徒然ノート バックナンバー2

思いついたことを徒然なるままに掲載したいと思います。

1999/10/7 『インターネット普及による環境悪化(負の外部性)...』
 インターネットは情報通信ネットワークなので、普及が進むことによりネットワークの外部性(ある人の行動が市場を介さないで他の人に与える影響、正の外部性は便益で、負の外部性は負荷)が発生すると言われていますが、こと私に関しては普及による負の外部性が大きいような気がします。かれこれ5年ぐらい前にオフィスで使い始めた頃には、利用者も少なく、快適な利用環境であったのですが、最近では社内における著しい利用者の増加にともない、電子メール以外の使い勝手、特にWWWの使い勝手は悪くなる一方です。探したいホームページを指定してもレスポンスが悪くなかなか表示されないですし、検索サービス等を活用してもなかなか検索結果が返ってきません。利用者に応じてインフラの充実も進められていると思われるのですが、利用者の増加に追いついていないようです。加えて、従来、利用していたパソコン通信経由のデータベース検索サービスもWWW経由に切り換えられてしまい、常に一定の速度でサービスを利用できたパソコン通信に郷愁のようなものを感じてしまいます。
 一般に「ネットワークの外部性」(以下の表はインターネットの例)とは「正の外部性」を意味しているみたいですが、実際には「負の外部性」もありますので、インフラや法制度の整備、技術革新等で負の外部性を中和するためコストを正の外部性から差し引いた物が純外部性と考えられるでしょう。

正の外部性 ・情報提供・予約・オンラインショッピング等のサービス充実
・サービスを利用できる機械(インターネットテレビやiモード)や場所(車内、遠隔地)の拡充
情報交換できる相手の増加
・分からない点を教え合える相手の増加
負の外部性 ・利用者増加によるネットワークの混雑
・情報の氾濫による必要な情報の埋没
・有害な情報やコンピュータ・ウィルスの問題

1999/9/29 『朝の通勤混雑について』
 私は朝の通勤混雑が嫌いです(好きな人はいないと思いますが)。混雑している状態が嫌いだというのもあるのですが、それよりもっと嫌いなのは混雑状態の中でほとんどの人が流れに身を任せている状態です。メチャクチャすし詰め状態で足場が確保できない場合もあるとは思いますが、そうでない場合でも自分で踏ん張って立とうという気持ちが感じられないことが多々あります。確かに流れに身を任せた方が安全という話もあるのかも知れませんが、乗っている方の大部分が踏ん張れば、それはそれで問題がないような気がします。このほとんどの人が流れに身を任せている満員電車の状態が、今の日本社会の現状を象徴しているようにも感じており、そういう点でも個人的にすごく嫌悪しています。そういう訳で、たまに手すりに捕まって踏ん張っているおじさんなんかを見ますと、「お、頑張ってますね」と少し嬉しく思ったりします。

1999/9/22 『まず紙で・・・』
 私は地域情報化に関するコンサルタントとして地方公共団体のお手伝いをす ることが多いのですが、インターネットや光ファイバー等を検討する以前に紙ベ ースでの情報が地域や庁内においてうまく流通していない事例をたまに目にしま す。
 例えば、庁内で作成された計画書等が図書館で公開されていないのに、イン ターネットへの掲載を検討する等は、順序が逆であり、本末転倒のような気がし ます。インターネットは昨今注目を集めている情報通信メディアではありますが 、まだまだ国民全体に普及しているとは言い難く。そういう現状を考慮しますと 、紙や電話、フェイス・トゥ・フェイスの情報交換、コミュニケーションが基本にあり、これをインターネットで補完していく形になると思うんです。したがって、地 域情報化の検討を行う場合においても、新しい情報通信メディアの活用だけでな く、紙ベースの情報の流通に関しても同時に検討する必要があるのではないでし ょうか。

1999/9/7 『追伸〜それならこんなとこ来るな』
 先程も書きましたが、私グアムにバカンスに行ってました。そこで、少し不 愉快な思いをしたので書かせていただきます。最近、日本でもアウトレット・モ ールが注目を集めていますが、グアムにもアウトレット・モールがありまして、私もそこ に行きました。そのモールからホテルに帰るバスに乗った直後の事ですが、後ろ に乗っていたカップルの男の人が「こんなとこでいっぱい買い物するなら日本で 使ってGDPに貢献して欲しいよなあ」と連れ合いの女の子に言ったのです。私 は自分に向かって言われた訳ではないのですが、こんな身勝手なことを言うバカ なヤツがいるのかと思うとすごく不愉快になりました。「そんなことを言うのな ら自分がこんなところに来ないで国内のリゾート地に行け」という感じです。ホ ントつまらないことですが、妙に心にひっかかって不愉快な一言でした。

