仙台のくぼ先輩と遊びに
1999.07.30〜08.01

 

登場人物

オレ(しんいち)

くぼ先輩
武蔵工業大学バドミントン部の2つ上の先輩。仙台で働いている。

ぽい
武蔵工業大学バドミントン部の同輩。武蔵工業大学の大学院生。

敏(とし)
武蔵工業大学バドミントン部の同輩。会社員。

もり
武蔵工業大学バドミントン部の1つ下の後輩。大学4年生。今回は残念ながら不参加。

ごん
武蔵工業大学バドミントン部の同輩。オレらが仙台に行っていたとき、ごんは経営工学科の友達といっしょに青森に行っていた。


 旅行に行くなら南よりもに行きたいと思うようになったのはいつからだっただろうか? いや、もともと漠然と思ってただけできっかけなんてなかったのかもしれない。北海道にも行きたいけど東北地方にも一度足を踏み入れてみたい。いよいよユースホステルに入会して安い宿泊手段を…と考えていた6月上旬、またしてもぽいから連絡が入った。仙台で働いている先輩のところに遊びにいこうというのだ。なんでも、先輩の働いている会社のマンションを借りれば宿泊費がかなり格安で済むらしい。

 よし、そういうことなら!と早速スケジュールを調整してみる。7月22〜25日は北海道に行くからオレがダメ。8月3日からぽいが研究室の用事でダメ。先輩の都合を考えるなら金・土・日がいい、ということで、自ずと7月30日〜8月1日と決まった(残念ながら、8月6〜8日の仙台七夕祭りには行かれない…)。このように、まず自分たちの都合を考えてから他の参加者を募ってみる。だって、車で行くから人数多い方がガソリン代&高速代が割安になるんだから。

 いや、最初は電車で行く方が安いかな?と思って計算してみた。だけど、箱根・小田原旅行のときを参考に考えたらやっぱりの方が安くつく。仮に2人だけだったとしても。

 武蔵工大バド部の同輩(とし)と1つ後輩のもりが名乗りを上げた。4人ならちょうどいいか、と決定しかけた7月19日、もりからメールが入る。

 こんにちは。
31日のことなんですが、高校の同窓会がはいってしまいました。前回は部活でいけなかったのです。
ですから申し訳ないんですがそっちに行きたいんです。
せっかく誘ってもらって悪いのですが、今回は先輩方だけで楽しんできてください。
本当にすいません。

また今度誘ってください。
では

 ここでオレは再び旅費を計算しぽいに連絡した。ぽい「別に、3人でもいいと思うよ。特に、他に誘いたい人もいないしね」、「結局、3人で行くことになりそうですか? 他に行こうと思ってる人やっぱりいないか・・・」というのが2人の答えだった。

 そんなわけで、仙台へはオレ・ぽいの3人で行くことが決定した。どうせ車にも部屋にも余裕があるんだし、行きたいと言ってきた奴がいたらそれはそれでいいや、ということにもなった。結局、一緒に行きたいという奴はいなかったけど。

 しかし、ここでひとつ問題があった。

 ぽいとオレはそのころすでに夏休みに入っている。だから、金曜日の午前中に出発するといってもなんの問題もない。ところが、はそうはいかない。普通の会社で働いて金をもらっている身分なんだから。有休を取れ、といっても新人ゆえ、なかなかそうもいかない。

 そこで、オレとぽいの仕事が終わった頃を見計らって、青梅にあるの住んでいる寮まで迎えにいくことにした。

 ところが、出発の一週間前になってさらに追い打ちをかけるようなことが起こった。仙台に出発するその日、に残業が入ったのだ。しかも、それは青梅の会社でではなくて、吉祥寺の本社で行われるという。ここで、に吉祥寺から青梅に帰られては今度は仙台の先輩の方に迷惑がかかってしまう。なにせ、青梅から行ったとしても向こうに着くのは24時頃ではないかと予想していたのだ。それが吉祥寺から青梅に行く時間を考えるとさらに遅くなってしまう。そこで、には申し訳ないが、吉祥寺に残業に行くときに仙台に行く準備をしてもらうことにし、オレとぽい吉祥寺を迎えにいくことにした。


