半生・反省・繁盛記

(9号)

タモ網

村の入り口近くにある大川の堰をはずし、水田の用水路の水をいっせいに止める。これを「イネ落とし」といい、年中行事の一つだ。稲の成長過程で水田の水を抜き田を干すのである。

水の止まった用水路の水溜りに、鯰やフナなどが跳ねるのを捕まえるのが面白い。労力は要るが「水換え」と称し、土橋の下の大きな水溜りをバケツで全部換え出して、魚を捕まえるのは特に面白い。

母に作らせた養蚕用ネットを加工したタモ網で朝の暗いうちから泥んこになって遊んだ。夕方にはタモ網はボロボロに破れ壊れた。

 

修学旅行

便所がきれいだから洗面器と間違うなと先生に注意され東京へ修学旅行。横須賀の病院に就職していた姉が面会にきてくれた。

後楽園遊園地で蛸足のような遊具で乗り物酔いして三越デパートの見学がつらかった、ご飯の量が少なかった、初めて旅館の共同浴場を経験した、東京タワーも二重橋も国会議事堂も今と一緒だ。

 

山頂

「山の上り口は沢山あるが、目指す頂上は皆一緒である」和田先生が中学卒業にあたり、全員を集めて教えられたことである。

和田先生は「朝日」という125CCの単気筒オートバイで通勤されており職業の担当だった。電気コンセントのコード接続方法や自転車の分解修理等の技術を教わった。今一番役立っている科目である。これが器用貧乏の基か

アレから40年まだ頂上ではない。人生は永い。

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