1999/9/7 『地域のプロデュースについて』
 私事ですが、先日までグアムに行ってました。日本人ばかりであまり異国情 緒みたいなものは感じられませんでしたが、夜に綺麗なネオンが点灯していたの が、印象に残ったことの一つです。確か半年か1年ぐらい前に某大物音楽プロデ ューサーを起用して観光イベントを行った名残だと記憶していますが、なかなか 面白いと思いました。
 近年、音楽分野でもプロデューサーが注目を集めるようになってきましたが 、「プロデュース」とは「演出する」とか「創作する」といった意味だそうです 。グアムでは、音楽プロデューサーという異分野の才能を活用して、地域のプロ デュースを試みた訳ですが(ネイムバリューを重視したとも見れますが)、日本 でこのような試みを行っている地域はあるのでしょうか。少し考える限りあんま りないような気がします。
 無責任なことを言っているかも知れませんが、地域振興、特に観光分野の振 興という観点では、有名なアーティスト(音楽、芸術等)に地域のプロデュース を依頼するような発想の柔軟性があっても良いのではないでしょうか。

1999/8/30 『フリーメールについて(タダより高いものは...)』
 某企業が運営するフリーメールサービスにおいてサーバに障害が起き、メー ル情報の一部が消失したそうです。確かブラウザを使ってメールの送受信ができ る仕組みになっており、普通のメールみたいに自分のパソコンのメーラー(メー ルソフト)に履歴等が蓄積されるわけではなく、すべてサービス提供企業のサー バに蓄積されるようになっていた気がします。したがって、サービス提供企業の サーバに障害が発生すると一度に利用者全員のメール情報が消える可能性もあり 得ます。ただ、利用者はタダでサービスを提供してもらっているので、問題が起 こってもクレームがつけられないみたいです。有料サービスなら補償を求めるこ とも可能でしょうが....そういうことを考えると、やはり「タダより高いも のはない」なんて思ってしまいます。実際ところ、サービス提供企業はこのサー ビスで広告収入を得ているので、このような問題が発生しないようにする誘因も あるのですが、何かあった時に相手に強く言えないということを考えると私はど うしても無料サービスの利用に及び腰になってしまいます。

1999/9/28 『観光と一般消費について』
 私が徳島県出身であることは以前にも書いたことがあるかも知れませんが、 私の郷里に関する情報が流れてきたので、それについて少し書きたいと思います 。
 私の郷里である徳島県では昨年の観光客数が前年比約30%増となったそう で、特に県外客の増加が顕著だそうです。これは明石海峡大橋開通や関連イベン トが貢献したということで観光消費額も同様に約30%増加しているみたいです 。このようなニュースは郷里から離れながらも密かに郷里の繁栄を願っていたり する私のような者にとって少しうれしく感じます。
 しかし、このニュースを郷里が活性化していると一概に喜んで良いのか少し 考えるところがあります。私は毎年夏に帰りますと、昔のサッカー部の仲間と飲 みに行くのですが、徳島で働いているヤツ曰く、「やっぱり神戸とか大阪に買い 物に行く機会が増えたわ」だそうです。従兄弟とか、他の友達に聞いてもやはり 同じようなことを言っていたような気がします。そういうわけで、もし、県民の 所得が大きく変わっていないとすると、日常の買い物等の一般消費に関しては、 県内での消費額が減少し、県外への消費流出が進んでいるのではないかと危惧し てしまうのです。