 7月30日(金)、オレとぽいは17時30分に祐天寺駅で待ち合わせた。ここからなら1時間ほどで吉祥寺まで行かれるだろうと踏んでいた。ほぼ定刻通りにぽいと合流。駒沢通りから環状7号線に出る。吉祥寺に行くのなら環状8号線を使ってもよかったが、オレはそうしなかった。今までの部活の合宿の経験から環状8号線は常に混んでいるという印象がオレの中にはあったからだ。

 しかし、その日はなぜか環7も混んでいた。五十日(ごとおび)だったせいもあるのかもしれない。待ち合わせの18時30分を前にから仕事が終わったという連絡が入った。しかし、「何時頃着きそう?」というの問に、オレは吉祥寺に到着する時刻が予想できず、答えることはできなかった。地図を見て考えた結果、には電車で荻窪(吉祥寺から中央線で2駅)に移動してもらうことにした。そちらの方が外環道に入るのに吉祥寺よりもロスが少ないからだ。

 ふと、ラジオのスイッチを入れた。交通情報でもやってないかと思ったのだ。その直後にちょうど警視庁交通情報の看板が見えたきた。

「環状7号線外回りは…」

 な、なんと、オレらの車はちょうど渋滞に入ったところにいた。聞き間違いじゃないよな、ともう一度聞き直してラジオのスイッチを切った。

 だが、ラジオを切ってからオレは妙なことに気がついて、隣に座っているぽいに聞いた。

「環8のことは何も言ってなかったよな?」

 ぽいから肯定の返事が返る。そこでもう一度考えてみる。仮に環8が混んでいたとしても、環7も混んでるんだからどっちを行っても同じじゃないか。だったら一か八か…

「どうせ環7は混んでるんだし、ダメ元で環8に行ってみようか?」

 了承を取るようにぽいに言ったが返事は待たなかった。ここで言うのもなんだが、車のことに関してぽいは当てにならない。オレは後続車のタイミングを見計らって左の車線に移ると、直進車線を並ぶ車を後目にそのまま甲州街道に入った。

 甲州街道は嘘のように空いていた。少しでも時間を稼げれば、あるいは今までの鬱憤(うっぷん)を晴らせればと時速80kmでとばす。荻窪方面への案内に従って立体交差を上がり、環状8号線に入った。

 環状8号線も空いているというほどではなかったが、環7に比べると車の流れは格段によかった。そこで、再びに連絡を取る。こちらがあまりにも時間がかかっているのでにはのんびりでいいよと言ってあった。案の定、はまだ吉祥寺にいた。すぐに荻窪の方に移動するよう促す。

 そして、ようやっとのことでオレらは荻窪駅の近く、青梅街道と環状8号線の交差する四面道交差点と合流を果たした。祐天寺駅からわずか18kmを移動するのに、すでに2時間が経過していた。


 交差点の近くのコンビニで車の中での食料を買い、いよいよ東京外環自動車道へ。関越道の入り口と紛らわしいが、関越道の側道(左側)から外環道の入り口に向かう。

 オレはあまり外環道を使ったことがない。のナビに従って川口ジャンクションから東北自動車道に入る。こちらの方は実家が古河(茨城県)にあるの方が詳しかった。運転を代わってもらった方が都合がよかったかもしれないが、そうも言ってられない。は今日一日会社で働いて疲れているのだから。

 また、走ってる途中でぽいには友人から電話が入った。学科の友達が明日から青森の方に出かけるらしい。そのメンバーの中には武蔵工大バド部の同輩ごんも含まれているという。なんでも、ちょうど会社の夏休みで名古屋から東京に戻ってきていたとか。ごんにもちゃんと連絡していればひょっとしたらこっちに参加したかも、という後悔は先には立たなかった。

 そして、入口や出口、SAやPA以外に電灯のない暗い道を走り抜け、仙台宮城I.C.に到着。時間は25時30分。料金所を抜けた先の道を間違えて仙台市街の方に出てしまったが、親切にも先輩が車で迎えにきてくれた。とうとうオレらは今日から3日間(2日間?)お世話になるくぼ先輩に再会した。

