それ程難しくありません。しかし、それだけで情報化を進めると、これまで同様、東京等に情報を依存する地方という関係は永続的に続いていきますし、地域として情報産業の芽を摘みかねません。これまでもキャプテン等、失敗に終わった施策は色々ありますが、地域独自のコンテンツ作成、情報発信、サービス提供等へトライしてきたという面で評価して良い部分もあるのではないでしょうか。この独自の部分を長期的にどれだけ評価するかはかなり難しいところですが、地域情報化に関してはニーズのみで展開できない部分があります。時にはあまりニーズがなくても重要なものがあるかもしれませんし、新たにニーズを発掘するような施策を展開することが求められる時があります。もちろん、これには失敗のリスクが伴いますし、そのため最近言われている戦略という発想が必要になるのです。もちろん、これまでの取り組みには中央で考えた施策を戦略的発想なしに導入して、失敗した事例が少なくないのも事実だと思いますが。 

2002/5/15 『札幌市行政経営戦略』
 札幌市が「札幌市行政経営戦略」を策定しました。「札幌市IT経営戦略」の時から非常にポジティブで前向きな取り組みをしている印象を受けていましたが、今回の行政経営戦略を拝読して、そのイメージが更に強くなりました。同戦略では、「変化に対応して行政が変わらなければならない」、というメッセージが分かり易く説明されているだけでなく、具体的にどのような方向で取り組むのかが体系的に整理されています。経営理念では、最近では当たり前のように使われる「顧客志向」だけでなく「成果主義」、「コスト意識」、「役割の見直し」、「挑戦」等の言葉が使われるとともに、「民間の経営手法を学び」と記述していることからもまさにNPM(ニュー・パブリック・マネジメント)の実践といった感じです。私が行政経営で最も鍵になると考える人材面に関しても、キャリアデザイン、能力給、MBO、民間採用、人材市場創設等が示されており、実現されれば、大きな変革が期待できそうです。ただし、経営戦略というタイトルのわりには、財務面に関する記述が貧弱ではないかと個人的には考えており、どのように税収を上げるのか、どのように費用を圧縮するのか、作成しているバランスシートをどう活用するのか等の記述があっても良かったのではないかと思います。
 この行政経営戦略はビジョン的な位置付けで、あくまでも具体的にどのように実現していくかは、今後、計画を立てていくことになるでしょうが、是非、札幌市役所一丸となって、経営理念、目標の実現に取り組んでいただきたいと思います。また、これから行政改革等について検討、再検討される地方公共団体においては、この行政経営戦略が大いに参考になるのではないかと考えます。
http://www.city.sapporo.jp/somu/gyokaku/senryaku.htm

2002/5/3 『教育投資の社会性について』
 最近、会社を辞めて「転職した」、「大学の先生になった」、等の話を聞くことはそれ程珍しくありません。自分のキャリアを自分で考え、切り開いていく、という点では、望ましいことだと思います。ただ、一点だけ気にかかることがあります。それは会社の費用で留学した人々に、特にこのような傾向が見られることです。某電子商店街の経営者は有名ですが、私の周りにも会社の費用で留学して、その企業を辞めた人が少なくありません。これって社会的に見て望ましいことなのでしょうか?企業の側からすれば、その人の将来性を期待して、膨大な投資をしているわけです。その投資が回収されないまま会社を辞められては、たまったものではありません。しかし、優秀な人材を社会に排出しているという観点で見れば、これは社会貢献活動と捉えることも可能です。つまり、奨学金ということです。また、その人が起業家として新たな事業を立ち上げたなら、これは従来の企業組織に属していては実現しなかったものであり、産業活性化という側面でも寄与が期待されます。加えて、この人が大学の先生になったなら、大学から優秀な人材を排出するという点で、企業に寄与することもありえます。したがって、ある企業が特定の個人に投資した留学費用は、社会全体として、十分に回収できる可能性があると考えられます。
 ただし、一企業としての投資と捉えると、投資は直接回収できておらず、ある意味モラルハザードだと捉えられなくもないような気がします。私は残念ながら、このような恩恵を受ける機会はこれまでありませんでしたが、会社の費用で留学する人は、企業の投資という側面も考慮して行動することが必要なのではないでしょうか。つまり、留学から帰ってから短期間で会社を辞めるのではなく、ある程度その企業に貢献することが望まれるわけです。産業活性化という点で、優秀な人材の自主的なスピンアウトを促すことは非常に重要だと思いますし、仮に投資した企業がその教育投資を回収できなくても、社会的には十分な投資対効果が得られると考えています。しかし、最近に傾向を見るに、あまりにも自分本位ではないかと思う部分もありまして、ちょっと触れてみました。社費で留学できる人への私の羨み的な部分もあるかもしれませんが。

