邵元(しょうげん)和尚と正法寺510ページ2周年記念号

般若高原の夜明け

古源邵元(こげんしょうげん)と正法禅寺の発見

[参考文献]今井 健 「中世求法者の軌跡」

古源邵元は、永仁3年(1295)越前生まれ。若くして鎌倉、京都で禅を学び、嘉暦2年(1327)中国元に渡り少林寺などで21年間学んだ。中国元朝廷には百人の高僧の一人に選ばれるなど名声を高め、正平3年(1347)帰朝。観応2年(1351)京都・東福寺第二十五世など修禅を重ね、貞治3年(1364)世寿70を全うしている。

正法寺は、兵庫県の北東山間部(出石郡但東町)に位置し、10km余続く渓谷を下り小さく枝分かれした般若川沿いの集落である。

南北朝時代この集落に正法禅寺が在り、邵元和尚が修禅した。当時禅僧は北条貞時の庇護を受け各国の往来は頻繁であった。集落を通る山陰道は邵元和尚ら禅僧が遠く中国元や九州から京都鎌倉へ、また九州、中国へと駆けた街道である。

正法禅寺の塔頭は現存しないが、古図には般若川に懸かる堂本橋の近くに正法禅寺跡が印されており、往時が偲ばれる。

京街道の道標

邵元和尚研究者である今井 健氏は、中国少林寺の収蔵庫に現存する石碑に「〜日本国山陰道但州正法禅寺住持沙門邵元撰〜」(〜日本国山陰道但馬正法禅寺の邵元和尚が碑文を撰述〜)との記録があり、さらに山陰道の要衝である但馬の正法寺に正法禅寺跡が現存することなど、諸資料、邵元和尚所縁の各地を踏破、研究を重ねられた結果、但東町正法寺の正法禅寺を発見された。

中国少林寺は北魏の太和20年(496)から千五百年余の法灯が続き、達磨大師が9年間面壁(520〜)した中国一の名刹である。至正元年(1341)邵元和尚は少林寺第十五代住持息菴の偉業を称える碑文をここに撰述・建立している。少林寺に高僧ある中で、外国人の邵元和尚が特に選ばれて漢字の国中国の碑文を撰述したことは、邵元和尚の修禅の深さと才能の偉大さを十分察することが出来る。

遡る至元2年(1336)には、同寺で「鉄鐘」の鋳造を手がけている。高さ1.13米口径1.02米の梵鐘が少林寺方丈前に現存し、これに「邵元」の銘を鋳刻をしている。

正法寺の由来に明文の記録はないが、集落に存在した「正法禅寺」がその起源であることは論を待たない。当地には「昔、正法寺には立派な寺があった。梵鐘などの宝物が埋蔵されている。」との言い伝えがある。この口伝に思いを馳せるとき、邵元和尚が中国で鉄鐘を鋳造していたことなど興味深い。

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読者の方 中島万寿夫 masuo.nakajima@verizon.net   様から、

「邵元和尚は少林寺第十五代住持息菴の偉業を称える碑文をここに撰述・建立している」 記述に関して
参考文献

  http://www1.odn.ne.jp/~shaolin/RENSAI/hiwa_27.htm  http://www1.odn.ne.jp/~shaolin/RENSAI/hiwa_28_01.htm    http://www1.odn.ne.jp/~shaolin/RENSAI/hiwa_28_02.htm

石碑の写真をいただきましたので紹介します151202

151200syogen.jpg (217959 バイト)

 

 

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