2001年4月6日
旧東海道・三島

 日本往来東海道ウォーキング小田原−箱根コース踏破の翌日、第2弾は箱根峠近くの芦ノ湖カントリークラブ入口バス停からJR三島駅までの徒歩での旅を致しました。
 いよいよ静岡県突入!“箱根越え”後半の旅へいざスタート!。

2001・4・6(金)旅行行程

ウォーキングスタートする前にスタート地点まで行くバスの時刻に余裕があったため箱根町バスターミナルにあるcameras.gif (1017 バイト)朝の芦ノ湖畔を眺めたのち沼津駅行のバスに乗りスタート地点の芦ノ湖カントリークラブ入口に辿り着き8時52分に箱根−三島コースのウォーキングをスタートする。

 cameras.gif (1017 バイト)北斗欄千の石碑に立ち寄った後、cameras.gif (1017 バイト)ひたすら下りの旧街道を歩き出す。
 ここらへんの旧街道は箱根に比べて石畳の割合より草や土の割合が多い感じがして、江戸時代から自然なまま残されたような道である。
 時代劇のロケーションに“もってこい!”かもしれない。


 国道1号線とクロスして農場前バス停から入るcameras.gif (1017 バイト)山中新田付近の旧街道は状況が変わり“整備された”旧街道になって“歩きやすく”なる。
 これが良いのか悪いのかは複雑な心境でも合ったが、私の左足の関節痛には楽な物であり、「これで良いのだ!」勝手に納得している自分がいるのも事実な訳で...(^^;)
 しばらく歩いていると一風変わった墓石が見えてくる。
 近づいて墓石の名を見てみるとcameras.gif (1017 バイト)雲助徳利の墓と刻まれている。
 変わった形の珍しい墓石だったので、拝んだあと「失礼しますよ(^^)/」とつぶやきながらデジカメに収めてみた。

 そしてcameras.gif (1017 バイト)山中茶屋竹屋に入りこの日最初の本休憩をして、名物の雲助だんごを食しながら炭焼きコーヒーをすする。
 おかみさんの話によると当然平日より休日の方がお客さんが多いが東海道ウォーキングラリーが始まってから平日のお客さんも増えたということである。
 もちろん休日もお客さんは増えたのだが「お客さんが非常に多くなるのでなかなかゆっくりとお話できない事が申し訳ない」と話されていた。(そりゃそうだ忙しいから仕方が無いもんね)
 ちなみに私はその日最初のお客さんだそうでおかみさんとたくさんの会話をして手厚くおもてなしをして頂いたので心から感謝いたしますよ。
 やはり旅は平日が一番ですな!(^0^) 

 30分休憩したのち、店のすぐ前にあるcameras.gif (1017 バイト)山中城址に入り1時間ほど散策したあと旧街道に復帰し、cameras.gif (1017 バイト)芝切地蔵付近を過ぎる頃には春うららかな日差しが注ぎ風も温くなってきた。 アウターのフリースを脱いで腰に巻きつけ軽やかに歩く...両足が痛いが(^^;)
 cameras.gif (1017 バイト)富士見平・芭蕉の句碑で一息つきながら富士山を眺めつつ笹原地区を越えると最後の急坂cameras.gif (1017 バイト)こわめし坂に突入するが両足の負担が非常にきつい...既に両足のふくらはぎ、ももの筋肉痛、左足関節痛のほか両足の裏にマメが出来ていてまさに「こっぱみじん状態」
 意外なことにフジテレビ系サザエさんのエンディングのような歩き方(足を伸ばした関節を曲げない状態で両手を振って歩くロボットのような歩き方)をすると非常に楽なのであるが、知らない人が見ると...どんなんじゃろ(^^;)

 cameras.gif (1017 バイト)六地蔵を過ぎたのち昼食をとるがあまりにも足が痛いし、ガイドブックにも書いているとおりにバスの利用も考えたが、まだ歩ける気力があり健脚コース完全踏破を達成したいがためにcameras.gif (1017 バイト)禁断の飲み物に手を出した...その後箱根神社の時のように...またニヤニヤしながら、cameras.gif (1017 バイト)春の花で彩られた道を通り過ぎつつ三島を目指す。

 塚原新田あたりに来るとcameras.gif (1017 バイト)箱根の石碑・錦田一里塚・初音が原の松並木cameras.gif (1017 バイト)愛宕坂・三島側箱根旧入口・鞍掛の石など史跡が多くなると共に徐々に建物も増え出し三島市街に入ってくる。
 桜が見えてきたと同時にcameras.gif (1017 バイト)三島大社が姿を表わし、春を感じさせてくれる満開の桜が箱根から降りてきた鞭打った体に安らぎを与えてくれた。


三島駅到着15時32分
25824歩6時間40分

 三島大社の境内を散策し春の息吹を感じたあとcameras.gif (1017 バイト)三島みやげを購入しJR三島駅まで歩き(本来のゴールは三島広小路駅)ウォーキングが終了した。
 15時56分発ひかり158号に飛び乗り東京着16時35分。
 そこから総武線快速に乗り換え四街道に到着し、歩いて自宅に到着したのは18時30分丁度の事である。
 その後友人が引っ越すためのお別れ会による焼肉食い放題の催しに出かけ、“バンテリン”の香りを漂わせながらカルビを食っていた私なのでした....(^0^;)

本日の歩数−トータル30692歩。
       そのうちウオーキング箱根−三島コース25824歩
       コース所要時間→6時間40分(山中城址立ち寄り含む)