2002/4/17 『情報化における集権と分権』
 情報化を考える時に大きな問題になるのは「ネットワークの外部性」が存在することです。住民意識の成熟度等を考慮すると、地方分権は当然の流れであり、情報化への取り組みも、各地域で考え、発想し、個々の地域が自主的に取り組むべきだと思います。しかし、実際には個々で取り組んでもうまくいかない事例が非常に多く、これは情報財が持つ「ネットワークの外部性」という特性によるところが大きいと考えられます。
 例えば、ICカード。1990年代の初期から先進的な地域で取り組みが行われてきましたが、真の意味で地域に浸透し、「成功した」と言える事例はほとんどありません。これはICカードの利用範囲が、特定の地域や、特定のサービスに限定されているためであり、ネットワークの規模が小さいことで、創出、内部化された「外部性」が非常に小さかったことに起因すると考えられます。我々はカードを選択する場合、実際には特定の地域やサービスしか使わないにも関わらず、なるべく利用できる場所が多く、サービスも多様なものを選ぶ傾向にあります。もちろん等価での話ですが。つまり、カードは利用ネットワークが大きいほど、価値が高まるという、「ネットワークの外部性」の性質を持っているのです。
 このようなことを踏まえますと、情報財の活用は、大きな「ネットワークの外部性」を創出するという点で、地域個々で取り組むよりも、中央集権的に多くの地域で一括して取り組む方が優れていると言えます。今年から稼働する住民基本台帳ネットワークシステム等はその典型的な事例だと思います。
 ここで歯がゆく思うのは、地域における情報化への自主的な取り組みがなかなか実のある内容に結び付きにくく、かつ中央集権的で全国な情報化の動きの方が案外、実事業に結び付き易いということです。もちろん、すべての情報化の取り組みが、同じ性格を持っているわけではありませんし、独自の取り組みでうまく機能している事例も多くあると思います。しかし、地域に根ざした情報化の取り組みが増えてきている中、これらの取り組みが集権的な取り組みに縛られないよう、集権的な情報化と分権的な情報化をバランスさせることが重要ではないかと考えています。電子自治体への取り組みに関しても、何でもかんでも中央で決めるのではなくて、地方で考える余地をもっと残すような形で推進した方が望ましいのではないでしょうか。

2002/3/28 『最適な提案レベルとは?』
 秋葉原等で買い物をする時、通常ディスカウントを要求しますが、皆さんは自分の希望金額を正直に伝えますか?私は案外正直に「予算がここまで」と言ってしまうのですが、通常の人は自分の希望額より更に低い価格を提案するのではないでしょうか。交渉を繰り返すことで、売り手と自分の提示価格、双方が歩み寄り、最終的に実は自分の希望価格に持っていく、そんな戦術?を使っている人は決して少なくないはずです。
 実はコンサルタントとして特定の組織に提案を行う時も、このような駆け引きの必要性を感じることがあります。以前、IT分野で著名な大学の先生(現在は総務審議官をされているでしょうか)と一緒に仕事をさせていただいたのですが、その時、色々と高い要求を出されて四苦八苦したことがあります。でも、その先生が言うには、計画なんて通常、保守的なものになるのだから、革新的な難しい要求を突き付けて、ちょうど良い塩梅に落ち着くのだそうです。確かに「なるほど」と納得させられる部分ではあります。
 このようなことを踏まえますと、特定の組織に提案を行う時も、自分が提案したい最適なレベルよりも、もう少し難しく、革新的な提案をした方が、結果的に最適なレベルに落ち着くのではないか、と考えてしまいます。提案のレベルが1(保守的)から10(革新的)まであって、5が最適なレベルだと考えても、実は8ぐらいの提案を意図的に行う、このような事も必要かも知れません。ただし、非現実的な提案をするコンサルタントという評価を受けるリスクが発生することは否めませんし、革新的過ぎると、逆に受け入れられないこともあり得ますので、この辺の調整が難しい気もします。