翌朝撮ったマンションの外観 くぼ先輩の車についてしばらく走り、オレらは先輩の勤めている会社が保養所にしているというマンションにやってきた。先輩からアパートと聞いていたので1Kくらいの部屋を予想していたオレ。その中身のすごさに驚いた。洋室が3つに和室がひとつ。洋室にはそれぞれベッドがある。リビングには豪華なソファにWOWOWも見られるテレビが、キッチンには冷蔵庫、炊飯器、ポット、電子レンジが備え付けられていた。当然トイレ・バス完備。洗濯機に乾燥機まである。こんな立派なところを1日3000円で使っていいのだろうか? 会社の保養所っていいところなんだなぁと思った。

 明日(すでに今日か)行くところを相談し、3時頃布団に入った。


 7月31日(土)、10時を過ぎてようやく目が覚める。何時に出発しようという話もしてなかったし、こんなもんか。

 今日は松島に行くことになっていた。夜には石巻(松島の少し先)で花火大会があるというから、混んでくる前に帰りたい。朝食の準備なんてしていないから、支度を済ませたらまず松島に行き、そこで昼食(兼朝食)を取ることにした。

松島の松 12時30分頃松島に到着。ぷら〜と歩いた後、昼食にと「寿庵」という名の一軒のそば屋に入った。そこで食べたのは板そばという少し変わったそば。茶そばのように色が濃いめで歯ごたえがあるもの。味は…まあ普通。


瑞巌寺の並木参道 昼食を取ってからすぐ隣の瑞巌寺をのぞいてみる。立派な並木道を抜けてお寺のすぐ前まで行くが、この先は拝観料(700円だったかな?)が必要ということで、今度は別の道を通っていろいろな寺のご本尊を見ながら引き返す。


福浦島と福浦橋 雄島というところで頼賢の碑だか何だかを見てから、今度は福浦橋(出会い橋)を渡って福浦島自然植物公園に行った。この公園、面積は約6ヘクタールあり、アカマツ、スギ、モミ、ヤブツバキ、ヒサカキ、サザンカ、サクラなど、250種類以上の植物が生い茂っている。また、遊歩道が整備されていて歩きやすく、途中にある弁財天や毒龍庵記碑、貝塚といったものがこの島を歴史的にも関わり深い島にしている。

 貝塚の遺跡は島の北部、かやの崎の東斜面の近くにあり、縄文式前期、弥生式(福浦島式)など、縄文時代から弥生時代にわたっての遺物が出土している。

弁財天 毒龍庵記碑とは、享保19年(1734年)瑞巌寺、円福寺2代目住職の天領性空が福浦島に関する諸資料から、特に関わりの深いものを選び、史的事実を後世に伝えようとして記したものであり、寛永17年(1640年)、南叟(なんそう)なる者が円応禅師洞水祖翁を開祖とした庵を立て修業し、智証大師手彫りの不動尊を本尊としてまつったこと、その後虚玄禅師も修業するとともに再興したこと、太守中将吉村が島に渡り、その美しさを賞賛し画師周良に描かせた絵に和歌を記したこと、熊野三神をまつった調伏壇が再建されたことなどが書かれている。

 約1時間かけて福浦島を散策し、次に奥松島に向かった。

大高森の登山口 奥松島には、ここから見る松島の景色はすばらしいという四大観というポイントのひとつ、大高森というところがある(他に富山、多聞山、扇谷)。そこに行ってみよう!ということになったんだけど、その駐車場まで行って断念した。なんと、そこから600mも山を登らなくちゃならないんだと。この日はかなりいい天気。600m山を登るには少々暑かった。また今度、もう少し涼しいときに再挑戦しようと決意し、松島を後にする。

 仙台市街まで戻ってくる。ぽいの希望で夕食は仙台名物牛タンを食べることにする。車を止めてから一番町どおりで少々時間をつぶし、くぼ先輩おすすめの店「太助」の暖簾をくぐる。

 店の雰囲気はと言うと、狭い店内、いや、店自体は広いのかもしれないが、席が狭い。そして、おまけにせわしないことこの上ない。日曜日だというのにまるで平日のランチタイムのような雰囲気で、とてもじゃないがのんびりできるようなところではない。

