半生・反省・繁盛記

(5号)

 

二年生の頃、近所の山で熊が射止めたられた。猟師と鉄砲と黒々とした大熊、これを囲んでの武勇伝を覗き見たショックは大きかった。私は早速紙芝居を作って遊んだ。大人になったら鉄砲を買って猟師になる。熊を獲って家を建てる。というストーリーだった。

 

工作

3年生/厚紙に接着剤をうまく使い船を作った。工作好きのきっかけだ。学校の二階窓から飛ばしたグライダーも校庭の向こうまで良く飛んだ

5年生/祖父の羽織袴に自作の刀で、学芸会の殿様役をした。話好きの殿様が次々と町衆を呼んでもっと長い話をせよと命令することから、「池のほとりに大きなどんぐりの木がありました。どんぐりの実が一つポロリと落ちコロコロ転んでポチャンと池に落ちました。続いてまた一つポロリと落ちコロコロ転んでポチャンと池に落ちました。またまたつづいてまた一つ〜」とどんぐりの落ちる話が延々続く物語です。

竹を割って作った鞘と刀に赤や白の布を巻いた傑作だ。

 

作文

小学校の菜園で穫れた豆が校庭のムシロに干されていた。担任の武知先生がひょうきんな動作でムシロに豆を広げ、私におどけて見せた。これを「先生がケツ(尻)を尖らして・・・・・」と作文に表現したところ、先生に絶賛された。先生が上手に誉めてくれたことから作文が嫌いでなくなった。

「僕のお父さんはよう仕事をしなる。だからよく安全装置が外れている」と作文に書いた。父親にキセルでコツンと頭をたたかれ「あほなこと書くな」と諭された。安全装置とはズボンの股ボタンのことで男子として怒るのが当然、公衆に暴露したことを反省した。

近所の大人に、「ギリ(つむじ)が二つあるんか?見せてみ!」と頭を抑えられた。作文にギリが二つあることを書いたのだ。

先生は、「きりん」という文集を精力的に創り、各家庭に配布していた。子供の作文で学区内の情報が伝わっていた。

 

万里の道も一歩から

小学校6年の教室は、黒板の上に「明るい教室」と墨書の額があり、壁には大きな横長の歴史年表が貼ってあった。国語の教科書の冒頭に「万里の道も一歩から」とあり、担任の国谷先生からことの意味を縷々説明を受け、決意を感じた。

「大人になったら何になりたいか」という作文の時間、私は「平凡なサラリーマンになりたい。」と書いた。生家の百姓が反面教師である。当時知り始めた「平凡な」という形容動詞を使ったが、そのとおりのサラリーマンに成長した。

まじめな書道の先生だった。暖房ストーブの薪を整理する作業でのことである、教室にはストーブが入っていないのに、職員室にストーブを焚いていたのを、子供心に不平等に思い抗議した。先生は私の抗議を懇々と諭してくれた。

平田小学校が人生の一歩目である。

 

引越しのこと

集落の入り口京街道沿いに引越しをした。父が引く大八車に積んだ家財の中で柱時計がボーンボーンと鳴る後ろを小走りについていった。

母屋は旧家を買取り、離れ部屋と土蔵、奥庭の部分を移築した。器用な父は、井戸掘り石組み、土蔵の基礎、排水の暗渠等自ら工事をした。ここで水平レベル、暗渠のとり方など多くの雑学も習得した。

 

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