宗吾霊堂から甚兵衛渡しまでの国道464号宗吾街道は、直訴に向かった惣五郎と渡し守甚兵衛の物語の事から、直訴道と呼ばれている。
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台方村の名主惣五郎が凶作と重税に苦しむ農民を救おうと、当時重罪であった“直訴”をするため雪の降りしきる夜、江戸に向かう際、対岸の吉高(現在の千葉県印旛郡印旛村吉高)の渡し守甚兵衛が禁制の鎖を切って惣五郎を江戸に向かわせた後、「捕われの身になって生きる事よりは」と言う思いの結果、寒い夜の印旛沼に身を投じた。
それ以降この渡し舟の事を甚兵衛渡しと呼ぶようになったと言われている。
一方江戸に向かった惣五郎も願いは聞き入れられたもの、直訴は重罪だったため、4人の子供と共に処刑され宗吾霊堂に葬られている。 |