徒然ノート バックナンバー5

思いついたことを徒然なるままに掲載したいと思います。

 

2000/10/30 『お金を使うことに関する満足感』
 経済学では、我々は商品やサービスに対して満足感に応じた対価を支払う、という仕組みを前提にしていますが、果たしてそうでしょうか。時々耳にする買い物依存症とまではいかなくても、我々は「買い物をする(お金を使う)」という行動自体から満足を得ているのではないでしょうか。これを式に表しますと、「商品やサービスに対する支払意思額=商品やサービスの満足度による価値+消費することの満足度による価値」となります。これに基づき以下のような私論を述べてみます。
 世間一般には、高度経済成長期より物が充足していると言われており、日経流通新聞等のアンケートでも「特に欲しい物がない」という回答者が多く見受けられます。このような社会的背景から、私は上記の式の右辺におけるウェイトが「商品やサービスの満足度による価値」から「消費することの満足度による価値」へシフトしてきているのではないかと私は考えています。消費自体の満足度を高める方法はもちろん消費回数を増やすことです。買い物回数に関する経年変化の統計等がないので明確な根拠はありませんが、100円ショップや安価な衣料品店が流行っているのも、不況だけでなく、このような人々の嗜好の変化に起因するのではないでしょうか。極端な話かもしれませんが、買い物をすること自体の満足度の価値が100円以上の方もいるかもしれません。そうしますと、100円ショップで買い物する場合、その物自体の価値が自分にとってゼロ(必要としてない)でも買い物をしてしまう訳です。このような人は理論上100円ショップで買い物をし続けることになりますが、実際には、余計な物を買ってしまっては後で処分に困るので、物自体にマイナスの評価をしているためそのようにはなりません。

2000/10/20 『ユニバーサル・サービスについて』
 これまで電話サービスに関しては、NTT法によりユニバーサル・サービスが規定されてきましたが、それ以外の情報通信サービスに関しては、ユニバーサル・サービスは規定されていませんでした。しかし、IT基本法案では、第一章に「すべての国民がインターネットその他の高度情報通信ネットワークを容易にかつ主体的に利用する機会を有し・・・・・恵沢をあまねく享受できる社会が実現・・・・」と示されており、ある意味、インターネットや高速な情報通信サービスに関してもユニバーサルサービスの概念を適用する風にも解釈可能な気がします。また、第二章にも「広く国民が低廉な料金で利用することができる世界最高水準の高度情報通信ネットワークの形成」という文言が使われていることからも、この解釈が可能です。
 ただ、インターネットや高速通信に関して、どのようにユニバーサル・サービスを確保していくか、ということに関しては未だに未検討の部分です。電話同様NTTに光ファイバーのユニバーサル・サービスを義務づけるのでしょうか。それともユニバーサル基金のようなものを設定するのでしょうか。現状では、過疎地のこのような高速通信サービスに関しては行政が主導している事例が多いように見受けられますが、これが望ましいかどうかは疑問が残るところです。また、これらの事業は初期費用に関する補助金等により成り立っている場合が多く、ランニングコストに関するユニバーサルな分配に関しても未整備と考えられます。いずれにしても、IT基本法の施行に際して、このような高度な情報通信サービスのユニバーサル化実現方策の検討が不可欠と私は考えます。

2000/10/11 『インターネットの普及スピードのウソ』
 よくインターネットのインパクトの大きさを説明するのに普及に要した時間が使われますが、あれは間違っていると私は思います。建設省の資料によると、10%の普及率を超えるのに電話で76年、ファックスで19年、移動体通信で15年を要したのに、インターネットはわずか5年しかかからなかったことになっています。はたしてそうでしょうか。現在でも我が国の大手インターネットプロバイダーであるNIFTY、BIGLOBEは当初、パソコン通信サービスとして事業を始めており、パソコン通信サービスの会員であった人の多くが自動的にインターネットサービスの会員へと移行しました。パソコン通信はと言いますと、その歴史は古く、(財)ニューメディア開発協会の資料によると1984年以前から始められていることが分かります。つまり、パソコン通信の段階からの利用を踏まえると「10%の普及に5年しかかからなかった」という表現は適当ではないのです。確かにインターネットのサービスはパソコン通信と異なる部分も多々ありますが、パソコン通信の延長として発展した部分が存在することを無視して議論するのは望ましくないでしょう。