立ち寄った場所(主要部分)
箱根町バスターミナル(芦ノ湖畔)、北斗欄千の石碑、兜石、雲助徳利の墓、
山中茶屋竹屋、山中城址、芝切地蔵、富士見平・芭蕉の句碑、一番亭(ラーメン昼食)
箱根の石碑、錦田一里塚・初音が原松並木、三島大社

山中茶屋竹屋(TEL0559−85−2306 営業時間10時〜18時木曜休)
三島大社(TEL
0559750172 境内は参拝自由 宝物殿は00円9時〜16時)

関連情報リンク

JR東海・東海道ウオーキングトップページ 
http://www.jr-central.co.jp/service.nsf/frame/toukaiwalking

三島市ホームページ
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/

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あとがき

 今回の旅のきっかけはJR時刻表2001年3月号のJRニュースを見た事から始まった。
 JR東海のページの中で「東海道五十三次ウォーキングラリー開催中」というのが掲載されており末尾に記されている“ラリー”と言う言葉に一発で興味をひかれてしまう。

 そもそも私にとって“ラリー”と言えば毎年恒例になっている“マイルドセブンドライブラリー”というのがあり、秋頃になるとレギュラーメンバー(中学時代の友人たち)と参加する事が定番になっていて、幾多もののワインディングロードを右へ左にハンドルを切って、エンジンのエキゾストノートを高らかに響かせながら走って...クイズに答える。
 運転好きの私にとってはこの“勝負事”と言うのがたまらなく面白い...でも実際には周辺の歴史や初めて見る自然の美しさを楽しみつつ、地元のうまい料理を食し、うまく行けば温泉にも入って体を癒す...競技と言うよりもちょっとした“ぶらり旅”気分を味わえる喜びのほうが私はウエイトが年々高くなってきた。

 そのラリーを“あえて徒歩”で挑戦することは迷いも無く、アウトドア好きの私にとっては非常に好都合な企画であったのは間違いなかった。
 それに“上高地のリベンジ”というのもあり意気揚々と準備にかかる事になる。
 宿の手配から始まり、トレッキングバック・レインウエア・シューズの購入、インターネットでの現地情報の入手など手を尽くしていたら早くも1ヶ月が過ぎ出発と相成る。

 実際歩いてみた感想だが車のスピードなら見落としがちの風景や気温の変化、野山の香りが肌にしみてわかり、その自然環境が直接自分の体に帰ってくることは改めて感動を覚えることとなる。 

 “自然環境が直接自分の体に帰る”という事が多くの現代人にとって忘却の彼方になってしまったのかもしれないし、その事を実感したキーワードが旧街道のあちこちある。
 そのキーワードが「行き倒れ」であった。
 交通社会が発展した現代の箱根越えは新幹線や東海道本線丹那トンネルあり、車に至っては箱根新道ありと便利な社会になった。
 でも明治時代初期以前はすべて“歩き”良くても“馬”の時代であり、その馬でさえも人を乗せたまま箱根の谷底に落ちて命を落とすケースが珍しくなかった。
 たまに車で箱根を通る事があるが、天候によっては霧も深く1m先も見えない事は珍しくないし、気温の差もあまりにも激しい事が車に乗っててもわかる土地である。
 そんな中、昔の人間は箱根を直接徒歩で越えていたのだからいかに命がけであったのかと思うことができた。
 街道途中には「ここで行き倒れになった旅人」のための供養塔や観音像が点在している。
 それは命を落とした旅人を決して忘れてはいけないということでもあるし、そんな犠牲があって交通手段が発達した現代社会が今ここにあるのだから文明の利器に改めて感謝することが実感できた。

 今回の箱根越えは私に“スロースピードの大切さ”と言うのを感じさせてくれた。

 先程の中で上高地のリベンジと記したが...結果は惨敗(^^;)
 両足のモモ・ふくらはぎは大筋肉痛!左足のさら部分関節痛!マメは左に1個、右に2個、背筋痛と...もう”こっぱみじん”状態であった。
 もう最後近くは日テレ「愛は地球を救う」の間寛平やトミーズ雅の状態...三島駅近くでは思わず“サライ”を口ずさむ始末。

 昔の人々は「本当にエライ!」そして箱根駅伝のランナーの方々「あなた方は本当にすごい!」

 体がこっぱみじんになったのも懲りずに次のコースへと“リベンジ”する私である。
 次は由比&府中(静岡市)だ...(^^)

てなわけでいつもの決めゼリフに参りましょう...

 いや〜いい旅だったあ〜!(^0^)

 2001年4月28日 from macha!

Special Thanks

M.N H.S J.T 

T.W

小田原駅今回のきっぷをくれたりスタンプ台の場所を教えてくれた出札係の駅員さん

西海子坂で声をかけてくれたおじさん。

休憩広場で同じラリーに参加していて、ガイドブックを見せ合ったご夫婦

民宿山伏のおばちゃん

山中茶屋“竹屋”の女将さん

富士見平で声をかけてくれて情報交換をして、箱根に向かった“おそらく”女子大生の女の子たち
→年齢教えたらけたたましくびっくりされた(^^;)

三島市塚原新田付近で道の様子と所要時間を教えてくれて応援してくれた地元のおっちゃん。

三島大社境内臨時売店の福太郎本舗従業員の方々
→品切れの桜まんじゅう取りに行ってくれた。

東京駅地下丸の内北口の出札係の駅員さん
→使用したきっぷをくれたり、「ご苦労様です!/(^0^)」と敬礼してくれた。

 

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