 味は…オレ的には「こんなものか」と。何度も言うようだが、オレに味の講釈をさせないように。くぼ先輩曰く「店によって味も様々」だから、そちらの方が楽しみだ。もっとも、今回の旅行では他の店には行かなかったけど。

 この夜は先輩が用意してくれていたお酒「日高見」とオレが北海道で買ってきた富良野ワインとビールその他おつまみで宴会をし、ぽいをいぢめた。


 8月1日(日)、いよいよ仙台、そして、くぼ先輩ともお別れの日がやってきた。部屋の片づけをし、先輩から今日行くところの情報を仕入れ、マンションの駐車場で先輩とお別れした。お世話になりっぱなしだったにもかかわらず、「また来てね」と言ってくれたのが嬉しかった。

三階の滝 ここ宮城県には、「日本の滝100選」という名瀑のうちの2つがある。秋保(あきう)大滝三階の滝がそれだ。しかし、何を思ったか道を間違え秋保大滝には行くことができなかった。秋保大滝に行くには高速に乗る必要はないのに、つい東北道に乗って白石I.C.まで来てしまった。料金所のおじさんに「滝を見にいきたいんですけど…」と聞いてもすぐには答えが返ってこなかったのもうなずける。それに気づいたのは三階の滝を見て物足りなさを感じていたときだ。

 蔵王エコーラインに入る手前、県道12号の山道の途中に滝見台はある。そこに行くまでにぽいの「滝のはじける水にはマイナスイオンがどうのこうの…」という蘊蓄(うんちく)を聞いていたオレたちはてっきり滝のそばまで行かれるものと勘違いしていた。ところが、左の写真を見ての通り、滝見台から見る三階の滝はかなり遠い。また、滝見台からは右側に不動滝も見られるが、こちらも同じようなもの。そして、再び地図を探したオレたちは秋保大滝がぜんぜん別のところにあることを知る。

不動滝 三階の滝は落差181m、巾7mで、滝壺が3つあることからこの名がついた。また、不動滝は落差は54mと三階の比べて低いものの、巾は16mと広い。この両方の滝にカニとウナギの壮絶な滝壺(住み家)争いが伝えられているというから、どこかで何かが混同されているんじゃないかと思う。不動滝という名の滝は他にもあり、また、不動尊の近くによくあるが、その辺の関係はオレにはわからない。

 ともかく、オレたちは地図を見て、ここに来るまでに通り過ぎてきた遠刈田(とおがった)温泉の公衆浴場でひとっ風呂浴びて、食事をしてから東京に帰ることにした。

 温泉から出た後、食事をしようと「田舎のコーヒー&レストラン えんそう」という店に入った。小さいながらも、いや、小さいゆえに造りや雰囲気に凝っていてなかなか洒落ている。そこでオレは見慣れないメニューを見つけ、それを注文した。その名は「温麺(うーめん)」。油を使わない製法で胃に優しいらしい。10cmほどの長さでちょっとずつ食べるというのがまた腹にいいのかも。オレ的にはいまいちだったけど。

 近くのお土産屋で家へのお土産に仙台銘菓萩の月ともうひとつお菓子を買い、に運転を代わってもらって一路東京青梅のの寮を目指す。

 寮の近くのファミレスで今回の精算をした。結果は以下の通り。

宿泊代 3000円(先輩が半額おごってくれた)
高速道路料金 14500円÷3人
ガソリン代
(走行距離1007km)
13264円÷3人
 
飲食
 板そば「小板」
 牛タン
 温麺
 マンションでの宴会
 その他

(800円 先輩がおごってくれた)
1000円(先輩が少しおごってくれた)
900円
4694円÷3人(ワイン代除く)
2419円
福浦橋 通行料 200円
ゲーセン 800円
遠刈田温泉 入浴料 250円
おみやげ 2310円
その他
 一番町通りでの駐車代

先輩がおごってくれた)
合計 21698円

 寮に戻ったに車で案内してもらい、青梅街道から国道16号に入る。横浜市緑区の家までぽいを送ってオレが家に帰り着いたとき、日付はすでに8月4日になっていた。