湖北の観音菩薩
江州伊香三十三所三十三番札所石道寺の十一面観音菩薩
(奥びわ湖観光連盟パンフレット写真)
石道寺は726年延法上人の開基で後、行基菩薩が堂宇を建てたが焼失。その後伝教大師十一面観音を祀り、己高山石道寺として栄えた。もとは己高山の中腹にあったお寺が、明治の時代に火災や山津波など打ち続く悲運にあい無住となったことから、大正になって里近くにお堂を作ってお厨子とともに移したものである。
光背は明治時代に作ったものであり、最近のお姿に右手の数珠は無い。石道の住民50戸が2人づつ交代で堂守しておられ、厨子は普段閉じているが、堂守のおばさんの鐘をならし合掌の後開けていただきお参りできる。右足の少し前に出し、親指を少し上げ今にも歩き出さんとしておられるところは、鶏足寺の十一面観音菩薩と同じスタイルである。堂守のおばさんの説明では、おばさんのおじいさんがある夜、お告げを受けられ、この170センチ以上ある十一面観音を背中あわせに背負い里までおろされたとのと。
仏像を背負う時は背中あわせに背負うとのことです。この地方では背中あわせに背負うことを「仏さん負い(ほとけさんおい)」というとの事でした。