半生・反省・繁盛記

(7号)

 

炭焼き

西の雑木林に炭焼き小屋があった。1.5メートル10数センチ角に雑木を切り出し、土窯に立てかけ詰め、密封点火する。一昼夜して真っ赤に焼けた炭を出し、土をかぶせて冷ますと、金属音のする炭が出来る。炭の出来具合は、排気口から出る煙の色・匂い・味で父が見る。萱で俵を編むのが母らの仕事、この俵に炭を詰め俵の上下は藁で編んださんだわらで蓋をする。父と祖父は面白がって炭焼き仕事をした。

父と舅は烏鷺敵二人はよく夜が明けるまで対座した。

 

ラドン

炭焼きで雑木を切り、後に残した松の梢に鷹の巣を見つけた。雛が孵る頃を見計らって10メートル以上ある松の木に昇った。親鳥の攻撃をかわしながら産毛にピーピー鳴く2羽の雛を懐に入れ松の木を滑り降りた。

伝書鳩の空き小屋に2羽を育て、ラドンと名づけた。名を呼びながら、どじょうやかえるを与えると、見る見る大きくなったが、一匹はもう一匹にいじめられ育たなかった。どうも鳥の習性から、2羽同時には育たないようだ。

ラドンの餌確保が日課になり私を親とよくなついた。数ヶ月後小屋の窓を開放にした。ラドンは向かいの山に入ったり、近くの茅葺き屋根に遊んだ。そのうち自分で餌を探す方法を覚え、冬が来る前に異国に渡った。今もラドンの子孫が近くの山を「ピン・ピ〜ン」と鳴きながら飛び交っている。

 

昔は牛の力で田んぼを耕した。牛の鼻輪に引き綱を一本つなぎ、牛の後方から「ハチ・ハチ」といいながら、引き綱をはたけば牛ははたいた方に進み、引けば引いたほうに進む。「オー・オー」と言いながら後ろに強く綱を引けば牛は止まる。

牛は家族と一緒に暮らしていた。米のとぎ汁は捨てることなく桶に溜めておく、たくあんの尻尾や野菜のくず、残飯もこの桶に溜め、牛に食わせる。牛は上手そうに食べた。

一年に一度仔牛が生まれ、市に出る。牛市から帰る父の土産は少年雑誌が嬉しかった。

 

田植え

田んぼの長辺に基線とする縄を張り、縄に直角に「田植え尺」を置く。4〜5人が尺に向かい稲苗を一列植える都度後退りに尺を動かすと、碁盤の目状に田植えが出来る。

共同作業の手はリズム良く、父が自慢話をしたり、母が諭し話をしたり、家族のコミュニケーションの場だ。家族以外に応援の手が入るとリズムはさらに良くなった。

昔の田んぼは自然の地形に沿っており、変形で仕事の効率が悪い。しかし形が面白く一枚植えるごとの達成感もなかなか良い。

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