2000/10/9 『定住とまちづくり』
 経済学的にまちの発展を考える場合、移動コストがないという仮定を置く場合が多いと思われます。移動コストが低い程、いわゆる「足による投票」が可能になり、良いまちと悪いまちの違いがはっきりします。人々は良いまちに移り住みますが、ある程度集積すると、集積のデメリットが出てきて、他のまちと均衡することになります。こういうまち同士の競争を考慮すると移動コストがない方が望ましい気もしなくはありませんが、自分の身のまわりを見るとそうでもないと感じます。いつでも引っ越せるが故に近所の環境があまり気にならないというのが、人間の心理の中にあるのではないでしょうか。家を買って定住することを決めると、自分の家の中だけでなく、周りの環境も気になるでしょうし、町内会とかで掃除等、環境美化に努めるかもしれません。逆にいつでも引っ越せるような人は、自分の住んでいる家の近所でも平気で投げ捨て等をする可能性があると私は思います。このように考えますと、定住には「正の外部性」、移動性の高い住民には「負の外部性」があると考えることもできるでしょう。
 ただし、まちづくりは定住だけで決まるわけではありません。定住だけを考えると持ち家比率の高い地域が、良いまちということになるかもしれませんが、一概にそうなっていると私は感じていません。実際には、住民の出入りがいくらかあり、ある程度変化があった方が、人間の心理としては良いのではないでしょうか。そう考えると、定住にも「変化が少ない」というデメリットがあり、移動性の高い住民にも「変化を生む」というメリットがあります。つまり、まちづくりにおいて定住はある程度必要な要因でありますが、全員が定住ではベストな環境になると思われず、適当な割合で移動性の高い人々が住む必要があると私は考えています。その比率や配置に関しては今後の検討課題ですが。

2000/9/26 『選挙について(part3)』
 電子政府では、オンラインでの申請・手続が注目されがちですが、我々の考えを政策に反映する最も有力な手段である選挙に関してもIT化の波が押し寄せてきています。米国では、今年の3月にアリゾナ州で行われた民主党の予備選挙で電子投票が行われ、投票数約86,000票に対して実に約39,000票がオンラインで投票されたそうです。また、この結果、投票率も前回と比較して大幅に向上したそうです。このような電子投票の効果を見ると、今後、我が国でも投票率を高める手段として電子投票を取り入れることが想定されます。
 ここで提案が2つあります。一つは、我が国の携帯電話の普及を考えると、パソコンからのオンライン投票ではなく、むしろ携帯電話でのオンライン投票を実現すべきであるということです。投票率の低いであろう若い世代程、携帯電話の所有率は高く、そういうことを考慮しても、携帯電話からの投票は有効であると考えられます。もう一つの提案は、持ち票数を複数にしてはどうか、ということです。例えば一人10票持ち、それを候補者の政策に応じて自由に割り振ることができるようにするのです。この場合、公共選択論等から中間的な政策の候補者が増加する恐れもありますが、無党派層が増加している現在、この方が適切な票配分が実現できるような気がします。電子投票になれば、各候補者別の配分を数字で入力するだけなので、労力的にも大きくないし、エラーもチェックでき、集計も容易なので実現可能です。
 以上、思いつきの提案ですが、いかがでしょうか? 

2000/9/20 『ビラ配りの効果』
 私が通勤している東京都港区田町駅では、駅を出たところ等で朝ビラ配りを行っていることが少なくないですが、その効果はどの程度あるのだろう、と常々疑問に思っております。ビラ配りの効果はビラの内容にもよりますが、私はビラを配っている人によって大きく左右されるのではないかと思います。大きな声で「おはようございます」と挨拶しながら、礼儀正しく頭を下げてビラを配っていると、いつもはビラをもらわない私でもついついビラをもらってしまいます。逆に嫌々ビラを配っているように見える場合は、誰も受け取らないでしょうし、効果はあまり上がらないでしょう。かえってマイナスのイメージを植え付ける可能性もあります。実際、本日、某大手旅行代理店がビラを配っていたのですが、3人配っていた内の1人は明らかに嫌々配っており、私のこの企業に対するイメージは悪いものとなりました。私の心象だけで断言するのも変ですが、ビラ配りに関しては、人選がその効果を大きく左右すると言えるでしょう。