2002/3/21 『経路依存性の話』
 これはあくまでも私論です。既にどこかで同じようなことが言われているかも知れませんが、その時は「同じことを考えているのだな」と読み流していただければ幸いです。
 新制度派経済学という経済学がありますが、この中で、ある国の経済が一定期間、特定の方向に向いて進むと、経路を変えることが難しい、と言われています。これは経済の発展方向が国により多様であることを前提としていますが、このように特定の方向に慣性が働くことを「経路依存性」と言います。私は、近年の世界経済の一部をこの経路依存性で説明できると考えました。
 世界各国の経済はこれまでの歴史や文化の違いからそれぞれある程度違う方向に進んでいます。しかし、一方で経済のグローバル化が進み、世界的な制度の標準化も進んでいます。この標準化の動きは、ある意味、多様な方向に向かって発展してきた各国の経済を一つの方向に向かわせようとするもので、上記の経路依存性のため、それぞれの国では標準に適合するのに多かれ少なかれ労力が必要になります。この標準化への動きにおいてイニシアティブをとっている国は、もちろん自国の経済の方向に近い標準を設定しようとするので、経路依存性の観点から、標準との整合性を図り易く、摩擦や適合するのに必要な労力も少なくなるでしょう。
 このように考えると、世界的な制度の標準化に際してイニシアティブをとっている欧米、特に米国経済が、ITバブル崩壊や無差別テロの影響があるとは言え、ある程度のレベルを維持している一方、標準に合わせることに大きな労力を要するアジア等の国の経済が低調なのは、ある程度説明できるのではないでしょうか?もちろん国によってグローバルは世界経済に対してどれだけオープンになっているかどうかの違いはありますが。

2002/3/2 『万能リモコンとしての携帯電話の可能性』
 携帯電話は我が国で最も普及している情報通信機器であり、電気機器と思われますが、その普及状況を考えると、現在使っている通話や電子メール以外の用途にも使えると便利だな、と考えるのは自然なことです。携帯電話からインターネットが利用できるようになった時点で色んな可能性が広がったと思いますが、今回この辺について少し考えてみました。
 このきっかけは先日、見学させてもらったJEITAの情報家電モデルハウスです。この情報家電モデルハウス、私が携帯でできれば良いと思っていたいくつかアプリを実現していました。例えば携帯電話の画面(Web)から庭の水やり、ペットへの給餌を指示することで、それが実際に家の庭や犬小屋で実行されます。また、留守の時に訪問者がチャイムを鳴らすと、その事が電子メールで携帯に知らされ、携帯電話の画面(Web)で訪問者の顔を確認することもできるそうです。これ以外にも、雨が降るとセンサーが感知し、携帯電話に電子メールで知らせが来るようになっており、携帯電話の画面(Web)から伸縮式の物干しを雨よけのあるところまで縮めることを指示できます。
 確かに便利です。う〜ん、ちょっと待ってよ。これらのアプリって電子メールがタイムリーに届くという前提に立ってますよね。例えば、雨が降ってきても、携帯電話に通知が来るのが10分後では、洗濯物はもうビショビショになっている可能性が高いです。パソコン上で使っている電子メールはほぼタイムリーだと思いますが、たまに遅れて届く電子メールもあると思います。携帯電話にいたっては、私が契約している某移動体通信会社の電子メールは発信してから半日ぐらい相手に到着しないことが結構あったりします。インターネットであるが故の限界かも知れませんが、この辺を改善しないと携帯電話の用途拡大は難しい気もしないではありません。それでも、やはり外出先から自宅の事を色々指示できるのは便利ですね。