1999/8/23 『TMOについて』
 昨年、中心市街地活性化法(正式には「中心市街地における市街地の整備改 善及び商業等の活性化の一体的推進に関する法律」)が施行されてから1年が経 過しましたが、中心市街地活性化の主体として想定されているTMO(タウンマ ネージメント機関)について考えるところ整理したいと思います。今更、と思わ れる方もいらっしゃるでしょうが、ご容赦下さい。
 まず、中心市街地活性化法ですが、省庁横断的な支援施策と唱われているも のの、各省庁の支援施策の寄せ集めとの批判も見られ、この縦割り行政がTMO にも色濃く反映されているように見受けられます。TMOの発想が通商産業省か ら出されたこともあり、「タウンマネージメント」というよりは「商業振興」と いう面が強調されている印象を受けます。それを如実に表しているのが「TMO 構想」の別名でして「中小小売業高度化事業構想」となっております。また、建 設省においてTCB(タウン・クリエイション・ボード:街なか創造運動の推進 組織)なるものが提案されていることも、縦割りの一端を表しているのではない かと思います。
 もし、TMO(タウンマネージメント機関)という名称を使うのであれば、 商業だけでなく住民、コミュニティ、NPO等を巻き込んだ真の意味での街づく り推進体制となるべきであると私は考えていまして、既存の商工会議所等がTM Oとなる場合、どこまで理想的なTMOに近付けるか疑問であります。

1999/8/16 『引っ越しと流行廃り』
 私事ですが最近引っ越しをしました。私は物持ちがいい方なので、引っ越し をする時に捨てるものがたくさん出てきます。個人的には捨てたくないものも沢 山あるのですが、持っていても使わない物や、使えない物がいつの間にかたまり にたまって、引っ越しの時に一気に捨てるという感じになります。本来なら、随 時、取捨選択し、捨てていれば、こんなに一度に沢山のゴミを出さずにすむので すが、この変がどうもうまくありません。
 そこで、ふっと考えたのは、流行に敏感で、前の流行を忘れるのも早いよう な人達(俗に言う、流行を追いかけている人達)は、私と逆でこのような取捨選 択が機敏なのではないかということです。私は流行ばかり追いかけている人をあ まり良いイメージでは見ていませんでしたが、不必要な物を素早く切り捨ててい くという能力においては見習うべきところもあるのではないか?なんて現在思っ ております。
 他方ではもちろん環境問題等も考えることが必要なんですが.....

1999/7/29 『ダサイについて』
 ずっと前に雑誌か何かで読んだ記憶だと「ダサイ」の語源は「ダさいたま」 だそうで、東京の人から見て、埼玉の人が流行から遅れているためにできたと覚 えています。つまり、流行遅れだと「ダサイ」のです。私も大学生ぐらいの時は 流行を気にしていましたし、流行に遅れている人を「ダサイ」と言ったことも少 なからずありました。でも、最近テレビのニュースで聞いてショックを受けたの は、「援助交際はもうダサイよね」という女子高生の一言でした。と言うことは 、援助交際は一種の流行だったのです。
 私は流行というものは結局人間の表層的な部分の変化であり、人間の根本的 な部分は時間をかけてじっくり形成されるものだと思っていましたし、私自身も そうだったと思います。でも、今や流行は援助交際といった、その人の存在の根 本に関わる(少なくとも私はそう考えている)に至っているのです。このような 現象(その人のものの考え方の大部分が流行に支配される)が起こったのは、マ スメディア等にも原因があるかも知れませんが、幼少教育における哲学的な部分 の欠如も関係しているのではないかと個人的に考えています。週休2日制のため 道徳の時間が削られているという話を学校の先生に聞いたことがありますが、無 宗教の我が国では、幼少期に道徳や哲学的なことを教える時間が非常に重要な気 がします。
 人間の根本となる考え方の部分に「ダサイ」は存在するべきではないと思う のは私だけでしょうか。

1999/7/23 『パソコン無料配布について』
 最近、パソコンの配布が注目されていますが、その理由を改めて考えてみま した。 無料配布する理由の1つはパソコンのコストを利用料に添加し、利用料 で利益を上げようとする発想だと思います。これは一時期、携帯電話やPHSを 無料で配っていたのと同様だと思います。日本で最近無料配布を始めた某社では 、特定のプロバイダーとの契約や、パソコンの保守契約、オンラインショッピン グの利用等を無料配布の条件としており、プロバイダーの利用料の一部やオンラ インショッピングの利益でパソコンのコストを上回るメリットを期待しているの だと予想できます。
 もう1つの理由として考えられるのは、情報の提供、収集等、マーケティン グの手段として配布したパソコンを利用し、そのマーケティングサービスを企業 に提供することにより利益を上げるという発想です。プッシュ型情報を受け取る 仕組みにしたパソコンを配布すれば、パソコンは有効な広告手段となります。ま た、逆に月に何件かアンケートに答えてもらうという前提でパソコンを配布すれ ば、テレマーケティングの手段としても活用できます。
 個人的には、自分の好きなパソコンを選びたいし、色々と制約を受けるのが 嫌いなので、こういうサービスを利用することはありませんが、消費者の選択肢 が拡大し、コンピュータ等の普及に貢献すると考えられます。