2000/9/12 『自動車のBTO』
 以前にも書いたかもしれませんが、私は自動車が好きで、自動車の雑誌を定期的に買ったりしています。また、自動車のビデオ等もたくさん持っています。学生時代所謂「走り屋」という部類の底辺ぐらいにおり、峠を攻めたりしていましたし、サーキットにも走りにいきました。現在乗っている自動車はこの学生からの付き合いで、かれこれ10年間乗り続けています。そういうこともあり、最近、新しい自動車を買いたいという気持ちが結構あるのですが、各社の製品ラインナップを見ると、どうも私のニーズに合致するような自動車がないのです。そこで、わがままを言わせていただくと、パソコンに見られるようなBTO(Built To Order)形式で自動車も組立販売してもらえいかと思っております。つまり、エンジンはA社、シャーシはB社、足まわりはC社という風に自分の好みのパーツを組み合わせて好きな自動車を作りたいのです。実際にはパソコンと異なり、規格の標準化が進んでいない自動車業界では、同一メーカーの同系統車種の間でパーツの交換ができるのみで、メーカーを超えた交換はできる状況にはありません。また、エンジンに当たるCPUのみを生産している企業が存在し、しかもこれが寡占状態にあるパソコン業界と、自動車業界が異なることも分かります。でも、ここで敢えていくつかの自動車メーカーがもう少し規格の共通化してくれると、消費者としての選択の幅が大きく広がるような気がするのは私だけでしょうか。近い将来、このような兆候が出てくることを願いながら、私は今日も自動車雑誌とにらめっこしています。

2000/9/10 『電子政府と電子自治体の違い』
 昨今、政府予算におけるITへの注目、ミレニアム・プロジェクト等を背景に「電子政府」という言葉が頻繁に聞かれますが、これに混じって「電子自治体」という言葉も聞かれるようになってきています。電子政府は電子自治体を包含するものとも考えられるわけですが、ここでは「電子政府=中央省庁」、「電子自治体=地方公共団体」と区別して考えます。電子政府に関しては、ここ数年の計画的な取り組みにより急速な進展が予想されるわけですが、電子自治体に関しては、これにスムーズに追随するというわけにはいかないような気がします。以下に、電子政府と電子自治体の違いについて整理してみました。
 まず、IT化の進展に関しては、中央省庁と地方公共団体では大きな違いが存在します。中央省庁では、一人一台のパソコン環境、LANの整備が完了しているのに対して、地方公共団体でこのような環境を実現しているのはほんの一部です。加えて、IT化に関する取り組み等に関しても、均質的な取り組みを実現している中央省庁と比較して、地方公共団体では各地域により大きなばらつきがあります。
 次に行政サービスの対象ですが、中央省庁が主に企業を相手にしているのに対して、地方公共団体は住民を相手にしています。企業のIT化は急速に進んでいますが、住民のIT化は進んでいるとは言え、企業ほど進んでおらず、また地域格差も見られます。つまり、サービスの受け手を考えても電子政府より電子自治体は実現の困難さが窺えます。
 この他に、IT化の予算確保の容易さも異なるのではないかと考えられます。予算要求に関して比較的裁量があり、トップダウンで情報化の進展が可能な中央省庁に対して、地方公共団体は昨今の逼迫した財政の上、その予算配分にも十分な柔軟性が確保されているとは言えません。また、中央省庁の支援施策も地方公共団体のIT化ニーズに十分に対応したものとはなっていないような気がします。
 このようなことから「電子政府の次は電子自治体」、と同様の手法で安易に考えるのではなく、特性の違いを加味して中央省庁は支援を行う必要がありますし、地方公共団体でも取り組むことが望まれます。