2002/2/19 『ナレッジマネジメントと組織風土』
 ナレッジマネジメントを実践する上で最も重要なのは組織の風土ではないかと考えています。どれをナレッジマネジメントと捉えるかにもよりますが、最近言われているようにITを活用して情報の共有や、それに基づく創造性の発揮、新たな価値の創出、業務の効率的な遂行等をナレッジマネジメントと呼ぶのであれば、我が国がこれまで培ってきた文化はマイナス要素になっている部分も少なくないでしょう。「以心伝心」、「暗黙の了解」、「和をもって尊しとなす」等、喋らないこと、情報発信をしないこと、逆に相手の意図を読むことが、これまで重要視されてきました。しかし、ITの世界(端的に表現してます)でこのようなことを行うことは不可能です。ITの世界では明快な表現があって初めて情報が流通します。
 この組織風土の違いが日米におけるIT経済の違いにもなっているのではないでしょうか。自分の持っている意見等を明快な形で表現することになれている米国の人々はITを活用したナレッジマネジメントに適しています。一方、旧来の日本の「慎ましやかな」文化では、ITを活用したナレッジマネジメントは機能しません。このような組織風土の違いによりITが経済全体に与える波及効果も大きく異なってきます。もちろんITに適している組織風土を持っている方がIT導入の波及効果は大きいでしょう。
 最近、携帯電話のメール等により情報発信するという事象自体は多くなってきていますが、組織という形の中で、自分の意見を明確に伝えることができるか?、相手に遠慮することなく話ができるか?、自分の持っている情報を積極的に他のメンバーに伝えているか?、と言いますと、このような文化が育っている組織はまだまだ少ないでしょう。
 この前、読んだ本に「何も発言しないなら次から会議に出なくてもいいよ」という話が出ていて、「確かに」と納得していましたが、行政機関等では会議中に発言しない人も民間と比較して多いのではないかと感じております(私の限られた経験によるもので明確ではありません)。考えないで闇雲に発言するのも困るわけですが、私も「聞いて来るだけ」の会議が結構あったりします。時間の関係上そのような場がないのであれば仕方がないのですが、できるだけ「双方向」、「自分からの情報発信」もできるように心掛けたいと思う次第です。

2002/1/30 『市場の限界』
 これまでの経済は市場において無限に広がる余地があるということを前提にしていたと思いますが、ここに問題があるのではないかと最近考えております。「生産性向上」、これは良いことでしょうか?もし、その製品の市場規模が変わらないのであれば、生産性向上により雇用は減少します。これまでは、この減少した雇用が第一次産業から第二次産業、第三次産業へ、あるいは新規事業へ移ることで、社会において雇用は確保されてきたわけです。しかし、財もサービスもある程度充足した現在、それ程、新たに雇用を産むような事業分野があるのか、はなはだ疑問です。つまり、産業の広がりは頭打ちにさしかかっているのではないでしょうか。にも関わらず生産性だけは上がっていくので、雇用が減少し、失業者が増えてしまう。昨今のITブームは新たな市場を創出しているかも知れませんが、これまで生産性の向上が難しかった第三次産業の生産性向上を可能にし、雇用を減らしているという面を考慮するとプラスマイナスゼロのような気がします。もし、本当に市場の広がりの限界が近付いているならば、競争均衡等を前提とする既存の市場原理は成り立たなくなるでしょうし、その前提となっている制度自体も見直す必要があるのではないでしょうか。例えば、デフレ化が進んでいますが、これは供給過多により本来の均衡よりも価格が下がっている状態ですが、価格の非可逆性により淘汰が終わった後でも価格が戻らない可能性があります。市場が収縮したまま戻らないとこの分野での雇用は確保できません。このような悪影響を考えると、例えば、独占禁止法で禁止されているカルテル等を解禁にする等、これまでの市場のスキームを根本から見直すことが必要なのではないかと考えています。

2002/1/24 『インターネット広告モデルが成立しない理由』
 インターネットとテレビ放送、この二つには典型的な違いがあります。それは資源の有限性です。テレビ放送は無線の帯域を使用する有限なサービスであり、無限にチャンネルを増やすことはできません。通常、販売されているテレビも12チャンネルから構成されており、その内使われているのは7チャンネル程度です。一方、インターネットはある意味無限の資源であり、誰もネットワークを拡大し、情報発信する可能性があります。この無限というのが実はあまり良くないのです。
 インターネットやテレビ放送の収益モデルとして広告で収益を上げるということがあります。この広告というものの性格を考えると資源が限定されていた方が、広告を出し易いのです。テレビでは、7つのチャンネル(正確には民放キー局5チャンネル)に限定されているので、どれかに広告を出していれば、テレビを見ているいずれかの人の目にとまります。一方、インターネットのように無限に拡散していくと、個々が自分の興味に基づき様々なホームページを見に行くためテレビのような確率で視聴者の目に触れることはありません。かといって、すべてのホームページを体系化して広告マネジメントを行うことはまず不可能です。ここにインターネットの広告モデルが成立しない理由があります。ある統計データでは、インターネットに割く時間とテレビ放送に割く時間はそれ程大差ないようです。それでも広告費はテレビ放送がインターネットの50倍近くの金額となっています。これは上述した有限と無限というそれぞれの特徴によるものだと思います。
 ちなみにインターネットに有限性を持たせるための案として、ブラウザにチャンネルボタンを付加することが考えられます。最高10個ぐらいのボタンとして、このチャンネルボタンのリンク権はオークション等で競り落とされることとします。こうすることでブラウザを立ち上げた人がある程度、限られたホームページを見るようになり、広告モデルが成り立ちやすくなるのではないでしょうか。ただし、この仕組みは独占禁止法に抵触する恐れがかなり高いですが。