1999/7/19 『人間の追従性について』
 つい最近、横断歩道で人が自動車に跳ねられそうになったところを目の前で 見ました。跳ねられそうになったのは大学生ぐらいの女の子でしたが、前を歩い ている人が渡っていることから信号を見ず、また左右の確認もせず渡ろうとした みたいです。行動科学に関してはまったく無知な私ですが、我々人間には他人に 追従する本能が隠されていることはまず間違いないことでしょう。例えば、駅の 改札で切符を通す時でも、他のゲートが空いているにも関わらず、他人の後ろに 並んでしまうということはよく見かけられ、これらは気付かない内に自然と行わ れています。
 この本能自体はそれ程悪いとは思わないのですが、「赤信号みんなで渡れば 怖くない」という風に、各個人の善悪の判断をねじ曲げたり、自己判断を歪めた りしている場合があるのではないでしょうか。また、見方によっては、追従する ことで自己判断することを怠けているという捉え方もできます。...と、考え るとあんまり良くないですね(``;。個人的には欧米の国々の人々と比べて、 日本人は追従性が強いのではないかと考えており、この辺は生活における豊かさ なんかが関連しているのかな?と思ったりしています。

1999/7/8 『少子化』
 少子化って本当に問題なのでしょうか?自分の老後だけを考えると若年労働 力がいないと不安な気はしますが、長期的に考えると、人類や地球にとっては良 いことなのではないか?と思ったりします。地球への負荷を考えると我々人類の 及ぼす影響は他の動物に類を見ない域に達しており、特に先進国に住む我々一人 一人が地球に与えている負荷や負の影響は決して小さなモノではないでしょう。 我々の存在のそういう負の側面を考えると、ゆくゆくは人口の減少につながる少 子化は悪いことではない、という捉え方もできますよね。
 しかし、現在の一般的な社会的見解としては、人口構成のバランスや、将来 の生産力人口の減少等を考慮すると少子化は望ましくないとされており、多くの 児童福祉施策等が講じられています。でも、はっきり言って、子供を産もうと誘 因になる施策は少なく、インパクトとしては甚だ弱いと思います。特に東京では 、私学を中心とした教育からくる高い教育費、もしくは現在問題になっている「 学校の崩壊」、あと高い地価(安くなったとはいえやはり高い)等から出生率が 極端に低く、このような出産・育児に対してネガティブな側面を、打ち負かすだ けのインセンティブが欲しいところです。例えば2人目の子供が産まれたらお祝 い金100万円等、ちびちびした扶養控除よりも短期的にメリットが見えやすい 出産促進施策はいかがでしょうか。個人的にはもっと高額でないと有効でないと 考えていますが。

1999/7/5 『モラル育成を!!』
 私の1番の趣味がサッカーであることは前に書きましたが、2番目の趣味は 熱帯魚の飼育で、飼育歴は小学校4年生からと長いです(途中10年ぐらいあい てますが)。で、今日、この私の趣味に関わるニュースを聞いてガックリしまし た。ニュースは2つとも飼いきれなくなって放流した生き物が捕獲されたという もので、1つは瀬戸内海でアリゲーターガーという大型魚が、もう1つは埼玉で ワニガメという大型の亀が捕獲されました。アリゲータガーに関しては、最近よ く熱帯魚屋さんで稚魚を見かける魚ですが、1メートル以上になるのでよほど大 きな水槽を用意しておかないと飼い続けることはできません。私も以前から一度 飼ってみたいとは思っているものの最後まで飼いきる自信がないので飼っていま せん。最近こういう熱帯魚や亀だけでなく、犬や猫も捨てられる事例が多いとい う話を聞いており、改めて我々日本人のモラルの低さを痛感しております。
 こういうモラル無き大人達のモラルを育成する方法はないものでしょうか? ?こういうモラル崩壊が種々の社会的問題の原因となっているような気がするの です。