2000/9/5 『ピア・トゥ・ピアの仲介サービスについて』
 参加しているあるMLで上記の話題が出たので少し考えてみました。
 インターネットの世界、特に米国を中心にGnutella、Napsterといった、ユーザーのコンピュータのピア・トゥ・ピア接続を仲介し、ファイルの交換を支援するサービスが普及してきています。ユーザーはGnutellaやNapsterのサーバに接続して、自分の欲しいファイルを指定すると、そのファイルを持っているコンピュータに飛び、ダウンロードできるという仕組みです。GnutellaやNapsterのサーバ自体はデータを蓄積していないので、配信サービスには当たりません。ただ、このファイル交換支援が違法かどうか、現在大きな焦点になっています。
 例えば、NapsterはMP3という形式で圧縮された音楽のデータの仲介サービスを提供しているわけですが、違法にコピーされた音楽が流通しているとしてRIAA(米国レコード協会)らが訴えを起こしています。Napster側の言い分としては、消費者間の商用でない複製の権利は認められている、音楽は試聴が中心である等となっており、確かに我々が友達に音楽をダビングしてあげることのネットワーク版とも考えられるわけです。
 ある範囲内でこのようなサービスが利用されるのであれば、逆に音楽の消費拡大にも繋がると考えられますが、インターネットの急速な普及を見ますと、「友達の友達は皆友達」というどっかで聞いたフレーズではないですが、見境のないコピー配布と変わらなくなる恐れもあります。実際、米国で大学生対象に行われたアンケートでも、4割弱の学生が100曲以上をダウンロードしており、オリジナルのCDを作成している、と回答しており、CD等の販売低下に結びつく可能性を多分に秘めていると予想されます。
 つまり、現状の利用レベルでは問題ないのかもしれませんが、今後利用者が拡大するようであれば、CD等の売上低下をもたらし、著作権保護の観点から問題になる可能性が大きいわけです。「音楽用のファイルに関しては圧縮しているため質が落ちるので、本当に聞きたい人はCDを購入する」、という弁護も言われていますが、今後、通信回線の高速化、定額化が進めば(米国では定額は珍しくありませんが)、高品質のデータが出回ることも考えられます。
 上記のようなことを考慮しますと、このようなピア・トゥ・ピアの仲介サービスには、著作権の観点から違法性を多分に含んでいるため、何らかの対処が必要だと考えられます。私見としては、一律に禁止しないまでも、データの品質を一定以上に上げないとか、データの容量やダウンロードできる曲数を制限する(10曲/月等)とか、何らかしたの規制を設ける必要があると考えております。しかし、あくまでもデータの交換が個人の間で行われているとすると、このような規制が機能するかどうかは疑問な部分です。

2000/8/30 『同じ価値観を持った地域コミュニティ形成の可否』
 都心のように住宅が密集していると、狭い地域にたくさんの人が住んでおり、住民の価値観も多様です。環境やゴミ問題に関心のある世帯の隣には、浪費家の世帯が住んでいたりしますし、動物アレルギーを持つ人の家の隣に愛犬家が住んでいたりします。このように価値観が多様化する中で、近隣間の問題によるストレスを少しでも軽減し、地域内のコミュニティの結束を高める手法として、同じ価値観の人を集めるということが考えられるのではないでしょうか。実際、マンションや住宅団地で住民を募集する場合、その立地、価格、デザイン、ペットの可否、機能等により、ある程度価値観が似通った人が集まるとも考えられますが、細かな嗜好、考え方までは分かりません。もっと細かな制約を付けて住民を募集することにより、近隣に対する住民の安心感は格段に高まりますし、トラブル等も軽減されると思います。
 一方、同じような価値観の人が集まることでその価値観が標準であるとの錯覚が形成され、他の価値観を受け入れられなくなる等、負の側面も危惧されます。もし、この負の側面がそれ程問題とならないのであれば、細かな嗜好基準で住民を集めることがまちづくりにおいて有効だと私は思うのですが、皆さんいかがでしょうか。