2002/1/14 『性怠説』
 以前、ネットでインターネットの普及に関する議論をした際に、普及のスピードを重視する人々に対して私はモラル確保等のセフティーネットを優先し、スピードは二の次にして良いという話をしたことがあります。スピードを重視される方々は性悪説を基本的に考慮せず、人間の本来持つ、正しいところへの収束する見えない力みたいなもの、市場で言う「見えざる手」が働くと考えていたようです。私も基本的に性悪説ではないのですが、「性怠説」(造語です)はありかなと思っています。
 世の中における人々の行動は善と悪だけに分かれる訳ではありません。それ自体が社会制度やシステムに反するわけではないのですが、みんながそれをした場合、社会が成り立たなくなる行動というのはたくさんあります。例えば企業でフレックス勤務が認められたからと言って、すべての社員が10時に出社し、9時にお客さんから電話があっても誰も出ない。というのでは、この会社は成り立たないでしょう。
 現在、日本社会が抱えている問題の根底には、この性怠説が大きくあるのではないかと個人的に思っています。国民一人ひとりが、これまで「自分一人ぐらいがやっても大丈夫だよ」、「バレなければ大丈夫」と思ってしてきたことを少しでも減らせば、案外社会はうまく回っていくのではないか、と思っています。ちなみにこの性怠説、だんだん傾向が強くなっていると個人的には考えており、いわゆる「ずる賢い」人が世の中に増えているような気がします。

2002/1/9 『遠慮に見る都市最適規模』
 「関西の人は図々しい」とよく言われますが、東京(広い意味で)の人も負けず劣らず図々しいと思うことが多々あります。東京の人を見ていて思うのは、知っている人、身の回りの人、関係のある人には、遠慮というものを持っているのに、一度、他人の集まりである公共スペース(電車の中、アミューズメント施設等)に行くと、この遠慮というものはなくなり、すごく図々しくなっているように見受けられます。この理由は、知人等の「関係者の目からの開放」というものがあるのではないかと私は考えています。つまり、都市規模が大きすぎるため少し動くと知人等と合う確率が非常に低くなり、図々しい行動をとっても知人等に見られる心配もなくなるわけです。一方、地方の村等に行くと、地域内ではどこでも顔見知りなんてことがあるので、誰に対しても遠慮がちになる傾向があるのではないかと、勝手に考えております。
 私は「図々しい人」が嫌いなので、できれば「遠慮」というものを弁えている人が多い地域に住みたいと考えていますが、そうしますと東京近郊は私にとって大きすぎるまちだと思う訳です。「都市の規模」と「遠慮」は反比例しているのではないか?という話でした。
 とは言うものの、やっぱり関西の人の方が図々しい人がやっぱり多いかも知れません。年齢にもよるけど。