1999/7/3 『地域間競争とゲーム理論』
 「地域間競争」のという言葉があります。文字通り各地域が競争することで すが、これが各地域における継続的な公共投資の大きな理由となっています。市 場原理だけを考えると、競争は互いを高める効果があり、非常に有益であると考 えられます。しかし、市場と違って競争に負けた地方公共団体が潰れるなんてこ とはありませんし、過剰な競争により、投資効率が非常に低下していると考えら れます。この過剰な競争による失敗?は市場においても見られ、最も分かり易い と思われる例は半導体産業です。当初、先端産業として注目を集めた半導体産業 は高い利益率が期待されたことから、多くの企業が参入し、昨今、半導体を製造 している多くの日本企業が事業の再編を迫れれました。つまり、市場や地域間競 争には以下のようなゲーム理論(双方がYESの場合の効用はお互いに予測でき ない)が成り立つのではないでしょうか?こういう現状を考慮すると過剰な地域 間競争を推進することはいかがなものでしょうか?
 あと、関連することで気になることがあります。地方公共団体の職員の方に 「地域間競争」について話を聞くとよく地方公共団体自体の競争の話をされるこ とがあります(みんながみんなそうではありませんが)。これって変ですよね。 住民である私(私達)にとって、地域とは本当に自分が住んでいる地域そのもの であって、地域間競争とは地域を構成するすべての要素(地方公共団体はその1 つ)の他地域との競争を意味していると思います。地方公共団体の職員の方(一 部かも知れませんが)が、「地方公共団体=地域」と認識しているところに、住 民との意識のギャップがありますよね。こういうギャップが住民が必要性に疑問 を持つ空港の建設等に結びついたりするのではないでしょうか?

  Aの競争への参加
YES NO
Bの競
争への
参加
YES A:−4、B:−4 A:−2、B:+5
NO A:+5、B:−2 A:0、B:0

1999/6/29 『地方の人口減少への危惧』
 今後の人口移動を考えた場合、地方の人口減少に歯止めがかからないのでは ないか、と個人的に危惧しています。どうしてかと言いますと、地方から都心へ の人口移動は若年層を中心に今後も継続する可能性があるのに対して、都心から 地方への移動は今後減少するのではないかと考えられるからです。
 現在、自然や農業を嗜好して、Uターン、Iターン、Jターン等が見られる ようですが、基本的にはUターンが中心ではないかと個人的に推測しています。 つまり、私のように幼い頃に地方で生活し、大学や就職で都心に出てきた人達が 地方へ戻っているのです。彼らは都心と地方の両方の生活を体験、吟味し、地方 を嗜好して戻っているのです。現在の都心では地方から出てきた人々が沢山いる ので、このようなUターン志向が見られますが、今後、彼らの2世、つまり幼い 頃から都心で育った子供達が大きくなった時にIターンを志向するかは大きな疑 問であります。
 両方を体験しているから分かるのですが、都心には様々な魅力がありますが 、地方にも沢山の魅力があります(都心に出てきている私が言うのもなんですが )。しかし、都心で育ってきた子供達において、地方の良さを理解すること、地 方での生活に価値を見出すことは非常に困難な気がします。
 以前、ある都市計画のスクールで、数人でチームを作り南麻布の再開発につ いてプランを検討したことがありました。その折に私は小学校の運動場の拡大を 最重要事項として提案したのですが、他のメンバー(都心育ち)からはあまり理 解が得られませんでした。都心で生活してきた彼らにとっては広い運動場の価値 が理解できなかったのだと思います。また、以前、都心で育ってきた知り合いの 方から「子供の教育面を考えても都心から離れられない」という話を伺いました 。つまり、地方の教育(偏差値教育)のレベルが低いことを危惧されているので す。地方で育ってきた私は、まったく逆です。もし子供が産まれたら、偏差値教 育でがんじがらめの都心より、地方でのびのび育てたいと考えており、このへん に関しても価値観の違いが出てきています。
 このようなことから、今後、都心育ちの2世の世代に移るに連れて、都心か ら地方への人口移動は段々減少するのではないかと私は考えています。
 では、どうすれば良いのでしょうか?そこで、一つの提案は都心の小学生を 一定期間、地方に移動させて地方の生活を体験してもらうという案です。林間学 校等の短い期間ではなく最低2年程度。そうすれば、今後も地方の良さを理解で きる大人が都心において育つ可能性が出てくるような気がします。個人の自由が 尊重され、偏差値偏重教育が進む我が国で実現することは、まず不可能でしょう が、教育そのものの見直しの観点からも是非実現できないものか?と個人的には 考えています。

 

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