2000/8/17 『我慢を教えられない親達』
 最近、少年犯罪が頻繁に報道されますが、この背景には掲題にあるように我慢を教えることができない親の存在があると、私は考えております。これまでの少年犯罪に関する報道を見ていると、犯した若年層に共通しているのは、自分の欲求や感情の起伏だけを優先して、相手のことを全然考慮できない、ということだと思います。つまり、今の子供達は自分の欲求や感情を抑えることができないのです。なぜ、できないか、これは簡単です。親達が我慢できないため、それを見て育つ子供達も我慢ができないようになるのです。
 今日、テレビで放送していたニュース番組の花火に関する特集からもこれが窺えました。ある河原で花火をしていた親子連れにアナウンサーがインタビューして、「ここは花火禁止になっているみたいですけど」と質問すると、親は「他に場所もないし、子供達も楽しんでいるからいいのでは」と言ってました。その親の側にいた子供達は、「花火禁止なのは知っているよ」、「いいよ、やっちゃえ、やっちゃえ」とルールを守ることの必要性を微塵も感じさせず、親もそれを注意する気持ちはないようでした。
 これ以外にもお盆中、色々と人が集まる場所に行く機会があり、やはり「この親にしてこの子あり」と思う機会は多々ありました。このように考えると、やはり少年犯罪の元凶は今の我慢できない親達にあり、我々大人達の間でもモラルを維持するような取り組み、社会教育が必要ではないかと、ひしひしと感じます。はっきり言って、子供達の義務教育と同様に、大人達にも義務的に受けなければならない生涯学習的な道徳・モラル教育を設けることが不可欠な域にまで来ているのではないかと、私は危惧しています。
 いつも悲観的ですみません。

2000/7/29 『ネット化社会における行政単位』
 インターネットの普及にともない、経済活動そのもののスピードが加速し、ビジネスだけでなく、行政活動や、生活においてもネット化の波が押し寄せてきています。このような折に私が考えるのは、やはり大きな国ほど、動きが遅くなるのではないか、ネットワーク社会への対応が遅れるのではないか、ということです。日本はその典型的な例だと思います。世界でインターネットの普及が進んでいる国を見ると、米国以外は概ね日本より人口が少ない国であります。特に北欧各国やアイスランド、シンガポール等はその顕著な例で、訪問したことはありませんが、関連した資料を読んでいると「小回りが利く」という印象を受けます。また、米国に関しても、日本と典型的に違うのは地方分権が進んでおり、基本的には各州レベルで政策が展開されているといことです。先頃、日本でも電子署名に関する法律が成立し、続いて米国においても成立しましたが、米国の州政府レベルでは以前から同様の法律が成立していました。
 このようなことから我が国の人口規模は現状のネットワーク社会において大きすぎ、もっと小さな国家、行政単位で迅速な政策を展開できるよう、分割するなり、分権化した方がいいのではないかと考えます。現状の人口規模でも国が国民に対して強力なイニシアティブを発揮できれば、急速なネット化を導くことができる可能性もありますが、現状の官僚組織、政治体制では、難しいと言わざる得ないでしょう。英国やニュージーランドに見られるドラスティックな改革が今こそ我が国で必要なのではないでしょうか。ちなみにMITのブリンジョルフソン教授の研究によると、企業に関しては組織の分権化が進んでいないのにIT化を進めると返ってマイナスになるそうで、これは行政にも当てはまるのではないかと私は考えております。

2000/6/30 『選挙について(part2)』
 衆議院議員選挙が終わりました。結果、自民党は議席を減らしはしましたが、連立における安定多数を確保して政権を護りました。今回の選挙で再確認したのは、住民の政治への関心度はそれ程高くないこと、マクロ的な効果が考慮されていないこと、そして世代間で志向が大きく異なることです。
 政治への関心の低さは私が行った投票所に掲示してあった投票率からも窺えました。私は夕方に投票に行ったのですが、残すところ2時間でも投票率は30数パーセントでしかありませんでした。また、一部の当選者の顔ぶれを見ても本当にその人の能力を評価して選んでいるのか疑問に思える部分もあります。問題を起こした政治家が再当選するのは、地方へのこれまでの貢献や、その人のお金(補助金)を取ってくる能力を地域が高く評価しているためでしょう。しかし、これまでもそうでしたが、問題を起こした政治家が国にとって、つまりマクロ的な観点で見て望ましいかどうかということはあまり考えられていないように感じます。最後に世代間の志向の違いですが、これはあるホームページのアンケートからも窺えます。あるホームページでアンケートした結果、今回の選挙の結果が望ましくないとする人が約8割にも上っています。つまり、インターネットを利用している世代では連立政権存続には反対している人の方が多いわけです。それにも関わらず選挙結果がこのようになったのは、上記の要因にプラスしてインターネットを使わない高齢者層等が政権を存続するような投票を行ったためではないかと考えます。

