湖北の観音菩薩 番外御三体

 

医王寺の十一面観音菩薩〔重要文化財〕

滋賀県伊香郡木ノ本町大見地区

(奥びわ湖観光連盟パンフレット写真)

腰ぐらいの高さの須弥壇の上の厨子に祀られているやわらかな顔つきの十一面観音は煤で黒ずんで、信仰のあとが見える。製作年代は10世紀から11世紀とのこと。左右に日光月光そして真中に法輪のついた宝冠がにぎやかである。

車が交叉出来ないほど細い道路を登った25戸の大見地区は、冬期には軒まで積雪がある。過疎地区の一人暮しで見るテレビほど寂しいものはないと、地区のお婆さんが観音堂を守っておられる。医王寺はお婆さんが子供のころから無住で、仏事には浅井町の小谷寺の住職を呼ぶとのこと。

明治時代長浜の古物商の店先にあったこの観音を医王寺の住職が同寺に安置したもので、以前の経歴は不明であるが、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治の初め、多くの寺院がある湖北地方のどこかの寺から流出したものと考えられる。おそらく医王寺に深い縁があり安住の地であったのだ。じっとお参りしていると体に電気が走った。

 

西野薬師観音堂の十一面観音菩薩・薬師如来〔重要文化財〕

滋賀県伊香郡高月町西野地区

十一面観音菩薩  薬師如来

延暦年間(782〜)西野地区に天台宗泉明寺があり伝教大師が薬師如来十一面観音を納めたと伝わっている。嘉吉、応仁、以降戦乱にて荒廃、1504年浅井氏の兵火にかかり堂宇は焼失し以後村人が仏像を助け出し今日まで守っている。

十一面観音は、右足を浮かし気味にして衆生教化に出ようとしておられる。非常に飾り物の少ない観音さんで、目鼻が整い腹から腰へどっしりとした重量感と説得力のある菩薩である。頭上仏は風化したのか煤汚れているのが黒紫に輝いている漆の体と対照的である。

薬師如来は、象徴である「薬壷」がない珍しい如来であるとか。どちらも等身大の立派な仏像で村人が5日づつ交代で堂守をしておられ、参拝者を案内していただける。

 

和蔵堂の十一面観音菩薩〔重要文化財〕

滋賀県伊香郡西浅井町山門地区

(奥びわ湖観光連盟パンフレット写真)

観音像の面相は丸顔が多いが、和蔵堂の観音は面長な顔で「キリット」した面立ちです。頭上に十一佛をいただき右膝を少しまげ、長い右手を下げ衆生済度に出かけんとしている。水瓶は金箔が残っているが全身ろうそく・線香の煙で黒く煤けているが衣のひだに朱が残っており、朱塗りの観音であったとか。胴部は円やかに膨らみ女性らしい。

本堂工事中、正面の庫裏には「和蔵」の表札、ここで案内を乞う。

収蔵庫の中にもう一体直径六〇センチもある阿弥陀佛の佛頭(重要文化財)のみが祀られている。何故頭だけなのか、このような姿なのか不明であるが、佛頭から推し量ると身の丈四メートル以上の巨大な阿弥陀仏であったと考えられる。

霊場一覧へ