半生・反省・繁盛記
(11号)
小学校
県道から一段下に、対角線50メートルくらいの校庭、2階建て8教室ほどの木造校舎とL型に続いて、観音開き扉の陛下の御真影庫と真中に丸木柱のある講堂があった小学校。校舎の真中から教職員の専用玄関。
校舎の向かいに校庭をはさんで数本のプラタナス、花壇、その向こうは小さな小川がある。校庭の南端に奉安殿(太平洋戦争以前御真影や教育勅語を不敬の無いように保管した建物)の植え込み庭。(物心ついたときは建物は無かった)横にベンチ式のブランコ、学校の近所で慣れた子供が目いっぱい漕ぎ揺らすブランコは苦手だった。ブランコに並んで鉄棒があり、続いて学童用の校舎玄関になる。
校舎の前は、裸足で校庭を遊んだ後の足洗い場と「ガッチャンポンプ」(手漕ぎポンプ)
小使いのおばさんが手持ちの鐘をカラーンカラーンと鳴らして授業時間を伝え、冬の弁当箱は授業中加温箱の金網棚に入れ、下部から炭火の熱を当て暖めてくれた。給食は昼前から寸胴なべに具の多い味噌汁を薪ストーブの上で暖め食べる。時には近所で捕った蜆貝を入れたり、なかなかの味を覚えている。
授業中漂う味噌汁の香りはこたえられない。
防空頭巾
「ぼうくうずっきん」と言ったが、もめんの綿入れ頭巾で垂れは肩に届き、首の部分を紐で支えると風にも雪にも耳首から頭までほかほかの気持ちの良い被り物である。もちろん母の手縫いで、毛糸のマフラーは持たなかったがそれより格段の保温効果があった。小学校へも、遊びにも必需品だった。今なぜこの機能的なヘルメットが流行らないのか?
地蔵盆
村道のポンプ小屋の裏に上地(集落の上の隣保)の地蔵堂があり、田んぼ(集落の入り口の隣保)の地蔵堂がある。
8月25日地蔵盆の夕方、各家庭から団子をお供えに来るのを、子供らが地蔵堂の前に待ち構えて、お下がりをちょうだいする。あんこを絡めた団子、黄な粉を絡めた団子、中には黄な粉に砂糖をまぶしてないお供もあり、お下がりにありがたみがなかった。
盆の風物である。