2001/12/18 『表面的なIT化ではない、真のIT化』
 私は仕事柄、統計データを扱うことが多いのですが、地域における情報化、もしくはIT化ということを考える場合、インターネットの利用者数(率)とか携帯電話の利用者数(率)、といった表面的な数字はさして重要ではない、ということを改めて感じております。
 例えば、携帯電話を利用する人が1人増えたとしても、それは携帯電話を活用して通話、メール等のサービスを消費する人が増えただけであって、携帯電話を利用して新しい付加価値を生産する機会が増えたわけではありません。つまり、携帯電話会社の売上が上がるだけで、地域としてそれ程価値はないのです。
 インターネットも同様であり、パソコンを持って、インターネットを利用していても、それが娯楽情報の取得やゲームだけであれば、何ら付加価値を産んでいないわけです。つまり、これまで消費していたテレビゲームや雑誌等のエンターテイメントの消費の一部がインターネットに移動したに過ぎないのです。
 すごく当たり前のことですが、インターネット利用率、携帯電話普及率等の言葉に我々はすごく惑わされてしまします。
 住民の50%がインターネットを利用しているが、その用途のほとんどがビデオのストリーミングである地域と、住民の20%しかインターネットを利用していないが、そのほとんどが電子メール、電子掲示板等を活用して、まちづくりを議論したり、新たなビジネスのネタを協議したりしている地域、どちらが本当の情報化、IT化が進んでいるでしょうか?
 今回私が出張で訪問した国々は日本より携帯電話が使われていませんでした。しかし、これが国の競争力の違いになっているかというと、私はそうは感じませんでした。単に利用者数が多くてもそれは携帯電話の市場が大きいだけであり、競争力には関係ないのです。重要なのは、情報通信技術を活用していかに知的生産性を高めたり、新たな付加価値を創出したりするかということです。(これはITがなくても可能です)
 単にITの利用者を拡大する政策から、ITを活用して付加価値を生産できる人を増やす政策へ。難しいですが、非常に重要な課題です。

2001/11/20 『韓国との競争について』
 最近、ADSLの普及で韓国の情報化の動向が注目を集めていますが、私も興味があり、これまで韓国のインターネット事情に関する文献や資料をいくつか読みました。また、先日出席した地域情報化関連の会議において、韓国インターネット事情に詳しい韓国人ジャーナリスト(韓国のインターネット事情に関する本も出版されています)と話をする機会を得ました。その結果、一部にある韓国に追いつけ、追い越せみたいな風潮は必要ないのではないか、という風に考えております。
 韓国においてインターネットが普及したのは、日本みたいに雑誌やテレビ等のエンターテイメントメディアが十分に発達していなかったこと、テレビゲームがなかったことが大きな要因と予想されます。韓国の人々は娯楽のあるインターネットに殺到したわけです。でも、日本ではインターネット以外にもたくさんエンターテイメントメディアが存在しています。このようなことから無理に韓国を追いかける必要性が薄いのが現実ではないでしょうか。既存のメディアをインターネットに移行した方が効率的で、経済的な発展も望める等の議論もあるとは思いますが、この移行を強制することは難しいですし、経済的な発展に関しても、個人的には大きな疑問を持っているところです。韓国の動向は良い面は取り入れるとしても、あせって追いかけるというものではなく、日本は日本のペースで情報化を進めれば良いのではないかと思う次第です。

2001/11/6 『市場は機能しているのか』
 経済学を勉強する場合、「市場」について考えることを避けて通れません。公共機関が存在する理由として、ある程度の「市場の失敗」があることは事実だと思いますが、市場の機能を完全に否定する議論は現実的ではないでしょう。この市場を考える時、最近、身の回りを見ておかしいな、と感じることがあります。それは価格が一方向にしか動かないことです。
 市場の中心機能として価格調整機能があります。これは、供給が需要を上回った場合、価格を下げ、需要が供給を上回った場合、価格を上げて、需要量と供給量の均衡を図る機能です。しかし、昨今、価格が下がる方にしか動いていないと思うのは私だけでしょうか。現在市場には多種多様な商品やサービスが数えきれないほど提供されていますが、価格が上がった例を見ることはほとんどありません。最近で価格が上がったことが明確に記憶に残っているのは、米不足の時の米の値段ぐらいです。ガソリンや農産物の値段は多少上下するかも知れませんが、ほとんどの商品、サービスは価格が変わらないか、下落しているように思えます。一度設定された価格を上げることは難しいのでしょうか。仮に価格を上げることが現状の市場の仕組みとして難しいのであれば(ADSLの上りと下りのように)、市場の価格調整機能、需給調整機能が充分働かない可能性があるような気がしますし、このような欠陥を是正するために何らかの政策を打つ必要があると思います。単に消費の冷え込みや、消費財の普及等により需要が商品全般において落ち込んでいるのなら良いのですが、本当は上がらなければいけないある商品の価格が上がっていないという例も少なからずあるのではないでしょうか。

 

Copyright(C) Tadashi Mima  ALL Rights Reserved. 

 

  ホームへ      前のページへ