2000/6/19 『郊外の居酒屋への疑問』
 自動車を運転していて気になるのですが、郊外にいくと、幹線道路沿いに立地する居酒屋さんをたまに見かけます。この居酒屋さんは大きく居酒屋と看板に書いており、また、大きな駐車場を完備しております。居酒屋とあれだけ大きく書いていることから、食事だけの客は少ないと考えられますが、どう考えても客は徒歩では来ていないようです。つまり、飲酒運転で帰るのを前提にした飲み屋さんということになります。確かに運転代行サービスもありますが、全員がそれを利用しているとはとても思えませんし、少なからず、飲酒運転で帰っている客がいるはずです。
 逆に警察では、この店の近辺で見張っていると、必ず飲酒運転の人を捕まえることができるような気がします。でも、実際には、そのようなことは行われていません。これにはいくつかの理由が考えられます。警察のこのような行為は郊外居酒屋には致命傷になり、店をつぶし兼ねませんし、その地方に入ってくる税金減少にも繋がります。また、家が密集しておらず、自動車による移動を前提とした郊外地域では、地元にお金を還流させるため、このような行為を容認しているとも考えられます。
 私の推測が絶対とは言い切れませんが、このような実状が少なからず存在すると考えられます。ただ、個人的には、このような法の運用が望ましいのか、地域の発展が望ましいのか、ということは疑問な点もあります。先日、酔っぱらいに息子をひき殺された母親のインタビューをテレビで見ましたが、このような悲劇が起こる確率が少なからずあることを考えると、何らかしたの対応が必要なのではないでしょうか。例えば、郊外の居酒屋数軒で共同バスを運行するとか、いくつか方策はあると思います。もし、居酒屋間でこのような調整がないのであれば、行政なりNPOなりが、調整役を買って出ることも必要なのではないかと私は考えます。

2000/6/13 『麗しの書斎』
 私はそれ程たくさんの本を読むわけではありませんが、ある程度本を所有しており、本棚に入らない本は衣装入れにしまっております。また、本や資料を散らかす癖があり、何か作業をしていると、それに関連した資料をあちこち、手の届くところに散財させ、結局使わないまま、ということも少なくありません。加えて、パソコンを使って文章を書くに際して、できるだけ多くの書類をまわりに広げたいと考えております。そんなこんなで、やはり書斎が欲しいとつくづく思う今日この頃です。大きさは4畳程度でいいのですが、広い両袖机にあとは本棚みたいな書斎があると、何かと便利なような気がします。ただ、やはり整理整頓は死ぬまで付いてくる課題のような気がします。今後、デジタル化が進んでも、依然として紙の資料はなくならないでしょうし、情報が氾濫していることを考えると今後更に資料が増大することすら予想されます。そんな中で狭い書斎を効率的に活用するためには、やはり整理整頓が不可欠でしょう。ああ、早く自分の書斎が欲しいことよ。

2000/6/6 『創造的な情報の重要性』
 あることを思いついてやろうとするとよく「前例は」という言葉を伺います。これは我が国だけなのでしょうか、それとも他の国でもそうなのでしょうか。もし、そうでない(我が国だけ)としたら我が国のこのような風潮は新しい取り組み、創造性の芽を摘んでいることになります。以前、ある雑誌で読みましたが、米国人と比較すると日本人は創造的な性格を持った遺伝子の割合が少ないそうです。これが事実とは思いませんが、上記のような風潮が創造性を殺していることは否めません。最近のビジネスモデル特許の流行は、それ自体は米国からの輸入でありますが、新しいものを考え出そうとする風潮を根付かせ、アイデアを出し、それを育てることの重要性を啓蒙する意味で有効な気がします。特許に限らず様々な面で創造的な情報を生み出すことが求められており、個人的には、特に米国発のものがほとんどを占める経営手法等において、我が国オリジナルのものを創り出す必要があるのではないかと感じております。

 

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